裏側、あるいは表側から見た風景②
近城大学は原則、構内であれば見学は誰でも自由である。ただし、建造物については関係者以外立ち入り禁止となっている。
とはいえ、歳の頃も二十代で童顔、人当たりのよさそうな印象の西村彰が不審者として呼び止められることはまずない。学生も教職も関係者はほとんど全員私服で、この理工学部キャンパスだけでも千人以上が在籍している。潜入にはまず堂々とした態度が肝要だ。それに、さほどやましいことをするわけでもない。
「あ、ちょっとごめんね。白川研究室って知ってるかな」
無作為に学生と思しき人物に話しかける。欲しいのは対外的な、できるだけ生に近い評価の声だ。
「あー、えっと、どこだったっけ。五号館? 四号館? どっちにしろ案内板があると思いますので、そこ見ていただければ。すみません」
ハズレのようだ。いや、これもまた収穫といえるだろう。同じ大学に所属しているからといって、数ある研究室についてはそれほど知らないものだ。白川教授が世界的に有名で権威のある学者といっても、特に興味がなければその程度の認識なのかもしれない。
「あ、でも講義は受けたことあります。なんていうか、癖の強い人でしたね……。内容が難しくて単位諦めて途中からすっぽかしてたんですが、なぜか単位もらえてました」
自身の研究に熱中するあまり教職の仕事は疎かにするタイプなのかも、と西村は思った。お礼を言って別れ、しばらく構内をうろうろして次のターゲットを定める。
「白川研究室! はいはい、五号館ですよ。四階ですね」
次は教職と思しき人物。正確な位置を認識しており、その反応から関係者と言うほどではないが特別な思い入れがあるように感じられた。
「ありがとうございます。なんでも、対怪異アンドロイド開発研究室――などとも呼ばれるとか」
その言葉に、眉をぴくりと動かす。
「そうですね。白川教授は本当に素晴らしい方ですよ。関連論文を読み漁っていると、またかと言うほど頻繁に引用されています。ただ、まあ……表立てているわけではないのですが、趣味というんでしょうか、独特な研究テーマをお持ちのようで。どうにも、おばけとか心霊とか、そういう類のものを真面目に研究しているらしいんですね。ニュートンだってそりゃオカルトに傾倒してたかもしれませんけど。いえまあ、論文としての発表があるわけでもないのであくまで遊びの域なのかもしれませんが……」
と、複雑な顔を見せた。
白川教授は天才である。が、同時に変人としても知られている。ただ、その立ち振る舞いから彼女はそれを自覚している。そのような人間像が浮かび上がってきた。
(怪異調査ってのはマジっぽいなこりゃ)
西村彰はEGG総合探偵社に属する一社員の探偵である。そして、白川研究室はそのクライアントになる。現在までEGG総合探偵社は二件の依頼を受けている。
倉彦浩の身元調査。貝洲理江子の行方調査。
前者の依頼は完了しており、現在は後者の依頼を遂行中であるが――それとは別に、社長の谷澤より依頼主の白川研究室の調査を西村は命じられていた。
白川研究室は社会的地位もたしかであり信頼できる立場にある。だが、この二件の調査依頼は不審なものだった。いずれの調査対象も研究室の関係者や親族というわけでもなく、繋がりが不明なのだ。かといって、なんらかの犯罪を匂わせるほど怪しいわけでもない。
そこで谷澤は「対怪異アンドロイド開発研究室」という別名に着目した。この二人は「怪異調査」の過程で行方不明になった人物なのではないか、という推理だ。
西村は苦笑した。「
(対怪異……ってのは多分マジだが、しかしそれがどういう目で見られるかってのは自覚してる。だから大っぴらに宣伝もしてないし、依頼のときにそのへんをおくびにも出さなかった)
それが逆に真実味を増している。倉彦浩の行方不明は警察も把握している。最後の足跡はSNS上に残された山へ向かったらしい投稿。ただの遭難にも思えたが、遭難するほどの山でもなく、存在しない「廃村」の言及も見られた。いかにも、という話である。
一方、貝洲理江子についてはまるで足跡が辿れていないのが現状だ。彼女も「とある駅」で行方不明になった、とのことだがそれだけだ。手がかりがなさすぎるのである。依頼主である白川研究室の調査はその打開も兼ねている――と谷澤は話した。
(兼ねてる、って言い方が気になってるんだよなあ)
谷澤社長が「怪異調査」という仮説を示したことと併せて気になっていた。もしかしたら、探偵業の長い社長にもそのような心当たりがあるのではないか。と、少し空想じみたことを考える。
(どうすっかな。この程度の収穫じゃ微妙か? いっそ学生装って見学――まではやりすぎかな)
白川研究室がなにか腹に一物を抱えているなら、直接聞けばよい。その役割は谷澤社長にある。西村の任務は軽い裏取りにすぎない。依頼主に気づかれて変に不信を買うのもよくないだろう。
あれこれ考えて、もう一人だけ尋ねてみることにした。
「あの、すみません。対怪異アンドロイド開発研究室ってご存知ですか」
呼び止めたのは、艶やかな黒髪の女性である。振り返って見せた顔も、人形のように均整の取れたものだった。背中を開いた服装がわざとらしくない程度にセクシーだ。
「はい。私はそこに所属しています」
しまった、と思った。あるいは、チャンスかもしれない。研究室の関係者ならばより詳しい話が聞けるだろう。
「それはよかった! 研究テーマが気になっていまして。少しお話いただいてもよいでしょうか。なにせ対怪異、でしょう? 実際に、たとえば心霊スポットなんかに調査活動などされているんですか?」
「はい。二回ほど調査に赴きました」
二回。倉彦浩と貝洲理江子の件だろうか。社長の推理は当たっているかもしれない。
「実は、白川研究室についてはよくない噂も聞いたことがあったり……。実際、どうですか?」
「素晴らしい研究室です。私のような成果が生み出されているのですから」
(……やばい研究室なのかもしれない)
あるいは、彼女がどこかおかしいのか。どう解釈してよいのか困る発言だ。
「ええっと、失礼ですが、あなたはなにをされているのでしょうか」
「現在、私は歩行機能の確認や各種調整のため構内を散策中です」
「は、はあ」
「白川研究室に興味がおありでしたら、見学しますか?」
「――! いいのですか?」
「はい。あなたは大学関係者ではないようですが、教授にお繋ぎしてみましょう」
バレている。だが、些細なことだ。白川研究室から依頼を受けている以上「関係者」としては通せる。なにより、仕事とは別に研究室のことが気になってきた。探偵という職業柄か、あるいは探偵などという職業に憧れるような人間だからか、人一倍に好奇心が強いという自覚があった。
「あ、いえ。お気遣いは嬉しいのですが、ここで失礼します」
だが、西村は考えを改め、断った。
女の姿が見えたからだ。
目の端に、並木道の奥に、女の姿を見た。
黒のつば広帽子。黒のワンピースドレス。黒の長手袋。黒のロングストレート。背筋を伸ばし姿勢よく両手を前に揃えた黒の貴婦人。
彼女が姿を見せたなら、なにをおいても優先させなければならない。仕事よりも、妻子よりもだ。
西村は小走りに駆け、近城大学を去っていった。
***
『見学希望者?』
白川教授はほとんど常に多忙の身である。今日はアリサの調整のため研究室に腰を落ち着けており、比較的早く通話は繋がった。
「はい。見学は歓迎との方針かと思いましたので」
『部外者だろ? 見学希望っても学生でもない部外者は別にな。で、どこ行った?」
「お通ししようと思いましたが、なにかに気づいたように立ち去ってしまいました」
『んー……心当たりとしては……大方、谷澤んとこのやつか。けけ、依頼主が怪しすぎて様子見にきたか。にしても、ある意味で都合がよかったな。想定外の人物からいきなり話しかけられるとは』
アリサは前回の調査によって大きな損傷を負い、多くの部品を交換した。その機能確認のための構内散策である。また、コミュニケーション能力についても課題となっていた。アリサをアンドロイドと認識していない部外者との交流はよいデータとなる。
そして、そのための散策であるがゆえに、怪異検出AIは切っている。
「彼は急に心変わりしたように見えました。なにを目にした結果だったのか、気になっています」
怪異の調査はアリサにとって本能に近い。彼女の複雑なシステムは人間でいう「勘」のようなものを発展させていた。だが、あくまで「調整のため」という命令と怪異検出AIの不在が彼女に深追いをさせなかった。
『……いや、気にすることじゃない』
怪異はどこにでもある。
そのことを知っているからこそ、白川有栖は積極的な「調査活動」の場面以外では怪異検出AIをオフにする。
目を逸らすため。しかしその態度が、かえって恐怖を増幅させているようにも思えた。
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