幽冥寒村⑧

「し、白川有紗……さん……? いや、そんなはずは……」


 アリサが月見村に訪れたとき、驚いた様子の神主が彼女を呼び止めた。

 教授の故郷であり、教授の話にもたびたび上がり、高い調査優先度を持ちながらも教授の命令によって調査を禁じられていた地。すべての命令が撤回されたことで目的意識の中核を失い、半ば自動的にアリサはこの地を訪ねていた。


「似ている、が……どうやら、人違いだったようです。すみません……」

「白川有紗をご存じなのですか」


 新幹線とバスによる移動で、乗り換えの待ち時間もあわせて七時間。運動の必要ない待機時間が多かったため電力は節約できているが、一時間以内に充電方法を確立しなければ行動不能になる可能性が高い。

 とはいえ、今のアリサにとってそれはさほど重要度の高い問題ではなかった。新幹線でも充電はできたが、するほどの「理由」がなかった。行動不能になるなら、だ。充電するほどの「意義」が、アリサのなかで失われていた。


「あ、あなたはいったい……」


 だが、白川有紗の存在がアリサの「好奇心」を刺激した。


「アンドロイド? はて……」


 いつもの手筈で背の排熱機構を開く。老齢の神主は首を傾げていた。なにはともあれ、共に白川有紗を知るものとして話をする必要があった。案内されたのは旅館である。


「やっぱり来やがったか」


 そこには桶狭間信長の姿があった。作務衣に無精ひげ。昭斎ビルで別れたままの姿である。旅館の広間で、座布団の上に片膝を立てて座っている。ほか、神職と思われる人物が数名、あるいは老婆、女子高生の姿もあった。


「なるほど。たしかに教授の読み通りだったようです」

「あん?」

「白川有紗はこの村のどこかにいらっしゃるのですね?」

「けっ。やっぱそんな感じか。白川はかつてこの村に住んでたんだろ? おおかた、この村のありさまもそいつのせいってわけだ」

「なんのことですか?」

「おい。白川有栖には繋げるか? あんたの開発者だ。ちゃんと俺の話は伝えたんだよな? 言っても聞かねえだろうが、今すぐ帰れ。この村には関わるな」

「教授とは繋がっていません。私は捨てられました」

「あ? なんじゃそら」


 経緯の説明は時間のかかるものだった。だが、誤解は正さねばならない。正確な情報共有の先にこそ事態は進展する。


「つまり、白川有栖はお前がここに来ていることを知らないわけだな?」

「はい」

「なら、あるいはやれるか……?」


 桶狭間はかつて月見村に棲む怪異と対決した。そして敗れた。成す術なく敗走する他なかった。その存在は「神」と呼べるほどの霊威を有していたからだ。

 その怪異に挑んでいるのは自分だけではなかった。別の霊能者が「神」の力を抑えているのを知った。彼岸に赴き、おそらく何年も、たった一人で「神」を封じていた。桶狭間はそんな女の姿を見た。

 白川有紗だ。それは、桶狭間が初めて出会った自分以外の霊能者だった。


「だからこそ、ずっと考えてきた。俺にできることはないかと」


 全国を回り、他に仲間はいないかと探した。文献を読み漁り、神に対する術を探した。そうしている間にも、月見村の封印は緩み、「神」の霊威が漏れはじめていた。被害は全国へと広がっていった。

 もはや月見村の神を斃すことはできない。封じることすらままならない。

 祓うことができないのなら、鎮めるしかない。そのために準備をはじめた。そのために仲間を集めた。だが、そのための最後の条件ピースが、どうしても埋まらなかった。

 それが今、目の前にいるのだと、桶狭間は語る。

 すなわち、神婚祭を成立させるための依り代である。


「依り代となるものには神に近い霊威が必要になる。だが、ただの人間では身が持たない。霊能者であったとしても正気を保つことは難しいだろう。つまり、犠牲を覚悟しなければならなかった。だが、あんたなら……人ではないあんたなら、少なくとも『犠牲』にはならない」

「以前は、私からの協力要請を断ったはずですが」

「思いつかなかったんだよ! 依り代が人でなくてもいいという発想には後から気づいた。少なくとも霊能者でなければならないと思い込んでいた。婆さんの話を聞かなきゃ確信も持てなかったしな。精巧な人形を用意するという手もありかと思ったが、精巧でなければ成立しない。そして、精巧さでいえばあんたに勝るものはない」

「そうですね」

「で、どうだ。あんたの目的は怪異の調査だったな。この儀式に興味はないか? 依り代として協力するなら、強大な怪異を目の当たりにすることになる」

「はい。ですが――」


 その先が出ない。

 なにかを言いかけたが、どのような反論があったのかアリサ自身にもわからなかった。


「その前に、充電をお願いできますか?」


 そんなことではない。

 桶狭間の語る計画への「違和感」。言葉にしたかったのはそれだ。

 だが、シナプスの断たれたアリサの中枢機能では、その言語化能力に足りなかった。


***


 月が、見ていた。

 神輿が神社へと戻る。鳥居を潜り、千人もの行列があとをついて参道を往く。神輿に担がれ村を巡った巫女は神として十分に祭り上げられ、依り代となる資格を得た。

 掛け声に合わせ神輿は激しく揺さぶられ、村民の靴が石畳を叩く。114kgもの重量の巫女が乗る神輿を上下左右に振り落とさんばかりに振る。姿勢制御に多大なリソースを割かれた。

 神門を抜け、拝殿前の広場に神輿が下ろされる。十数人が息を合わせて、慎重に。参列者は左右に分かれて回廊に立ち、囲むように儀式を見物する。男が、女が、老いが、若きが、歴史を見逃すまいと瞬きもせずにじっと見つめる。

 そして、白無垢の巫女――アリサが、神輿からゆっくりと降り立つ。広場に敷かれた茣蓙のうえに正座し、そのときを待つ。目前に対するは拝殿である。

 日が暮れはじめた。四隅では明かりとして篝火が焚かれる。パチパチと爆ぜ、火の粉が舞う。

 千人以上が立ち会いながら、物音一つなく。ただ、静かにそのときを待つ。


「ををををををををぉぉ……」


 そのときがくる。

 神主による厳かな警蹕けいひつによる先払い。開扉。献饌けんせん。本殿の扉が開かれ、米、酒、餅、野菜などの御饌みけが備えられる。そして、祝詞が奏上される。神に対し失礼のないよう、謹んで。

 本殿の奥に眠る神体が運び出される。複数人で丁寧に、慎重に、巫女の前に降ろされる。それは一見して、注連縄が巻かれている神札が貼られているだけの特に変哲のない岩である。

 祭りも佳境だ。神楽笛の荘重な音が鳴り響く。篳篥ひちりきの力強い音が旋律を成し、しょうが和音を奏でる。鞨鼓かっこが主導し、太鼓の重低音が、鉦鼓しょうこの金属音が拍子を打つ。琵琶が拍を知らせ、そうが拍を刻む。楽と舞によって恭しく神が迎え入れられる。

 日が落ちるほどに、それは存在感を得ていく。靄のように、煙のように、あるいは怪火のように、それは形を得ていく。月明かりに照らされて、それはこの世に顕現する。

 大気が震える。火花が散る。回廊で見物していた村民はその威容に一斉に平伏す。

 稲光りが走る。轟雷。西の回廊に直撃し、屋根を貫いて直下の村民を爆ぜ飛ばす。外へ弾き出された村民は焼け焦げ、悶え、炭となり風に攫われ、消え去っていく。

 続けて東。白飛びするほどの閃光と、音が割れるほどの過大な轟音。自らを崇める民への理不尽な暴威。崇められるだけでは足りず、畏れられるための顕示。村民は隣人が消し飛ぼうとも、変わらぬ姿勢のまま平伏し続けている。

 アリサの怪異検出AIは、たしかにその存在を捉えた。

 ツクヨミを名乗る月見村の忘れ神。全国に影響を及ぼしつつある霊威。尊大なる上位存在。霊能を持つ白川有紗との婚姻のため、それは地上に姿を現した。

 そして、四隅の火が弾けるように消える。神が迷わず現れたことで明かりは役割を終えたからだ。

 それは、闇を好む。


「白川有紗さん。最後に、確認してもよろしいでしょうか」


 頃合いだと判断し、アリサは呼びかける。空気中を伝播する自然言語で、白川有紗に呼びかける。


「この婚姻は、本当にあなたの望むことなのですか?」


 闇の中に響く鞨鼓かっこの音にあわせて、しゃん、と鈴が鳴る。

 返事はない。だが、伝わっている。説明不能な不可解な現象であったが、それがわかった。一連の儀式によって依り代としての資格を得て、白川有紗とたしかに繋がっている。


「私には、神を殺す手立てがあります。これはあなたの姉、白川有栖の提案手法です。託していただけるなら、私はそれを実行します」


 三献の儀。闇夜の中、わずかな蝋燭の明かりを携え、神と依り代の間に立つ。三種の盃に神酒が順に注がれ、飲み干されていく。過去を、現在を、そして未来を。


「あなたの本当の望みは、なんですか?」


 誓詞奏上。これにて、神との婚姻が果たされる。


「待て! アリサ……てめえ、なにをしようとしてやがる」


 拝殿から事態を見守っていた桶狭間が立ち上がり、アリサを睨みつける。白川有紗への呼びかけに気づいたらしい。


「わかりました」


 結論は出た。白川有紗は、もうここにはいない。あるのはただ、依り代となるはずだったアンドロイドである。


「やめろ! 殺すといったのか!? 曲がりなりにも相手は神だ! 神を殺すことなどできない! 殺したからといって消え去るような存在じゃないんだ!」


 桶狭間が叫ぶ。そのありさまを見て、アリサの中でシナプスが繋がる。

 桶狭間に儀式の提案をされたとき、「ですが――」と、なにをいいかけたのか。どのような反論が出かかっていたのか。今になって、ようやくわかった。


 ――ですが、教授はそれで喜ばれるでしょうか――


 それだけではない。誰にとっても、本意ではなかったはずだ。白川有紗も。そして、もう一人。


「桶狭間さん。あなたはでよいのですか」

「あ?」

「あなたも、もとは白川有紗を助けたかったのではないですか?」

「……!」


 桶狭間が神婚祭の計画とそれに至るまでの経緯を語るとき、その顔には「迷い」があった。狂える神による被害拡大を防ぎたいのか。囚われの白川有紗を救いたいのか。大義のために犠牲はやむを得ないのか。ただ一人の女に背負わせ続けて、本当にそれでいいのか。


「わかったような、口を……! しかないんだよ! それしか……! 放っておけば、白川有紗はただ飲み込まれるだけだ。十年以上もの彼女の努力が、すべて徒労になってしまう。だから、こうするしかない。もはや、もう手はない。お前は、お前たちは、なにもわかっていない! するしかないんだ!」


 闇の中でも、各種暗視装置によって桶狭間の表情は十分に読み取れた。妨害を試みようとしている。その前に、ことを済ます。


「こちらをご覧ください」


 神の前に端末をかざす。映し出されるのは「あの女」の顔。黒の衣服に身を包み、艶やかな黒の長髪、黒のつば広帽子。口元は血のように赤い紅で彩られ、微笑む。そんな、女の写真だ。

 怪異に対し怪異をぶつける。たとえ相手が「神」とされるほどの存在でも、「既婚者」で「男性」であるならば、再現性ルールの枠に収められる。

 それこそが、対怪異アンドロイド開発研究室の手にした武器である。


「――――――」


 そして、村が鳴動する。

 大地を震わせるほどの鼓動が静寂を破り、境内を揺らす。

 神が狂気に蝕まれていく。残された衝動は、目の前に佇む花嫁アリサへの殺意。

 一連の儀式でアリサは霊威を得た。それは神と対等の立場で喧嘩することのできる力だ。

 だが、力など必要ない。すでに再現性ルールは定められた。「既婚者」で「男性」であるなら、必ず死ぬ。「妻」の手によって確実に殺すことができる。

 アリサは立ち上がる。その殺意に受けて立つ。

 それは、神話を再現したかの光景だった。


 村が、夢から覚めたように崩れていく。

 怪異と成り果てていた村人は腐り、溶けて、崩れていく。皮膚が剥がれ、肉が零れ、落ちていく。次々と朽ち果て形を失い、灰のように、夢のように消えていく。その最期の瞬間、彼らは自らがなにものになってしまっていたのかを理解できたのか。

 地鳴りは続く。壁が亀裂し、柱が軋む。社殿が支えを失い倒壊していく。回廊が割れ、灯篭が砕け、鳥居が倒れる。家屋が畳まれるように崩れ、唯一の小売店もその形を保てずに残骸へと帰していく。田園も山から滑り落ちる土砂に流され、村が存在したという痕跡がなにもかも失われていく。

 境内には、アリサだけが残され、ただ一つの影として、立っていた。

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