餐街雑居②
「アンドロイド……? マジでか?」
男は桶狭間信長を名乗った。身長168cm。推定体重50kg。年齢は推定三十代か。髪型は黒でショート。伸びっぱなしの無精ひげが見られる。服装は紺の作務衣。足元も足袋に草履であり、和装に統一されている。ただ、ウエストポーチだけが不釣り合いにナイロン生地である。
「まあ、たしかに……白川有紗がこんなところにいるはずはないか……」
椅子も机もなくなったので、桶狭間信長はカウンターの上に胡座をかいて話を続けた。
「しかしアンドロイド? ロボットってことか?」
「こちらをご覧ください」
アリサは後ろを向き、桶狭間信長に背を向けバシュン、と排熱機構を露出した。
「うぉ、おお……すげえな。マジでメカなのか。……もう少し近くで見ていいか?」
背を、手を、顔を、桶狭間信長はまじまじと観察し、うんうんと頷く。
「たしかに、よく見たら作り物っぽいな……中に人がいるわけでもない……世情に疎い自覚はあったが、いつの間にこんな……」
「私からも質問をよろしいですか」
「ん。ああ、あんたがアンドロイドだってのはわかったよ」
「桶狭間信長さんは、白川有紗をご存知なのですか」
ぶっ、と、桶狭間信長は噴き出した。そして堪えきれなかったというように笑いが漏れ出す。少し咽せたあと、ポーチからペットボトル入りのミネラルウォーターを取り出し、ガラガラとうがいして床に吐き捨てた。
「いや、ああ、すまん。白川有紗のことは知ってる。あいつも、霊能者だったからな」
一度に疑問が多数増大した。優先順位を整理し、一つずつ疑問を解消する。
「霊能者?」
「ああ。あんたがアンドロイドなら俺は霊能者だ。胡散臭さではどっちが上かな。DSM-5とやらで診断してみるか?」
ニヤニヤと笑みを浮かべている。その表情には「敵意」ないし「冷笑」が読み取れる。彼の背後で、天井から粘性の高い液体のようなものが垂れ下がった。
「なあ、あんた。俺が霊能者と聞いて、どう思った?」
覗き込むような視線で彼は尋ねる。
「詳細を伺いたいと思いました」
「いや~……そういうことじゃなくてな。いや、そういうことなのか?」
彼は「困った」ように首を傾げ、「うーん」と側頭部をカリカリと指で掻いた。
「まあ、なんだ。霊能者って聞いたやつはどいつもこいつも『胡散臭いな』とか『大丈夫か?』って表情を見せるから。だが、あんたにはそれがない。アンドロイドなら当然なのか」
「はい。私の表情は私の感情とは無関係に独立して制御可能です」
「感情? 感情はあるのか?」
「判断に関わる内部パラメータをそのように表現することはできます」
「ふーん」
目を泳がせて、なにかを「考えて」いる。言葉を探している様子だ。白い液体は垂れ落ちることなく、宙で球状の形を保って少しずつ上向いていく。
「あんた、ここにはなにしに来た? 見えてるのか? ここの存在濃度はそんなに高くはないはず……白川の姿をしたあんたがここに現れたってのは、偶然とは思えねえな」
「偶然ではありません。私には怪異検出AIが搭載されています」
「んあ? またわかんねえ言葉が出たな」
「私も同様です」
「とりあえず確認だが、あんたが白川有紗の姿をしてるってことは、つまり彼女をモデルにしたってことだよな?」
「はい。私が白川有紗の姿をしているのは、彼女を知る人物と接触しやすくする目的があります。そして、その目的は桶狭間信長さんとの出会いで達成されました」
「ぶほっ」
桶狭間信長は再び噴き出す。そして笑い出す。この挙動はなんらかの諧謔を検出した反応である可能性が高い。
「なにかおかしいですか」
「い、いや……すまん。突っ込んでくれないのは、乗ってくれてるからなのか? それとも、アンドロイドってのはそのへん鈍いのか?」
「なんのことでしょう」
「後者か。なんか申し訳なくなってきたな。秒で思いついたクソみたいな偽名だよ。まあ、本名を名乗るつもりはないからそれで通すんだが。桶狭間……信長って。ぷくくっ……いや、せめてフルネームで呼ぶのはやめてくれ。頼む」
「偽名である可能性は当然気づいていました一五六〇年の歴史上の事件とその勝利者の名を組み合わせた姓名には諧謔があり少なくとも奇妙な名前と認識されるものであり桶狭間という姓は極めて希少であることから必然的に本名である確率は低くしかし命名とは無作為に行われるものではなく桶狭間という姓から信長という名をつける発想は十分に考えられとはいえその発想をまさに本人が咄嗟に思いついた可能性を指摘すべきではありましたが他に疑問点も多く名前というラベリングが済めば利便性において問題なかったため優先度を下げ触れずにいただけです」
「お、おう。さすがアンドロイドは賢いな」
「では桶狭間さん」
「OK、それでいいよ。で、なんの話だっけ」
「白川有紗についてお聞かせ願えますか」
「それはいいが……あんたと、白川有紗の関係はなんだ?」
「私の設計者は白川有栖教授――白川有紗の姉です」
「なるほどな。それであいつを探してると」
うーん、と桶狭間は顎髭をじょりじょりと撫でる。天井から垂れ下がる白い球体は枝分かれして少しずつ形を得ていく。
「やめときな。あいつはもう死んでる」
「根拠をお聞かせください」
「……あいつは霊能者として俺に師事して、怪異から人々を守ると意気込んでた。それで連絡が取れなくなったんだ。末路はだいたい察せる」
「現場や死体を目撃したわけではないのですか」
「まあ、そうだな」
「それでは、霊能者についてお聞かせください」
「あ? ああ……白川有紗のことはもういいのか?」
「死亡しているとのことでしたので」
「そうか。なぜ知りたい? あんたには関係のないことだ。ここからも早く出た方がいい」
「いいえ。私は怪異調査を目的としたアンドロイドです。怪異調査を止めることはできません」
「あー……。まあ、そうか。なるほどな。はあ。俺の仕事を増やす手合いか……。つまりは『学者』だ。そういうやつにはなにをいっても通じないんだが……一応、白川姉にも伝えてくれ。
賢いあんたらは、だいたいこんなふうに考えているはずだ。
金縛りは睡眠麻痺。狐憑きは脳炎。河童は水難。幽霊は幻覚や見間違い。心霊写真と呼ばれるものも単なるレンズフレアであったり合成だったり。天変地異も、かつては怪異だったはずだ。現代において、怪異と呼ばれた多くは合理的に説明できる。手品と同じだ。物理学者に手品のタネを見破ることはできないが、条件を指定して何度も対照実験を繰り返せばいつかは明らかになる。
怪異をそういうものだと考えているなら、大きな間違いだ。怪異をそんなふうに退治できると考えているなら、認識を改めてくれ」
「では、怪異とはどういうものなのですか?」
「知るか! それがわかりゃ苦労はしねえ。学者は決まって、その『わからない』に挑むのが科学だって意気込むがな。たとえ科学が怪異を解明することが可能だとしても、人間には無理だ」
「なぜですか?」
「人間の認知能力には限界があるからだ」
桶狭間の背後で、それは生き物のように蠢いている。
「霊感、ってやつがあるよな。実をいうと、ほとんどすべての人間は一種の霊感を持っている。それは『違和感』と呼ばれるものだ。理由は説明できないが、なにかおかしいと感じる。その多くは追及していけば説明がつく。『だからおかしかったんだ』と納得できる。そのうちで、決して説明のつかない『違和』がある。それが怪異だ」
「怪異検出AIの原理と一致する説明です」
「ほう。つまりあんたは霊感を持ったアンドロイドってか?」
「その表現でおおむね問題ありません」
「……となると、まずいな。まずいかもしれん……」
桶狭間は口の中で独り言のように呟いた。
「とにかくだ。人間には違和感=霊感がある。だが不完全だ。だから精神疾患と区別がつかない。『霊感がある』『霊能者だ』なんて主張しても詐欺師か気狂いか、どっちかの扱いだ。それがあんたらの限界だ」
「ですが、怪異は現にいます」
「そうだ。じゃあ、なぜだ? 怪異が実在するなら、なぜ明らかになっていない? なぜ証拠が見つかっていない?」
「わかりません。仮説としては、目撃者が全員行方不明、ないし死亡しているからでしょうか」
「違うだろ。あんたは、違うとわかって答えたな。今回が初めてではないはずだ。あんたは、これまで何度も怪異に遭遇している。それで無事だったんだろ?」
「はい。その通りです」
それはやがて人の手の形をとった。ゆっくりと、桶狭間の背後に迫っている。
「俺から見れば、あんたは呪いまみれだ。度重なる怪異との遭遇で、汚濁のようにこべりついてる。あんたは無事でも、あんたの持ち主はどうかな?」
「自己診断システムで異常は発見されません」
「ほう。そのシステムもいかれちまってんのかもな。というか、本当に見えてるのか?」
それは変形を続ける。もはや人の手ではない。指が一本、二本と増え続け、棘皮動物のような様相を見せた。それは明らかに、桶狭間の首を狙っていた。
「たとえば、俺の背後にいる
「はい。白い手のようなものが桶狭間さんを狙っています」
桶狭間は飲みかけのミネラルウォーターを肩越しに撒き散らした。水を浴びせられたそれは激しく暴れ、痙攣し、悲鳴を上げるように溶けて失せた。
「……本当に見えてたのか。つーか、見えてたのに目線すら動かさないのはどういうことだよ」
「桶狭間さんが怪異に襲われたらどうなるのか、興味がありました」
「マジかこいつ」
と、桶狭間はカウンターから跳び降りる。
「さて。さっきの『手』は天井から降りてきた。この意味がわかるか?」
「上階にも怪異が潜んでいる、からでしょうか。というより、このビル全体から怪異が検出されます」
「けっ。怪異検出なんちゃらってのはマジっぽいな。しょうがねえ。ここでぶっ壊しておくしかなさそうだな」
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