第49話 異世界人と漆黒の狩人

「それでは、今日から皆さん待望の夏休みが始まります。長い休暇を勉強や訓練、研究に費やすのも、何か新しい事に挑戦するのも、はたまた寝て過ごすのも皆さんの自由です。先生から言える事は一つだけ。どうか、悔いの残らない夏を過ごして下さいね。それでは、新学期にまたお会いしましょう」


 最後にセリナ先生がにっこりと笑って教室を出ていく。

 途端に生徒たちが楽しそうに騒めき始める。どうやら、たとえ異世界であろうと夏休みを前にして学生は浮つくものらしい。


「シーたん、お疲れ~。ようやく待ちに待った夏休みだねえ」

「ナツキの方こそお疲れ。いやあ、ここまで長かった」


 シロウの場合、春から夏までの間にあまりにも環境が変化してしまったので、対応するだけで精一杯だったのだ。

 それを思い起こせば、長かったという感想に落ち着く。


「春に転入してきてから、もう結構経つもんね。

 どう、いい加減この学園にも慣れたっしょ?」


 ナツキの問いに、シロウは考える事も無く頷いた。


「流石にね。皆俺みたいなのにも優しく接してくれるし、分からない事は何でも丁寧に教えてくれるから困ることなんて無かったよ」


 シロウは、心の中でこれまでの学園生活を振り返る。


「それは、皆シーたんが相手だから優しかったんだと思うけど~」


 ナツキが少しおどけた調子で言った。


「ま、何にせよ良かったじゃん」

「うん。……あ。それはそうと、ナツキは夏休みどう過ごす予定?」


 シロウはふと気になり、質問を投げかける。


「あたし? 特に決めてないけど。まあ、家の手伝いとかかな」

「ナツキの家ってお店なんだっけ?」

「そだよ。うちフラワーショップなの。売り場だけじゃなくて家の中もお花で飾っててんだよね」


 ナツキはどこか自慢げに言った。

 きっと彼女は家業を気に入っているのだろう。その態度からは親の仕事に対する尊敬の念が感じられる。


「へー。じゃあナツキもお花を売るんだ。可愛くていいじゃん」


 シロウは売り子として働くナツキを想像する。

 両手に花を抱える彼女自身が、きっと華やかなオーナメントとなるだろう。


「へへ。でしょ?」


 ナツキは嬉しそうに笑った。


「あたし、将来うちを継ぐつもりだからさ。この夏に花の事とか色々勉強しとこうと思って」

「おお、偉いなぁ」


 シロウは感心した様子で言う。


「俺なんてまだ将来どころか夏の予定も決めてないや。……ん? でもそんなにはっきり将来を決めてるんなら、なんでこの学園に入ったんだ? 花と魔導って、何か関係あるのか?」

「それが意外に無くもないんだよ」


 ナツキは指を一本立てて説明し始めた。


「魔術を上手に使えば、害虫や気候から花の状態を護ったりとかできるし。それに気温や日光なんかを魔術で管理できたら、お花屋さんとしては無敵だよね~」


 どうやら彼女には彼女なりの展望があるらしい。

 流されるままに日々を過ごしているシロウからすると、ナツキの確固たる未来への計画は羨ましい限りである。


「あ、でも。シーたんからのお誘いはいつでも大歓迎だかんね?」


 冗談めかして言いつつも、ナツキの目には期待が込められていた。


「ああ。何か暇な時にでも声かけるよ」

「うん。遊びに行く約束も、忘れちゃダメだからね?」

「分かってるって」


 念を押すナツキの言葉に、シロウは苦笑しながら答えた。


 夏休み。

 異世界における初めての夏が、シロウを待ち構えているのだ。

 念を押されるまでもなく、どうせならしっかりと楽しみ尽くしたい。


 帰ったら、さっそく夏の予定を立てなくては。

 シロウが浮足立って学園から帰宅しようと正門を一歩踏み出した矢先、行く手を黒いフードの女性が阻んだ。


「…………」

「な、なんすか?」


 こんな夏に、わざわざ真っ黒なフードを被り顔を隠した女性。あいにく心当たりはない。

 隣のスツーカに視線を向けたが、彼女も知らないようで首をふるふると振っている。


「…………」

「あ、あの?」


 無言でシロウたちの帰り道を遮る不審な女性。

 シロウは恐る恐る声をかけてみるが、反応はない。


 あまりの不審さに思わず困惑していると、彼女はばさりとフードを脱いだ。

 どうやら顔を隠したかった訳ではないらしい。


 フードの下から出てきたのは、二十代前半と言った年齢の非常に端正な顔をした女性だった。よく見ると、かなり中性的な容姿である。フードで身体のシルエットが曖昧な事もあり、元の世界なら性別の判断に迷ったかもしれない。


 しかし、そう思ったのも束の間。やはり暑かったのか彼女がそのままフードを脱ぎ捨てると、その中に隠された大いに女性的なボディラインを包む、どこか見覚えのある動きやすそうな衣装が目に付いた。


「あ。その服、何処かで見たような」


 シロウが思わず口走ると、不審者はにやりと口端を半月状に吊り上げた。


「ククク、如何にも。これは我が自ら仕立てた狩人の装束である」


 女性は芝居がかった口調で続ける。


「この装いに貴殿の見覚えがあるのも当然の事。何故なら、貴殿の愛して止まぬ妹御もまた、我が装束をその身に纏っているのだからな」


 その言葉にシロウの中でピンと繋がるものがあった。


「あ、もしかして。貴女はキサラの……」

「そう! 我こそが闇夜に舞い降りる漆黒の影であり、美麗なる狩人。正体を隠し、夜の帳にこの身を潜めし名無し人なのだ。……覚えておくがいい」

「は、はあ。……ど、どうも?」


 ヤバイ。暑さでちょっとオカシクなった人かもしれない。

 彼女の放つ言い知れぬ圧に、シロウはじりじりと後ずさる。


 シロウがスツーカの手を引いて不審者から逃げようか迷っていると、不意に少女が小さく声を上げた。


「……あ。誰かと思ったらご近所のマヤさん、だったんですか。フードで顔を隠してるから、私、てっきり怖い人かと……」


 安心したように身体の力を抜く少女に、マヤと呼ばれた女性はそれまでの態度を一変させて文句を言い放った。


「あー! スツーカちゃん! 駄目だよ、空気壊しちゃ! お姉さん、まだ挨拶の途中なんだからね!」

「あ。ご、ごめんなさい。私、つい……」

「お話は、ちゃんと挨拶が終わってからね。それでは、気を取り直して……ごほん」

「…………」


 マヤは仕切り直しに一つわざとらしい咳をして、再び役者の皮を被り直した。


「我が名は宵闇のマヤ。暗闇に舞い、異形を狩る者。見るがいい。この無限の夜を渡る漆黒の瞳を。汝が闇に興味を抱くならば、我が影を追え。そして、美しき狩人の齎す悪夢を、その目に刻み込むがいいッ!」


「…………」

「わ、わあ~」


 ぱちぱちぱち。

 スツーカが遠慮がちに鳴らす拍手の音だけが、辺りにむなしく響き渡る。

 こういう時、果たしてなんと言えばいいのだろうか。


 今ので挨拶は終わりなのか、マヤは満足そうにドヤ顔を浮かべている。

 どうやら、彼女はシロウのリアクションを待っているようなのだが。残念ながら、シロウにはこういう時の無難な応対が思いつかなかった。


「……とりあえず。闇夜に舞い降りるとか言ってましたけど、今、真昼間ですよ?」

「うっ」


「ここ、学園の前で人通りも多いから全然潜めてないですし」

「うぐっ」


「後、なんか随分と闇とか夜とか推してますけど、黒いのフードだけですよ。お姉さん綺麗な銀髪だし、フードの下はどっちかというと緑っぽい服で、なんていうか、肌色多めだし。だったら、最初にフード脱がない方が良かったんじゃないすか?」

「ふぐっ。だ、だってぇ……着てみたら思ったより暑くてぇ……」


 シロウの口撃にマヤは膝から崩れ落ちる。

 どうやら、闇夜に舞う美しき狩人を自称する彼女はメンタルの脆弱さに難があるらしい。


「あうぅ、なんだかキサラちゃんの言ってたのと違う……。この人、全然優しくないよぉ……」

「あ、いや。すいません。いきなりだったので、俺もつい失礼な事言っちゃって」


 半べそをかきながら、うるうるとした瞳でこちらを見つめるマヤの姿に罪悪感を刺激されて、シロウはぺこりと頭を下げるのだった。

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