燦々惨願

 中学校に潜入して行える調査活動はさまざまだ。


「七不思議? あー、夜の鏡とか、トイレの神様とか? あんま信じてないけど。え? 七不思議なのそれ?」


 主となるのは、やはり聞き込みである。生徒、または教師に対し無差別にインタビューを行い情報を収集している。「噂」は大きく広がっているが、核心に迫る成果はなかなか得られない。


「知ってる? 四角四面の男に楠田がボコられたって」

「それって緑の家となんか関係してたりする?」


 あるいは、噂話に耳をそばだてるだけでもよい。アリサはカクテルパーティ効果のように認知リソースを集中させる能力も持つが、それはそれとして聞こえる音すべてを録音可能である。


 また、文字媒体も調査対象になり得る。

 その日、アリサは図書室にいた。五十冊ほどの本を積み上げ、順々に読み漁っている。そのさまは、まるで本に挟まれたヘソクリでも探すように、パラパラとめくっているだけに見える。アリサの文字認識能力でなら、そのような作業で全ページの走査が可能だ。そうしてISBNから一般に流通する本と内容を比較し、差分を検出する。

 月代中学校にのみ現れる「異常」を調べるためだ。蔵書数は約八千冊、すべてを対象としても一ヶ月も通えば達成できるとアリサは計算していた。

 今のところ、単なる版の違いや落丁としての誤差しか見つかっていない。背表紙を眺めることで検出できる怪異もなかった。成果は乏しいが、アンドロイドには「焦る」という機能がない。


「あ、あの」


 その作業中、ふと背後から少女に声をかけられる。およそ八分前から周囲をうろうろしていて、声をかけるタイミングを伺っているらしい挙動は確認していた。

 アリサはすでに月代中学校の全生徒のデータをインプットしている。クラスは異なるが、彼女の顔と名前ならすでに知っていた。

 東雲しののめ芽衣子めいこ。身長140cm。推定体重35kg。二年三組。髪型は黒髪ロングストレート。丸眼鏡をかけている。図書委員を務めているという情報もあった。


「えっと、その……白川さん、ですよね? あの、話があって……」

「アリサとお呼びください」

「え?」

「私のことはアリサとお呼びいただけると助かります」

「し、下の名前で? あ、なにか事情が……それなら、アリサさん」

「なんでしょう」

「異常存在リサーチ部、っていうのに入ってる、のだと聞いてます。それで、いろいろ調べてる……」

「今もその作業中です」


 話を聞きながらも、アリサは本をパラパラとめくっていた。しかし「興味関心」に再計算がなされ、彼女の話を「聞く姿勢」を見せた方が有益になりうると判断し、手を止めた。そして、彼女の顔をじっと見つめる。


「異常存在に関する話ですか?」


 高度な推論能力に基づく質問であった。


「あ、はい。そうです。あの、変な話なので、笑っちゃうかも知れないんですけど、聞いてくれますか?」

「お聞かせください」


 異常存在リサーチ部での活動にはこのような効用もある。アリサの調査計画はここまでの「先」を見越していたのだ。


「……この前、図書室で本を借りて、読んでたんです。怪談の本で、私そういうの好きで……。そしたら、変な紙切れが挟まっていたんです」


 東雲芽衣子は語りはじめる。


「そこには、『トイレの儀式』について書いてあって……」


 すなわち、「願い事を叶えてくれるトイレの神様がいる」。そのような噂がある。

 そのためにはなんらかの儀式が必要であるらしいが、その詳細な内容が不明であったため調査が滞っていた。彼女が見つけた紙切れには、その儀式の内容が記されていたというのだ。

 その内容は以下の通り。

 まず、三時に三階女子トイレの一つ目の個室に入る。

 三分ほど入って出ると、空室だったはずの三番目の扉が閉まっている。

(このとき、他に誰もトイレにいないことが条件になる。いた場合はやり直し)

 そこに三回ノックして「私です。〇〇(自分の名前)です」と名乗る。

 すると、個室側から激しいノックが三回返され、三週間以内に願い事が三つ叶う。


「……これ、やろうと思えばそんなに難しくないなって、そう思っちゃって……その」

「試したのですね?」

「はい。試して、みちゃいました……。三時に、トイレに入って。他に誰もいないなってのは、ちゃんと確認しました。足音もしなかったし、入ってきた人はいないと思います。三分待ってる間も、なにやってるんだろ、とは思ったんですが。でも、閉まってたんです。三つ目の扉が。絶対に、誰もいなかったはずなのに」


 彼女は、すぅーっと息を吸って、吐いて、呼吸を整えた。


「扉に対して、ノックするくらいは、普通のこと……だから、試しました。三回、ノックして。返事はありません。次、自己紹介は、さすがに変だなって、誰か入ってたら、変だと思われるなって、そのときになって気づいたんですけど……。だから、すごく小さな声で、呟きました。そしたら」


 ドンドンドン! 怒りの込められたような大きなノックの返事に、彼女は慌てて逃げた。本当は誰が入っていたのか、確かめる余裕はなかったという。


「自分で話してて思ったんですけど、これだけだと別に怪談でもなんでもないですよね……あはは」

「興味深いお話です。ところで三時というのは、午前ですか? 午後ですか?」

「え、あ、午後です。放課後の」

「試した日はいつですか? 願い事は叶ったのでしょうか?」

「えっと、それが難しいんですけど……この儀式って、自分では願い事を選べないらしいんです……。へ、変ですよね。だから、ハッキリとは言えないんですけど」


 と、東雲芽衣子は気恥ずかしそうに顔を伏せる。そして、チラチラとアリサの顔色を窺う挙動を見せた。彼女は自分で自分の話を信じ切れてはいないようだ。


「試してみたのは、二週間前……そろそろ三週間かな? それで、多分、叶っちゃったみたいなんです……」

「お聞かせください」

「それが、その……意地悪で、嫌だなあって思ってた先生がいたんです。それが、急に転勤になっちゃったみたいで……。おかしいですよね、こんなタイミングで」


 アリサも把握している。一人の国語教師が月代中学校を去っているが、詳しい事情までは不明だ。なにか不祥事を起こしたらしいという噂はある。一週間前の出来事である。


「ぐ、偶然なのかなって、最初は思ってたんですけど」

「東雲芽衣子さんは、そのような願いを抱いていたのですか?」

「そう、ですね……。実際、ちょっとホッとしちゃいました」

「他にも似た事例があったんですね?」

「はい。あの、楠田くんっていますよね。悪い噂も多くて、不良みたいな……。そもそも学年も違うし、私のこと知りもしないと思うんですけど、私の方はたまに見かけるだけでビクビクしちゃって。苦手だったんですけど。……知ってますよね?」


 楠田久美彦を含む三人の少年は路上で四角四面の男に襲われ、全治一か月の診断が下されている。ニ週間前の出来事である。


「楠田くんとその友達が、突然不審者に襲われて殴られたんだって……今もまだ、入院してるんですよね?」

「それが、あなたの願いが叶った結果だということでしょうか」

「あ、いえ、やっぱり……考えすぎだと思いますよね? 本当に、たまたまというか……同じように考えてた人も、多そうっていうか……」

「その二つが、あなたにとって最も強い願いだったのですか?」

「そ、そんなことは、ないと思います……。でも、やっぱり、叶ったらいいなって、ぼんやりは考えていました。他にも、いろいろあったんですけど」

「具体的にはどのようなものでしょう? 参考までにお聞かせください」

「え?! あ、本当に大したことじゃなくて、お小遣いが増えたらいいなとか、図書室に本が増えてくれないかなとか、そんなのですけど……」

「それで、三つ目の願いは叶いましたか?」

「その、それがまだで、だから、怖いんです……」


 か細く消え入りそうな声だった。彼女は上目遣いで、不安そうにアリサの顔を見つめ口篭っている。こういった場合は、笑顔を見せることで不安を取り除き、話を促すことができるはずだ。


「にこー」

「え?! え、……ええ!?」

「スン……」

「も、戻った……」


 東雲芽衣子は顔を上げた。予測通り、たしかな効果が見られる。アリサは万能であり、人身掌握術や話術にも長ける。


「願い事が叶うっていっても、こんなことになるなんて思ってなくて……。いえ、これは嘘ですよね。こうなるかも、ということは少しだけ頭にありました。だから叶っているんです。つまりそれって、私のせいで先生になにかあって、楠田くんが酷い目に遭ったって、そういうことですよね? だとしたら、三つ目の願いでも同じようなことが起こるんじゃないかって……そう考えると、不安で」


 彼女はまた顔を伏せはじめた。


「た、たとえばですよ。お母さんと喧嘩しちゃって、死んじゃえなんて、ほんの少しでも願ってしまったら……。そう考えると、怖いんです……。先生のことも、楠田くんのことも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだったらいいなって、思ってただけなんです。だったら、どんな些細な願いだって心の奥底から拾い上げて、叶えられてしまうかも知れないわけじゃないですか……!」


 東雲芽衣子は震えている。事態については半信半疑だが、恐怖は本物のようだ。


「すみません、こんな話聞かされたって、どうしたらいいかわかんないですよね。私も、話すだけ話して、どうして欲しいかっていうのも、あまり考えてませんでした。三つ目の願い事がなんになるかもわからないし、そもそも本当に」

「その儀式を私も実行してみます」

「え?」


 東雲芽衣子は顔を上げた。


「私も同じ儀式を行うことで再現性を検証しましょう。私の願いは『怪異調査』です。どのような結果がもたらされるのか、非常に興味があります」

「え? ええ……? その、信じてくれるんですか?」

「東雲芽衣子さんの話からは多くの有意な数値が検出されました。また、叶う願いが予測可能なものであるかを検証するため他にも考えられる願いをリストアップいただけるでしょうか。『お小遣いが増えて欲しい』『図書室に本が増えて欲しい』――他にもありますか?」

「あ、はい。その、すぐには思いつかないんですけど……」


 東雲芽衣子は「困惑」を見せている。現在は午後四時。試すといっても、試せるわけではない。


「異常存在リサーチ部に向かいましょう。彼らの協力は有益に働くことが期待できます。東雲芽衣子さんも歓迎されるはずですよ」

「あ、ありがとうございます。こんな、真剣に考えてもらえるなんて……」


 図書室を去るにあたって書棚から取り出した本を元の位置に戻す。善良なアンドロイドとしてふさわしい振る舞いである。無関係であるはずの東雲芽衣子もその作業をなぜか手伝い、そのときふと、なにかに気づいたように手を止めた。


「あれ? そういえば私、ちゃんと自己紹介ってしてましたっけ……?」

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