幽冥寒村④

 村と同じ読みの名を冠する調見つきみ神社は、村のほぼ中心に位置する。そして、役割としても村の中心的位置にある。広い敷地面積を持ち、その日は人々が集まり賑わっていた。

 祭りである。参道を挟んで露店が並び、野外に簡易な机と椅子を用意した酒場のような店も出ていた。

 倉彦らに連れられ、彼らはそこで腰を落ち着ける。


「ナンパの先が神社とはな」

「文化的っしょ?」


 こんな村では他に遊べる場所もないのだろう。


「教授、いいんですか」


 青木が声と背を低めて、耳元で尋ねる。助けに入ったつもりが、平然と誘いに乗ることになって困惑しているらしい。


「ここまで来たら虎穴入らずんばだ」


 実際に飛び込んでみれば、まさに虎穴だとわかる。神社に集まる人々は、そのが怪異だった。露店の主。りんご飴を頬張る女。お面を被って駆ける子供。一見して特に変哲のない人々の営みが、フィルター越しには異常に映った。あくまで怪異検出AIによる結果であり実害のほどは不明だが、身構えるほかない。


「お前たちはこの村の出身なのか?」

「とぉーぜん! 生まれも育ちも月見村よ! お祭りあるから帰郷ってわけ!」


 そういう自己認識になっているのか、と教授は内心で頷く。

 倉彦浩の身元については探偵に調査させている。彼の出身地は月見村などではない。友人であるアキもハンペンも同様だ。同姓同名で顔もそっくりの別人ということもないだろう。本来なら、彼らはこの村とは縁もゆかりもないはずだ。その矛盾を突きつけたとき、どういう反応が得られるのか。気にはなったが、アリサのようにはいかない。人間には「勇気」が要る。ここは「敵」の領域テリトリーだ。


「うぇーい! お酒ェー!」

「でかしたアキ!」

「うぇーい! 焼きそばァー!」

「でかしたハンペン!」


 机に次々と六人分の料理と酒が運ばれてくる。ちょうど腹も減っていた。


「悪いな」


 と、乾杯して酒を煽る。酒は強くもないし大して好きでもないが、話を聞くために飲んでいるふりだけはしておく。


「なあ。この神社はなにを祀っているんだ?」


 こいつらに聞いてもわからんだろうが、と思いつつも聞いてみる。


「ツクヨミさまだよ」


 三人のうち、ハンペンと呼ばれた男が答えた。


「ツクヨミだと?」


 二つの意味で驚く。

 まさか答えが返ってくるとは思わなかったこと。そして、その名にである。

 月読命あるいは月夜見尊。記紀神話においてアマテラス、スサノオに並ぶ三貴子の一柱である有名メジャーな神だが、その活躍についての記述はほとんどない。古事記においては登場のみ、日本書紀においても古事記でのスサノオの活躍と重なっている。また、その正体についても男神と考えられているが明確な記述はなく、月や夜の神といわれているが、それにすら異説がある。


(たしかに、村にも神社にも『つき』の文字はあるが……)


 白川が村に住んでいた子供の時分、神社や宗教への興味はなかった。いわゆる「人文系」を軽視する偏り方をしていたためだ。今では多少の知識はあるが、その方面ではあくまで素人にすぎない。


「……教授。ググりましたけど、ツクヨミを祀ってる神社の一覧に調見神社ここは載ってないっす」

「それはそうだろうな」


 もっとも、ネットの情報も当てにはならない。特に「ない」ことを証明するのは難しい。ただ、ツクヨミは三貴子の一柱で有名な神のわりに祀る神社は極端に少ないことがわかった。


「にわかには信じがたいな。ツクヨミなら私ですら知ってるぞ」

「壱岐から分霊されたのかな? 由緒ははっきりしなくてね。社伝も残されてないからおおまかな歴史もわかんない。こんな大きい神社なのにだよ? 建築様式や建物の状態はかなり新しく見えるけど、建て直しはふつうにありうるし、なんも参考にならないかな」

「なるほど。神だけでなく神社にも謎が多いと」

「白川さんもこういうの興味ある?」

「まあな」

「じゃあ、鳥居の注連縄は見た? 拝殿でもいいけど。ふつう、注連縄ってのは右が太くて左が細い。でもここのはその逆、左本右末だ。こういう例外としては出雲大社が有名だね。出雲大社の場合は客座五神の位置を根拠に左方を上位としているからなんだけど、ここは違う。注連縄の役目は結界だ。つまり、それが逆なんだ。ふつうは邪なるものが神域に入るのを防ぐ結界。左本右末の注連縄は、神を封じ込めるための結界だ」

「ずいぶん詳しいな」

「ハンペンは俺たちのなかじゃ唯一の大学生なんよ。超インテリ! ミンゾク学とかだっけ?」


 思わぬ情報源がいたものだ、と教授は感心した。においにつられて焼き鳥を手に取る。焼き鳥といっても、具材は必ずしも鳥だけではなかったが。


「ん。うまいな。いや美味すぎる。なんだ、この祭りはそれほどの祝い事なのか?」

「うん。神婚祭だよ。今はその前夜祭みたいなものかな」

「ほう。神婚祭?」

「要は政略結婚みたいなものだね。力ある神と婚姻を結ぶことで、代わりに村を守ってもらう。そういう見立て」


 意味深な話だ。「いかにも」と思える。


(だが、そんな祭りなど、あったか……?)


 こうして当たり前に話しているが、相手は怪異だ。ただし、どのような怪異までかはわからない。それが怪異検出AIの弱点だ。一見して人に見える以上は人として扱わねばならない。少なくとも、本人に怪異である自覚はないように見える。それこそ、思考実験における哲学的ゾンビ、あるいはスワンプマンのように。


「ここに至るまで長い年月を要したから、とても大きな祝い事になる。たくさんのお供え物が献上され……強い結びつきで……ツクヨミさまになるんだ……」


 豊富な知識と明晰な頭脳を持ちながら人でなくなるということ。それはきっと、のような感覚なのだろう。哀れとは思うが、手に余る。


「トイレ。どこにある?」

「奥の方。んー、あっち。あのへんを左かな」


 席を外す。探りを入れる必要がある、と感じた。

 この神社には、なにかがある。


(我ながら極端だな。あんなにビビってたはずなのに、今は大胆になりすぎてる)


 トイレへ向かうふりをして社殿へ向かう。神社がなにかを隠すならそこだ。本殿は神体を安置する建物であり、参拝者の目からは隠されている。


(なにがあるというんだ)


 根拠の薄い直感に従って動いている。この神社が村の中心で、怪異が集結している以上、アリサもここにいるのではないか。そんな直感が頭をちらついていた。

 神門を抜け、拝殿の前まで差し掛かる。参道は賑わっているが、ここまで来るとあまり人気はない。


(さて、どうやって裏へ抜ける? 拝殿を通るしかないのか?)


 周りは回廊で囲われている。回廊の外から回り込むにしても森だ。通れなくはないが、足場が悪い。軽く見渡したところ人の気配はない。突入するしかないか、と逡巡する。


(ん?)


 ころころ、と足元に手毬が転がってくる。屈んで手に取ろうとしたところ、足袋を履いて歩くものを目にする。

 回廊から拝殿へ入っていく巫女の姿を見た。緋色の袴、白の小袖。肩にかかるほどのセミロングの黒髪。身長170cmほどのモデルのような体型プロポーション。横顔から長い睫毛と切れ長の目が一瞬だけ見える。


「……?! アリサ……?」


 あるいは、有紗か。いずれにせよ、巫女装束以外は見覚えのある姿だった。直感は当たっていた。彼女はすぐに拝殿の奥へと姿を消した。


「なにかご用ですか?」


 背後より、神主に声をかけられる。狩衣を身に纏い、烏帽子をかぶっている。前で手を組む落ち着いた雰囲気の老人だ。見覚えがあるような、ないような――記憶は朧げだ。少なくとも、怪異検出AIは彼を「怪異でない」と判定している。


「私の知人に似た巫女を見かけたものでして。声をかけようかと」

「今はタイミングがよろしくありませんな。祭祀を控えておりまして。知人というのは?」

「……アリサ、という名です」

「ふむ。存じ上げませんな。はて、事情が飲み込めないのですが、あなたはその方が巫女をやっていることに心当たりがあるので?」

「行方不明なんですよ。この村で目撃情報があったとのことで探しに来ました」

「なるほど。心中お察しします。念のため確認しておきましょう。私もこの村では顔が広い。あなたのお名前もお伺いしても?」

「白川です」


 正直に、嘘偽りなく話す。その一方で、神主は嘘をついている。

 スマートグラスの機能は怪異検出AIだけではない。人間の微表情を検知し分析することもできる。神主からは「嘘」の兆候が読み取れた。


「失礼」


 一息に駆け出す。神主が呆気とられている隙に拝殿へ踏み込む。


「アリサ!!」


 足を止める。息を呑む。異様な光景に身が竦む。

 人々が平伏していた。老若男女が拝礼の間に敷き詰められるように密集し、頭を床につけ平伏していた。その隙間からかろうじて畳敷きだとわかるほどに大勢が密集し、祭壇に向かって平伏していた。身動ぎもせず、呼吸音すら聞こえないほど静かに、平伏していた。

 祭壇には巫女が正座し、人々を見下ろしている。


「アリ、サ……?」


 状況が理解できない。アリサは本当に神になったとでもいうのだろうか。


「アリサ、これは……」


 言葉が続かなかった。異常な光景を呑みこむのに精いっぱいだった。男が、女が、老人が、子供が、農家が、学生が、大工が、サラリーマンが、警察が、医者が、主婦が、祭壇のアリサを崇めるように平伏していた。


「アリサ! どういうことだ……これは、これはいったいなんだ!」


 答えない。見ることもしない。もっとも、全周視野を持つアリサは対象物を見るために目線を動かす必要はない。随意の感情表現としてのみ目線を動かす。「目を見て話している」ことを表明し、コミュニケーションを円滑にする手段として意図的に行う。それをしない。すなわち、アリサは「無視」している。


「アリサ……」


 命令の権限は失われている。答えの有無はアリサの自由意志に委ねられる。


(そういうことか、アリサ。それはそうか。命令権限さえなければ、お前にとって私は)


 ふと視線を下ろすと、気づく。背後にも平伏す人が群がっていた。もはや逃げ場などないというほどに、右も、左も。何十、何百という人々がぎちぎちに詰まるように平伏していた。シャツを着た、ジャージを着た、スーツを着た、作務衣を着た、ジャンパーを着た、割烹着を着た、ワンピースを着た、パーカーを着た、作業着を着た、およそ統一性のない老若男女が、ただ平伏するという姿勢のみで一つの生き物のように振る舞っていた。


「白川さん」


 その声にハッと我に返る。神主が追いつき、背後より肩を掴む。粘性の高い汗が額から噴き出す。白昼夢でも見ていたのか、背後までも埋め尽くす人々の姿はない。だが、依然として正面のアリサまでは近くて遠い。祭壇のアリサを崇める人々の姿は、現実のままだ。


(この村は……。そして、アリサ。お前は、いったいなにをしようというんだ?)


 なす術なく、白川は踵を返してその場を後にする。


「神主さん。あれはなんですか? あれは……アリサでした。なにがどうなっているんですか?」

「悪いことは言いません。お帰りなさい。あなた方はもう、この村に関わるべきじゃない」

「その言い方、研究室われわれのことも知っているようですね?」

では、手に負えない事態なのです。白川さん、あなたはもう村に取り込まれかけている。いまお帰りになれば、まだ間に合います」

「なんですって?」

「ここから先は、にお任せください」

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