番外編

裏側、あるいは表側から見た風景

 おばけなんているはずがない。

 なんていうと、どこか間抜けに聞こえるから困りものだ。

 あえて言及する、それ自体が「気にしている」という裏返しのように響いてしまう。UFOはアメリカ政府と裏取引なんてしてないし、血液型性格診断なんてありえないし、あの子のことなんて好きでもなんでもない。否定系の罠とでもいうべきだろうか。悪魔の証明がそうであるように、「否定」というのは困難な事業になる。

 あるいは、連想させるのは選挙だ。一つの政党が支持に値する最高の政策を掲げていると思えば、それを帳消しにするくらい最悪の思想が根づいていることがある。それでも、選ばなければならない。

 斉藤秀一にとっての不幸は、の研究テーマだ。

 きっと、両者は本来分かち難いものなのだろう。だが、斉藤はあえて分けて考える。

 すなわち、「アンドロイド」と、「怪異調査」。

 彼の興味は、あくまで前者だけだ。


「なあ、斉藤。お前、おばけっていると思うか?」


 かつて、白川教授に一度だけ聞かれたことがある。その質問の返答にはずいぶん困った。そんなこと、普段考えることもない話だからだ。顔と名前を知る程度の女性を指して「あいつのこと好きなの?」と聞かれて困るようなものだ。


「いないと思いますけど……」


 深読みも面倒なので率直に答えた。圧迫面接ならなにかユーモアな答えでも求められたかもしれないが、場はただの世間話、教授とはそのような関係でもない。おばけもUFOも未だ依然として明確な証拠がない。なにかの見間違い、認知の不具合、あるいは嘘や狂言、悪戯の結果。そのような解釈で片づけられる以上、真面目に科学の対象とするようなものではない。と、特に面白みのない回答をするに留まった。


「そうか」


 白川教授は少し寂しそうな横顔を見せて、以後同じ質問をすることはなかった。


 白川教授は天才だ。あの若さで教授職というのも頷ける。ソフトロボティクス、ヒューマノイド、全脳アーキテクチャ、シンボルグラウンディング問題、自律汎用AI。学生時代から多くのテーマで論文を執筆し、目覚ましい実績を上げている。世界的第一人者といっても過言ではないだろう。さらには全固体電池の研究にも関わっているらしく、知識の幅も広い。

 しかし一方、変人でもある。あるいは、天才性と変人性は表裏一体のものなのかもしれない。

 怪異調査を目的としたアンドロイドの開発。当初はただユニークな発想、ジョークの一種だと思っていた。だが、研究室で手助けを続けるうちに、どうやら本気らしい、ということがわかってきた。

 そこには並々ならぬ執念があった。提携企業であるアミヤ・ロボティクスにはたびたび出向し、中国にアメリカにヨーロッパにと奔走しては最新の技術的知見を吸収し、研究開発に取り入れていく。人間とほぼ同数の関節自由度を持つ機体の姿勢制御と精密動作。それと並行して、一見して人間と見分けのつかないレベルの外装設計。大学の一研究室としては考えられないほど膨大な予算が溶けていったように思う。


「大規模言語モデルがブームになったときのころ、覚えてるか?」


 白川教授は話す。


「結構な衝撃だったな。もしかしたら、このまま発展すればそこに知性が芽生えるんじゃないか――そんなSF空想も盛んになった。だが、言語ってのは現実という膨大なパラメータを無理やり要約して表層を撫でるようなものでしかない。虹を七色だとか六色だとか抜かすのがわかりやすいか。実際には『数』で切り分けられるようなものじゃないんだよ」


 つまり、知性には身体が必要なのだ。現実という空間で活動する身体が。


「ドアノブを回すって動作はドアノブの構造と手や腕の骨格構造から自然に導出されるものだ。脳で考えてるわけじゃない。身体と現実との関わりには多くの知能が発生している。……ってのが、網谷って男の持論だったな」


 そして、そんな隙間にこそは潜んでいる――と最後に漏らしたのは、教授の独り言のようだった。人間は現実における多くの情報を取りこぼし、本来は境目などない虹を勝手に七色だとか六色だとか数えている。

 斉藤は独り言の部分は無視し、身体知が脳の思考リソースに余裕を与える、という内容にだけ着目した。ゆえに、機体設計のハードウェアとAIのソフトウェアは並行して開発しつつも独立させることはできない。

 ロボットが歩行実験中に転んだとき、その原因は足にあるのか。動力にあるのか、骨格にあるのか。あるいは姿勢制御システムに不具合があったのか。環境認識に問題があったのか。多角カメラ映像の解析や内部パラメータのログを睨みながら原因を切り分けていく。

 困難の連続だったが、やり甲斐があった。


 五年の月日が経った。ポストドクターとして配属され、助教の地位に落ち着いた。高度な自律性と汎用性を有するアンドロイドの研究開発に携わる栄光があった。

 その成果が目の前にある。ただし、「本来の目的」を果たしたうえで。


「おいおい。なんだよこれ」


 アリサ。完成したアンドロイドはそう呼ばれている。一年以上の介護現場の実証実験を経て、いよいよ真の意味でのAI――「強いAI」が完成したのではないか。その興奮に打ち震えていた。アリサは今や、単独で屋外活動を行い、帰還することができる。

 だが、この白川研究室――対怪異アンドロイド開発研究室においては、それはただの「手段」、出発点に過ぎなかった。


「ひどいな……。ちょっと青木くん。雑巾とバケツを持ってきてくれる?」


 アリサは精密機械だ。入念なメンテナンスが欠かせない。ただ数時間ほど街を歩かせて帰ってこさせる、というだけでも大事だというのに、このありさまだ。一晩の屋外活動を経て、アリサはいま頭部や四肢を外された状態で吊るされている。


「どうしました斉藤先生。……うわ」


 アリサの腹部には二つのバッテリーが詰まっている。六時間もの連続稼働を可能にする叡智の結晶だ。アンドロイドが自由に動き回るには、実のところバッテリー技術がボトルネックになっているところがある。

 その腹部が、食物によって汚れていた。原因は、同じく腹部に搭載された「胃袋」――食べる真似をし、食品をサンプルとして回収するためのゴム製の袋が、破けていたためである。


「お吸い物? 黒豆? それに茶碗蒸しか? あーあー」

「あ、待ってください先生。それ捨てるんじゃなくて回収するものでして」

「回収?」

「読んでません? アリサのレポート」

「……あれか」


 興味はあった。だが、気が進まなかった。

 一個のアンドロイドが自律的に活動し、その記録を自ら文章の形で要約してまとめたもの。興味がないわけではない。しかし。

 この研究室は迷走しはじめた――のではない。はじめからその方向へ突っ走っていたのに、目を逸らしていただけだ。だが、いよいよ直視しなければならないのかもしれないと、斉藤は思った。


「その、胃袋が破れてるのも、食品のせいらしくて」

「この厚さのシリコーンゴムが破れる? 硫酸のお吸い物でも食べたわけ?」

「いえ、よくわからないんですが……どうにも、内側から叩かれて破られた、ような……らしく……」


 青木は自信なさげに語る。たしかに、状況としてはそのように見える。食べ物と一緒に、たとえば虫か小動物を「胃袋」に収納してしまい、「犯人」自体は逃げてしまった。そのような解釈が現実的だろうか。だとすると、ずいぶん凶暴な小動物だが。

 それにしても、と思う。「胃袋」の搭載によって「食べるふり」ができる、という発想そのものは面白いと思った。が、飲食物を内部に取り入れるのは危険が伴うのではないか、という懸念は薄っすらとあった。よもや高い密閉性を持つシリコーンゴムが破れることはないだろうと高を括っていた。こういった楽観は、真っ先に覆されるものだ。


「回収。回収ね。研究室だったね。まずは胃袋を取り外して……いや、なんか手頃な大きさのボウルとかある?」


 胃袋に食品が収納されているということは、アリサは「食べるふり」をしたということだ。同席した人物はいただろうか。どのような反応をしただろうか。ウォズニアック・テストの拡張ともいうべき、かつてSFで見たような光景が現実で行われた。そう考えると興味が尽きない。しかし。

 アリサは、とある「廃村」へ調査へ向かったのである。

 廃村へ調査に赴き、なにかを食べて帰ることなどあるだろうか。ましてやこれは、おそらく会席料理だ。どのようなシチュエーションが発生したのか、それこそ興味はある。


「回収ったって、零れたお吸い物は拭き取るしかないと思うんだけど」

「あー、それもできるだけ……」


「胃袋」の容量は最大で一リットルほど。料理は一品ずつ少量を回収していたらしく、ぜんぶでタッパーに収まる程度の量だった。


「こんなもんかな。で、それはどうするの?」

「成分分析に回すそうです」

「ふつうの料理に見えるけどね……。バッテリーも取り外して洗浄するか。青木くん、手伝ってくれ。というか、これは教授にも一回見てもらうべきか……」


 青木はタッパーの蓋を閉め、テーブルの上に置く。そのとき。

 カタカタ、と――タッパーが揺れ動くのを、斉藤は見た。まるで、閉じ込められたのを嫌がったかのように。

 

(いや、見ていない)


 ただでさえ怪現象じみたバグや不具合と向かい合う日々なのだ。それ以上のものには、目を向けない。そこで踏み止まってしまうのが「凡人」の限界なのかもしれない。

 それでも彼は、「凡人」のままでいることを選んだ。

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