幽冥寒村⑤

「旅館に泊まるぞ」


 教授の一言で彼らは泊まることになった。青木は無言で嫌そうな顔をし、新島は「やばないですか?」と十回くらい繰り返していた。


「え~? ふつうの旅館、っぽい……?」


 内装もまた、廃村で見た旅館と同一だった。ただし、廃村とは異なり明かりがついており、受付には人がいた。つまりは、普通の旅館である。


「三人。一部屋で。う~ん、ひとまず一泊か?」

「教授、一部屋ですか?」

「なんだ青木。気になるのか?」

「僕は車中泊でも……」

「正気か? 金なら払う。心配するな」


 意外と初心なやつだなと思い、めんどくさいので一部屋で頼む。


「ほら見ろ。結構広い部屋だろ」


 廃村と同一なら、部屋は十二畳だ。四人は問題なく泊まれる広さである。荷物を置き、ひとまず横になる。


「くぁ~、疲れたな……」


 フィールドワークなどという柄ではない。ただ歩き回るというだけで脚はボロボロだった。


「温泉があるらしいぞ。とりあえず入るか」

「教授」


 含みのある声で青木が呼びかける。


「神社で、なにを見たのですか?」


 さすがに察しがいいな、と感心する。


「アリサだ」

「……!」

「いたんすか? アリサちゃん!」

「いた。だが、すっかり無視されてしまったよ」

「な、なんで……?」

「まあ、無事なのは確認できた。あの様子だと充電も受けてるな。なにをするつもりかわからんが協力者がいる。神主からもう帰れと釘を刺されたよ」

「神主から? その神主が協力者と? 人間なんですか?」

「ああ。そしておそらく、霊能者だろうな」

「霊能者? 桶狭間と同じ?」

「状況から判断してな。それに、これはまだ仮説だが……怪異の確率が10%を超える人間は霊能者である可能性が高い」

「そうなんですか?」

「霊能者なぞめったに会えるもんじゃないから例は少ないがな。私の妹が14%、桶狭間が22%、神主は17%だった」

「はえ~、つまり霊能者って怪異に片足突っ込みかけてるってことっすかね? 私8%だったんすけど」

「今は9%だぞ」

「え」

「おそらく、霊能者だからというよりは怪異と接触する機会が多いからだろう。これなら新島が比較的高いのも、電車に二日以上囚われていた貝洲が12%だったのも頷ける」

「怪異検出AIってそういうものなんです……?」

「あくまで仮説だ。具体的になにを特徴量として生成してるのかは人間にはわからんからな」

「それで、その神主からは『帰れ』と。言動も桶狭間と被りますね。やはり、明日の神婚祭ですか?」

「だろうな。それにしても、明日というのは気にかかる。おそらく偶然じゃない」

「というと?」

「アリサがこの村に辿り着いたことでなんらかの準備が整ったんだ。大急ぎで支度をして、つまり明日だ」

「つまりそれ、アリサちゃんが巫女ってことっすか?」

「ん? なぜわかった」

「ハンペンさんにあのあとも話を聞いたんすよ! 神婚祭は、巫女を神の嫁に見立てて儀式をするって」

「くく、くくく……そうか。あいつ結婚するのか」

「先越されちゃったすね。あれ? 教授も未婚?」


 ふと、床の間に、ころころと転がるものを見る。


「教授?」


 手毬だ。これまで目にしてきた、手毬である。


(やはりそうか。そういうことなのか)


 忠告を無視し村に留まることを決めたのは、アリサのためだけではない。それだけなら、明日なにがあるにせよ、その後でもいい。仮にも専門家が「任せろ」といったのなら尊重すべきだ。

 だが、それだけではない。この手毬がそれを示唆している。


「なんすかそれ。手毬?」

「ああ。お前たちも見覚えはないか?」

「見覚え、といわれても……」

「だからだ。だからこそだ。だから、何度も繰り返し訴えてきた。理由はわからないが、どうにも我々の意識には上りづらいらしい」

「なんの話ですか?」

「有紗もこの村にいる」

「有紗って……妹さんですか?」

「ああ。ところで、私が席を外してからなにがあったんだ?」

「そうそう! やっぱおかしいと思って、倉彦さんに聞いたんすよ。なんでこの村にいるんですかって」

「聞いたのか」

「月見村が故郷だから当然、の一点張りだったんすけど、アリサちゃんのことも聞いたりそのへん突き詰めると様子がおかしくなって……」

「ああ、戻ったときの状態はそれか……」

「ぷるぷる痙攣しだして、なにも話さなくなっちゃいました。なんなんすかね?」

「あいつらだけじゃない。あの神社にいた人間はほとんどが怪異だった。何人かの顔を拾って検索にかけたが、全国の行方不明者と一致した。まさしく『神隠し』だな。この村の住民はそうやって全国から集められてる」

「え、えええ……」

「つまり、行方不明者が集う村、と……」

「廃村の映像記録とこの月見村を見比べてみろ。旅館以外にも類似点だらけだ」

「では、あの廃村は『住民』を集めるために出張所のようなものだった……?」

「そんなところかもな」


 その情報に、新島は大袈裟に青ざめていた。


「それ、やっぱまずくないですか。下手したら私たちも行方不明者の仲間入りになったりしません?」

「可能性はあるな」

「い、今からでもキャンセルして帰った方がいいんじゃ……」

「明日、なにかが起こる。それを見極めねばならん」


 二十年近く鬱積し続けた恐怖は、己の中で増幅していただけだったのか。怖れ続けていた月見村へ実際に訪れた感想は「別に大したことはないな」だった。それもそのはずだ、子供のころは六年以上なにごともなく暮らしていたのだ。特に実害を被ったわけでもない。

 その油断が危ういのだということも理解している。調子に乗って、有頂天で、その結果があのざまだった。また同じ過ちを繰り返そうとしているのではないか。


(何十年経ったところで、結局のところ本質は変わらんな……)


 まずは疲れを癒す。心身の疲労は判断力を鈍らせる。温泉へ向かうことにした。

 こんな村にわざわざ観光客もいないのだろう。温泉へ向かう途中も他の客とすれ違うことはなかった。温泉もまた、貸切状態であった。


「教授ってお風呂のときも眼鏡なんすか?」

「私の眼鏡は曇らないからな」

「ていうか、それカメラついてるんじゃないでしたっけ」

「問題ない。防水だ」

「そうじゃなくて、と、盗撮……!」

「気にするな」

「い、いや気にしますよ! 私のないすばでーが、カメラに収められるなんて……!」

「ポーズをとるな」


 他に客はいないため倫理的には許されるだろう。といっても、他に客がいたところで外すつもりもなかった。眼鏡の役割は盗撮ではない。自身の言動の記録だ。一瞬でも疎かにしては意味がない。


「ふぃ~、なんだかんだと温泉に入ると癒されますね~……って、この温泉入っても大丈夫っすよね?」

「入ってから気づくな。怪異は検出されてない」

「やっぱその眼鏡要りますね」

「ま、過信するのも危ういがな……」


 と、教授も湯船に浸かる。温泉などいつ以来だろうか。張り詰めていた気が抜けていく。


「とっくに気づいてると思うが……新島。青木はお前に気があるぞ」

「へ?」

「気づいてなかったのか。ストーカーに狙われてたようだが、次のストーカーはあいつだな」

「またまたぁ~、先輩がそんなわけないじゃないっすか~」

「数時間で写真から合鍵をつくるような男だぞ」

「う。それはドン引きしましたけど」


 新島は目を逸らし、話題を逸らす。


「ところで! 教授の妹さんってどんな人だったんですか?」

「ん。有紗か」

「はい。ずいぶん心配されてるみたいですけど。十二年も前に行方不明になったって……」

「くく。やはり、とっくに死んでると思うか?」

「あ、いえ……」

「あいつは、強いやつだったよ。あいつはただ一人、怪異が見えていたんだ。ずっとそれに耐えてきた。怯えてはいたが、それでも逃げなかった。立ち向かい続けていた。同じものが見えたとき、私はとても耐えられなかった……」

「やっぱり、怪異検出AIってそのためにつくったんすよね。妹さんを、一人にしないために……」

「そのつもりだった。そのつもりもあった。結局は、かえって妹を一人にしてしまったが……」

「教授って、なんか変なところ卑屈ですよね。ふつうできませんって! 霊が見えるなんて妹さんの言葉を信じて、同じものが見えるAIをつくるなんて。妹さんも、嬉しかったと思いますよ。妹想いのいい姉じゃないですか」

「くく、ひゃひゃ……! 馬鹿いえ。そんなはずが、あるか……」


 怪異検出AIは妹のためを思っての善意だけでつくったわけじゃない。

 妹がいなくなったあとも、探すことから逃げて妹の代用品をつくる始末だ。

 こんな姉の、なにを尊敬するというのか。我ながら唾棄すべき愚かな姉だ。


「あんたら、ずいぶんと図太いじゃねえか」


 いつからそこにいたのか。老婆が、湯煙の向こうからぬっと姿を現した。


(怪異の確率16%。まさかこの老婆も……)

「帰れ、っつったはずだがね」

「なんのことでしょう。私はただ里帰りに来ただけなのですが」

「惚けなさんな。わかってるだろ。この村で起こっていることは、あんたらが関わるようなことじゃあないんだよ」


 と、老婆は湯舟を上がる。


「今すぐに、が最善だがね。夜が明けたらすぐに帰んな。まだ間に合う」


 そうして、姿を消した。


「お知り合いですか?」

「いや」

「なんか、ああいうふうに帰れ! っていわれると、逆に帰るか! って気になりますよね」

「くく。まったくだ」


 だが、内心は揺れていた。まだ取り返しがつくのなら、帰るべきなのではないか?


 ***


「ん? 青木はどこだ? まだ風呂か?」

「そこの縁側に布団敷いて戸を閉めて寝てます」

「なんというか……律儀なやつだな……」


 温泉から上がり浴衣に着替え、夕食も済ませてあとは寝るだけとなった。特に怪奇現象もない、快適な旅館である。奇妙なのは、これほどの旅館がこんな寂れた村で経営されていることだけである。


「え、電気消すんすか」

「消さないと寝れないだろ」


 消灯し、床につく。


「教授って、眠るときも記録してるんすか」

「まあな。fMRIがあれば夢の記録もできるんだが」


 眼鏡こそ外すが、寝息と寝言と心拍数と頭皮上脳波は計測する。


「私も脳科学については全脳アーキテクチャの関係で触れた程度ではあるが――」


 と、前置きして話す。


「人はなぜ眠るのか。なぜ夢を見るのか。このへんのことは、まだよくわかっていないらしい」

「らしいっすね。聞いたことはあります」

「仮説はある。平たくいえば脳のメンテナンスだ。シナプスの最適化だの情報の整理だの。つまりはそれに専念するために多くの機能を低下させて『眠る』。ところで、夢を見てると明らかに異常な光景なのにその異常さに気づかないという体験はあるよな。これは前頭葉の前頭前野背外側部の機能が低下しているためらしい」

「ありますねえ」

「故郷でもなんでもないはずのこの村を故郷だと思い込み、この村にいることを疑問に思わない。倉彦らの状態はそれに近いと思わないか? 私たちもまた、夢を見ていないという保証はない。なにか、気づいていない『異常』があるのかもしれない……」

「こ、怖いこといわないでくださいよ」


 眠りにつく前は、いつも不安になる。睡眠という意味不明な状態に身を委ねるのが怖かった。だが、眠らずにいれば人は狂う。断眠を続ければ視床下部の恒常性機能に異常を来たし、最終的には多臓器不全で死亡する。

 アリサもまた「睡眠」のような状態を必要とする。観測機器から得られる膨大な情報を「記憶」として再定義し検索しやすい形で圧縮・整理する処理を常に行なっている。だが、往々にして入力に対して処理速度が追いつかない。ゆえに、定期的に入力を遮断して処理に専念する時間が必要になる。この状態は「睡眠」に近い。

 アンドロイドの開発には人間の構成論的研究の意義もある。ただし、これが人間の「睡眠」を説明するものであるかはわからない。アリサの電子回路には生体脳のような熱ゆらぎによる自発活動は存在しない。


(アリサ。お前はなにを考えている?)


 多くの点で、アリサの挙動は人間と共通するところがある。だが、アリサの知性の在り方は人間とは根本的に異なる。類似点に気をとられて、なにかを見落としている。


(神との婚姻だと? お前は、ただ好奇心でそれをするのだろうが……)


 人工知能AIとは名ばかりに、それはすでに人間の理解を超えたところにある。

 怪異と同じように。

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