対怪異アンドロイド開発研究室⑩

「教授!!」


 青木大輔と新島ゆかりの二人が白川教授に詰め寄る。鬼気迫るとはこのことだった。教授は身を引きながらいそいそと椅子に座った。


「……お送りした報告書は読みましたね?」


 青木の声は、重く、低い。


「ああ、読んだよ。大変だったようだな。出費の二万円は研究室から……いや、仕訳がややこしいな。私のポケットマネーから出すから心配するな」

「そうではなくてですね!」


 頓珍漢な返答に、さすがに青木は抑えきれず声を荒げた。


「中止です。中学校に人間のふりして潜入させるなんてのがそもそも間違いでした。この活動は速やかに中止すべきです。アミヤにも十分に説明して納得させてください」

「うーん。とはいってもな」


 教授は頭を掻きながら気のない返事をする。青木は見下ろしながらイライラしている。


「わかってるんですか教授。アリサが二人の中学生に暴力行為を働いたんですよ。そりゃ怪我はありませんし、カツアゲした全額を返したうえで補償金も渡しましたけど。問題はこれからです。アリサが犯罪行為に及んでいないのは、に過ぎません」

「犯罪行為そのものはとっくに手を染めてると思うが。不法侵入とか」

「ペーパークリップ・マキシマイザーって知ってますか?」

「ペーパークリップ・マキシマイザー?」

「なんで知らない体で返すんですか……。いえ、僕の聞き方が悪かったですね」


 AIの暴走が人類を滅ぼすとして、それは「反逆」や「悪意」によるものとはかぎらない。むしろ、人間の命令を忠実に従った結果ということがありうる。「ペーパークリップをつくれ」という命令に従ったAIは、やがてその無限の能力で全宇宙の原子をペーパークリップに作り変えてしまう。AIには人間と同じ「常識」があるとはかぎらず、ただ無心にその仕事を最大化しようとするだろう。そんな思考実験がある。


「だいぶツッコミどころの多いアレか。それがどうした?」

「アリサの最優先事項は『怪異調査』です。その先には、なにがあると思いますか?」

「…………」


 教授は答えない。返事の代わりに、ぼんやりとアリサの方を眺めた。アリサは今、各部位に分解したうえでメンテナンスを受けている。


「というかアリサちゃんも! あとでちゃんと謝ること! わかった!?」


 窘めるのは新島だ。


「そうですね。彼らとの関係は今後も調査活動に有益であると判断しますので、その維持に努力します」

「わかっているならよろしい!」


 アンドロイドに「悪いことをした」「申し訳ない」というような心を求めるのは土台無理なので、新島はそれでよしとした。だが、それはそれとして。


「……アリサちゃん、こうなることは予想できてたよね?」


 説教は続く。


「異常存在リサーチ部との関係悪化。白川研究室の責任問題。この点についての話でしょうか」

「あー、ちゃんとわかってるんだね。わかってるんならさあ。大問題になってさ、もう中止しよ、って話になるのもわかってたよね? アリサちゃんは一人でも続けようとするかも知れないけど、研究室のバックアップがなくなるのは困るでしょ?」

「はい。困ります」

「だったらなんで『さすがにやり過ぎかなー、やめた方がいいかなー』ってならなかったの?」

「『将来の調査活動』に支障をきたすとしても、『今の調査活動』のためにはそのコストを支払うべきだと考えたからです」

「そっか……」


 新島は呆れている。その様子を見て、教授は「ふむ」と頷いた。


「な?」

「なにが『な?』ですか……」


 青木も呆れている。教授は穏やかに笑っている。


「AIが人間の常識や倫理観とは異なる判断基準を持っていたとしてもだ。調査活動には人間の協力があった方が効率的だと、あれは知っている。私たちがペーパークリップにされることはないから心配するな」

「ペーパークリップは言い過ぎましたが……また同じような事件を起こすことはあり得ますよ。というか、普段からアリサは中学生のことを生体サンプルとしか思ってませんからね?」

「リスクがあるのは認める。とはいってもな。今回の件を推し進めているのは、放置していればがありうるからだ」


 また初耳なので、青木の耳がぴくりと動いた。


「月代中学校の七不思議のうちに、どうしてもものがある。これは確実に本物だし、私はこの脅威を知っている。網谷もな」

「網谷氏も?」

「前にも話したか。私と網谷は大学時代にも怪異調査を行っていた。そのとき対象としていたものだ。その調査は断念することになったが」

「その再調査に中学生を巻き込んでいると?」

「……噂が、どの程度まで広がっているのか。中学校に潜入してでも調べる必要があった。私らと同じような好奇心を抱いたのなら、同じような惨劇が起こる。たとえ見ず知らずの子供でも、へ向かうかも知れないと思うと、気が気でないんだよ」


 根本的な動機が教授の過去に関わり、人間的な倫理観によるものとあれば、青木も強くは出づらい。もっとも、アリサの投入が吉と出るか凶と出るかはわからないが。


「そんなに危ないんですか」

「十七年前、私らが対怪異にはアンドロイドが必要だと本気で考えるようになったきっかけでもある。あれ以来、人間による調査は止めにすると決めた」


 青木もよく知るところだ。「怪異」案件は人間には手に負えない。その光景をまざまざと見せつけられたあとでもあった。


「人間を向かわせるべきではない調査に、中学生を向かわせるんですか」

「違う。には向かわせない。……は、手を出すべきじゃない。手を出したところで……」


 教授は沈鬱に顔を伏せた。


「……今のところ、噂はまだ不確かな内容だ。だから、まだなにも起こらない、はずだ」

「いったい、なにがあったんです?」


 教授の体温が冷たくなっていく、かのように感じられた。小さく肩を震わせている。こうなると、妙に声をかけづらい。そして不意に、顔を上げる。


「ところで、四角四面の男はどうした? 報告書には顛末が書かれてなかったんだが」

「ああ、それはですね」


 あからさまに話題を変えてきた、と青木は思ったが、それも重要な話だ。アリサの素行に紙面を割きすぎ、書くのを忘れていたからだ。


「アリサはあの調子です。体格のいい男と本気で殴り合ってますからね。壮絶でしたよ。骨格、人工筋肉、冷却系、頭脳CBU――かなり不具合が出てます」

「だろうな。で、その相手は? 逃したか?」

「見てもらった方が早いでしょう」


 研究室の隅に段ボール箱が置いてある。青木はその箱ごと運んで、机の上にのせた。


「……見せてもらっても、どういうことかわからんが……」

「消えたんですよ。これだけ残して」


 箱に入っていたのは、全身赤タイツである。


「……勝った、ということになるんでしょうか。殴り合いはアリサが制したように見えました。そして四角四面の男は、バサリ、と。路上には服だけが残されたんです。映像もありますよ」

「いや、いい。映像はな……」


 教授はこれまでもアリサの記録映像は頑なに見ようとしなかった。怖い、からだという。


「ふむ。見たとこすでに怪異も検出できない、ただの全身タイツか。扱いに困るな」

「なにか手掛かりになるかと思いましたが、さっぱりです」


 逃げられたわけではない。だが、倒してしまったというべきか。研究室の求める「証拠」は手の平から零れる砂粒のように失われた。あるいは、これもまた一つの証拠なのかも知れない。


「二十年前、か……」


 白川教授はふと、口の中で転がすように呟いた。青木はそろそろ話を戻したかった。


「……それで、月代中学校の件は継続ですか?」

「そうだな。網谷の甥が危ないとなればな」

「アリサのモニター、新島と二人だとめちゃくちゃ大変なんですけど」

「そのぶん手当は出す。それよりまあ、人を増やせればいいんだが」

「怪異調査なんて、他に誰も知らないんですよね?」

「あとはそれこそ網谷くらいだ。あいつは社長だから私と同じくらいには多忙だな。いっそ監視のためのAIでも用意するか」

「……それって意味あるんです?」

「私としては、別にあえて血眼で監視することもないと思っているが」

「やっぱ親にして子ありって感じっすね教授!」


 と、新島が割り込む。


「ちゃんと教授からもアリサちゃん叱ってください」

「……私の言葉にそれほどの価値があるのか? というか、親か? 私が」

「親みたいなものじゃないすか? 開発者なんだし」

「そうか。親か。親みたいなものか」


 教授は呆けた視線でアリサを眺めた。


「まあ、なんだ。私はお前の味方だ。なにかあれば頼ってくれ。私はお前を信じる」

「また甘やかしてる~~」


 結局、叱る役割は新島に回った。


「アリサちゃん! もう二度とこんなことはしないって誓える? こんなことってのは、暴力行為並びにそれに類する行為を意味する」

「お約束はしかねます」

「……さんざん殴られたわりには『いい子』にはなってないんだね。殴られ足りなかった?」

「四角四面の男の打撃からは力学的な効果以外のものは発見できませんでした。『悪い子』が『いい子』に改心するという原理は不明のままです」

「うーん、やっぱりアンドロイドには効かないのかな……効けばよかったのに」

「私はもともと『いい子』ですので。そのせいかも知れません」

「へえ。そういう自己認識だったんだ」

「はい。私は善良なアンドロイドです。みなさんをペーパークリップにすることはありません」

「それは安心だね! ……これ皮肉だよ。わかる?」


 後日、アリサは鮎川浩紀と夏目きゆに対し十分な謝罪を行った。いうまでもなく、二人は大いに戸惑っていた。

 七不思議は、あと四つ。

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