共死蠱惑

「どうも、青木さん。お呼び立てしてすみません。どうぞ、こちらへ」


 青木大輔は連絡を受け、ファミリーレストランで待ち合わせをしていた。相手はEGG探偵社代表取締役・谷澤宏一。口髭と顎髭を整えたナイスミドルだ。髪型もナチュラルオールバックがよく似合っている。これまでに何度か調査の依頼を引き受けてくれている相手である。


「構いませんが……調査になにか進展があったということでしょうか?」

「いえ。そちらも進めてはいますが、後でまとめて報告書をお送りします。今回は別件でして……ひとまずドリンクバーと、なにかおつまみでも頼みますか?」

「お願いします」


 探偵と依頼者が直接会う機会は、基本的には二回だけだ。依頼時と、達成時である。調査結果は口頭ではなく報告書の形で提出される。よって、こうして「直接会いたい」という申し出はあまり例のないことだった。青木は警戒していた。


「どうぞ。ジンジャーエールでしたよね」

「ありがとうございます。それで、本日の用件というのは?」

「そうですね。青木さんもお忙しい身でしょう。さっそく本題から……といっても、これから話すことはその前置きなのですが……。さて、青木さん――というより、白川研究室より受けている現在の依頼は、貝洲理江子さんという人物の行方調査です。我々としても、ストーカー規制法や個人情報保護法の手前、行方調査という依頼については慎重にならざるを得ません。顔と名前はわかるが、それ以外の情報はない。奇妙な依頼内容でしたが、青木さん個人の依頼ではなく大学の研究室からの依頼ということで、我々もあなた方を信用して依頼を引き受けました」

「はい。ありがとうございます」

「ただ、あなた方は、なぜ彼女を探しているのかという理由についてぼかして伝えられた。関係について伺っても歯切れが悪い。我々としては、調査をはじめるためのとっかかりがなくて困っていたわけです。そういうわけで、あなた方についても調べさせていただきました」

「はあ」


 雲行きが怪しい。青木は喉の渇きを覚え、ドリンクバーで取ってきてもらったジンジャーエールを口に含んだ。


「対怪異アンドロイド開発研究室。国内でも、というより世界的に見てもずいぶん珍しい研究テーマですな。工学部で怪異……なんとも不釣り合いだ」

「……そうですね。それで?」

「ああ、すみません。責めているようなニュアンスを感じているかもしれませんが、他意はありませんので。ただ、確認したいことがあるのです」

「確認したいこと?」

「貝洲理江子さんとはどのように知り合ったのか。いえ、もっとハッキリ言いましょう。彼女とは、怪異調査の過程で知り合った。そうではありませんか?」


 青木はさらに急激な喉の渇きを覚えた。ついにはジンジャーエールを飲み干してしまう。疚しいことなどない。努めて平静を装い、答える。


「そうですね。ただ、そのような話をしても胡散臭いと思われるのではないかと、伏せていました」

「なるほど。それで、彼女だけが行方不明になってしまった。そんなところでしょうか。おそろしいですね」

「なにが言いたいんです?」

「いえいえ。ただ、気になりまして。そういえば、以前のご依頼……倉彦浩さんの件も奇妙でした。あれも怪異調査ですか? なんだか気になりますね。そういった調査の結果――怪異とか、おばけとか、そういうものの実在は確かめられたりしたのでしょうか」

「……これは、なにかのテストですか?」

「いえいえ! まあ、テストといえばそうかも知れません。これは前置きですから」

「前置き……?」


 青木は逡巡する。「怪異を調査していた」というだけなら問題ない。プラズマだったり低周波だったり認知の問題だったり、なんらかの科学的な説明のつく結論に辿り着いたと勝手に想像してもらえばいい。だが、怪異はあった。そのことを正直に話せば「頭のおかしい」人間と思われ、信用をなくすだろう。


(なんて面倒な役回りだ)


 青木は教授を恨む。研究室の調査能力では限界があると教授は探偵を頼ることを思いついたが、その窓口については青木に丸投げしている。きっと、こういう状況を想定していたに違いない。


「……いる、とは断定できません。それらしい証拠は集まりつつありますが、まだ検証中の段階です」

「なるほどなるほど」


 悩んだ結果、嘘ともいえない慎重な物言いで言葉を濁した。こういえば研究者らしく聞こえるだろう。谷澤はそれを聞きうんうんと頷く。


「さて、長くなりますが……まだ前置きです。どうか辛抱強くお聞きください。探偵という仕事は、多くの人間と関わります。ときに信じられない奇行を見せる人間もいる。そして、ごく稀に人間とは思えない存在と出会うこともあるのです」

「……どういうことです?」

「以前請け負った、浮気調査についてお話しします。最近、夫の帰りが遅い。休日出勤が増えたが、会社に問い合わせてもそのような事実はない。夫が浮気をするような人とは思えないのだけれど――と、よくある話です。我々はその夫を尾行し、あるアパートに入っていくのを目撃しました。ラブホテルにでも入ってくれれば分かりやすかったんですがね。調べたところ、その部屋はどうやら若い女性の一人暮らしであることがわかりました。部屋に入った。数時間後に部屋から出てきた。その写真さえあれば証拠としてはほぼ十分、あとは女性の身元も調べるためゴミ調査を行いました。使用済みコンドームでも見つかればさらに決定的ですから」

「はあ」

「結果、見つかりました。あとは報告書をまとめて、奥さんに提出すれば仕事は終わりです。そのあとでどんな修羅場になるか……それ以上は詮索しません。しかし、今回ばかりは図らずも耳に入ってしまった」


 失礼、と谷澤は一礼し、コーヒーをぐびぐびと飲み干した。そして、スマホを取り出してあるニュース記事を表示させ、青木に見せた。


「〈夫婦喧嘩の果てに共倒れか? 男女2名死亡〉――先の、浮気調査を引き受けた夫妻です」

「それは……心中お察しします」


 谷澤は沈痛な表情を浮かべる。青木は適当な社交辞令を述べたが、まだ話の意図が掴めずにいる。


「これだけなら、まあ単に目覚めの悪い事件で終わります。長くこの仕事を続けていれば、こういうこともある。ですが……問題は、浮気相手の女です。ゴミ調査の結果、浮気の証拠であるコンドームは見つかりました。しかし、それ以外のものが見つからない」

「それ以外?」

「生活感です。要は、生ゴミですな。ゴミの内容はシーツや衣服、ティッシュペーパー、ビニール袋、あとは百合やら菊といった花……つまり浮気の痕跡は見つかるのですが、彼女がという痕跡が見つからない。そういうわけで、改めて浮気調査の際に撮影した写真を確認しました。いったいどんな女なんだ、という興味ですね。が、奇妙なことに、彼女の顔が写っている写真は一枚もなかったのです。周辺の住民に聞き込みをしても、驚くほど印象が出てこない。アパートの管理人も『空き部屋だったような……』というぼうやりした答えでした」


 怪談めいた話になってきた、と青木は思う。だが、これだけでは怪異と呼ぶには足りない。


「我々も仕事ですから、単なる個人的な興味で追跡調査などしません。それこそストーカーすれすれですからね。奇妙なこともあるものだ、と話は終わるはずでした。しかし、この女に……今度はうちのスタッフが入れ込んでいるらしいのです。ええ、既婚の男性です。浮気調査を生業とする探偵が浮気なんてのは笑えません。今後、職場に悪影響が出ないともかぎらないので彼の素行を調査することにしました。しかし彼は――失礼」


 谷澤が机に置いたスマホがヴー、ヴー、と震える。マナーモードの着信らしい。彼は発信者の名前を確認すると、青木に一礼で断りを入れ電話をとった。


「おい、どうした。今お前の話をしてたとこだ。大丈夫なんだよな。ん? なんだって? 今どこにいる? おい」


 と、谷澤はスマホを耳元から離した。


「……切れました。先の話に出ていたスタッフです。ここ最近ずっと欠勤続きで、音信不通でして。今回のご相談も、こういう事情で焦っていたのです。それが、急にかかってきたと思ったら……」

「なんとおっしゃってたんですか?」

「……『あの女の顔は見るな』、と」


 青木は妙な怖気を覚えていた。これは、アリサの調査記録を検証しているときに覚えるものと同じものだ。まだ証拠は足りない。谷澤が悪趣味な作り話をしているのかも知れない。そのような疑いが拭いきれないなかでも、言語化しがたい直感のようなものが働く。

 これは、本物だと。


「つまり谷澤さんは、その女が……おばけとか、妖怪とか、そういう類のものではないかと、そう疑っているというわけですか?」

「…………」


 今度は、谷澤が顔を顰めて黙った。どう話していいものかと逡巡しているように見えた。


「たしかに、奇妙な話だとは思います。しかし失礼ながら、これだけでは……」

「これだけではありません」


 谷澤は語気を強めて言った。


「ある日、ある探偵仲間と話す機会がありました。ライバル会社のようなものですが、気の合うやつでして。浮気調査のあとでこんな事件があって憂鬱だと。つまり先ほどのような話をしたわけです。すると相手も、昔似たようなことがあった、と。そうして話すうちに、場所こそ違えど……浮気相手だった女の特徴が一致していることに気づいたんです」

「なんと……」

「それでも、まだ二件。偶然かもしれない。それでも……いえ、あるいは、この事件は浮気調査の報告がもたらした悲劇ではない――そう思い込みたいだけ、なのかも知れませんが……」


 半信半疑、といった顔だ。拳に力が入り、震えている。長い前置きがあったのも、「信じてもらえるはずもない」という心理的障壁があったためだろう。まさに青木にも共感できる心理だった。


「なるほど。たしかにそのお話は、うちの研究室で扱う問題かも知れません」

「調査の専門家である我々としては、お恥ずかしいかぎりです。この件が本当に我々だけの手に負えるものなのか、不安になりまして。できれば、ご協力いただけないかと。もちろん謝礼は用意いたします」

「わかりました。僕らとしても研究対象の情報は願ってもないかぎりです。ただ、僕自身の専門はあくまでロボット工学です。怪異調査の専門家は、今から呼びます」

「今から?」

「車に待機させていますので」


 青木はスマホを取り出し、アプリを起動する。すなわち、アリサのモニターアプリである。しばらくして、一人の女性が来店した。


「はじめまして。アリサです」


 アリサは青木のもとへ真っ直ぐ歩いてきて、正面に座る谷澤に挨拶した。


「こちらこそ。谷澤宏一です」


 と、立ち上がって名刺を取り出す。


「あ、大丈夫ですよ谷澤さん。あなたの情報はインプット済みですから」

「インプット……?」

「彼女はアンドロイドなんですよ」


 そう言われ、谷澤は目を丸くする。そして首を傾けながらまじまじとアリサを観察した。


「驚いた。たしかに、よく見てみると……」

「僕らは対怪異アンドロイド開発研究室。そして、彼女こそが対怪異アンドロイドのアリサです」

「……アンドロイドを使って怪異の調査を? これは誰かが操縦してるんですか?」

「いえ、自律型です」

「それはまた……」


 谷澤は、まるでおばけでも見たような顔をしていた。


「すみません、谷澤さん。さっきの話をもう一度お願いできますか? アリサに聞かせて、今一度検証したいと思います。それから、その女性を怪異として調査するかを決めましょう」


 ***


 後日、〈一家心中か? 家屋全焼〉という見出しのニュースが報じられた。

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