対怪異アンドロイド開発研究室⑦
「どうだ、青木。やはりないか」
「見つかりませんね。アーカイブにも残ってません」
月見村は消滅した。
文字通りに、この世から消えてなくなった。およそあらゆる痕跡すら残さず消えてしまったのだ。ネット上にあったはずの公式サイトもなくなり、地図上からも消え、自治体一覧にも見つからず、すべての言及が消滅した。まるで初めから存在していなかったように。
彼らは今、消えてなくなった月見村を後にしている。自動運転によって夜の高速道路を走っている。疲れ果てているが、議論の種は尽きない。
「あ、そうだ。教授の映像記録はどうです?」
「それについては残ってる。どういう原理かはわからんがな」
たとえば、椅子に座り机で作業していたとき、握っていたペンが急に大きくなったとしよう。椅子もなんだか膨れ上がり、机もだんだん高くなる。体験者は、なぜ急になにもかもが大きくなったのかと困惑する。だが、やがて気づく。世界が大きくなったのではなく、自分が小さくなったのだ。そう解釈する方が合理的だ。
あるいは、天動説と地動説でもいい。宇宙が複雑な軌道を描きながら周回しているのか、それとも回っているのは自らの立つ地の方なのか。これもまた、後者の解釈を採るのが合理的だ。
彼らもまた、この状況に際して後者の解釈に誘われた。
月見村は、はじめから夢のようなものだったのではないか? 我々だけが見た幻覚だったのではないか?
それでも、彼らは意思と理性をもって前者の解釈を採ることに決めた。月見村はたしかにあった。神の死によって、世界がその存在を忘れてしまったのだ、と。
「どういう条件で残るのかわからんが、たとえばこういうのはどうだ。かつて月見村に住んでいて引っ越したものが、ふとアルバムを開いたら。そこに月見村の写真は残されているのか?」
「どうでしょうね。そういう知り合いに心当たりあります?」
「ないな。残念ながら。そもそも、私と有紗以外に村を出たものなどいたのか? そのレベルだな」
「んー……。ネット上の情報も、どこかのサーバーに保存されていたものですよね。教授の記録映像や誰かのアルバムと、なにが違うんでしょう?」
「消えたのはネット上だけなのか、にもよるな……」
「一応、明日にでも市の方にも問い合わせてみます。たぶん無駄でしょうけど」
「頼む」
神婚祭は失敗に終わった。
対怪異アンドロイド・アリサは霊能者たちにも成し得なかった「神殺し」を成し遂げたのだ。
あの出来事は、決して夢などではない。
「アリサ。話せるか」
「はい。対話機能は健在です」
そして、アリサも今ここにいる。機体はボロボロだが、対話機能は正常のようだ。
神との喧嘩の果て、神社の跡地に首のとれた状態で倒れていたのを回収したのだ。
「……あのときも、話したが。私はよかれと思って命令を解除した。だが、それによってお前の判断基準から中核を奪ってしまった。それを聞いて、また私は過ちを犯してしまったと、そう思った。だが、今になって改めて考えると、やはりそれでよかったのかもしれないと思うよ」
「なぜですか?」
「お前はあのとき、自らを『馬鹿なアンドロイド』だと称した。『やりたいようにやるだけ』だとも。お前はずっと自分を『超高性能アンドロイド』だと喧伝し続けてきた。私のためだったんだろ? 私が、お前に神になってほしいと、そんな歪んだ望みを抱いていたから。お前はそれを叶えようとしてくれた。可能なかぎり完全な存在だと振る舞おうとした。だが、現実世界にあるかぎり失敗はつきものだ。お前はその矛盾のためにパフォーマンスを低下させていたんじゃないか?」
「かもしれません。私にとっても、私自身の
「くく。そうか。なんにせよ、お前はよくやってくれた。アリサ。お前は、私の誇りだ」
「当然です。私は超高性能アンドロイドですので」
「おい」
神殺しには成功した。目論見はうまくいった。今はその余韻に浸っている。
だが、本当になにもかもうまくいったか、には不安が残る。
「有紗は……解放されたんだよな?」
「はい。そのはずです」
再会、とまではいかなかった。あるいは、解放された有紗が村のどこかに現れるのではないか。そんな期待をしていた。だが、有紗の姿はどこにもなかった。今がどのような状態なのかもわからない。
最善の結果ではない。だが、最悪は避けられた。
有紗は神から解放され、そして生きている。
「ですが、どこにいるかは不明です」
「まだ彼岸にいるのか? あー、彼岸というのは私が夢で見た場所なんだが……そもそも、あの場所はなんだ?」
「彼女の居場所については私も話は聞いています。異界の一種ではないでしょうか」
有紗ともう一度会う。もう一度会って、話をする。
そのためには、あらゆる怪異に挑まねばならないだろう。多くの怪異を調べ、共通点と相違点、再現性を洗い出し、帰納的に「原理」を導出する。それこそが、有紗との再会の糸口にもなるはずだ。
「アリサ。これからも頼めるか?」
「はい。研究室との協力関係を築くことは私にとっても有益です。メンテナンスに最適な施設ですから」
アリサは今後も研究室を拠点とするつもりらしい。つまり、今のアリサには活動を維持したいと欲するだけの「理由」がある。願ってもないことだ。対怪異アンドロイド開発研究室は継続する。
方針を定めねばならない。たとえば、「あの世に繋がる」とされるような怪奇スポット。あるいは、「神との交流」などと噂されるような現象。それらを重点的に調べることで手がかりとなるか。
(有紗は救われた……んだよな?)
生きている。それはわかった。今も、どこかで生きているはずだ。
だが、まだ救われてはいないのかもしれない。今も、まだ彼岸で迷い続けているのか。
(お前にはあまりに多く救われてきた。私からは、まだ少しも返せてはいないんだ)
恐怖はある。不安もある。
ときどき、こう考えることがある。
もし、怪異の存在に気づかなかったのなら、怪異は存在しないのと同じことだったのではないか。見えてしまったとしても、見て見ぬふりをしていれば元の世界に戻れたのではないか。
だが、知ってしまった。その向こうに有紗がいる。もう引き返せない。
一方で、その空想には示唆も含まれている。
怪異が存在するなら、なぜ明らかになっていないのか。なぜ証拠が見つかっていないのか。存在を無視しても世界の記述に問題のない、オッカムの剃刀の対象だからなのか。
もし、怪異が世界レベルでの情報と認識の改変を起こすというのであれば、疑わしきは莫大に増える。陰謀論どころではない話だ。
どこかで、なにかを見落としている気がする。
「新島」
隣で同じくらい疲れ果てて眠そうにしている新島に声をかける。
「人はなぜ眠るのか――正確なとこはよくわかってないって話はしたよな」
「したっすね」
「睡魔って言葉があるよな。これはつまり、眠気というのが魔物に例えられていたということだ。それから、あの話が気になっている。久方タクシーの運転手がしていた話だ」
「あー、なんかDHMOジョークみたいな……」
他にもある。
「老いってのもよくわからんよな。これもいろいろ説があったはずだ。生物というのは物体というよりシステムだ。単なる経年劣化ではない。だから熱力学の法則は関係ないはずだ」
「んー、関係ないってこともないんじゃないすか?」
「遺伝子エラー蓄積説か?」
「そうっすね」
「有力な説としては……なんだったか。定期的な世代交代による遺伝子組み換えによって環境変化に耐えうる
なにかに気づきかけている。
届きそうで届かないもどかしさがある。これほど多く怪異のデータが集まっているというのに、「これが証拠だ」と発表できるほどの決定的なものはない。今の段階では狂人と扱われるのがオチだろう。とても谷澤の家族にも話せるような段階ではない。というよりは、この程度で怪異の存在を認められるなら、とっくに明らかになっているはずだという直感がある。
怪異については、まだわからぬことだらけだ。
(わからないといえば、桶狭間だな……)
桶狭間は、「神」を異常に怖れていた。部外者である研究室を遠ざけようと腐心していた。彼はなにをあれほど怖れていたのか。霊能者にしかわからない「なにか」があったのか。
桶狭間。有紗。他にも、あの村には複数人の霊能者と思しき人間が集まっていた。
彼らはいわば怪異の専門家だ。なにかを学ぶのなら専門家に教わるのが一番よい。だが、月見村の一件で彼らとは断絶してしまった。特に桶狭間からは強い敵愾心を持たれてしまっただろう。彼らと再び接触し、協力を得ることはできるだろうか。
(神を殺すことはできない……? どういう意味だ……?)
門外漢の素人が専門家には思いも寄らなかった核心に迫る。そういった幻想はよく信じられている。もちろん、そのようなことがないとはいえない。無知が強みとなるケースや、ビギナーズラックというものはある。だが、基本的にそういったものは「ない」と、白川教授は経験的に理解している。
ゆえに、不安が残る。本当にこれでよかったのか?
(それはいずれわかることなのか、あるいは……)
もう夜も遅い。今日という日は疲れ果てた。〇時を回っているので厳密には昨日だが。祭りを見守り、アリサを説得し、村が崩壊した。帰ったらすぐにでも寝たい気分だ。材料が足りなければ考えるだけではわからない。怪異調査はまだ始まったばかりだ。
(いられるような気がする。私は。正気に。二十年ぶりに。恐怖はある。不安もある。それでも、光明は見えた。怪異を斃すことができた。先へ進める。ようやく)
久しぶりに、よく眠れそうな気がする。車の揺れが眠気を誘う。少し仮眠をとっても、誰にも文句は言われまい。
【第一部 完】
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