四角四面③

「――と、いうのがこちらで調べた内容だ」


 突然現れた青木という男もまた「四角四面の男」について調べており、その内容を浩紀らに語って聞かせた。これもお詫びだという。

 その内容は、二十年前に四角四面の男に殴られ改心したという不良のインタビューだ。彼らはその存在と事件を認め、一様に感謝しているのだという。その話は聞けば聞くほど、不気味に思えた。


「なんなんですか、その。ボコボコに殴られてるのに、感謝って」

「さあね。殴られた彼らはようだったという。殴ることで本当に心を入れ替えてしまったのかもしれないな」


 そんな都合のいい存在がいるはずがない。浩紀はそう考えていた。

 だが、つまるところもまたバイアスなのだ。現実は、人間の心情などとは無関係に横たわっている。大人による本気の調査はそのことを浮き彫りにする。


「気になるのは、彼らの話とは別に元から噂はあったらしいことだ。いったい噂の発信源はどこなのか……。君たちも姿については聞いたことあったろ?」

「はい。でも、全身赤タイツの不審者ってだけで」

「えっと、話を聞いて想像図を描いてみたけど……こんなの?」


 夏目は紙に描いた絵を見せた。

 白い正方形の頭部に、身体は筋肉が逞しく真っ赤の全身タイツを着ている。

 いかにも不審者だ。道端で出会ったなら、さぞ怖ろしいだろう。


「すげえどうでもいい疑問なんだけどさ……これって、前見えなくないか?」

「ホントは覗き穴でも開いてるのかな。それでも視野は狭いと思うけど」

「へえ。上手いものだね。たしかに、こうして図にしてみると疑問点も出てきてイメージしやすいな。なぜこんな姿をしているのか……」

「あ、ども。ありがとうございます……」


 夏目は顔を赤くして伏せる。

 そして青木の言うよう、想像図を目にしたことで実在についてはまた疑惑へと傾きはじめた。


「青木さん。いるんですか、四角四面の男は。本当に」

「……なんとも言えない。僕たちはこれまで、こういうわけのわからない存在と対峙してきた。僕としてはまだ疑わしいけど、アリサは君たちをカツアゲしてまで『悪い子』になって、ここを出て行った。少なくとも彼女は『いる』と考えているはずだ」


 いきなり現れて一万円を渡してきたときには驚いたが、話してみると話せる。素性こそよくわからないが、いい人なのかも知れない。ただ、以前TVで見た「サイコパスは表面上は社交的で魅力的に見える」という話がなぜか頭をよぎった。


「先輩! ダメです、アリサちゃん行っちゃいました」


 ガラガラ、と戸が開かれ、また見知らぬ女性が現れる。青木を「先輩」と呼んでいる。彼女も「アリサの関係者」なのだろうか。それぞれの関係がわからない。なにか面倒なことに巻き込まれている気がしてならなかった。


「まあ、そうだろうとは思ったよ。今どこ?」

「……どこでしょう?」

「こっちに来ないでワゴン車で監視してればよかっただろ」


 入校許可証こそ下げているものの、二人の姿は中学校で浮いていた。彼らも居心地が悪いと感じたのか、すぐに出ていくことにしたらしい。


「僕はこれからアリサを追う。君たちも来るかい?」


 ***


 大変なことになった、と青木は思った。

 というより、この事態は予想できて然るべきだった。「四角四面の男」の特性をアリサが知ればどのような行動に出るか、予想できるはずだった。

 それ以前に、人間のふりをして中学校に生徒として潜入させることがそもそも問題だ。手続きなど具体的にどうやってクリアしたのかは知らないが、教授だけでなく網谷氏の協力もあるらしいというのが判断を曇らせていた。会ったこともないのに勝手にまともな人物だと思い込んでいたが、今となっては疑わしい。


(まずいな。少し慌てすぎた)


 背後からついてくる二人の中学生を見やる。勢いで誤魔化しきれたのか、誤魔化しきれなかったのか。二人の表情には未だに怪訝な色が混ざる。ダメそうだ。


(アリサがアンドロイドだと正直に話すべきか? いや、しかし)


 それはそれでショックを与えてしまうかもしれない。純情な少年の心をどう扱うかは難しい問題だ。


『アリサちゃん、やっぱ通学路に出てますね。えっと、ドラッグストアの裏?』


 新島はワゴン車に戻ってアリサの視覚をモニターしている。青木も、位置だけなら手元のスマホで地図アプリ上に表示させて把握している。アリサが本気で逃げるつもりなら通信は遮断するはずなので、どうやら彼女にとってその意識はないらしい。


 ――四角四面の男は実在するのか?

 情報をインプットするたびにアリサの怪異検出AIは数値を上昇させてきた。その数値を信じるなら、実在するのだろう。「緑の家」も結局はだった。怪異検出AIは信頼してよい。

 だが、だからといって出会えるのか?

 四角四面の男が「悪い子」の前に現れるというなら、なんらかの方法で「悪い子」であることを判別しなければならない。その方法は、合理的に考えるなら「噂」だ。つい先ほど「悪い子」になったばかりのアリサでは該当し得ない。


(いや、待て。まさか……!?)


 最悪の可能性が頭をよぎる。まだ考えが足りなかった。

 てっきり、アリサは「悪い子」の条件を満たしたのだから四角四面の男に会いに行こうとしているのだと考えた。実際、動きを見るに今はそのつもりなのかもしれない。だが、もしそれで会えないのであれば、アリサは「悪い子」になろうとするのではないか。


(そうなれば、さすがに緊急停止か……!)


 緊急停止とは、物理的破壊を意味する。

 アリサの独立性は高度に保証されており、誰の命令も受けつけることはない。


「急ごう」


 日が沈もうとしている。

 四角四面の男は夕暮れの通学路に現れる、とされている。アリサはすぐに見つかった。月代中学校から徒歩十分も離れていない狭い路地に彼女はいた。

 だが、そこにいたのは彼女だけではない。彼女が動かずにいるのは、目当てのものを見つけたからだ。


 肉が肉を打つ音。

 地平線に差し掛かる低い位置にある夕陽が、完全な逆光となってその姿を隠す。

 力のない嗚咽。

 振り上げられた拳。

 赤いシルエットは夕陽に溶け込んでいる。

 真っ白で真四角な頭部。

 三人の中学生が路上に仰向けで倒れている。

 それはゆっくりと立ち上がった。


 ――四角四面の男。


 漲るような筋肉にナイロン製の全身タイツが張りついている。夕陽に照らされ光沢を帯びて赤く輝いている。その肉体は想像より遥かに太く、大きく、筋肉の塊が山岳のように隆起していた。

 頭は、本当に豆腐のようだ。被り物ではない。プルプルと揺れている。

 冗談のような存在が、地に足をつけて、立っている。

 目の前にすることでわかる、異様な雰囲気。それは人間の形をしただ。理屈もなく、感情もなく、ただその形として在る。自然災害の具象。

 あるいは、そのような存在は「神」と呼ばれるのかも知れない。

 息を呑む。

 男の前には、彼が殴り倒したであろう三人の姿。顔面がぐしゃぐちゃに潰れ、息も絶え絶えで、打ち上げられた魚のようにピクピクしている。神々しさすら感じられる男の足元に、凄惨な暴力の現場が転がっている。


(そうだ、僕も)


 ――「悪い子」だった。

 その男に感じる得も言われぬ畏敬の念は、おそらくそのためだ。

 ちょうど中学生のころ、叔父のもとで悪事に手を染めてきた。その記憶がまざまざと蘇る。


?)


 自分は四角四面の男の標的ではないと、なんの根拠もなく考えていた。

 だが、いま目の前にその男がいる。

 ――四角四面の男は、「悪い子」の前に現れる。

 彼が現れたということは、「悪い子」だからではないのか。

 震える手でスマホを操作する。警察。救急車。呼ばなければ。

 理性ではそう判断できた。だが。

 目が離せなかった。手が止まった。

 アリサが、男に迫っていたからだ。


「私も、『悪い子』ですよ」


 アリサは怯まない。

 アリサに「恐怖」はないからだ。


 男は拳を握り、そして。

 145cmの女児に向けて容赦なく打ち下ろす。

 90kgの重量と金属骨格を打つ、けたたましい音が響いた。目を覆いたくなるような火花を幻視する。アリサはその大きな拳を額で受けていた。ポイントをずらして威力を殺したのがわかった。

 アリサは、男の手首を掴む。すかさず強かに脇腹を打つ。

 その動きは、人間が歴史上初めて目にするものだった。


 人体は無数のパーツが複雑に組み合ってできている。歩く、走る、座る、蹴る、掴む、投げる、食べる、泳ぐ、書く、読む――多くの日常動作を誰もがほとんど無意識に行える一方、その本領を完全に発揮できているわけではない。スポーツ、体操、大道芸、ダンス、武術。身体操作を極めたものたちの動きは同種の人間を驚かせる。


 囲碁や将棋もまた、基本的なルールさえ覚えれば誰でも遊ぶことはできる。だが、プロと素人の間には雲泥の差があり、何千年もの歴史の蓄積がある。それでいてなお、研究に終わりはない。

 いつしか、その歴史にAIが参入するようになった。アルファゼロは人間の棋譜を一切参考にすることなく、基本的なルールだけを覚え、自分自身と対戦し続けることで人間にはないまったく新しい戦法を開拓した。

 同様に、身体を伴うAI――すなわちアンドロイドであれば、人間の技術体系とはまったく無関係な新しい身体操作法を生み出すことがあり得る。


 人体には、多くの未知が残されている。206個の骨、640個の筋肉――そのパズルのように複雑な組み合わせによって、なにができるのか。囲碁の定石のように多くの理論が体系化されてきた。だが、それらは本当に合理的なものなのか。人間を模したアンドロイドの製造には、その構成論的研究という意義が含まれる。


 すなわち。

 アリサは、アンドロイド流武術を扱える。


「すげえ……」


 感嘆を漏らすのは浩紀だ。見た目は中学生か小学生の少女が、体格のいい大人の男を圧倒している。その光景を前にしたのだ。


「やっぱり、アリサちゃんって――」


 このありさまを目にしては、さすがにバレただろう。ウォズニアックテストもここで終わりか、と青木はため息をつく。


「そう。アリサは」

「武術の達人!?」


 浩紀は少年のように目を輝かせる。否、事実として少年である。


「ただ力が強いんだと思ってたんだけど、そうじゃないんだ……。なんか秘伝の、闇に隠された――あ、青木さんってもしかしてアリサちゃんの師範?!」


 もちろんまったく異なるのだが、妙に否定しづらい空気があった。

 浩紀という少年はやや大人びて見えていたが、やはり子供なのかもしれない。


 夕暮れを背景に、怪異とアンドロイドが殴り合っていた。

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