対怪異アンドロイド開発研究室⑨
「おばけ屋敷プランナーとは紛らわしいっすね!」
新島は笑いながらそう話した。「緑の家」の件はこの一言で総括できると思ったのだ。
一方、青木は深刻そうな顔でなにか考え込んでいた。
「てかこれ、学校の怪談って言えるんすかね。学校で流行ってる怪談ではありますけど。あれ、それとも学校で流行ってるなら『学校の怪談』になる……?」
冗談めかした話にも青木は乗ってこない。真剣にモニターを睨みつけ、眉間に皺を寄せている。
「まあ、実際には怪談でもなんでもないっていうか。私は最初からそんな気はしてましたけど」
「最初から、とは厳密にはどの時点ですか」
話に乗ってきたのは、むしろアリサの方だった。
「へ? そこ気になるんだアリサちゃん。トイレのあたりかな。綺麗すぎだし」
「私は玄関の扉の時点からです。放置された空き家であるなら建て付けが悪くなっているのではと予想していましたが、実際にはスムーズに開きました」
「へえ~! すごいすごい。やっぱりアリサちゃんはすごいなあ。超高性能アンドロイドだなあ」
チラリと青木を見やる。
「やっぱアリサちゃん、見てて危なっかしいっすよね。思ったんですけど、なにかあったときのために近くにワゴン車で待機してた方がいいんじゃないすかね?」
夜の学校で二人の手を無理やり引いたのもそうだし、家主がやってきたときもそうだ。そもそも不法侵入を止めるべきだったのかもしれないが、難しい。通信が途絶するわけでもなく監視を継続できる状況というのが、かえって気苦労を増やしている。
「危なっかしいとはどういう意味でしょうか。説明を願います」
やはり青木の反応はない。
「先輩?」
「……今回の件についても、一応、裏取りはしてある」
青木は新島を見ず、半ば独り言のように話した。
「『緑の家』はレオナルド日嗣氏の所持物件で間違いない。建物自体は築五十年。六年前までは日嗣氏の祖父が住んでいたようだ。相続してから今までは空き家として持て余していたらしい。最近になって何度か出入りしているのが見られていて、彼の話とも矛盾はない」
「え、そんなこといちいち調べてたんですか」
「念のためにね。近所の店や住民に聞き込みをしてみた」
「聞き込みって、わざわざ……。今回の件からは特に怪異検出されてないっすよね?」
「そうだね。怪異調査としては外れだろう。そういうこともある。怪異検出AIの精度が確かめられた一件といえる」
「じゃあ、なにがそんなに気になってたんです?」
「女性の呻き声だ」
青木はPCを操作し、アリサが録音した声を再生する。音量を大きく増幅してようやく聞こえる、か細い小さなくぐもった呻き声だ。
「この声、どう思う?」
「どう思うって……」
「もともとそういう噂はあったろ? 『緑の家からは女性の呻き声が聞こえる』って。たしかに、家にはそういう仕掛けがあった。だが、これは聞こえるか聞こえないかという非常に小さいものだった。アリサだから聞こえたような小さな音だ。それがなぜ、外に漏れていたのか」
「音量ミスって再生しちゃったんじゃないすか?」
青木は音声の再生を止めた。
「日嗣氏はアイデア先行で未完成だとは言っていたけど、モチーフはかなり統一してある。『鬼』が封印されている設定だと話していたろ? 霊符が『鬼を厭ち除く』と意味するものでもあるし、置いてある像は鳥に犬……桃太郎の鬼退治のメンバーだ。そして鏡に映る影。よく見ると角が生えている。彼は話していなかったけど、鬼は鏡の中に封じられている設定なんじゃないか? ダイヤル錠のヒントとなるメモ書きも鏡文字だ。書き物机の上にも鏡があった。つまりこれは、鬼が錠を開けてもらうために書いたもの――そういう設定なんじゃないかな」
「直接数字書けばよくないですか?」
「それはそうなんだけど……まあ、とにかく、いくらか瑕疵はあっても彼のいう『考察系ホラー』の体裁はある程度はとれていた。そのなかで、『女性の呻き声』だけ要素として浮いているんだ」
「うーん、それはそう、かも?」
「タイミングもそうだし、聞こえてくる場所もおかしい。分析してみると、多分キッチンだね。地下収納のあたりだ。いくら考えても、このあたりは意図が解釈できない」
雲行きが怪しくなってきた、と新島は感じた。
「それは日嗣さんの言ってたように本企画ってわけじゃないからいろいろ試してたんじゃないですか?」
「それこそ、僕には言い訳のように思えてね。日嗣氏は妙に饒舌だった」
「言い訳……?」
「もしかしたら、本当に女性が監禁されていて、その言い訳のためにおばけ屋敷ということにしたんじゃないかってことだ」
「いやいやいやいや……」
あまりに突飛な発想に、思考が一時停止し反論の言葉が出てくるのがやや遅れてしまう。
「さすがに考えすぎじゃないっすか? だとしたら女性の呻き声が上手いこと馴染む設定にすればいいですし、鍵をかけ忘れて中学生に侵入されるのも迂闊すぎるじゃないですか」
「そのあたりにどういう事情があったかはわからないけど……本当に迂闊にもかけ忘れていたのかも……あるいは、あえて子供に侵入させて、『おばけ屋敷だった』という既成事実をつくろうとしたか……そもそも、鍵をかけ忘れていたというのが怪しい……他にもなにか目的が……?」
「考えすぎですって!」
「わざわざファミレスで奢ってまで話を聞いたのも、なにかよからぬものを見ていないか確かめようと……」
青木の疑心暗鬼が深まる。
「アリサの録画映像を念入りに調べてみた。日嗣氏のいう、和室で物音を鳴らすためのセンサーはたしかに廊下に設置されていた。階段前の鏡もそうだね。ただ、女性の呻き声を鳴らすためのセンサーはどこにあったのか……」
「振動センサー+時限式でどうとでもなりそうっすけど……」
「気になるのは、やはりいくらなんでも音が小さすぎるという点だ。聞こえるか聞こえないかを意識した、にしてもだ。人間だとまず聞き取ることのできない音量といっていい」
たしかに、その点は気になる。奇妙といえばそうだ。だが、いくらでも説明はつく。新島にとって青木の言い分は陰謀論の一種のようにも聞こえた。
「警察に連絡すべきか……?」
「いや、その、行方不明者届とか出てるんですか?」
「行方不明者の公表手配は調べてみたけど、それらしいのはなかったかな。でも、被害者が日嗣氏の身内なら行方不明者届が出ていないこともありうる……」
「そんなに気になるなら日嗣さんに話聞いてみればいいんじゃないすか? 家も改めて見せてもらって」
「……その必要が、あるかもしれないな……」
疑い出せばキリがない。懐疑主義には限界がない。
「怪異」と向き合うとき、そのような問題が生じる。
世界は五分前に生まれたのかもしれない。背後から誰かついてきているのかもしれない。通行人は街を演出するための人格のないゾンビなのかもしれない。
そんなことがあるはずがない。考えても仕方ない。でも、もしかしたら?
その先にこそ「怪異」は潜む。妄想と現実の隙間は、狭くて深い。
怪異検出AIであれば、ある程度は峻別できる。だが、それも絶対ではないし、その原理上初めて出会うタイプの「怪異」は検出できない。人間の認識が操作されるという事例も彼らは経験している。
青木は、そんな疑いの沼に嵌ってしまったかのように思われた。
青木はあいかわらず記録映像を精査していた。疑いを払拭するためか、疑いを深めるためか。
そして、ある画面で停止した。キッチンの場面だ。そこには、乾いた米のこべりついた茶碗の欠片が映っていた。
「いや、待てよ」
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