餐街雑居

 怪異はどこにでもいる。

 が、傾向として「出そう」なところに出る。

 無作為抽出のアンケート調査によって「怪異おばけの出そうな場所」を集計する。そうして得られたデータと実際に怪異の出現する場所には有意な相関が見られる。

 ただし、因果関係は不明である。

 人間のそのような「恐れ」が怪異を生み出すのか。人間には元来、怪異を検出するだけの微弱な能力があるのか。

 いずれにせよ、積極的に怪異と出会いたいのなら「出そう」なところへ向かうのが効率がよい。

 たとえば、路地裏である。


「違うんです違うんですそうじゃないんですそうなんですそうではなくて違うんですそうです違いますそうじゃないんです」


 ゴン。ゴン。と、規則的に打擲音が鳴り響く。

 日の光も陰るような薄暗いビルの隙間から、室外機の音に混じって聞こえてくる。

 その日は特に当てのない街の散策によって怪異を探していた。ワゴン車で運ばれ「それらしい」場所で降ろしてもらい、単独行動をはじめて三十二分後。

 ゴン。ゴン。と、湿った空気を揺らし続ける重い音。

 それは一人の男が延々と頭部を壁に叩きつけている音だった。スーツ姿の男だ。右手には革の鞄を持ち、「会社員」として連想される姿と近似である。その人物が、顔を項垂れ、ビルの壁に向かって、壊れた機械のように動作を繰り返している。

 熱赤外線は検出できない。反響定位と可視光視認の間に矛盾はない。二分間観察を続けたところ、同じ動作を繰り返しているといっても8%以内の誤差が見られた。


 さらなる調査のため、接近する。男が「まともな」人間なら気づいてもおかしくない距離だ。足音と目の端に映る姿から接近に気づくはずだと想定できる。ただし、壁に頭を叩きつけ続ける様は「まともな」精神状態であるとは言えず、そして「人間」である確率も低い。

 肩に触れる距離まで接近しても、男は動きをやめない。ビルの壁に向かって、何度も何度も頭を叩きつけている。


「この行動の目的を教えてください」


 声をかける。男は反応するように二秒ほど動きを止めたが、再び頭を壁に打ちつけはじめた。

 次はもっと直接的なアプローチとして、肩を掴んだ。

 男が動きを止めた。

 そして、肩を掴まれた方へ振り向く。

 男には顔がなかった。何度も頭を打ちつけていたせいか、削り落ちていた。そこには肉の断面だけが見える。ただし、それは人間の頭部の断面ではない。頭蓋骨はなく、脳や眼窩、鼻や口もない。ただ、肉の断面だけがある。それはソーセージを連想させた。


 動きを止めたのは六秒。再び頭を壁に打ちつける。

 ベチョ。ベチョ。硬質な衝突音ではなく、柔らかな肉がコンクリートの壁に叩きつけられる音が響いた。あたかも、顔を見られたことで変質したように。


「なぜ頭を壁に叩きつけるのですか」


 返事はない。動きを止めることもない。コミュニケーションは不能であるらしい。

 蹴りつけた。暴力的な妨害アプローチを試行する。予測通りに、男は倒れた。そして、そのまま動かなくなった。

 体重は60kg前後。平均的な成人男性のものだ。もとより生命活動の兆候は見られなかったが、この状態であれば怪異を丸ごとサンプルとして回収できる。


 問題は、その様子を見られていたことである。

 路地裏の入り口から、覗きこむように立ち止まる太りぎみの中年男性がいた。缶コーヒーを片手に、グレーのスーツに身を包む。そんな彼が、じっと見つめていた。

 95%以上の確率で人間である。彼の目はなにを見たのか。彼女のことは見えていただろう。だが、彼女に蹴り飛ばされた男は見えていたのか。彼は飲みかけの缶コーヒーに口をつけると、ふいと目を逸らし、立ち去って行った。

 彼女は怪異おばけが見える。だが、他者がどうであるかまではわからない。表情パターンから判断するにも、「見えていた」場合の教師データが不足しているからだ。


 見えていたのか、いなかったのか。それもまた興味を惹くテーマであったが、彼女は先を目指すことにした。怪異の「死体」も放置する。それ以上の興味対象が存在していたからである。

 すなわち、先ほどまで男が頭を叩き続けていたビルだ。

 このビルには入り口がない。この路地裏を除いて周回したが、入り口は確認されなかった。だが、この路地裏を抜けたなら。

 あるはずのない入り口に辿り着く。

 四階建てのビルである。オフィスビルにも見えるが、外見から判断材料は得られない。顔のないビルだった。


「いらっしゃいませー!」


 一階には、中年夫婦(と思しき)二人が経営する中華料理店が入っていた。外には看板一つなかったが、匂いだけは漂っていた。カウンターの向こうには厨房があり、炒め物のために中華鍋を振るっている。壁には張り紙にメニュー一覧が並んでいた。「中華料理店」と断じたのはこの二点が根拠となる。床や天井は油で汚れていた。

 客席はカウンター席が六つ。四人掛けのテーブル席が三つ。四角のテーブルに丸椅子が四つだ。客の姿はほとんどなかったが、奥の席に一人、先客がいた。


「お一人様どうぞー!」


 彼女もまた四人掛けの席に一人で座らされる。エプロン姿の中年女性より水の入ったコップが運ばれる。人間であると誤解されている可能性が高いが、彼女はそのまま続けた。この料理店もまた調査対象だからだ。

 ゆえに、あたかも通常の客のように振る舞う。メニューを開き、一覧の記録を取得。実験としてまず「A定食」を注文した。値段を見るかぎり、すべての料理を注文するだけの資金は手元にある。むろん、食べるわけではない。


「A定食入りまーす!」


 注文から料理が運ばれてくるまでの時間は、人間でもアンドロイドでも暇なものだ。店内構造についてはLiDARによって3Dモデルは取れている。運ばれてきた水は専用機器がないためこの場で成分分析はできない。

 よって、背後の客を観察することにした。背面カメラによって振り向くことなく事細かに様子を観察できる。

 テーブルの上には一人で食べるには多すぎる量の料理が並んでいた。餃子、炒飯、青椒肉絲、フカヒレスープ、麻婆豆腐、坦々麺、エビチリ――彼が特別大食いなのではない。彼の箸は進んでいなかった。伏せた顔から覗く表情は重苦しい。


「A定食お持ちしましたー!」


 料理が届くまで七分。男は一口二口ほど料理を口に運ぶだけだった。

 A定食として運ばれてきたのは、天津飯である。これに酢豚や鶏のから揚げ、サラダにスープがつく。一般的な「一人前」の分量であるが、彼女の「胃袋」に収まる量ではない。それぞれ一口ずつサンプルを採る。


「A定食のお客さまー!」


 続けて、餃子が運ばれる。一皿に七つ、パリパリの片栗粉で癒着している。


「はいどうぞー!」


 続けて油淋鶏。片栗粉のまぶされた皮がパリパリに揚げられ生姜とネギの香味だれがかかっている。


「ゆっくりしていってくださいねー!」


 八宝菜。白菜、人参、玉葱、エビ、キクラゲ、豚肉をあわせて炒め片栗粉でとろみをつけている。


「お持ちしましたー!」


 中華丼。先の八宝菜が炊かれた白米の上に乗せられている。


「これらはすべてA定食に含まれるメニューなのですか?」

「ふふ、サービスですよ。内緒ですからね」


 と、エプロン姿の中年女性はウインクをする。料理は次々と運ばれ、あっという間にテーブルを埋め尽くした。

 生身の人間でも一人で食べられる量ではないはずだ。健啖家であれば平らげることは可能かもしれない。しかし。


「どうぞ。追加です」


 背後の客がフカヒレスープを完食した。空いた皿を下げるとすぐに別の料理、春巻きが運ばれてきた。察するに、追加料理に終わりはない。


「どうしたんですか? 食べないんですか?」


 中年女性は顔を覗き込むように問いかける。

 声と表情に奇妙な揺らぎが見られた。ただし、笑顔であるのに変わりはない。


「もう食べられません。少食なもので」

「いえいえ! 遠慮なさらず! 美味しいですよ」

「なぜですか?」

「え?」

「なぜこれほど大量の料理を?」

「ふふ。お客さんにお腹いっぱいになって欲しいだけですよ」


 と、足早に立ち去る。疑問は尽きない。まだ尋ねることはあった。しかし、背後の男に動きがあった。下手な刺激アクションで状況を変化させるよりは、正常動作している被験者サンプルの観察の方が理解に繋がると考えた。


「う、うぐっ……もう、食え……」

「はいどうぞ! まだあるからねー」


 嗚咽を漏らし苦しむ男に、笑顔で料理が運ばれ続ける。


「こ……こんな……」

「どうしたんですか? 食べないんですか?」


 一方的な「善意」に満ちた表情で詰めかける。ニコニコと屈託のない笑顔を向ける。男は明らかに「苦痛」の表情を浮かべている。この状況は高度なAIによって「異常」であると判断される。


「おうおう、いくらでも食べてくれよ。お客さんの幸せが俺たちの幸せだからな」


 厨房の店主からも声がかけられる。

 男は食事行為に明らかな拒絶反応を見せつつも、手を止めない。男を強制する要素は発見できない。このまま胃袋が破裂するまで食べ続けるつもりなのだろうか。「死んでも食べたい」というほどに美味なのかもしれない。その結末は見届けなければならない。

 同時に、彼女はその次に試行すべきアプローチをシミュレーション上で検討していた。質問を重ね、なぜ「異常」を認識していないのかを詰める。暴力的アプローチとして、料理をすべて床にぶちまける。黙って店を出て行く。食べ終わってもいないのに追加注文をする。あるいは、対象が「夫婦」らしい特性を利用して――


「こんなに食えるわけねえだろ!!」


 一喝。男が、叫んだ。

 夫婦は呆気とられたように沈黙し、そして。

 料理店のテクスチャが剥がれていく。床はタイルが剥き出しにひび割れ、メニューも壁紙も破れるように失せる。やがて、廃ビルの一角という本来の姿が現れていく。椅子もテーブルも朽ちて落ち、料理は残らず腐り果てる。夫婦もまた、コンクリートの滲みに溶けるように消えた。


「げ、げぇ、ぐぇぇうぉええ……!」


 男は食道に指を突っ込んで先ほどまで食べていた料理を無理矢理に吐き散らしていた。それは正常な吐瀉物ではなく、黴が生え、緑色に変色し、腐っていた。強烈な腐敗臭が漂う。


「はぁ、はぁ……うぉぇっぷ。うぇぇ……。よう、危なかったな。あんたも吐いた方がいいぜ。手伝おうか?」


 袖で顎の吐瀉物を拭いながら、男が話しかけてくる。その男の言動は、怪異に慣れ、対抗する術を持っているかのように見えた。

 彼女は振り返り、応じる。


「いえ。私は問題ありません」


 男の顔は席についたときから背面カメラで確認していた。だが、男に顔を見せたのはこのときが初めてだった。そのとき、男は明らかに「驚き」の表情を見せていた。


「ん? あ? あんた……白川有紗か?」

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