第45話 油断

 クルーシュは漆黒の大剣を構え、脇腹に傷を負ったアースの前に出る。


「ここから先は我が戦う。隊長は下がっていろ」

「しかし!」

「どの道その傷では半分の力も出せまい。回復に集中するのだ。もし我が劣勢になったときに助太刀に入れるようにしておいてくれ」

「……わかった」


 しぶしぶ了承した。


 クルーシュは異形の魔物に殺意を向ける。


「さて、ガニュマよ。お前が相手だと手加減は出来んぞ。死にたくなければ逃げるがいい。今なら見逃してやる」

「馬鹿イウナ。かまわない。殺ッテミロ。ガニュマはまけない」

「なら仕方ない。行くぞ!」


 風圧で草を刈り取ってしまうほどの脚力で一気に間合いを詰める。そして予備動作のないシャープな剣捌きで斬りかかる。


「は、はやい!」


 元魔王の本気。一連の動きはアースですら目で追うので精一杯だった。

 これなら素早いガニュマも避けられないはず。


「イヤ遅いナ。止まって見えるゾ」


 冷気を宿した刃が液体に触れるより先に地面に潜りこんだガニュマ。まだ剣を振り切ってすらいないクルーシュの背後に回り込む。


「死ね死ね死ね死ね」


 茶色い液体の一部を矢に変え、無防備な背中に向けて発射する。

 しかし黒い鎧に届く前に透明な壁に防がれ、音をたてて弾かれた。


「後方に防御壁を張っておいた。アース隊長と同じ轍を踏むわけにはいかない」

「チッ。壁。見えない壁。カタイ。ジャマだ」


 ガニュマは土の上に転がった矢を茶色い液体に戻し、回収する。


 その後も似たような攻防が続いた。クルーシュが斬りかかるも躱され、ガニュマが攻撃を繰り出すも防がれる。


 素早さはガニュマが圧倒。

 その他の能力はクルーシュが圧倒。

 それが意味するのは、決着がつかない消耗戦。


「不毛だな……」


 数分の攻防の末、ついにクルーシュが剣を下ろし、やれやれと息をつく。


「見立てが甘かった。力技でねじ伏せようとしたのが間違いだった」

「ドウシタ? ヤメル? ガニュマはやめないけど」

「いったん作戦を練る。効率的に倒すためのな」

「そんな暇はアタエナイ」

「いや、与えてもらう」


 そう言って周囲にドーム状の防御壁を張る。

 ここまでの戦いを見ればガニュマは防御壁を突破することはできない。

 これで時間をかけて思考に耽ることができるというわけだ。


「おっと。地面に潜って突破しようと思っても無駄だぞ。ちゃんと下にも壁を張ってあるからな」

「グヌヌヌ。ヒキョウナ奴」


 白いお面の口をとがらせて怒るガニュマを気にすることなく、防御壁の内側でリラックスモード。竜の装飾があしらわれた柄から手を放し、肘をついて横になる。


「おい! 気を緩めすぎだ!」


 まるで休日の中年のようにボリボリと背中を掻く元魔王を咎めるアース。ちなみに彼もドームの中に入っている。


「安心しろ。やつの攻撃力では防御壁は壊せん。それにこれは挑発の意味もある。こうしていれば戦闘狂のガニュマは苛立ち、思考が単純化する」


 実際、ガニュマは体の一部を槍に変形させ、怒り任せでドームを突き続けている。傷一つ付かないが。


「出テコイ出テコイ出テコイ!」

「ほれみろ。あとは泳がせておけば勝手に疲れて動けなくなるだろう。そこを叩く」

「……狡い戦法だな」

「それは誉め言葉か?」


 ドーム内に響くカンカンという音を聞きながら、ガニュマの体力が減るのを待つ。

 ケガの治療をしつつも警戒心を解かなかったアースだったが、ついに腰を下ろして治療に専念する。


(たしかにクルーシュの言う通り、ガニュマは体力を消耗する一方だ。所詮はバカな魔物。決着は時間の問題だな)


 そう判断した。


 白いお面の口がニヤリと歪んだのはその時だった。


「甘い。油断。命取り」


 これまで体の一部を武器に変えていたガニュマが、粘土のように体をねじらせ、一本の巨大な槍を形成する。


「ガニュマのすべての力。先端にシュウチュウ。必殺技。汚泥の槍マッドジャベリン


 ミサイルのように防御壁に突撃。

 先端を軸に回転することで穿孔。火花を飛ばし、ガリリリリと激しい音を立てる。


「むむ!」


 これまでの攻撃とはまるで違う火力。

 マズい。

 慌てて立ち上がり、剣を構えようとしたクルーシュだったが、遅かった。


 透明な壁に小さな穴が空いた。そこからヌルリと侵入してきたガニュマがクルーシュの全身を包み込んだ。

 どんな強者もまとわりついた液体を振る払う術はない。自由を奪われる。


「う……あぁ……」

「くそがッ!」


 助太刀に入ろうとしたアースだが、深手を負っている彼では相手にならない。液体の殴打によって吹き飛ばされてしまう。


「フハハハハハ。やった。ガニュマやった。ついに最強の魔物をツカマエタ」

「なにを……する気……だ……」

「決まっている。乗っ取る。魔王乗っ取る。鎧の中に入って、ガニュマが鎧を操る」

「寄生虫……というわけか……うっ!」


 茶色い液体が、分厚い鎧の隙間から侵入していく。顔から、首から、関節から。


 まとわりつく液体が徐々に減っていく。それはすなわち、鎧の空虚な内部を液体が満たしつつある証拠。


「うあ……ああああああああ!」


 森中に響き渡る魔王の咆哮。

 それが終わると、鎧は力なく項垂れた。囲っていたドームが消滅する。


「く、クルーシュ……?」


 不気味なほど静まり返った森で佇む鎧に、アースが声をかけた。元魔王が負けるはずがない、という希望を乗せて。


 その希望は打ち砕かれた。


 再び顔をあげた鎧。そのヘルムには口角をこれでもかと上げた白いお面が装着されていた。


「やった! ガニュマやったゾ! あの! ガニュマを閉じ込めた! 最強のマモノ! クルーシュを乗っ取った!」

「そんな……」


 絶望。アースはその場に崩れ落ちた。

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