暗疑迷妄③
「実は、私はおばけ屋敷プランナーなんだ」
現れたのは家主の男だった。鮎川浩紀と夏目きゆの二人は隠れようとしたが、アリサは彼の前に姿を見せて、話を聞いた。
彼はレオナルド日嗣と名乗った。身長178cm、推定体重80kg。年齢は推定二十代後半。名前の通りハーフで、顔立ちにも現れていた。瞳は青く、髪はやや赤みがかっている。整えられた顎鬚に、髪型は短髪パーマ。服装は簡素なTシャツにデニムパンツだ。
彼の名前を検索するとSNSのページやインタビュー記事が見つかり、「おばけ屋敷プランナー」としてたしかに実績のある人物であることがわかった。
「空き家をおばけ屋敷として再生する企画があってね。あ、この家は違うよ。この家自体は私が祖父から相続したもので、せっかくだから企画のアイデアを練るためにいろいろ試作していたんだ」
「へえ、空き家をおばけ屋敷に!」
鮎川浩紀は感嘆の声を上げる。夏目きゆはその後ろに一歩引いていた。
「うん。『おばけ屋敷のようだ』といわれるなら、いっそおばけ屋敷として再生してしまえという企画はたまにあってね。ここも実際にそうするなら……さすがに根本的なリフォームが要るかな。たぶん柱がもうやばい」
「あー……。それじゃ、物音が鳴ったりしてたのも仕込みなんですか?」
「センサーに連動して隠しスピーカーから音を鳴らしてるんだよ。和室の像は元から倒してあってね。スピーカーだとリアルな音は出ないと思われがちだけど、やり方次第さ。あたかもついさっき倒れたかのように演出できたはずだよ」
「鏡は……?」
「うん。鏡にも仕掛けがある。よくできてただろ? 私はリアル志向でね。不意打ちの大きな音や突然の怖い顔でびっくりさせるようなジャンプスケアは好まない。『あれ? 見間違いかな? 勘違いかな?』というラインを目指してるんだ」
「な、なるほど……」
不法侵入者の中学生に対し、レオナルド日嗣は朗らかな笑顔で話した。
「いやぁ~、鍵のかけ忘れがまさかの功を奏したね。ダイヤル錠を開けるところまで辿り着いているなんて」
ダイヤル錠を開けた先にあった部屋は、物置として使われている納戸だった。
他の部屋に比べ、その部屋は雑然としていた。パンパンに詰まったゴミ袋に、積み重なる段ボール。見れば、シャンプー・タオル・歯ブラシ・食器類などの生活用品が押し込められていた。
要は、おばけ屋敷の構築に邪魔なものを一旦まとめていたらしい。
「お札の数というのは、さすがに自分でもどうかと思ってたんだよね。単純に数が多すぎだし、いろんなとこにお札があって不気味だなって感覚も、作業として数えるようになると薄くなりそうだしさ。このへんはおばけ屋敷というよりリアル脱出ゲームのコンセプトが近いかな? しかし、解けてしまうものなんだね」
「なんか、アリサちゃん最初から数えてたみたいです」
「へえ! すごいね。慣れてるとメタ読みが効くのかな? 経験者?」
「はい。多くの調査実績があります」
それだけではない。いうまでもなく当然のことだが、家で起こる怪奇現象が仕込みであることも完全に把握していた。特に物音などは隠しスピーカーで簡単に再現できるものにすぎないからだ。そのことをあえて探索中に指摘しなかったのは、二人にバイアスを与えず反応を見たかったからだ。決して、気づいていなかったからではない。
「でもまあ、全然未完成なのに入られちゃったのはちょっと恥ずかしいな。ダイヤル錠の奥もただの物置だし。本当はなにかあっと驚く仕掛けを用意したかったんだけど」
「いえ、それは……すみません」
家主が受け入れているとはいえ、不法侵入には違いない。鮎川浩紀と夏目きゆは深々と謝罪した。
「いいよいいよ! というか立ち話もなんだな。近くのファミレスでなにか奢るから詳しく話を聞かせてくれないかい? 滅多にないチャンスだ」
「え、いいんですか」
レオナルド日嗣は快活な笑顔を浮かべている。不法侵入の負い目があってか、遠慮しつつも鮎川浩紀は押し切られた。アリサとしても微妙な判断だったが、新島ゆかりの『面白そうだから行っちゃえ!』という通信とは無関係に「答え合わせ」の必要性を認め、同行した。
横断歩道を一つ越え、徒歩五分ほどの位置に該当のファミリーレストランはあった。
ボックス席で、レオナルド日嗣に対し三人が向かい合う形で席につく。
夕食も近い時間であり、彼らは「自宅に帰って食べるから」と遠慮し、ドリンクバーとフライドポテト、デザートを奢ってもらうことになった。
もちろん、アリサに飲食の必要はない。ただし、彼女は約1Lの「胃袋」を持ち、飲食物を収容できる。これは調査にあたって飲食物をサンプルとして回収するため、あるいは人間を装うための機能だ。
今は昼食がまだ残っているため容量にあまり余裕はない。食べずに済むならそれに越したことはない状態といえた。
このようなときは「ダイエット中です」といっておけば済むことをアリサは学習している。ただ、その発言をやはり夏目きゆは冷ややかな目で見ていた。
「へえ、うちが七不思議の一つにねえ。それで侵入したのか。で、どうだったかな。楽しんでもらえた?」
「いやぁ、俺たちとしてはマジモンだと思ってるんでビビりまくりでしたよ。この家にいったいなにがあったんだろう、って」
「そうそう、それだ。せっかく空き家をおばけ屋敷にするなら、『なにかがあって空き家になった』というストーリーを作りたいと私は考えた。問題はどれだけ生活感を残すかってことでね。たとえば、カミソリや包丁が残ってると危ないだろ?」
「あー、たしかに難しそうですね。ネタバレ聞きたいんですけど、実際どういう設定だったんですか? 見た感じ、なにかを封印してた……?」
「そう! まさにそんな感じ。ちなみに、最後のダイヤル錠を開くと封印していた鬼を解き放ってしまうというオチで考えていたんだ。思いついたアイデアをいろいろ試してるだけだから演出にはあまり一貫性がないんだけど」
「はえ~。あ、でも、誘導はよくできてたと思います。音のする方向を見るとヒントがあるとか」
「ありがとう。私としては、カーペットから血痕がはみ出ていて、めくるとさらに大きな血痕が隠れてるのがお気に入りかな」
カーペットをめくってはいないので、鮎川浩紀はコーラを飲みながら曖昧に笑った。
「実をいうとね、期待してたとこがあったんだ。君たちみたいな、なにも知らない子がそれこそ肝試しのノリで侵入したら、なにを思うだろうって。そういうシミュレーションで仕掛けをつくっていたところはあるね。本当に実現するとは思わなかったよ」
「それは、まあ……よかったです」
「実際に運用するとなるとスタッフが潜んでたり遠隔で操作したり、もう少しバリエーションは豊かになるはずだよ。そうだね、他になにか気になることはあったかい?」
「一つ、よろしいでしょうか」
アイスティーを飲むふりをしていたアリサが挙手して話す。
「女性の呻き声にはどのような意図があったのでしょうか」
階段を登ろうかというタイミングに聞こえた声である。
タイミングも、そして音量の小ささも、演出としてはやや不自然な点があった。
「え? 呻き声?」
「そんなの聞こえた?」
反応がないとは思っていた。二人には聞こえていなかったらしい。それくらい小さな音だった。
「ふぅぅぅぅ……ん」
レオナルド日嗣は笑みを崩し、顔を伏せた。表情の読みづらい角度だ。目元を隠すよう前で手を組んでいる。会話は途絶え、しばしの沈黙が訪れる。鮎川浩紀はコーラを口に運び、夏目きゆはオレンジジュースに口をつけた。
そして、レオナルド日嗣は静かに口を開く。
「よく気づいたね」
口元に薄い笑みが浮かぶ。
「あれはそれこそ、気づく人と気づかない人が出てくるのを狙った仕掛けなんだ。空き家のおばけ屋敷は予約制でグループ客を想定しているからね。そのうち一人だけが気づいて、『あれ、なんだったんだろ』『え、そんなの聞こえた?』こんな会話が発生してくれたら……なんて考えていたんだけど」
彼は、満面の笑みで続けた。
「嬉しいな。上手くいくものだね。とはいえ、これも演出アイデア先行でストーリーとしての一貫性はあまりない。実運用ではもう少し解釈が通るよう配置したいね。ちゃんと考えることで真実が浮かび上がってくるような」
「あ、いわゆる考察系ホラーってやつですか? 俺もよく動画とかで見ます」
「そうそう、あの感じ。情報配置のセンスが問われて難しいんだよ。あとはね――」
それから小一時間ほど話し、レオナルド日嗣は名刺を配って解散となった。
***
「あの人……なんか怪しくない?」
夕日の向こうに消えていったレオナルド日嗣を見送って、夏目きゆは小声で呟くようにいった。
「そうか? めっちゃいい人じゃん」
対し、鮎川浩紀はきょとんとした顔で答える。
「私も特に異常性は見られないと判断しました」
怪異検出AIを人間に向けたとき、霊能者など怪異と接触する機会の多い人間ほど数値が高まる傾向がある――と、白川教授は仮説を立てている。実例は多く列挙できるし、今のところ反例はない。鮎川浩紀は「鏡」の一件で3%から4%に上昇した。
一方、レオナルド日嗣は1%未満。多くの一般的な人間は1%から2%の数値を示す。ゆえに、彼の存在は「怪異調査」にとって特に興味を惹くものではなかった。
「でもさ、いつ料理ぶちまけられるんじゃないかって冷や冷やしなかった?」
「それされたらちょっと意図わかんなくて怖いけど……許されたよな? 許されてるよな? あとで訴訟されたりしない?」
七不思議は、あと五つ。
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