第二部

アミヤ・ロボティクス

「なんだお前、子持ちだったのか?」


 白川は網谷から手渡された電子ペーパーに映る写真を見てそういった。


「いやあの。その子、中学生ですよ? いくらなんでも俺が、結婚して子供がそんな年齢になるまで先輩に一言も話してないなんてあると思います?」

「可愛い後輩にここまで無下にされていたのかと内心深く傷ついていた」

「だから違いますって」


 白川はアミヤの本社ビル屋上に呼び出されていた。曇り空の下、白川はベンチに腰を下ろし、網谷は隣に立っている。

 アミヤ・ロボティクスはここ十年ほどで頭角を表した新鋭のロボット企業だ。ヒット商品のお片付けロボットをはじめ、農業ロボットやホテル経営ロボット、あるいは介護ロボットの実証実験など大企業として事業を拡大している。

 白川しらかわ有栖ありす教授はその社長である網谷あみや広嗣ひろつぐと大学時代からの付き合いであり、近城大学の白川研究室とアミヤ・ロボティクスは密接な提携関係にある。


「じゃあ誰なんだよ」

「姉の子です。つまり甥ですね」


 白川の格好はいつも通り、黒縁のスマートグラスに左手にはスマートウォッチが二つ、そして全身白衣の「博士」然とした姿だ。医学系や化学系ならともかく、彼女は工学博士であるため業務上の意味はない。この服装について彼女は、名前の「白」に合わせ「遠目からでも識別しやすく」「他者の認知リソースを下げるため」と語っている。


「名前は鮎川あゆかわ浩紀ひろき。私立の月代中学校に通う二年生ですが、この学校でどうにも奇妙な噂がいくらか流れてるようでして」


 と、網谷は手持ちのタブレットで画面を切り替える。この操作は白川の持つ電子ペーパーにも連携している。


「月代中学校生徒専用の非公式SNS・MOONチャンネルというのがありまして。このテキストはそこからの引用ですが――」

「生徒専用の非公式SNSの内容をなんでお前が知ってるんだよ」

「それはいいじゃないですか。とにかく読んでください」


 白川研究室とアミヤ・ロボティクスの共同開発では、主にソフトウェアを白川が担当し、ハードウェアをアミヤが担っている。お片付けロボットの開発は特に白川のAI設計による功績が大きい。ゆえに、網谷は白川に頭が上がらない。それは十七年前から続いている関係だ。

 お片付けロボットはアミヤの代名詞といえるほどにヒットし莫大な市場を開拓したが、実のところ彼らにとって最大の成果物は別にあった。介護ロボットを隠れ蓑にしながら、先の利益を帳消しにするほどの開発予算が投じられている。白川が積み重ねてきた研究も、アミヤの企業としての発展も、にあったといって過言ではない。それはいまだ公表されていない「共犯関係」の賜物である。

 それこそが、対怪異アンドロイド・アリサだ。


「噂ねえ。で、これを?」

「そうです。アリサに調査させられませんか?」


 白川と網谷は大学時代、「怪異調査研究会」の仲間だった。網谷もまた、白川研究室の「怪異調査」という荒唐無稽なテーマに深い理解を持っている。だからこそ、アリサという奇跡がこの世に存在している。

 ウォズニアック・テストを軽くクリアする自律汎用AI、人間とほぼ同数の関節自由度を持つアンドロイドは、人知れず「怪異調査」という使命に従事していた。

 何百億という予算を投じながら、一切の利益を期待せず、公共事業ですらない。他人から見れば狂気の沙汰か、途方もない道楽に見えるだろう。

 だが、彼らは知っている。「怪異」というものがこの世にと、知ってしまっているのだ。


「うーむ。テキストが少なすぎて怪異検出AIの判定も微妙なとこだが、いくらかは本物らしさはある。アリサも興味を抱くかもな。とはいえ、あくまで中学生の噂――」


 と、画面をスクロールしながら一つの項目に目が留まる。

 白川のメガネはスマートグラスになっており、目で見た文字も即座にOCRでデータ化する。だが、については解析にかけるまでもなかった。


「……なるほど。少なくとも一つは本物なわけだ」


 白川は思わず頭を抱えた。そして、網谷がわざわざ呼び出してきた意味も理解することになった。


「そしてその、浩紀なんですが、どうにも都市伝説やらオカルトやらに興味津々らしくて……」

「護衛か、あるいは保護者にでも欲しいと? だが今は修理中だろ」

「修理なんてものじゃないですよ。あんなボロボロじゃ、ほとんど一から作り直すようなものです。半年はかかります」

「じゃあどうする?」


 アリサは「月見村の一件」で大きく損傷していた。その状態は応急処置しかできない白川研究室で扱える域を超えており、現在はアミヤ・ロボティクスで徹底したオーバーホールと修理作業を受けている。


「こちらを使います」


 網谷はタブレットを操作し、扉を見やった。そこから、一人の少女が現れた。白川はその顔立ちに目を見張った。


「アリサ……?」


 アリサは身長170cmにもなる女性型アンドロイドである。

 一方、現れた少女の身長は145cmほど。小学生か中学生ほどの背丈であったが、その顔はアリサとほとんど同一のものであった。それこそ、アリサをそのまま幼くしたような姿である。


「今は基本的なOSだけで動いてます。こちらに、アリサの記憶と人格をコピーして移植できませんか?」


 すなわち、それは少女型アンドロイドであった。階段を登り、ドアノブを回すことができる。一見して人間と見紛うほどの精巧な人型ロボットだ。外見も、動きも、言われなければロボットと気づくことは難しい。駆動系は静粛性の高い人工筋肉だし、必要があれば瞬きや呼吸、食事の真似事もできる。


「お前、これこそいつの間に、だろ。こんなもん開発してたのか」

「……アリサの開発にかかった膨大な予算、そろそろ回収しないとまずいんですよ。今回の修理でもまた億単位で……そんなわけで、これは商品化のための試作機です。子供型の方が製造コストも抑えられて世間受けもいいですからね。まずはイベント用のレンタルで採算ラインに乗せられないかと。話題性の初動でなんとか……」

「売れるか? これ」

「先輩は感覚が麻痺してるかも知れないですけど、ほとんどオーバーテクノロジーですからね、アリサ。技術の無駄遣いというか持ち腐れというか。ぶっちゃけなにをやらせても役不足です」

「ん? ああ。正しい意味での役不足か。久々に聞いたな」

「で、どうです。このボディを『第二のアリサ』に」

「生徒として学校に潜入させるつもりか」


 アリサの顔をした試作機は網谷の指示に従い挨拶の動作をする。動作テストは既に完了しているというパフォーマンスでもあった。


「いけませんか?」


 白川は頭を掻いた。

 アリサはアンドロイドだ。よって、そのAIはコピーが可能だ。大人型ボディから子供型ボディに移行するに際し、いくらか調整は必要だが技術的にはなんの問題もない。それはそれとして。


(こいつ、プレゼンがやたら手慣れてて可愛げがなくなったな……)


 と、白川は思った。

 網谷はあいかわらずくたびれた顔つきをしているが、いつの間に猫背も治り、スーツも着こなしている。企業も成長を続け、「成功者」としての装いが板についている。

 一方で、自分はどうか――と白川は考える。

 まだ、なにも成し遂げていない。

 彼女の「怪異調査」は、実のところ個人的な目的を持っている。

 それは十二年前に失踪した妹――白川有紗の捜索、並びに救出である。

 だが、現在は手掛かりを失った状況にある。「異界」のどこかを彷徨っている――そんな漠然とした推測しかできない。ゆえに、白川研究室は「怪異」の噂とあれば駆けつけ調査し、手掛かりを求め少しでも知見を蓄積する。その段階だ。


 この世には、人間の理解を拒むかの怖るべき「未知」が潜んでいる。

 そこまではわかっている。だが、そこまでしか理解していないのだ。

 であるなら、網谷の示した七不思議のうち、特に「気になる噂」は是が非でも調査せねばならない。つまり、噂がどこまで正確なのか。理性ではそうわかっていたが、彼女のうちにある躊躇いはもっと根源的な感情によるものだ。

 すなわち、恐怖である。


「このまま放っておいても、中学生は勝手に調査に向かうかもしれません。危ないからやめろ、といったところで子供は大人の目を盗むだけです。だったら、アリサという監視の目をつけたうえでやらせてみた方が安全というものでしょう」

「……お前はいいのか?」

「なにがです?」

「怖くはないのか、ってことだよ」

「怖いからですよ。自分の甥が、に遭うんじゃないかと考えたら」


 白川は反省する。網谷という男を見くびっていたと。網谷は怪異調査を怖れ、後方支援バックアップと称して逃げるためにアミヤ・ロボティクスを立ち上げたのだと、そう考えていた。

 だがそれは、きっと白川の自己投影なのだ。本当に臆病なのは自身なのだと、白川は反省する。十七年間目を背け続けてきたのは、彼女自身なのだ。


「そうだな。特には無視できん。調査に向かわせよう。となると、九月にでも転校という名目で入学できるのか?」

「まあ、はい。手筈は整っています」

「マジか。あとはバッテリーの稼働時間の問題もありそうだが」

「授業中は座ってるだけなんで充電できると思います。各教室にコンセントがありますので、後ろの隅の席ならまあ。というより、ここの学校法人とはIT関連で包括的な契約を結んでますので、いろいろ融通が利きます」

「……とっくに準備万端か。というか、同じ顔モデルなのも私への媚びか。そこまで根回しして外堀り埋めてなきゃ私を説得できないと考えたのか? なんか傷つくな。私の心は繊細なんだ」

「信じてましたよ」

「そうか。嬉しいよ。しかしまあ、他の七不思議も調べるとして……はなんだ?」


 と、白川は七不思議のうち一つの項目を指し示す。


「あー、それはですが……」

「数合わせで無理やり入れたのか?」


 月代中学校では複数の「奇妙な噂」が流行っていた。そのうちで、網谷がリストアップしたのは以下の七つ。


・深夜、踊り場の大鏡を覗くと飲み込まれてしまう。

・ツタに覆われた「緑の家」から女性の呻き声が聞こえる。

・満月の夜、校舎の屋上で身捧げが行われる。

・工事未完了のまま放置され、異界に繋がるトンネルがある。

・「悪い子」をタコ殴りにする全身赤タイツの男がいる。

・願い事を叶えてくれるトイレの神様がいる。

・存在しないはずの生徒が学校に紛れている。


 そのうちには、「気になる噂」と「よくわからない噂」があった。

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