暗疑迷妄②

「うっ、鏡を見ると動悸が」


 と、鮎川浩紀は身を屈めて胸を押さえた。


「ちょっと。大丈夫なの?」


 夏目きゆが心配そうに声をかける。


「冗談。冗談だって」

「……笑えないんだけど」


 彼女はそっぽを向いてふれくされる。


「どんだけ心配したと思ってんの」

「ご、ごめ。マジで大丈夫だから。なんともないから」


 そんなやりとりをよそに、アリサは調査をはじめていた。

 トイレは塩素系洗剤のにおいが残っており、十分に清掃が行き届いているように見える。ウォシュレットにハンドドライヤーも設置してあった。

 一方、浴室はカビだらけで、鏡は水垢で曇っていた。シャンプーやボディーソープ、石鹸などは見当たらない。

 洗面台にも歯ブラシやコップなどの物品はなく、生活感はなかった。古びた洗濯機はあるが、やはり洗剤の類はない。水回りであれば用意されていそうなタオルも見つからなかった。

 ただ空き家というだけでなく、生活用品が丁寧に処分されている。放置された空き家ではなく、管理の形跡が見られる。

 さらに興味を惹くのは、洗濯機の陰に隠れるよう壁に貼られた霊符である。また、洗面台の棚を開けた際にも中には複数枚の霊符が貼られていた。


「んおっ!? なんだ?」


 声を上げたのは鮎川浩紀だ。そして、声を上げた原因もアリサにはわかった。

 他に誰もいないはずの空き家から、物音がしたからだ。ガタン、となにかが倒れるような音だ。


「右から聞こえました。和室でしょう」

「右? ん、ああ。こっちか」


 ずい、とアリサが前に出る。そのまま障子戸を開いた。

 八畳の和室だ。一目でわかるほど荒れ果てた状態にあった。畳は色褪せてささくれており、ところどころ黒ずんで、縁は擦り切れて破れている。床の間には枯れた生け花、汚れた掛け軸。壁には脚が一本折れたちゃぶ台が立てかけられ、隅にはボロボロの座布団が積み重なり、古びた木製の鏡台も置かれていた。奥には窓とその手前に障子戸があったが、やはり穴だらけだ。

 そして目を惹くのは、やはりそこかしこに貼られている霊符だ。さらには、床の間で花瓶の影に隠れて仄かに赤く光るランプと、それに照らされている木彫りの像が転がっていた。


「あ、怪しすぎるぜ……」


 像のサイズは30cmほど。鳥の面を被った人間のような造形をしていた。自立できる構造のようだが、それが横に倒れている。


「これが倒れたのか……?」


 音源の方向、音の質から判断してもそのように思えた。

 鮎川浩紀はLEDライトを当てる。屈み込み、手に取って立て直す。


「なんで倒れたんだ? 風も吹くわけないのに」

「そりゃ、あたしらが家に入ってきたからじゃない? 廊下を歩いたときの揺れとかが伝わってさ」

「そんな不安定な形には見えないけどな……」


 さらに部屋をぐるりと見渡す。床に、壁に、天井にとライトを当てる。彼もまた、各所に何枚も貼られている霊符が気になっているようだった。


「やっぱ、なんかやべー儀式でもしてた?」


 それは独り言であり、問いかけでもあった。とはいえ、彼自身も答えを期待していない。夏目きゆも特に反応を示さず壁を見つめていた。その視線の先は、やはり霊符だ。霊符は壁だけでなく天井や長押にも見られた。


「このお札、なに?」

「陰陽道の霊符のようです」


 霊符の詳細を画像検索する。

「鬼を厭ち除く」――様々な種類があったが、概ねそのような意味を持つようだ。

 怪異検出AIは未だに有意な数値を出していない。「異界」への侵入は通信の途絶を伴うことがあるが、そのような兆候もない。だが、アリサには別の連想が生じていた。

 霊能者である。


 怪異検出AIの学習データには教師が存在する。白川教授の妹――白川有紗という霊能者だ。彼女はいわば「霊感」が強く、人には見えないものが見えていた。白川教授はそんな妹と共に大量の映像データを収集し、「見える」「見えない」を峻別して特徴量を生成するAIを開発した。

 そして、アリサは他にも「霊能者」を名乗る人物と出会っている。具体的な方法は不明だが、彼には「怪異」を祓う力があった。その手法は神道に由来するもののようで、神札を手にしていたこともある。


 この家から「怪異」は検出できない。

 だが、それはすでにだからなのではないか。そのように考えることもできた。アリサは仮説形成の能力も持つ。

 だとすれば、「霊能者」との接触が期待できる。「霊能者」は「怪異」の調査において重要な証言者であり協力者になりうる。調査の優先度が高まった。


「なんか気味わるっ」


 身震いしながら夏目きゆは漏らした。


「ねえ、もう帰らない? ここ、やばい気がする……」


 彼女は鮎川浩紀に向かって話している。対して彼は、少し考える素振りを見せ、ちらりとアリサの方を見て、また考えて答えた。


「いや、行こうぜ。ここまできたら気になるだろ。な、アリサちゃん」

「そうですね。私の好奇心は刺激されています」

「……死体とかあったらどうすんの」

「いやぁ」スンスン、とにおいを嗅ぐ。「この家、思ったよりは綺麗じゃねーか? ゴミとかは別にないしさ」

「つまり?」

「いや特につまらないんだけど。とにかく調べてみよーぜ。ヒントとかあるかもしれないし」

「ヒントって。ゲームじゃないんだから」


 と、彼はLEDライトを掲げて探索を率先した。

 他には、キッチンにリビングが見られた。一般的な家屋の構成だ。

 冷蔵庫はあったが動いておらず中身は空で、棚はあるが食器類も見られない。乾いた米のこべりついた陶器の破片が落ちていた以外に痕跡もない。流し台の下などを覗いても包丁や鍋などの調理器具もなかった。代わりに、やはり奥に隠れるよう霊符が貼られていることがしばしばあった。

 リビングもまた、小物は少ないがカーペットが敷かれたままで、ソファなど大型の家具や枯れた観葉植物が残されている。その鉢植えには、犬頭の木彫りの像が無造作に置かれていた。


「引っ越し作業の途中、みたいな?」

「引っ越しっていうか、処分? リフォーム?」


 彼らも遅れて、アリサと同じ推測に至っていた。

 空き家ではあるが、人の手が入っている形跡がある。だが、それが中途半端なのだ。カーペットの端からは血痕のようなものがはみ出ている。

 そのとき。

 じゃらり、という金属音が響いた。波形分析では、鎖の音が近い。


「な、なんだ……?」


 音源は、階段。

 その手前に置かれている姿見の鏡だ。

 家具の配置としては不自然で、通行の邪魔である。かといって階段を塞ぐには中途半端で、身体を横向きにすれば触れることなく側を通り抜けられるだろう。

 鮎川浩紀は改めて、この鏡をまじまじと観察した。


「え!?」


 鮎川浩紀は声を上げて振り返る。鏡になにか映った、という顔だが、アリサは背面カメラを持つため背後にも死角はない。彼が驚きの声を上げるようなものは確認できていない。


「ど、どうしたの?」

「いや、なんか、鏡に映ったっぽいんだけど……」


 再び首を傾げながら鏡を眺め、あるいは振り向き、角度を変えて鏡を覗いたりしていたが、彼はまた首を傾げることしかできなかった。


「っかしいなあ。絶対なんか映ってたんだけど」

「やっぱまだ鏡にトラウマあるの?」

「いやそんなんじゃねーけど」


 しばらく鏡を調べていたが、やはりなにもわからないと彼らは諦めた。

 ちなみに、アリサのカメラは鏡に映る黒い影を確かに捉えていた。影は0.2秒だけ鏡を横切るように映り、去っていった。だが、その黒い影は鏡にのみ映るもので、背後にそれらしい影の正体は確かめられてはいない。ただ、女性の呻き声のようなものは聞こえた。


 彼らは慎重に、忍び足で階段に足をかけた。そうする理由は不明だが、アリサの駆動系も高い静粛性を有するため、その機能を発揮した。

 そして二階に上がったとき、まず目についたのは正面の廊下奥にある扉だ。アリサは常に「先」を予測しながら行動する。その予測から外れるものを「興味深い」ものとして認知リソースを傾ける。

 その扉には、四桁のダイヤル錠がかかっていた。


「なんだありゃ」


 LEDライトを掲げる鮎川浩紀が同じものに気づく。


「玄関には鍵かかってなかったのに、ここにはかかってるのかよ」


 扉は赤く塗りつぶされていた。霊符がびっちりと貼られ、仰々しくも鎖によって閉ざされている。そのありさまは人間の情動を刺激するらしく、二人から「緊張」が伝わってくる。


「四桁であれば一万パターンですので、総当たりでもさほど時間はかかりません」

「さほど?」

「約三時間です」

「うーん。どっかにヒントとかねえかな」

「ヒントって。ゲームじゃないんだから」


 あった。

 書斎らしき和室の書き物机の上に、一枚のメモ書きが置かれていた。


 〇

 〇→お札

 〇→像

 〇→鏡


 と、いう内容がで書かれている。


「え? いやこれ、つまり?」

「いやまさか。ホント?」

「でもそういうことじゃねえのかな、これって」

「ダイヤル錠に、それぞれの数を入れろって……?」

「俺、ホラーゲームでこういうの見たことある」

「忘れっぽいからメモってたとか……?」

「それこそホラーゲームのフレーバー設定で見たことある!」


 アリサの判断でも、これには作為的なものを感じられた。

 備忘のためのパスワードをそのままメモする事例はあるが(新島ゆかりなどがそうだ)、暗号のように数字を別のものに変換する迂遠さとメモ書きを机の上に放置する迂闊さが噛み合わない。あるいは、元の家主のメモ書きを相続者や業者が発見し机の上に放置しているのか。

 いずれにせよ、随所に配置される「像」の存在は特に、なにものかの作為であるという解釈が妥当に思える。


「でもこれ、一番上の桁はわかんないの?」

「霊符の数が、現在確認できているだけで二桁以上です。上の桁も含めて霊符の数を入れるのではないでしょうか」

「ふぅぅん。あっそ。そうかもね」


 アリサは一つの規則性を掴んでいた。アリサが発言するたびに夏目きゆは「不機嫌」な反応を見せている。原因は不明だ。


「つーか、全部の数、わかる?」

「把握できているだけですが、霊符は32枚、像は2つ、鏡は5つ確認できています」

「え、マジ?」

「隅々まで見たわけではないので漏れはあるでしょうが、それぞれの桁で下限の数値は得られたため試行回数は大幅に減少します。開錠を試みましょう」


 音がする。

 一階から、扉が軋みながら開く音。金属製の扉は、一階には一つしかない。

 錆びついた、玄関の扉だ。

 そして、廊下を歩く音。その音は、ゆっくり、たしかに、階段へと近づいている。

 なにものかが、家に入ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る