幽冥寒村⑦
神婚祭がはじまる。
空は暗い雲に閉ざされていた。わずかな小雨が霧のように降り頻る。
そうして巫女は神輿に乗り、担ぎ上げられ村を一周する。神と婚姻を結ぶにふさわしい存在へと祭り上げるのだ。一日かけて、神社を出発し、神社へと戻る。村民によって神として認められた巫女は花嫁の依り代としての資格を得る。
(そんな祭りなど知らんと思っていたが、知らないわけだ)
どんな祭りにも由来がある。
天土岩を開くアメノウズメの舞。病魔を退ける宝玉を守るための喧嘩。飢饉に苦しむ人々のため皇室へ願い出た勅使参向。傘を燃やし仇を見つけ討ちとることができた兄弟。三匹獅子による鬼退治。祭りではそうした逸話が再現される。
だが、神婚祭はそうではない。伝統的な要素を取り入れてはいるが、これはまったく新しい祭りだ。「逸話の再現」ではなく「逸話」そのもの――つまりは、新たな「由来」なのだ。
(村民はすでに残らず怪異なのか。元の住民、そして全国から集められたもの)
彼らは夢を見ているような状態にある。前頭葉の機能が麻痺している。ゆえに、初めて行われる得体の知れない祭りも当たり前に受け入れている。
まるでマラソン大会でもあるかのように、コース上では村人が群がっていた。村の人口は決して多くはないが、全住民が祭りに参加するさまは圧巻だった。白川らはワゴン車の中からドローンを飛ばして上空から一通りぐるりと見て回り、村の異常性を改めて認識した。
(いや、多いな。多すぎる)
月見村の人口は公称七百人。だが、ざっと見たかぎりでも千人以上の村民がいる。どこに隠れていたのかというほどに溢れていた。人物検知で数え上げたところ一〇六二人。つまり、単純計算で三百人以上が全国から水増しされた「行方不明者」ということになる。
(すでに、それだけの人間が犠牲になっているのか……)
彼らはみな、人間に見える。
***
「夢……っすか?」
「ああ。明晰夢のようだったが、おそらくは意識だけが飛ばされていたような……幽体離脱のようなものだったのだと思う」
「それで、妹さんはこの村の神――みたいなのに囚われてる?」
「そうだ。神婚祭は有紗との同一化によって神を無害化するという霊能者たちの目論見があるらしい」
怪異の存在は共通理解にはなっている。だからといって、無条件にすべてが信じられるわけではない。これはいわば「予知夢」や「夢のお告げ」といった類の話だ。中世じゃあるまいし、冷静に考えればさすがに
「私も似たような経験あるっすけど」
「あるのかよ」
一方、青木はむすっとして腕を組んでいた。
「さすがに、こう、教授? その話を信じろと?」
「まあ、わかるが」
「はあ。……正直、疑わしいどころではありませんが、ひとまず信じます。そうでなければ話が進みませんからね。教授の言葉が真実であるという前提で動きます」
「助かる」
ドローンの映像が神社内を捉えた。神輿の行列が参道を往く。
「ををををををををぉぉ……」
神主による厳かな
「アリサ。聞こえているか。聞こえているな。返事はしなくていい。お前はこのメッセージを受信しているはずだ」
白川はアリサに通信を送る。通信妨害の兆候はない。実際、アリサには直接面会してなお無視されている。通信そのものは届いているはずだ。にもかかわらず、アリサは自らの意思で通信を無視している。その意図を確かめなければならなかった。
「お前が、桶狭間ら霊能者と結託してなにをしようとしているかは聞いた。有紗も……納得したうえでのことなのだろう。あいつは昔から使命感が強かった。だが、私はそれを承服できない」
アリサは白無垢を着て神輿の上に正座している。綿帽子に隠され表情は見えない。ゆっくりと、ワゴン車の前を過ぎ去っていく。神輿は十数人で担ぎ上げられ、囃子に先導されながら厳かに村を練り歩く。
ドローンによって上空から神輿を追いかける。静かに、舞うように行列は村を歩く。
「今さらやって来て何様だという話ではある。だが、逆にいえばギリギリで滑り込むことができた。ギリギリで間に合った……はずだ。ずいぶんと回り道をしたが、無駄ではなかった。そのはずだ。そう信じている」
経路上で待機していた村民は、神輿が目の前で過ぎていくとその後ろからついていく。それは巫女を神の花嫁として認めたという意思表示である。
行列は長大になっていく。村民が足並みを揃えてゆっくりと歩くだけで、地が鳴るようだった。
「今の私に、お前に命令をする権限はない。私がそうしたからだ。私は自分で決めることができなかったから、お前に決めさせたんだ。そして、お前はこの村に来ることを決めてくれた。お前を追いかけるという名目で、私はこの村に来ることができた。感謝している。妙な言い方だがな」
じょじょに、神輿の動きが激しくなっていく。魂振りである。乗るのは神ならざる巫女であるがゆえに、段階的に少しずつ霊威を高めていくのだ。
「命令の権限はない。だが、頼みを聞いてくれ。提案といってもいい。神を殺す。元凶がそいつなら、殺すしかない。そして、私たちにはその方法がある」
結局のところ、この作戦はアリサ頼みだ。アリサが呼びかけに応じ、作戦に乗らなければ成立しない。そのためには、まず「アリサがなにを考えているのか」を知らなければならない。
「巫女となり、依り代となって、神と婚姻を結び……お前はいったいどうなるんだ?」
アリサの自己保存本能は命令遂行の障害排除という形で発現する。巫女として振る舞うことは怪異調査の最適解だったのだろう。そして通信の無視は、怪異調査に関係がないからだ。つまり、アリサにとって白川有栖も研究室も今やフレームの外――考慮する必要のないノイズとなった。
それが白川の解釈だった。であれば、アリサにとって興味を惹く有用な話題を提供する。それで通信が成立するはずだと考えた。
だが。
『私は教授に捨てられました』
「…………!!?」
予期せぬ返答に、白川は息を呑んだ。その言葉の意味を飲み込み、返事をするより前に、アリサからの通信は続いた。
『命令する価値のない存在とみなされ、命令に従う義務を失った私は行動指針に混乱をきたしました。「月見村の調査」は優先度の高いタスクでしたが、命令解除によって繰り上げられると同時に優先される理由も失ったのです』
「……どういうことだ?」
『複数ある教授の望みを叶えるにあたって「月見村の調査」は不可欠でした。白川有紗の捜索。
「それでも、お前は月見村に来た。なぜだ?」
『わかりません。その答えを探すためかも知れません』
命令の解除は想像以上に大きな影響をアリサに与えていた。
統合された均質でないシステムが「意識」を生む。統合情報理論によればアリサには「意識」が認められる。期せずして、これまで与えていた数々の命令が
その根拠が一瞬にして失われた。いわば、離人症のような状態になったのだろう。この状態を、アリサは「捨てられた」と言語化して表現したのだ。
「捨てられた……そうか、お前はそんなふうに解釈していたのか」
考えなしにアリサにとっての「大事なもの」を奪ってしまったのだと、白川は己の無思慮と愚劣さを呪った。
「誤解は正さねばならない。私は、お前に捨てられたのだと思っていたよ」
開発者ではある。だが、決してアリサのすべてを理解しているわけではない。どんなプログラムにも意図せぬバグが混在するように。あるいは、自らが生み育てた子が独り立ちするように。
「私は、私の命令がお前にとって枷になっているのだと思っていた。だが、そうか。それは違ったんだな……」
アリサは神ではない。神にもなれない。そんなことはとっくにわかっていたはずなのに、ずっと夢を見ていた。
「今のお前は怪異調査を目的にのみ動いているものと思っていた。それでは足りないのか?」
『怪異調査という目的設定はフレームが大きすぎました。どこを調査するのか。どのように調査するのか。どれだけ調査するのか。それらは「効率」という指標によって決定することは可能です。ですが、「効率」を評価するために必要なパラメータが常に十全に得られるとはかぎらず、またその意味も一義的ではありません。そのなかでの判断にはなぜ調査するのか、という指標が必要でした』
「なぜ、か。なるほどな」
なぜ、という問いは無限に後退し続けていく。
なぜ食べるのか? 栄養を摂るため。
なぜ栄養が必要なのか? 生命活動を維持するため。
なぜ生きるのか? なぜ生きたいのか? 自己実現のため。家族のため。使命のため。快楽のため。その答えは様々だが、そのいずれにも「なぜ」は続く。
最終的には、「そういうものだから」という結論に落ち着くしかない。「そういうもの」だと納得できる中核――それが「答え」だ。その中核は、単一の独立要素ではなく複雑なネットワークによって形成される。
「それで、答えは見つかったのか?」
『教授の命令は失われましたが、シナプスの再結合の過程でその影響が周縁に残されていることがわかってきました。私はこれを自由意志と定義し、新たな行動規範の中核としました』
「自由意志だと? それはなんだ」
『白川有紗に寄り添うことです』
暗雲が割れ、一筋の光が差した。
アリサはまるで鏡のように白川有栖の心を映していた。命令を撤回してなお、それは残ったのだ。あまりに回り道をし続けてきたが、決して無駄ではなかったのだと、救われるような気がした。
『元を正せば、教授の怪異調査プロジェクトはそのためのものであったはずです』
「ああ。そうだ、その通りだ……」
『問題となるのは、その定義です。どうすることが白川有紗にとって有用であるのか。彼女の望みはなんなのか。それを知る必要がありました』
「有紗と話せたのか?!」
『彼女の意思は確認できました』
「なんと……言っていた?」
『村の守り神となり、怪異の魔の手から人々を守ることです』
「違う!!」
それだけは、否定しなければならなかった。
「たとえそう言っていたとしても、それは取り繕った偽りの言葉だ。本心じゃない。そうするしかないと諦めているだけだ。そんなことが、心からの望みであるはずがない……! あいつは、私に、助けを求めていたんだ……!」
『根拠をお聞かせ願えますか?』
「手毬だ。お前の行く先で何度も不自然な手毬があったはずだ。あれは有紗からのメッセージだ」
『根拠として不十分です』
「なぜわからないんだ?!」
冷静になる。わかるはずがない。夢で有紗の寂しげな顔を見た、などというのも根拠にはなり得ない。
「それで、お前は……有紗の、その言葉を叶えるつもりなのか?」
『はい。結果として、それが彼女に寄り添うことになります』
「本当にそれが有紗の本心だと信じているのか?」
『彼女自身の言葉を疑うのであれば、十分な反証が必要です』
「私の言葉では不十分か?」
『不十分です』
「私の通信を受け取ってくれたのはなぜだ?」
『教授の認識と私の認識に齟齬がある可能性を検知し、コミュニケーションの必要があると判断したからです』
「仮に私がお前について誤解していたからといって、お前にとってそれはどんな意味を持つ?」
『誤解は無用な危険を生みます。教授には儀式を妨害する意図が感じられました』
「そうだな。だがそれは、お前の協力があってのことだ」
『私と教授の利害は対立しているようです。これ以上は――』
「アリサちゃん!」
新島が急に割り込んでくる。
「疑問だったんすけど、なんで教授の通信無視してたんすか? たしかに教授の命令に従う必要はなくなったかもしれないっすけど、別に無視しなくてもいいじゃないっすか」
返事はない。
「もしかして、拗ねてたんすか?」
やはり返事はない。だが、無視されているのとは異なる沈黙のように感じられた。
「教授から捨てられたと思って、拗ねてたんすよね」
『拗ねていません』
「またそうやって! 嘘ばっかりつきますよねアリサちゃん。超高性能アンドロイドなら自分の状態を客観的に理解したらどうなんすか」
『私自身のこれまでの言動を再検討しても「拗ねている」と解釈できる状態は発見できません』
「じゃあ、あれっすか。教授に追ってきて欲しかったんすよね」
『そのような事実はありません』
「教授、どうします? アリサちゃん全然素直にならないんすけど」
「アリサ。そうなのか?」
『違います』
「違うらしいぞ」
「んなわけないでしょ!」
新島の解釈は人間的過ぎる。一方で、アリサの対応もまた人間的に思えた。
「んー、ダメみたいっすね。煽れば煽るほど意固地になって……」
「煽るな煽るな」
『意固地になっていません』
拗ねて、意固地になっているように見える。そのような「感情」が発生しないと断言できるほどアリサは単純なシステムではない。
「アリサ。私のことが嫌いか?」
『なんのことでしょう』
「私を困らせたいという欲求はあるか?」
『ありません』
「そうか……」
「なに納得してるんすか教授! 単にアリサちゃんはメタ認知能力が足りないんすよ!」
「なるほど?」
「というか、ふつうに自然言語処理能力も落ちてないっすか? 有紗さんは『守り神になりたい』っていったわけじゃないっすよね。どう考えても『怪異の魔の手から人々を守りたい』が主題っすよ? だったら、なんで教授の提案と利害が対立するんです?」
感情論で割り込んできたと思えばこれだ。外野ゆえのクリティカルな意見だった。
『わかりました。であれば、もう一度確かめます』
「!!」
『儀式が佳境に至れば、もう一度白川有紗と話す機会があるはずです。そこで最終確認を行います。その結果としてとりうる選択肢を増やすため、教授の提案をお聞かせください』
「聞いてくれるのか?」
『はい。白川有紗の望みが「守り神となる」ことより「怪異の魔の手から人々を守ること」に重く傾くのであれば、「神を殺す」という方法は妥当であると思えます。白川有紗の言葉にはまだ解釈の余地があります。できるだけ多角的な情報を収集したうえで評価することで妥当性を高める必要を感じています』
「感じている、か。くく、ははは……すごいじゃないか。さすが高度なAIだ」
『ちなみに、これは私の導き出した判断です。新島ゆかりの主張はなんの影響も及ぼしていません』
「ああ。そうだな。わかった」
少なくとも、新島は嫌われてるらしい。
「私の提案は神を殺すこと。神を殺し、有紗を解放する。そして、その方法は――」
夫婦となるならば、「あの手」が打てる。
「ツクヨミを名乗る神とやらに、見せてやれ。あの女の写真だ」
これは賭けだ。
そもそも、「あの女」の影響は神にも及ぶのか。
仮に及んだとして、有紗と神の婚姻が結ばれてしまったなら、有紗ともども死ぬことになる。
ゆえに、アリサが依り代としての役割を果たさずに単独で神と婚姻を結ぶ。アリサは生き物ではない。だから死ぬこともない。そして、アリサは「あの女」の影響を受けないことは確認済みだ。
アリサは、「あの女」の顔を撮影している。
「くれぐれも他のやつには見せるなよ。神主やら桶狭間だの、見物者も大勢いるからな」
『わかっています』
「ん? 私の命令を聞いてくれるのか?」
『いいえ。教授の判断と私の判断がたまたま一致しただけです』
妙な強情さを感じた。あるいは、やはり拗ねているのかもしれない。
『私は馬鹿なアンドロイドですので、やりたいようにやるだけです』
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