共死蠱惑②

「ひぇ~、マジすか。その女性に関わると、奥さんを殺して自分も死んじゃう……そういうことになるんすか?」


 時刻は昼。天候は曇り。

 白川研究室の保有するアリサ運搬用ワゴン車に現在乗車しているのは三人。運転手として青木大輔。アリサのモニター役として新島ゆかり。そして依頼者かつ尾行のアドバイザーとして谷澤宏一が乗っている。ちなみに、新島はただ暇だからとついてきた。


「そうなりますね。ちなみに、その事件の被害者は私の部下です。それに私も妻子持ちですからね。他人事ではありません」

「あ、はは……すみません……」


 閑静な住宅地。監視対象は古びた二階建ての安アパートである。女はその一階の部屋に住んでいる。

 彼らの乗るワゴン車はアパートから少し離れた駐車場に待機している。対象女性の外出を見計らって尾行する作戦だ。


「状況から推理するなら、あの女に関わることで狂気に侵され……家族を巻き込んだ殺し合いが起こる。タチの悪い感染症か、あるいは爆弾というべきか……くそ、まさかあいつまで……」


 谷澤は顔を伏せ、目頭を押さえた。


「あいつが電話をよこした時間……事件と照合すると、あの時間はまさに、あいつの家が燃えてる時間だったんですよ。あいつは多分、命からがら、残った正気を振り絞って、最期のメッセージを私に……」

「顔を見るな、でしたよね」


 と、運転席から青木が話しかける。


「大丈夫です。仮に、その女の顔を見るだけでなにか問題があるとしても……アリサは人間ではありません。危険性はかぎりなく低いでしょう。極地作業にロボットを導入するようなものです」

「なるほど。怪異調査とアンドロイド――妙な組み合わせだとは思っていましたが」

「対象者が出てきたようです」


 告げるのはアリサだ。張り込みの最中に集中力を欠くような雑談をしていたのも、監視はアリサに任せていたからである。


「向かってくれ」


 アリサはワゴン車を降り、追跡を開始する。人工筋肉は動作音が静粛なだけでなく、歩行音も強化学習で得られた最適な歩法によって最低限に抑えられている。尾行もまた、彼女の性能に適う。


「しかし、出てくるとは……あの女も、こんなふうに外出することがあるのか……」


 谷澤は食い入るようにモニターを眺める。そこにはアリサの視界が映し出され、女の後ろ姿が見えていた。


「でも、ゴミ出しには出てきたんすよね?」

「それはそうなんですがね。そのゴミを調べても、コンビニやスーパーで買い物といった姿が想像できない。長年探偵をやってきた勘やら統計的な知識で測ることのできない……そんな不気味さがあるんですよ。プロファイリングが通用しないんです」

「ふ、ふつうの人に……見えますけどね……?」


 女は黒のワンピースドレスに身を包み、両腕も肘まである黒の長手袋に覆われていた。脚はほとんどスカートに隠れているが、足元には黒タイツと黒のハイヒールが見える。髪も黒のロングストレート。さらに黒のつば広帽子。全身が黒ずくめのファッションで統一されていた。手荷物はないが、両手を前に揃えて姿勢よく歩いている。

 一見すると、普通の人間にも見える。しかし、見れば見るほど得体の知れない違和感が生じる。具体的になにがおかしいのかはわからない。だが、なにかがおかしい。人ならざるものが人間の真似事をしているような――それこそ、「不気味の谷」仮説を再現するような感覚である。


「あれ?」


 そうして、じっとモニターを観察していると、じょじょに女との距離が縮まっていくように見えた。というより、このままでは追い越してしまうのではないかと、新島は気づいた。


「アリサちゃん! ちょっと速すぎ! 追い越しちゃう!」

「……足音尾行か」


 ついにアリサは対象を追い越す。だが、問題はない。アリサは背面にもカメラを搭載しているからである。


「――と、顔は自動的にフィルタリングしてくれるわけかい。便利だねえ」


 谷澤は顎髭を撫でながら感心した。モニターでは顔を自動検知し上からデフォルメした顔のマークを貼り付けている。モニター越しでも彼女の顔を見た場合になにが起こるかはわからないからだ。もっとも、つば広帽子のためにフィルタリングなしでも顔はほとんど見えない。


「え、前歩いちゃってますけど……前を歩いて尾行って成立するものなんですか?」


 先の呟きに、新島は疑問を呈す。


「人間、前を歩いてるやつのことを思った以上に気にしないものでしてね。前を歩いて足音を頼りに尾行するってやり方があるんですよ。もっとも、このアンドロイドの場合は後ろにも目がついてると来ている」

「はえ~、アリサちゃんいつの間にそんな尾行テクを……」

「それにしてもこの女、どこへ向かっている……?」


 谷澤は別のモニターに映し出された地図を眺める。ワゴン車には計六つのディスプレイが並び、アリサの視界を映し出したりさまざまな情報をリアルタイムで表示している。


「なるほどな。やはりそうか。あー、新島さんだっけ? アンドロイドへの指示はこのマイク?」

「あ、はい。そのスイッチでオンにしてください」

「もしもし。バス停だ。女はバス停に向かってる可能性が高い。そこで座って待つといい」

『わかりました。私もその可能性が高いことに同意します』


 と、マイクをオフにする。


「え、バス停まだ遠くないすか」

「まあ見てなって」


 谷澤の予想通り、女はバス停で立ち止まった。アリサは座ったまま、振り返ることなくその様子を捉えている。バスを待つ人々は他にもいたが、全身黒ずくめで長身の彼女は、どこか非現実的で風景から浮いて見えた。


「わ。ホントだ。なんでわかったんですか?」

「このへんを実際に歩いてみればわかる。この道を通るならバス停だとね。ちょうどバスが来る時間も近い」


 時刻表もモニターに表示させる。次のバスまで、あと一分もない。


「青木さん。車を動かす準備を。バスを追いましょう」

「通信なら日本中どこにいても届きますよ。衛星を介してますから。電波妨害でもあれば別ですが」

「その電波妨害があるかもしれない。いずれにせよ、万が一のためにサポートに行ける位置に待機しておいた方がいい」


 それもそうか、と青木はエンジンをかける。いつまでも駐車場に停めておけなかったのもある。


「バスに乗ったな。行き先は……ううむ、どこだと思う? 新島さん」

「そうっすねえ。商店街、郵便局、デパート……行き先はいろいろあるっすけど……あ、ここなんてどうすか」


 路線図を表示させたモニターで指さしたのは、霊園である。


「霊園か。たしかに、おばけには似つかわしいな」


 アリサは前方に座り、斜め後ろに座る女の姿を視界に捉えている。女はただ、背筋を伸ばして両手を揃え、姿勢よく座っている。


「妙だな……」

「なにがです?」

「この女、なにをしてる?」

「えと、なにもしてないように見えますけど」

「そうだ。なにもしてない。ただ姿勢よく座ってるだけだ。ふつうは、スマホをいじるなり本を読むなり、あるいは外の景色を眺めるなり……なにか暇を潰すための挙動をする。それがない」

「そういえば……」

「まあ、ただボーッとしてたり、寝てるだけってこともあるだろうが……」


 違和感。顔はAIによるフィルタリングで見えないが、それでいてなおこの世のものとは思えない違和感があった。日常の風景のなかに溶け込めない異物感だ。


「ちょっと思ったんですけど、この女の人って顔見たらやばいんですよね。こんなふうに普通に街歩いたり、バスに乗ってたりしたら誰か見ちゃうんじゃ……」

「いや、おそらくそうはならない」

「どうしてです?」

「こうして見ると、めちゃくちゃ目立つだろ。だが、周りはこの女を気に留めてる様子がない。探偵という職業柄もありそうだが、私ならついチラチラ見てしまいそうなものだ」

「そうっすね……」


 見知らぬ人間の顔をジロジロ見るのは失礼だ、という意識がふつうは働く。それでも、奇異な人間を目にすれば反射的に思わず見てしまう。探偵である谷澤の仕事は人間を観察することだと言ってもよい。その彼から見て、そのような反応を示す人間は誰一人見つけられない。女はバスに二十分以上乗っていたが、誰一人彼女の存在を気に留めてもいなかった。

 強烈な存在感と同時に、そこにいないかの非存在感が同居している。言語化し難い気味の悪さがそこにはあった。


「あれ、だとしたら……」

「どうした」

「彼女と浮気したって人は、どうやって彼女と知り合ったんすか?」


 矛盾である。誰も気づかない幽霊のような女、あるいは幽霊そのものである女だが、被害が出ている以上、彼女とはどこかで知り合っているのだ。


「……選ばれた、のか……?」

「え?」

「我々がこの女を見ているのか? それとも、この女に我々が見入られているのか?」


 もし彼女が、選んだ人物の前にだけ姿を表すというなら。こうして見えているということは、「選ばれている」ということになる。


「だとしたら、なぜ選んだ……? お前はいったい、なんなんだ……?」


 考えを巡らせるも、仮定に仮定を重ねた不確かな憶測ばかりになる。常識や科学的知見に整合しない与太話だ。今はなにより情報が足りない。不可解を無理に埋めようとしてはならない。彼女がどこへ向かい、なにをしようとするのか。まずはそれを見極めることからだ。谷澤は呼吸を落ち着ける。


「ビンゴだ」


 霊園前のバス停で女は動く。明らかに降りる動きだ。しかし。


「おい。この女、運賃を払わなかったぞ」


 そして、運転手も周りの乗客もそれを咎めるどころか不思議に思う様子もない。


「せっこ! アリサちゃんですらお金払ってるのに!」

「ん。そういや、アンドロイドも払う必要はあるのか?」

「まあ、そりゃ重量物ですし……というか、法律的に未整備な隙を突いて一気にガガーって開発しちゃったらしくて……」

「なるほどな。……しかし、やはりそうか。周りの人間は、この女の存在に気づいてないのか」


 ワゴン車も追うように霊園の駐車場に停める。

 梅ヶ丘霊園は別名「天空の樂園」ともいい、その名の通り標高140mほどの小高い丘の上に位置する。人気は少なく尾行の難易度は高くなるが、たまたま同じタイミングで墓参りに来ていた、という設定なら怪しくはない。事実、駐車場には十数台の車が停まっている。霊園は見通しがよいため、どの墓に用事があるのかは遠目からでも確認できるはずだ。

 霊園には一万基以上の墓が並ぶ。ここまでの行き先はおおよそ予想できたが、この先は難しい。だが、谷澤には予感があった。「あるいは」「もしかしたら」という悪寒にも似た感覚だ。


怪異おばけが、墓参りか……」


 広大な区画に、無数の墓が並ぶ。端にはクスノキが植樹されている。女は迷いなく特定の墓を目指しているように見えた。車が停まっている以上他にも墓参り客はいるようだが、少なくとも同じ区画に人の気配はない。

 そのなかを、女は最短経路で奥の区画を目指して歩いていく。


「なるほどな。少し出てくる」

「え?」


 予想外の言葉に、新島と青木は同時に間の抜けた声を漏らした。


「出てくるって……え?」


 言葉を待たずに、谷澤はワゴン車から出て小走りに駆けて行った。行き先は、明らかに女の元である。


「な、なんで……! か、顔見ちゃったら、危ないんじゃ……!」


 もはや止めることもできず、新島は見送ることしかできない。

 モニターには、女の行方を追うアリサの視界が映し出されている。女が立ち止まった墓は、〈谷澤家〉のものであった。

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