第10話 最悪の教官ガドイル


「ガドイル……教官」

「よぉ、ホーランアート。こんなところで会うとはなぁ」


 小路地の向こうから歩み寄ってくる男。

 鋭い目、手入れされていない無精ひげ。胸の前で金のネックレスを揺らし、手首には陽の光をキラリと反射するラチナの腕時計。

 金を持った小悪党といった外見だ。


 ホランは虐げられてきた数か月が脳裏によぎり、顔をしかめる。


「なに? 今更何の用?」

「用なんてねえよ。ギャンブルの帰りにたまたま通りすがっただけだ」

「そう。それじゃあ」


 大通りに戻ろうとするホラン。しかし肩を掴まれた。


「まあ待てや。せっかくこうして会ったんだ。恩師との再会をもう少し喜んでもいいんじゃねえか?」

「再会って、数日前に異動したばかりじゃない」

「ああそうだな。お前らみたいなポンコツどもに嫌気がさしていたところ、チーム6番シックスの教官の席が空いたんで喜んで異動したよ。6番はいいぞぉ。全員がロボットみてえに俺の言うことを聞く。おかげで楽しくやらせてもらってるよ」

「それはよかったですね」

「だが、一つだけ物足りないことがあるんだ」


 ガドイルはホランの耳元で囁く。


「あいつら、お前らと違って指示されたことを忠実に履行するもんでな。殴ろうにも殴れない。おかげでストレス発散できないんだ。今日のギャンブルで負けたイライラも発散する相手がいねえんだよ。困ったなあ。どこかに殴り心地の良いサンドバッグがいねえかなあ?」

「…………」

「おや? おやおや? いるじゃねえか! 目の前に! クソの役にも立たねえポンコツ集団のチーム42番、その中でも一番殴り甲斐のある気の強いリーダーさんがよぉ! これはもう神のお導きだな。つーわけで……」


 路地裏に鈍い音が響く。

 ホランの腹部に拳がめり込んでいた。


「がはっ……!」


 理不尽な暴力。体がくの字に曲がるほどの衝撃。

 ホランはお腹を抱えて跪く。


「おいおい。一発でダウンか? 殴り甲斐がねえなぁ。お前は耐久力が売りじゃなったのか?」

「全然効いてないわ……」

「あっそう。だったらさっさと立て。じゃねえと丁度いい位置にある頭を蹴り飛ばすぞ」


 ふらふらと立ち上がるホラン。

 すかさず次の拳が飛んできた。また同じ位置。口から唾液が飛び出たが、何とかこらえる。


「はぁはぁ……」

「いい表情かおするねえ。それでこそ特士校のお荷物チームのリーダーだ。本来てめーらみてえなカスは存在価値がねえんだからよお。ストレスの発散に使われるだけありがたく思えよ」


 ホランは眼前に立ちはだかる悪魔を睨みつける。


「なんだその目は。教官様に向けていい目じゃねえなあ」

「……あなたはもう教官じゃない」

「悲しいことを言うぜ。お前たちを鍛えてやったのは誰だと思ってる? 二発殴られて立ち上がれるのも、俺があれだけ殴ってやったおかげだろ? 能無しのクズどもをサンドバックに進化させたやったんだ。ありがたく思えよな。ペッ」


 ガドイルの吐いた唾がスカートにかかる。

 歯を食いしばり、わなわなと震える拳。

 数々の罵倒と暴力、過去の虐待。

 我慢の限界を迎えた。


「ガドイルゥ!」


 鬼の形相で殴り掛かる。

 全体重を乗せた拳は、悪人面を捉えることはなかった。


「おめぇの攻撃が当たるわけねえだろうが」


 ガドイルは顔を横にずらして紙一重でかわすと、顔面にカウンターをお見舞いした。


「うぁ……」


 脳が揺れる。全身の力が抜けて倒れ込む。

 ガドイルは横たわる元生徒を勝ち誇った笑みで見下し、頭をローファーでグリグリと踏みつける。


「ハッ。お前の悪い癖だ。イライラすると周りが見えなくなり、攻めに転じようとする。でもな、お前は盾役タンクだろうが。攻撃は素人に毛が生えた程度。こんな直線的な動きが当たるわけねえだろ。おら。立てよ。まだ終わりじゃねえぞ」


 桃色の髪を引っ張って無理やり立たせる。


「痛いっ! 放して!」


 反骨心をあっさり砕かれたホランは泣き叫ぶことしかできない。


「それに知ってるだろ? 教官は聖騎士団の銅級以上しかなれねえんだ。しかも俺は銅級の中でも上の方だぜ。対してお前はただの聖騎士団の候補生。上位ランカーなら銅級以上の腕のやつもいるかもだが、お前は最下位。どうあがいても俺には勝てねえんだ……よ!」


 髪を放されるのと同時にみぞおちへの膝蹴りを浴び、背中から地面に落ちた。もう声を出すこともできない。「あ……あぁ」苦痛の吐息を漏らすだけ。


「さてと。ギャンブルの負け分も発散できたことだし、ここからはご褒美タイムといこうかね」


 無抵抗の少女の胸ぐらを掴んで横の壁に押し付ける。そして残った手で胸のふくらみを鷲掴にする。


「くっ……」

「前々から思ってたんだよなぁ。ホーランアート。お前は顔もいいし体もいい。気の強いところも屈服させ甲斐があるしな。一度犯してやりてえと思ってたんだ」


 ゲスの面が間近に迫る。酒とタバコのにおいが混じった息が顔面に吹きかかる。


「教官と直属の生徒という立場上、そこを超えたらさすがに処分されるかもと思って自重していたが、もういいよな? 俺たちは別チーム。敵同士だ。敵に精神的ダメージを負わせるのも戦略の一環だもんな」


 ごつごつとした手が腰に触れ、ビクッと身を震わすホラン。


「健康的な腰回り。いいねえ。戦う兵士にしては少し肉が付いているくらいの方が女として魅力的だぜ。顔もお嬢様見てに気品があるしな。ほんと短気以外は完璧な女だ」

「……もうやめて」

「その泣き顔、たまらねえなあ。男の煽り方わかってるじゃねえか。淫婦の才能は抜群だな」


 ガサガサした舌が頬を撫でる。

 スカートの中に手が伸びる。太ももの内側に冷たい感覚がした。

 どうすることもできない。ホランの目元に絶望の雫が溜まる。


「おい」


 ガドイルの肩に硬質の手が添えられた。


「あ? こんなときに誰だよ……うがっ!」


 振り返ると同時に顔面を殴られ、吹き飛ぶ。


「んだてめえ! いきなりなにしやがる」


 倒れたまま殴った人物を見上げる。


 建物の陰で薄暗い細道で、ひと際闇色を放つ鎧がいた。


「……クルーシュ……教官」

「悪かったな。一人にさせて」


 元魔王がそこにいた。

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