四角四面②

「……いるわけねえんだよ、そんなやつ」


 浩紀は顔を伏せながら、小さな声で腐す。

 異常存在リサーチ部には調査記録として新聞記事のスクラップがある。そのうちには、彼らが両親から聞いた「奇妙な噂」をわざわざ図書館で調べてコピーした記事も含まれている。

 それは地方紙にひっそりと掲載された小さな記事だ。

 札付きの不良として知られていた七人の少年少女がある日を境に改心し、ボランティア活動に従事するようになった。清掃活動に植樹、介護支援。あるいは、いじめの摘発など。これは一時の気まぐれではなく年単位で続いたし、今もなお社会福祉やソーシャルワーカーとして働いているものもいるという。

 なにがきっかけでそうなったのか。記事には「事故」があったと書かれている。事故で長期入院となり、己を見つめ直す時間ができたのだと。だが、当時を知るものの間では別の噂があった。

 正体不明の男が現れ、彼らをボコボコに殴ったというのだ。

 それだけで、彼らは言動を改めたという。

 もちろん、そんな事件は報道されていない。実際にあったなら傷害罪だ。しかも被害者は七人。ネットでの検索はもちろんのこと、当時の新聞も軽く調べている。だが、そんな事件はどこにもない。

 ただ、噂だけが独り歩きしている。

 その男は「四角四面の男」と呼ばれ、ある意味で都市伝説となっていた。


「くだらねえ。レッドヒーローだって?」


 そんな噂に対し、浩紀はそう吐き捨てた。


「『悪い子』を殴って改心させるってなんだよ。不良が殴られたくらいで心を入れ替えるわけないだろ。そんなやついるわけねえ」

「へえ。あんたにしては珍しいじゃん」


 と、夏目は笑みを浮かべる。


「なんでもかんでも『これって異常存在じゃね?』とか言ってたのにさ」

「……これはなんか、違うだろ」


 浩紀は唇を尖らせる。


「なんつーか、っていうか。都合がよすぎる。いたとしても、そういう不審者がいたってだけだろ。その姿からあれこれ想像を膨らませた」

「でも、二十年前にもそれらしい事件があったわけでしょ」

「二十年前にあったからだろ。それがなんで今ごろ復活するんだよ」


 信じたい気持ちはある。もしそんなのがいたらスカッとするだろう。そう思う。

 だ。そんなものを信じるのを、情けなく思う。浩紀にはそんな心があった。

 悪い子にしてると、四角四面の男がやって来る。

 子供騙しだ。ナマハゲだとか、クランプスだとか、天罰だとか、その類だ。子供を言い聞かせるために創作された妖怪。サンタクロースを信じるようなものだ。浩紀はそう考える。


「ま、もしこいつが実在するってんなら、狙われるのは間違いなく楠田の連中だろ。だったら調査もクソもねえ。楠田がぶん殴られたなら実在する。殴られないなら実在しない。それで終わりだ」

「で、あれば、楠田さんという人物を尾行すれば四角四面の男に遭遇できる可能性があるということでしょうか」


 アリサが口を開く。また突飛なことを言っている、と思った。


「それはそう、かもしれないけど……危ないんじゃねえのかな……」


 楠田は乱暴な男だ。アリサのような美人を前にすれば、なにをするのかわからない。あまり考えたくない光景だった。


「それにアレだ。他に目撃例もないんだぜ? そんな事件がホントにあったなら、もっと大騒ぎになってたはずなのによ。ということは、だ。もしかしたら、四角四面の男は『悪い子』でないと姿も見えないのかも……。だからこの件は、間接的にしか調べられねえんじゃないかな。俺ら、そんな『悪い子』じゃないし。だよな?」

「夜の学校に忍び込んで、空き家に不法侵入してるけどね。交差点にもノーブレーキで突っ込むし」

「うっ」


 浩紀はもっともらしい言い訳を並べる。

 本当は、怖いからだ。楠田という男が。もし本気で調査しようというなら彼を尾行すべきというのはそうだろう。だが、実際にいるともわからない――というよりいるはずのない存在を確かめるのに、そこまではできない。

 結局のところ、本気ではないのだ。


「噂の概要について確認したいのですが」


 アリサは改まったように挙手して話す。


「四角四面の男は、『悪い子』の前に現れる。『悪い子』を殴って改心させる。目撃例は『悪い子』にしかない。そういう存在だということでよろしいでしょうか」


 要約は正しい。浩紀も夏目も頷く。


「そうだと思うけど、それで?」

「で、あれば。私が『悪い子』になれば、私の前に四角四面の男が現れるということですね」

「まあ、そういう……?」

「有り金をすべて出してください」


 なにか、大きな飛躍があった気がする。理解が追いつかずに浩紀は硬直していた。夏目も、目を丸くしている。


「……え?」

「カツアゲをしています。有り金をすべて差し出してください」

「……なんで?」

「私が『悪い子』だからです」


 財布の中身はいくらだったろうか、と考える。二千円くらいだった気がする。意味もなくポンと差し出せる額ではない。


「どうしてもいただけないというのであれば、暴力に訴えざるを得なくなります」

「えっ? えっ? えっ?」


 そしてアリサは、右手で浩紀を、左手で夏目の胸ぐらを掴む。

 そして、持ち上げる。腰が浮き、無理やり椅子から立ち上がらされ、やがて爪先立ちに。あいかわらず、とんでもない力だった。両手で手首を掴んで抵抗するが、まるで物ともしていない。


「ちょ、ちょっと……アリサちゃん?」

「な、なにしてんのあんた……頭おかしいの!?」

「有り金をすべて出してください」


 本気だ。アリサの表情はまるで揺らぐことはない。綺麗な顔のまま真っ直ぐに見つめ、微塵の戯けもない。力の差も歴然としていることは、すでに理解させられている。


「いや、その、アリサちゃん? こんなことして、こんなことしても……」


 なんだというのか。

 状況を理解しようと、頭を回す。

 アリサは異様なまでに「調査」に積極的だった。次は「四角四面の男」を対象にしようというのだろう。「四角四面の男」は「悪い子」の前に現れる。他に目撃情報もない。であれば、調査のためには「悪い子」にならなければならない。カツアゲして金を巻き上げれば、間違いなく「悪い子」だ。これで調査ができる。

 筋は通る、気がする。理屈はわかる、気がする。

 ――だからといって、ここまで本気で?

 彼女の目を見る。まるで揺らぎがない。その瞳は冷たく、底なしに深い。金が欲しいわけでもない。嗜虐の悦びがあるわけでもない。ただ「悪い子」になるために悪事を働く。そんな人間が、本当にあり得るのだろうか。


「わ、わかった。わかったから……。払う、払うよ」


 降参する。するしかない。彼女は強情だ。


「ゲホッ、ゲホッ……」


 息を整え、バッグから財布を取り出す。夏目にも目配せをする。小銭も合わせて2101円。手痛い出費だ。夏目の方が少し多い。2820円だ。これらをすべて机の上に並べた。


「その、これ……調査のためなんだよな?」

「はい」

「だったら、……終わったら、返してもらえるわけ?」

「どうでしょう。私は『悪い子』ですから」


 机の上にまとまった金銭を、アリサは自分の鞄に詰め込んだ。


「ご協力ありがとうございました。ちなみに私は『悪い子』ですので、この感謝の言葉には高度で悪意ある皮肉が込められているとお考え下さい」


 そして彼女は戸を乱暴に閉め、足早に部室を去っていった。

 残された二人は、突っ立ったまま茫然としていた。


「……なんなの」

「か、カツアゲ……された……」


 互いに互いの顔を見合わせることすらできない。突発的な嵐が急に現れて急に去っていったかのようだった。へなへなと力なく、それぞれパイプ椅子に腰を落とす。そのとき。

 ドタドタドタ! と、慌ただしく廊下を走る音がすごい速度で近づいてくる。


「いやホント、本当にすまない!」


 ガラガラガラ! と、勢いよく戸を開いて現れたのは、見知らぬ大柄の男だった。よほど急いでいたのか、汗まみれで息を切らしている。


「えっと、ああ、僕はその、アリサっているだろ? あの、あいつの保護者みたいなものっていうか。だから本当にすまない! これはお詫び!」


 と言って、財布から一万円札を二枚取り出し、それぞれを二人に手渡す。手渡そうとした。

 浩紀も夏目も、状況にまるでついていけない。ポカンとしたまま動けない。


「あー、つまりだ。うちのアリサにカツアゲされたろ? だからこれは、お詫びというか補償というか。とにかく受け取ってくれ。頼む!」


 なぜ知ってるのかとか、いくらなんでも早すぎるとか、そもそも誰? 保護者? 父親だと若すぎる? 兄? とか、疑問が脳内を駆け巡るばかりで言葉が出ない。首から入校許可証を下げていたので、不審者がいきなり不法侵入してきたのではない、はずだ。生まれて初めて地震を体験したと思ったら、加えて間髪入れずに余震がやってきたようなものだ。それでもなにか、とにかく一言でも話さねば前に進まないと、浩紀はそう思った。


「その、お気になさらず……?」

「そういうわけにはいかないんだよ……とにかく受け取って! 剥き出しで悪いけどさ! あ、それとも一万じゃ足りない? 考えてみりゃそうだな、えーっと手持ちは……」

「あ、いえ! その、受け取ります! 受け取りますから!」


 カツアゲされるよりも、強引にお金を渡される方が怖い。逆らうことのできない圧があった。疑問符が氾濫したまま渋々受け取る。彼は一息ついて、ようやく落ち着いたようだった。


「ありがとう。こちらとしてもこの事態はさすがに予想外というか、いや想定して然るべきだったな……。アリサの方は新島が向かってるから……っても、多分どうにもならないだろうけど。重ね重ね、本当に申し訳ない」


 男はひたすらに頭を下げて平謝りだ。まるで見たように事情を知っているのは、盗聴でもしていたのだろうか。だとすると、あまりの過保護っぷりに怖くなる。


「あ、自己紹介が遅れたね。冷静に考えたら、見知らぬ大人が急に現れてわけわかんないか。ホントごめん。僕は青木大輔。アリサの関係者というかなんというか。とにかく代わりに謝らせてくれ。奪われた金の方も、後で別途取り返すよ」

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