対怪異アンドロイド開発研究室③

「新島さん。あれから、特に問題はない?」


 と、心配そうに声をかけるのは青木だ。

 一連の事件は谷澤宏一の事故死によって幕を下ろした。すなわち、調査の結果として死者が出たのである。これまでも倉彦浩や貝洲理江子など行方不明者は出ていたが、関わりのあった人物で明確に死者が出たことは新島や青木にとってショックが大きかった。


「私は、大丈夫です……。たぶん、やっぱり未婚で女性だからっすかね……?」


 少なくとも、新島自身にはなんらかの自覚症状はない。「あの女」の顔を目にしたときは、身体の自由が利かない明らかな「異常」を体験したが、今はふつうだ。しかし、それがおそろしくもある。

 アリサが殴ることで撃退はできたが、「あの女」はまだ取り逃したままなのだ。


「それにしても、このタイミングで事故死って……絶対、事故じゃないですよね……」


 谷澤の死は尾行劇のの二日後だ。無関係のはずがない。それを思えば、新島は気が気でない。


「教授。谷澤さんが亡くなりましたよ」


 今度は、責めるような語調で青木は白川教授に声をかけた。


「そうだな。怪異調査が危険であることは、わかっていたことだ」

「はじめから……?」


 その点を、青木は以前から疑っていた。


「怪異調査の危険性について、私ははじめから警告していた。それでもついてくるなら、と念押したはずだ」

「それは、そうですが」


 それを言われると、青木は言葉に詰まる。確かに言われた。だが、信じてはいなかった。実際に調査し、実在の証拠らしきものを収集し、直面するまでは、本当に危険があるなどとは想像してもいなかった。


「……前々からお聞きしたかったのですが、教授はなぜ調査をはじめる前から怪異の存在を知っていたんですか」


 しかし、だからと言って退くわけにはいかない。青木の表情は真剣だ。対し、白川教授はむすっとして椅子に体重を預けた。


「一つ、思考実験をしようか」

「思考実験?」

「おばけの場所はどこだ?」


 奇妙な問いに、隣で聞いていた新島も首を傾げた。


「それは、思考実験というより大喜利では?」

「まあ、いいから考えろ。おばけの出そうな場所なら想像はつくな。学校、病院、廃墟、トンネル――どこにでも出そうだ。だが、出なさそうな場所は?」

「……塩田」

「なるほど。塩がおばけに有効ならそうだろうな」

「えと、真昼の雑踏!」

「人々が行き交うなか、自分だけが見えるおばけがいたらどうだ?」

「火星とかどうです?」

「前人未到の火星におばけがいたら、怖くないか?」

「動物園!」

「夜、動物が寝静まったあとなら出てきてもおかしくないだろ」


 青木と新島が交互に答えるが、どれもたしかに「出そう」と言われれば「出そう」ではある。「出なさそう」な場所は、だからこそ「出たら怖い」に繋がる。


「……で、なにが言いたいんですか?」

「焦るな。これについては私もずっと考えててな。辿り着いた答えが『土俵』だ」

「土俵?」

「なんとなく、不似合いだろ?」

「それでも、力士のおばけとか出てくるんじゃないですか」

「かもな」

「で?」

「なに、言いたいことはシンプルだ。おばけはどこにでも出る。安全圏なんてどこにもないんだよ」

 

 それだけ聞けば、ただの戯言だ。もし現実がホラー映画だったら――といった仮定に基づく与太話だ。しかし、現に怪異を目の当たりにしている今となっては、もはや笑える話ではなかった。


「まあ、探偵に頼ることは難しくなったな。EGG探偵社は社長を含めて立て続けに二人も社員を失った。貝洲理江子まではなんとかしてくれるかもしれんが、それ以上は受けてもらえないかもな」

「……続けるんですか」

「あん?」

「こんな事態になっても、怪異調査を続けるつもりですか」

「当然だ。怪異調査は続行する」

「なぜですか?」

「ん?」

「なぜ教授は、怪異を調査しようなどと……」


 青木が食い下がる。質問にはまるで答えていなかったからだ。教授は引き出しから封筒を取り出した。


「谷澤からの遺書だ」

「遺書?」


 青木は目を丸くしながら、その封筒を受け取った。


「お前たちも気づいている通り、谷澤は事故死じゃない。自殺だ。家族に要らぬ心配をかけないよう事故を装ったんだ。自殺の理由はそこに書いてある。あいつは怪異からの影響を自覚し、このままでは家族に危険が及ぶと死を選んだ。谷澤は最悪の可能性を想定し、準備していたんだ」


 息を呑みながら青木は遺書に目を通し、後ろから新島も覗きこむ。


「そして、谷澤は私たちに託した。怪異のことなど家族にはとても話せない。だが、もし話せるようになったのなら……あの女の正体が明らかになったのなら、家族に説明してほしいと」


 たしかにそのように書かれていることを、青木は確認した。


「わかるな」


 それが怪異調査を続ける理由だと、白川教授は言外に告げた。

 青木も納得した。谷澤の遺志を継がねばならない責任を理解した。


「まあ、それはだ。じゃない」


 教授は椅子をくるりと回転させ、ガン、と椅子の背を机にぶつけた。


「そうだな。人間の認知能力というのはだ。あるいは、よくできているともいえる。空気中に舞うハウスダストをいちいち目で追ったりしないし、フローリングの木目パターンなんかいちいち覚えちゃいない。コップを動かすと天井が落ちるんじゃないかとか、コーヒーを注ぐと壁の色が変わったりしないかとか考えることもしない。いろんなことを巧いこと無視してる。まあ、フレーム問題の話だ。怪異検出AIは、そうやって人間が取りこぼしている情報を拾う」

「……その原理はわかります」

「今回も面白い映像が撮れてたじゃないか。あれだけ目立つ女を、バスの乗客は気に留めてもいなかった。つまり、あの女は認知フレームの外にいたんだよ。整理券を取ったらバスが爆発するかもしれないと怯える人間はいないように、あの女は認識されなかった。いわば認識迷彩だ」

「どうやってそんなことを……」

「それはわからん。興味深いことにな。映像を徹底的に解析してるが、わかるようでわからん」

「それで?」

「くく。どうした青木。苛立ってるのか? それとも怖いのか? そうだよな。なにもわからん。怖いはずだ。不確定性原理で量子の挙動がわからんとか、宇宙の果てになにがあるかわからんとはわけが違う。村も、電車も、あの女も。殴って撃退したようだが、地面にも拳にも血はついてなかったそうじゃないか。どういうことだ? なにもわからん。怖いよな」

「…………」

「アンドロイドの開発に携わってるんだ。不気味の谷仮説くらいは知ってるな。ヒューマノイドが人間に似れば似るほど急激に不気味さを感じる谷が生じ、それを超えれば不気味さは減じるとする説だ。

 さて、仮にこの不気味の谷が実在するとする。では、なぜこんなものがあるのか? まあ、与太でありSFではあるんだが、かつて『人間に似たなにか』がいたからだ、と。まあそういう話がある。くひひ、なんというか、まんざら馬鹿話でもない気がしてこないか?」

「そろそろ、本題に入っていただけませんか」

「本題? なんの話だったかな」

「教授はなぜ、このプロジェクトがはじまる前から怪異の存在を知っていたのかという話です」

「その話か。そうだな。その通りだ。私が怪異の存在を知ったのは、このプロジェクトがはじまるずっと前だ。怪異検出AIの開発もそうだ。教授になる前、博士号をとる前、大学に入る前から、私は怪異の存在を知り、その検出のためのAIを開発していた。にもかかわらず」


 教授は、首だけになって机の上に置かれているアリサの頭を撫でた。


「本格的な調査に乗り出すには、こいつのような高度なアンドロイドの開発が完了するのを待った。なぜだかわかるか?」


 それは答えを求める問いではない。青木は黙って続きを待つ。


「怖いからだ」


 教授は笑みを潜めて、真剣な眼差しで語った。


「現実は一つより多いが複数より少ない。怪異はきっと、そんな隙間に存在する。客観的というものはあっても、客観というものはない。だから、私は客観かみをつくりたかったんだ。そうすれば怖いものなどなにもない。アンドロイドならば、現実をのままに認識できるかもしれない。はじめからわかっていたように、そんなものは夢物語だったがな」

「……釈迦に説法ですが、処理能力が有限である以上、現実空間で活動するにはフレーム問題を解決する必要があります」

「そうだ。そしてフレーム問題を解決のなら、それは解釈という枠の中に閉じ込められてしまうことを意味する。世界をありのままに捉えることは不可能になってしまうわけだ。それが私は怖かった」

「怖い?」

「そうだ。怖かったんだよ。人はなぜ怪異を怖れる? よく言われるよう、わからないからか? 現代人は原理を理解もせずに電子機器スマホを平気で扱う。そこに恐怖などない。自分に生えている毛の総本数がわからないからといって怖いか? 壁の染みがいつついたのかわからなくて怖いか? わからないから怖いというのは嘘だ。では、なにが怖い? 我々はなぜ怪異を怖れる?」

「……得体が知れないから。気味が悪いから」

「かもな。そのへんで言い換えられるかも知れん。だが、私はもう一つの説を考えた。わからないというのは、怖いんだ。本当は、わからないから怖い。ただ、その恐怖を麻痺のだ、と」

「原理もわからずにスマホを扱い、恐怖も感じずに受け入れているのが、本来ならおかしいと?」

「世界五分前仮説っていうくだらない思考実験があるよな。この世界はもしかしたら、五分前につくられたものなのかも知れない。さまざまな記憶が、記録が、痕跡が、世界は何年も前から、何千年、何万年、何億年と前から存在しているかのように物語っているが、それらはあくまでそう見えるように五分前につくられたのだ、と。

 馬鹿馬鹿しいが、これを否定することはできない。過去を確かめる術などないからだ。我々はただ、過去と現在は連続性のあるものだという仮説に従って、特に疑いもなく生きてるだけだ。そうでなくとも、記憶なんて信じられないほど曖昧なものだってのにな」

「ですが、そんな懐疑主義を本気で信じて怯える人間はいない……」

「そうでもない。違う話にはなるが、コタール症候群ってのがある。自分はすでに死んでいる、という妄想を指すものらしい。意味のわからん妄想だ。逆哲学的ゾンビというべきか、水槽脳の亜種というべきか。とにかく、ふつうなら『へー』で済ますような思考実験を、本気にするような人間は存在する。

 だが、なぜこれを妄想だと言い切れる? MRIで調べたところ、確かに脳に異常は見つかった。だが、正常な脳だからといってその認識する世界観は本当に正しいものか? 我々の方が、本来あるべき恐怖を忘れてしまっているだけじゃないのか? 彼らの方がむしろ、真実に気づいてしまったんじゃないか?」

「いったい、なんの……」

「ああそうだ。こんなことに思い悩むのは中学生でやめておけ。そんなことはわかってる。だがそれでも、私はそんな疑いを拭い去れない。私はすでに死んでるんじゃないか? 街ですれ違う人々はゾンビなんじゃないか? 戸棚の裏には異世界の入り口があるんじゃないか?」

「…………」

「さて。どうだ。ここまで聞いてどう思った? 狂っていると思ったか? 頭のおかしい教授だと思ったか? 本当に正気かと疑ったか?」

「それは……」


 思考実験としてなら、理解できる話だ。しかし、それを本気で恐怖の対象として考えるなら。

 だが。しかし。それでも。

 彼自身もまた、そういった荒唐無稽な考慮と真面目に付き合わなければならない領域に、足を踏み入れていることに気づいた。怪異を相手にするというのは、そういうことなのだ。


「青木。お前は私に、なぜずっと前から怪異の実在を知っていたのか、と聞いたな。だが、お前はこう聞くべきだった。知っていたのなら、のか――と」


 教授は、狂ったような笑みを浮かべた。


「これが答えだ。私は、狂ってしまっているんだ。怪異の存在を知ってしまったがために、あらゆる懐疑を、あらゆる妄想を、現実の問題として処理しなければならなくなった。私のフレームはガタガタに壊れてしまった。幸いにして、私にはかろうじてその自覚がある。だから話さなかった。話したところで理解したか? 信じたか? 


 そして、笑う。


「ぐひっ。ぐひっ。ぐひゃひゃ! げひゃひゃひゃ! ああ、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私はお前たちを巻き込んでしまった。なあ、どうやって解釈する? 神出鬼没の廃村。人々の痕跡を持ち去る電車。顔を目にしただけで狂気に蝕まれる女。こいつらをどう解釈する? どうやって理解すればいい?

 なあ。わかるだろ。私はなぜ怪異調査に挑むのか? もうわかっただろ。わかれよ。私は、壊れてしまったフレームを再構築するために怪異に挑むしかないんだ。理解可能な枠組みに、連中を押し込めるために。そして――」


 ふ、と。呟くように。


に会うためだ」

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