人間による先行事例

 震えるような寒さの夜の山、高村はじめは乗り捨てられた友人のバイクを発見した。


「これ、やっぱくらひーのだよね?」


 倉彦浩と連絡が取れなくなって三週間。高村はじめは「まさか」の可能性を疑い、秋山湊と共に山に登った。高村は改めてスマホを眺める。倉彦は謎の「廃村」に入ったと思しき投稿をSNS上に残している。路上にバイクを停めた写真だ。


「……いやなかったよね? この前なかったじゃん? あいつまた来たわけ?」


 遭難するほど大きな山ではない。なにより奇妙なのが、その「廃村」がどこにも存在を認められないことだった。

 倉彦はある日、衛星写真を添えて「変な村見つけた!」と投稿した。

 近所の山だ。拡大しても、ちゃんと村に見える。ただし、道が繋がっていない。ずいぶんと古い廃村に見え、高村は気になって祖父に尋ねてみたが、そのような村は知らないという。

 ネット上を軽く検索してみたが、該当する村の存在は確認できない。すでに「廃村」となれば情報が乏しい――というより、皆無であってもおかしくはないか、と納得しかけた。

 だが、いわゆる「廃村マニア」が運営する膨大なデータベースを誇るサイトを見つけたとき、その考えは変わった。そのサイトでは複数の有志によって日本全国を網羅的に、すでに取り壊されて影も形もないような廃村まで扱われていた。倉彦の見つけた「廃村」は麓の町から徒歩で辿り着けるほどだ。これほどアクセスのよい位置に存在する廃村が見逃されていることがあるのだろうか? 


「村も……ありそうじゃん」


 高村は茂みの向こうにLEDライトを向ける。「まさか」と思っていた予想が、当たっていた。当たるとは思っていなかった。


「やっべえな。なにこれ。おばけ? 村のおばけ? そんなんある? どうするよハンペン?」


 夜にだけ現れる村。地図に載らない村。衛星写真に映らない村。

 身体の芯から震えるような寒気を感じる。十一月とはいえ、気温はそれほど低くはないはずである。十分な厚着もしてきている。それでも、異様に冷え込む感覚があった。


「……これ、くらひーのやつどっかで見てたりしない?」

「趣味悪すぎだろ。そこまでのクソ野郎じゃねーって」

「だよなあ。ここまでの企画力あいつにねえか。警察沙汰になってる時点でこの企画も失敗だが……」


 後悔があった。

 あの夜、なぜ帰ってしまったのか。

 あの夜、あいつを置き去りにしてしまったから――

 どうなってしまったというのだろう?


 高村はじめ、秋山湊、倉彦浩。

 三人は小学校からの付き合いだ。倉彦浩は「くらひー」、秋山湊は「アキ」と本名に因んだあだ名で呼ばれる。一方、高村はじめは「ハンペン」だ。もはや自然に定着しすぎて由来は思い出せない。いつかのおでんパーティがきっかけだろうか。おでんというのにずいぶん変な具材を持ち寄ったものだ。

 中学も同じだった。高校は別れ、高村だけ進学校に通った。それでも交友関係は続いた。高校卒業後、倉彦と秋山は就職。高村は大学へ進学した。それでも友情は続いている。だが、いくらか疎遠になったことは否めない。

 それこそ、誘われた「肝試し」を楽しめなかったくらいには。


「……行こう」 


 昼に訪れたときには存在しなかったはずの村。昼には倉彦が乗り捨てたバイクすら見つからなかった。実はあのあと帰ったのではないかと勘ぐりもした。あるいは、単に迷っただけ、道を間違えただけと考えた方が合理的だ。だが、なぜ暗い夜でこうもあっさりと見つかったのか? 昼にあれほど必死に探し回ったのに。警察の捜索でも見つからなかったのに。

 異常だ。現実的な解釈を拒むなにかが起こっている。

 で、あるなら。倉彦は、

 またしても常軌を逸した推論が頭をよぎる。

 いずれにせよ、調べなければなにもわからない。

 意を決して、茂みの先へ進む。

 高輝度のLEDを持ってすら、夜の山は暗い。月こそ出ているが、ライトがなければ足元すら見えない。ガザガザと落ち葉を踏みしめる音が夜の闇に響く。

 古びた家屋が見える。木造の古民家だ。また、アスファルトで覆われていない砂利道も見えた。

 茂みを抜ける。そして、枯葉まみれの砂利を踏みしめる。

 ライトを振ってあたりを見渡す。家屋が一、二、――見える範囲で、三軒。どれも木造で、山の斜面を均すように建ち、窓が割れ、草木が生い茂り、浸蝕されている。とても人が住んでいるようには見えないが、外には洗濯物が干したままになっていた。


「おい! くらひー! いないのか!」


 呼びかける。声は虚しく夜の闇に響くだけだった。


「おーい……くらひー……?」


 一方、秋山の呼びかけは頼りない。


「なんだアキ。ビビってんのか~?」

「ビビってねーし! でもまあ、雰囲気あるよな、ここ」


 二人はなにをするでもなく、しばらく道に立ち尽くしてた。ライトを振って辺りを照らしても、進展はなにもない。冷たい風が吹くたびにカサカサと枯葉が音を立て、劣化した木材がみしみしと軋む。闇の奥からなにかが現れるのではないかという怖気だけが強くなっていく。少なくとも、この山にクマは生息していないはずだ。


「うひゃぁっ」


 秋山から情けない声が上がり、高村も思わず驚く。


「どうした!」

「いや、なんか、そこで、……」


 ライトを向けた先、ガサッガサッと動く小さな影を見る。夜行性の小動物かなにかだろう。そのはずだ。


「驚かせんなよ」


 だが、そんな些細な物音にすら怯えるほどに神経が張り詰めていた。


 廃屋は全部で六軒。「村」というよりは「集落」と呼ぶ方が妥当だろうか。

 庭には物干し竿、プレハブ倉庫、倒れた植木鉢、ポリタンク、洗濯物が落ちたのか衣類のようなものも見えた。ボロボロに朽ちながらも抜け殻のような生活感が残留している。

 なにもない。

 期待するようなもの、怖れるようなものはなにもなかった。「普通の廃村」などというものをよく知るわけではないが、想像の範疇を超えるものはなにもなかった。

 存在しないはずの村を見つけることができた。だが、このままなんの収穫もないまま帰るのか。わざわざここまで諦めるための口実を探しにきたというのか。


「いねえな、くらひー」

「うん」

「どこ行ったんだろうな」

「……うん」


 ならば次は、廃屋を一軒一軒、中まで確認すべきなのだろうか。

 ライトを玄関に当ててみる。戸が崩れ、開けっ放しになっている。鍵がかかっていないどころか戸すら閉まっていない。そのような家屋で不法侵入がどうとかを気にするのは馬鹿げているように思えた。

 だが、秋山からも廃屋を覗いてみようかという提案はない。きっと同じ気持ちだ。闇を纏うような異様な雰囲気を持つ廃屋が、ただ怖かった。不気味に佇む廃屋に足を踏み入れてしまえば、なにかに気がしてならなかった。


 ふと気になって、高村はスマホを取り出す。倉彦の投稿からダウンロードした画像を眺めた。ピンチアウトで画面を拡大し、写っている家屋を数える。

 七軒。

 一軒だけ、一際大きい建造物がある。そのような建造物を、彼らはまだ目にしていない。


「坂の上まで来てくれ」


 と、背後からの声。振り向く。ライトを向ける。右に左に。上に下に。木々。塀。闇。高村と秋山は互いの顔を見る。同じことを考えていた。


「さっきの……」


 よく知った声だ。彼らの友人、倉彦浩の声だ。


「聞こえた?」

「……ああ、聞こえた」


 坂の上。だいたい見て回ったと思っていたが、まだ進んでいない道がある。闇と静寂に包まれた一本の坂道だ。道が続いている以上、捜索はまだ終わっていない。


「おい! いるのか!?」


 返事はない。

 反射的に声をかけながらも、二人とも理解していた。

 倉彦がどこかに隠れているのではない。スピーカーかなにかで再生されたわけでもない。二人とも聞いているなら、幻聴でも聞き間違いでもない。だが、その声はほとんど耳元から聞こえてきた。気配もなく、姿も見せず。

 常識的には解釈しようのない、なにかが起きている。

 身震いがする。冷え込んできた。おっかなびっくり慎重に足を進めてきた。この「廃村」に辿り着いてどれだけの時間が経っただろう。なにも得られぬまま帰るのは嫌だった。


「……行こう」


 呼ばれている。そして、倉彦はここに。それさえわかればいい。

 その先の道はずいぶん険しいものだった。勾配がきつく、砂利による整備もされていない。ときおり倒木が道を塞いだ。空は木々に覆われ月明かりも届かない。仮にが出てこないにせよ、それだけで夜に歩くのは危険に思えた。

 息を切らしながら、慎重に進んだ先。


〈立入禁止〉


 看板が、彼らの道を塞いだ。

 といっても、真ん中に突っ立っているだけ。傍から容易に抜けることはできる。だが、彼らの足を止めるには十分だった。


「禁止? なんで?」


 看板にはそれ以上の情報がない。たしかに古びて汚れているが、文字が消えている様子はない。裏側にもなにもない。ただ、〈立入禁止〉とだけ書かれている。


「ダメなん? この先……」


 ライトを照らす。道はまだ続いている。

 不自然だった。これまでそのような看板は一切なかった。倉彦との再会を邪魔されているようで腹立たしかった。こんな看板にどんな法的拘束力があるというのか。

 住居侵入を躊躇ったときとは打って変わって、高村は先を進む理屈を捏ねた。ここまで来て、たかが看板一枚のために帰るわけにはいかなかった。


「行こう。禁止なら、理由も書けってんだよ」


 彼らは看板を通り抜け、先へ進む。適当な木の枝を拾って杖代わりにし、やがて上り坂の終わりが見える。

 高村は息を呑んだ。秋山も同様だった。予想していなかった光景に心臓が止まるような思いだった。

 待ち構えていたのは、旅館だ。

 煌々と明かりの灯る綺麗な旅館である。

 坂の下にあった「廃村」とはまるで異なり、営業状態にあるかの旅館。

 瓦屋根。提灯型の照明。石畳の舗装。松の木。駐車場のようなスペース。玄関には暖簾がかかり、客を迎え入れようとしている。見紛うことのない、旅館だった。


 あり得ない。

 足が、竦んだ。

 

「アキ。こんな旅館、知ってる?」

「知るわけねえよ……」


 他に道はない。車で来られるとは思えない。こんなところに旅館を建ててどうするのか。

 思わず地図アプリを開く。さんざん確認して、そんな旅館などないと知っているはずだが、気になった。しかし。


「圏外……?」


 山奥とはいえ、麓はすぐ町だ。徒歩で行き来できる程度の距離でしかない。圏外などあるはずがない。

 あの旅館のせいか。そう思えた。

 たとえば、非合法組織の集会場としての旅館。ありえなくはない。空想としてならどうかしてるが、現に旅館が目の前にあるのだから。

 だとするなら、圏外なのも――技術的に詳しいことはわからないが――あの旅館がなんらかの妨害をしているためではないか。そう思えた。だが、そこまでして隠れるつもりならば目立ちすぎている。かといって、客を招くつもりなら潜みすぎだ。ちぐはぐな印象が拭えない。


「け、警察……」


 とはいえ、電話は繋がらない。ひとまず写真を撮った。どうせよくできた創作だと思われるだけかもしれないが。それに、山奥に旅館を建てたからといって、どんな罪に問えるのだろう。


「なあ、おい。……どうする、ハンペン?」


 逆に、納得できることもあった。

 倉彦はどこへ消えたのか。三週間もどこに姿を眩ませていたのか。

 あのような旅館があるなら、そこで生きている可能性はある。不意に三週間も旅館に泊まることなどあまり考えられることではないが、山で遭難しているよりは希望が持てる。

 あるいは、監禁されているのかもしれない。なんらかの通信妨害がされているような場所だ。二人は身を潜めるように、遠巻きから旅館を観察し続けた。営業状態かのように明かりがついているにも関わらず、人の気配は感じられない。それが不気味でならなかった。


「……帰ろう」


 異常だ。どのような解釈をもってしてもじゃない。倉彦が行方不明になった山に謎の旅館がある。これだけでも警察は動いてくれるのではないか。いや、警察はすでに動いてくれている。こんな旅館など見つからなかった。なにか巧妙な手品でもあるのか。危険だ。ここは一旦退き、また準備を整えて後日訪れればいい。様々な考えが頭の中で錯綜する。再び旅館に目をやる。得体の知れない恐怖がある。倉彦が囚われているとしても、ミイラ取りがミイラになるだけだ。これ以上は深入りすべきではない。


「アキ?」


 高村が旅館に背を向けたときも、秋山はじっと旅館を見据えていた。


「……いや、やっぱ。俺、行くよ。いそうな気がする。くらひー、あの旅館に」


 小心者だった秋山の目に、決意が漲っていた。


「なにいってんだよ。やばいって。どう考えてもやばい」

「わかってる。だから、ハンペンは戻ってくれ。それで俺も行方不明になったら、警察はもっと本格的に動くんじゃないか?」


 かも知れない。理屈としては納得できる。いや違う。なにも正しくない。


「ダメだ。この先にいるやつは、絶対にまともじゃない。……言いたくないが、倉彦はすでに死んでるかもしれない。殺されてるかもしれないんだぞ」

「だったら、そんなやつ許しておけるのかよ」


 ここで逃げれば、生きては帰れるだろう。だが、それで?

 秋山も行方不明者の一人になって、もう一度警察が動く。それで?

 仮に事件が解決したとしても、二人とも死んでいるのではないか。それどころか、結局なにもわからないまま悶々とし、痼りのような悔いが残って残りの人生を過ごすだろう。

 友人を二人も失って生き延びる未来を、想像したくなかった。言葉一つで避けられたかも知れない未来で、後悔したくなかった。その眩しい決意に背を向けることを、自分で許すことができなかった。

 二人で帰るか。二人で向かうか。どちらかしかない。


「わかった。行くよ。俺も行く」


 二人は、旅館へ向かって歩いていく。妖しい光に誘われるように。

 二人だから、彼らは。

 




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対怪異アンドロイド開発研究室 饗庭淵 @aebafuti

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