燦々惨願②
「そりゃ悪趣味なやつだな。願い事を選べねーとは」
異常存在リサーチ部にて、東雲芽衣子より一通り話を聞いた鮎川浩紀はそう感想を漏らした。
「そういうの、俺だったらつい『願い事をあと五つくらい増やして』とかやっちゃいそうなんだけど。それも封じられてるわけだろ。この手の話ってやっぱアレ思い出すよな。なんだっけ、願いは叶えてくれるんだけど悪辣な方法で叶えるみたいな話」
「『猿の手』……でしょうか」
「そうそう。多分それ!」
「はい、私もそれを連想して……」
『猿の手』はW・W・ジェイコブによるホラー短編小説だ。この作品では三つの願いを叶える「猿の手のミイラ」が登場し、主人公夫妻は借金返済のため「二百ポンドが欲しい」と願うが、それは息子の事故死に対する補償金という形で実現する。このように、猿の手は「偶然としか考えられない」形で願いを叶えるという。
「……ぶっちゃけ、東雲さんの話を聞いて、あたしは偶然でしょ? としか思えなかったんだけど。すでにあるわけね、そういう話が」
「は、はい。私もずっと、ただの偶然かも知れないから、関係ないって、自分に言い聞かせてきたんですけど……」
「でも、やっぱり偶然じゃないかな。三週間もあれば、偶然にも自分の願いが叶った、みたいな出来事ってそれなりに起こるんじゃない? バーナム効果とかいうんだっけ?」
「で、では……皆さんは、ありますか? そういうの」
「アリサちゃんがここに来た」
鮎川浩紀が元気よく答える。
「それがだいたい三週間前? あとは……そうか、それこそ楠田のやろうがボコボコにされたのは俺の願いが叶ったことにもなるな。東雲さんがこうして訪ねてきたのも、もしかしたら……って思うぜ。これで三つだ」
彼は得意満面の笑みだった。
「ほら、このくらいのバカでも簡単に思いつくもんなのよ。東雲さんも思い出そうとしたら他にも叶っちゃってる願い、もう一つか二つくらいあるんじゃない?」
「でも、あの先生が急に転勤なんて……」
「
「たしかに変だし、理由もわかんないけど……」
「じゃあ、誰も入ってきてないはずなのに三番目のトイレが閉まってて、激しいノックの返事があった――ってのも偶然か?」
「それはさすがにちょっと仕込みを疑うけど。それなら、その紙切れってのを誰が挟んだかっていう問題もあるんじゃない?」
それを聞くと、東雲芽衣子はいそいそとバッグを漁り、クリアファイルを取り出した。
「あ、持ち歩いてるんだ……これがその?」
メモ帳の一枚を切り取って、ボールペンで文章が書かれている。東雲芽衣子が説明した通りの内容だ。アリサは筆跡を識別する。
「70%の確率で女性の字です」
「それは見たらわかるけど……。東雲さん、前にその本借りてた人ってわからないの? 図書委員の権限で」
「……一年前、みたいです。それもすでに卒業してるみたいで」
「うーん。だとしたら調べようがないか」
「つーか、なんでトイレなんだ?」
「トイレでノックを三回、というのは『トイレの花子さん』を連想させますけど……」
「トイレの花子さん」は1980年代に全国でブームになった学校の怪談・都市伝説だ。噂にはさまざまなバリエーションがあるが、「三階にあるトイレの三番目の扉に三回ノックし、『花子さんいらっしゃいますか?』と声をかける」といった内容が一般的だ。
「トイレの花子さんって、願い事叶えてくれるの?」
「そういう話は、聞いたことないですけど……映画でヒーロー扱いされてたみたいなのは、あるみたいですが……」
「というより、もともとトイレの花子さんってなにをしてくるおばけなんだっけ?」
「えっと、なんでもトイレに引きずりこまれるとか……」
「うえ、詰まりそうでやだなそれ」
「単に『三』って数字で繋げてるだけでしょ。いかにも思いつきの創作っぽい」
「まあ、話を戻すと。東雲さんの悩みとしては、三つ目の願いがどうなるかわからなくて怖い、ってことだよな。うーん」
鮎川浩紀は頭を捻る。
「ごめん。わかんない。でも、東雲さんのいう二件が本当に願いを叶えた結果なら、どちらも『排除』という形だからなんとなく不穏なのはわかるぜ」
「で、もう『三週間目』に入ってるのよね? トイレの神様が締め切りいっぱいまで延ばすタイプだとしても、あと五日くらい?」
「三週間以内のいつ願いが叶うかわからないってのも『偶然』に収まりそうなやらしさあるよな~」
と、いったあたりで話は行き詰まりはじめた。
一方、話を聞くたびにアリサの怪異検出AIは数値を上昇させていく。とはいえ、これは人間でいう「勘」に近いもので、特徴量の生成過程は言語化しうるものではない。ゆえに、これを根拠に議論の俎上に載せることはできない。よって。
「では、私が試しましょう」
と、提案する。夏目きゆは「やっぱり……」と頭を抱えた。
「考察するにしても、情報がまったく足りていないのが現状です。東雲さんの『三つ目の願い』までに間に合うかは不明ですが」
「俺が行ってもいいよ」
「女子トイレだっつってんでしょ」
「……そうだった。じゃあ、さっそく明日?」
「はい、厳密には明日ですね。午前三時ですので」
その発言に対して、夏目きゆはまたしても「やっぱり……」と頭を抱えた。
「え? 午前三時って……夜ですよね?」
新参の東雲芽衣子だけ、頭に疑問符を浮かべていた。
***
「やっぱあの子、おかしいって」
「なんだよ。あの子って……東雲さん?」
夜。月代中学校・校門前。
九月中旬とはいえ、この時間はやや肌寒い。
どうしてこうなったのか、と東雲は思う。
こんな深夜に服を着替えてこっそり家を出る、なんて行為がそもそも人生で初めてだ。冷静に考えれば別にあえて付き合う必要はなかったのだが、流れでそういうことになった。話の発端でもあるし、どうなるのか気になっているのも事実だった。
「本人がいる前で話すわけないでしょ。アリサよ」
「陰口もあんまよくないと思うけどなー」
東雲の前で、異常存在リサーチ部の二人が声を顰めて話している。
「いきなりカツアゲって……一万円余計に返って来たけどさ……」
「まーまー、ちゃんと謝ってもらったし」
「ちゃんと謝れるような人はそもそもカツアゲなんてしなくない?」
「なんていうか、アリサちゃんは……すごくストイックなんだよ。ストイックで表現あってるかな」
なにか物騒な話が聞こえてくる。カツアゲ?
「四角四面の男と殴り合って、さすがに一週間くらい休んでたけど、今はもうなんか全然ケロリとしてるし」
「そりゃ、アリサちゃんが武術の達人だから……」
「だからって勝てる? 筋骨隆々の大人の男に?」
またわけのわからない話が聞こえる。武術の達人?
「あ、あの」堪えきれず声をかける。「な、なんの話ですか……?」
「あ、ごめんごめん。東雲さん放って話しちゃって」
と、謝るのは鮎川だ。よく爽やかな笑顔を見せ、普段だったら自分のような日陰ものはまず関わり合いにならなそうなタイプの人だ、と東雲は思う。
「アリサちゃんはすごいって話。東雲さんも察しはついてるんじゃないかって思うけど」
東雲もまた、図書室でアリサの姿を見かけ、声をかけよう、と決意してから実際に行動に移すまで四日ほどかかっている。あまりに美人で、別世界の住民のようで気後れしていたためだ。おかげで「三週間目」の余裕はもうほとんどない。
「そうですね……すごい勢いで本読んでました」
「……アレって、ホントに読めてたんだ」
夏目もなにか心当たりがあったらしかった。
「あれ? ところで、そのアリサさんは……」
「そういや話してなかったっけ。ま、行けばわかるっていうか……登れる?」
鮎川は校門へよじ登ると、東雲に向かって手を差し出した。
本当にここを越えてしまうのか、と思う。ここまで来て今さら帰るわけにもいかないのだが。自分でも半信半疑だったことをここまで真剣に考えてもらえているとなると、後には引けない。東雲は少し逡巡して、手を取った。
そして、ついに越えてしまう。ホラーや怪談は好きだったが、これでは本当にその登場人物になったようだ。もしかしたら、その定番どおりに大変な目に遭ってしまうのではないか、という思いもあった。だがそれ以上に、異常存在リサーチ部に頼もしさを感じていた。
「あの、どうしてお二人は……異常存在――とか、怪談とか、そういったことをここまで本気で調べてらっしゃるんでしょうか?」
校舎まで歩く間に、東雲は意を決して話しかける。
「あ、いえ、その。特に他意はなくて、ただ気になったといいますか」
「うーん。なんでだっけ?」
ぼんやりした回答なのは鮎川だ。
「俺はまあ、単にそういうの好きだからっていうか」
「アリサに気に入られたいんでしょ」
「うぐっ、いや、ないとは言わねえけどさ! 夏目はなんかあったろ」
「そうなんですか? 夏目さん」
「……あたしは」夏目は重そうに口を開いた。「お姉ちゃんが」
「お姉さんが?」
夏目は言葉を切って、東雲の目を見ずに話した。
「――あたしは、本当はそんなものないって、思ってる。だからかな」
「は、はあ」
お姉ちゃん、と言いかけた話と繋がっていない。あまり話したくなさそうな空気を察して、東雲は話題を変えた。
「で、アリサさんは……というか、校門超えても昇降口って鍵かかってるんじゃ……」
昼間は開きっぱなしのガラス扉は重々しく閉じている。
どうするのだろうと思っていると、ガラス扉の向こうからアリサの姿が現れた。
「え?」
そして彼女は内側から鍵を開け、扉は当たり前に開かれた。
「え? え?」
「では、みなさん行きましょう。『願い事を叶えるトイレの神様』を検証します」
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