幽冥寒村③

「監視カメラにアリサが映っていました。新幹線に乗って、方向としては確かに合ってますね」


 高速道路に乗ってワゴン車を走らせながら、青木は報告する。

 自動運転はレベル4(高度自動運転)。行き先が明確であるならほとんど自動運転に任せられる。青木は今ハンドルを握ってはいない。


「監視カメラって?」


 後部座席から新島が尋ねる。


「駅構内には防犯目的でカメラが設置されてるだろ。知らないのか?」

「そうじゃなくて、なんでそれ当たり前に見れてるんすか」

「あ、降りた駅も確認できました。やはり月見村に向かっているように見えますね」

「なんで無視するんすか~」


 高校時代の青木は「悪ガキ」だったらしい。今でこそ丸くなっているが、その手際まで失われているわけではない。


「教授、やっぱ青木先輩って……」

「ああ。だいたいお前の思ってるとおりだ」

「それで教授。月見村といっても、心当たりというのは具体的になんです?」


 ひそひそ話に青木が割り込む。掘り返されたくなかったのだろう。


「そうだな……」


 思い出したくはなかった。だが、そうも言ってはいられない。


「当時の撮影記録は残っている。村では至るところに怪異が検出できた。地図上に怪異が見つかった地点をプロットして共有しておく。二十年近く前のデータだから変化はあるだろうが」

「うわ、こんなに……このどれかにアリサちゃんが?」

「そんなに広い村でもない。虱潰しに探せばいい」


 ***


 月見村は盆地に位置する人口七百人ほどの村である。四方を山に囲まれ他の地域からは隔絶されており、村の出入り口となる道は二本しかない。村域の八割以上が山林原野に占められ、残りはほとんど農業地帯だ。住民のほとんどは農業、特に稲作に従事している。交通の便は悪く、近年の土砂崩れの影響で最寄り駅までの鉄道は不通になっている(代わりにバスが運行している)。

 高速を降りてからが長い道のりだった。自動運転の領域を出て迷いながら三時間、彼らはようやく到着する。時刻は昼過ぎである。


「へー。思ったよりふつうの村っぽいですね。コンビニとかないんすか」

「ある。そこが村唯一の小売店だ」

「へ?」

「それより駐車場はないですかね。さっきから探してるんですが」

「そのへんに路駐しとけ」

「さすがにそういうわけには」

「どこかに公園でもあるだろ。少し遠いが」

「じゃ、教授たちはここで降りておきます?」

「待て。電話は通じるな?」


 念のため教授が青木の携帯にかける。特に問題なく繋がったようだった。


「では、またあとで」


 青木は去り、教授と新島は車から降りて一帯を見渡した。

 田園が広がり、建物はまばらだ。奥にはビニールハウスも見える。地平線は霞む山岳に遮られている。道路は一車線、電信柱が等間隔に立ち並ぶ。人の気配はほとんどなく、ごくまれに車が走る。あとは川のせせらぎと鳥のさえずりが聞こえるくらいで、長閑な雰囲気である。記憶の中の風景とさほど変わっていないな、と教授は思った。それは懐かしさよりも不安を喚起させた。


「ふ、ふつうの村っすよね教授?」

「たぶんな」


 村そのものは地図にも載っているし、衛星写真にも写っている。ストリートビューも走っている。公式サイトもある。ウィキペディアにも載っている。地理的に隔絶しており、交通の便が悪いだけの寂れた村落だ。

 だが、なにかがある。なにかがあった。あの体験トラウマは深く芯にまで刻まれている。そして、それだけではない得体の知れない悪寒があった。村を離れてもそれを拭い去ることはできなかった。


「教授、荷物多いっすね」

「お前は少なすぎだ」


 教授は53Lのスーツケースを転がしている。一方、新島は小さなリュックである。


「日帰りでは済まないと言ったよな?」

「下着の替えくらいありますよ。必要なものがあれば現地で買えばいいですし」

「そんな店がこのあたりにあると思うか?」

「あ、いや……」


 新島は改めてぐるりと全周を眺める。


「うーん……。この村にアリサちゃんがいるとして、充電もできなさそうっすね」

「電気くらい通ってる。電信柱が見えんのか」

「あれ? そういえばここ、通信ってふつうに繋がりますよね? アリサちゃんとはなんで連絡とれないんすか?」

「アリサの方が拒否している可能性が高いな。新幹線に乗って、バスに乗ってこの村に来たなら、そこまでは追跡できていてもいいはずだ。それもできなかった。なら、そういうことだ」

「嫌われてるんすかね。私たち」

「さあな。真意はわからん」

「一応、私たちも村まで来たって送りつけてはおきましょうよ。既読スルーされるかもですけど、こっちから送ることはできますよね?」

「そうだな。追跡させないための拒絶、なのだとしたらなんらかの反応はありそうだが……」


 返事はない。


「……村のどこかが異界と繋がっていて、今は本当に通信不能ということもありうるか」

「やっぱそういうのあるんすか」

「ないとはいえん。であれば、どこにでもある」

「それなら……どこから見ます? このへんだと神社とか……山の中だったら厄介っすね。聞き込みでもします? あ! 教授の住んでた家ってどこっすか?」


 鋭いところを突いてくる、と白川は思った。心臓が嫌な音を立てる。あの事件については話していないのだから悪意はないのだろう。いずれにせよ、向き合わなければならないことでもあった。


「ちょうどこのあたりではあるな。少し歩けば着く。二十年近く放置しているからどうなってるかはわからんが……」


 今でも覚えている。この道は学校から帰っていた道だ。


(ずいぶんと廃屋が多いな……)


 あるいは、廃屋に見えるだけでまだ人は住んでいるのか。自分の家も残っていれば廃屋のようなものだな、と白川は思った。

 辻に差し掛かったとき、動悸が激しく高鳴った。膝から力が抜け、立ち眩みのようにガクリと体重を支えられなくなる。片膝と手をついて、かろうじて倒れずに済んだ。


「教授?!」

「いや、大丈夫だ……」


 粘性の高い汗が額を伝っている。悪夢から目覚めたように胸が痛い。

 この辻は、「近所でよく会う知らないおじさん」を目にした場所だ。


(ん? ……なんだ?)


 屈み、姿勢が低くなったことで、違和感に気づく。田圃だ。


「教授! なにしてんすか!」

「新島。見ろ。これは……稲じゃない」


 田に入り、「稲」を一本引き抜く。根がない。稲を模した「なにか」が田に刺さっているだけだ。表面はつるつるしており、妙な弾力もある。改めて注意深く見ると、すべての田園がだとわかる。不自然に色が濃すぎるのだ。


「なな、なんですかこれ……!」

「……材質もよくわからんな。つまりは、見せかけだということだろうな。この村は」


 元からこうだったのか。いつからかこうなったのか。こんな村に住んでいたのか。

 肝心の自宅が見えない。変わり果てているだろうとは思ったが、それを差し引いても見当たらない。帰りたくもなかったが、それはそれで不安になる。地図と見比べ、ようやく理解する。


「なるほど、あれか」

「へ? まさか、あれが教授の実家なんすか?」


 旅館だった。辺鄙な村に似つかわしくないほどの立派な旅館だ。二階建ての木造建築。古式に見えるが、現代的なデザインの取り入れられた比較的新しい建造物だ。かつて白川家のあった場所は、旅館へと置き換わっていた。


「教授の実家って旅館だったんすか?!」

「違う。よく見ろ。見覚えはないか?」


 んー、と新島は目を細めながら唸る。そしてまさか、と気づく。


「あの廃村にあった……!」


 スマホに写真を出して見比べる。建築物として完全に瓜二つである。


「ど、どういうことっすかね。チェーン店?」

「いや、だ」


 予感はあった。あの廃村の記録を眺めているとき、妙な既視感があった。廃村にあった家屋はすべて、この月見村にあった家屋ではないか?

 そのために教授は廃村を怖れ、再調査を避けた。アリサによる怪異調査の一例目から因縁が関わってきたことに恐怖を覚えた。


「あ、教授。人がいましたよ。ちょっと話聞いてきますね」

「待て。あれは怪異だ」


 教授の眼鏡はスマートグラスだ。カメラを内蔵しているだけでなく、レンズは有機ELディスプレイになっている。つまり、怪異検出AIと連動できる。

 はじめて目にした村人は、82%の確率で怪異と判定された。


「え!? あ、やっぱりこの村って……」

「ふつうの村ではないようだな。なにからなにまで、まやかしに見える」


 教授は思い返す。忘れ去りたいと思っていた過去を。

 そもそも、なぜこの村に越してきたのか? 母はなぜ病死したのか? 父はなぜ死んだのか? すべてはこの村に原因があったのではないか?


(やはり帰るべきなのか。いや、帰らせるべき、なのか……?)


 迷いが生じる。ようやくここまで来たというのに。

 霊感などはない。そのはずだが、説明不能の怖気があった。一歩足を踏み締めるだけで、本当にこれでよかったのかという疑念が尽きない。本当にこの村に来るべきだったのか? 青木とほんの一時でも別れたのは、本当によかったのか?

 あの車は本物か。あの電信柱は本物か。なにもかも嘘っぱちに見える。空の青さすら信じられない。

 故郷のはずが、異邦に訪れたかの疎外感。村人が、こちらを無言で睨んでいるように見えた。気づかぬふりをしながら、目を伏せてその場を立ち去る。


「うぇいうぇいうぇい~? ちょっとそこのお嬢ちゃんズぅ~? このへんでは見ない子じゃない? 観光? 俺たちが案内しよっか?」


 背後から聞き覚えのある声がした。そんな知り合いなどいないと思ったが、顔を見て理解する。

 倉彦浩である。両隣には彼の友人と思しき男が二人。寒村に似つかわしくない若者だが、発言内容は地元民のようだった。


「新島。いうまでもないが、怪異だ」

「な、なんでここに……?」


 慎重に様子を探る。教授と新島は倉彦を知っているが、倉彦は二人を知らないはずだからである。


「わ! 思ったとおりやっぱかわうぃ~ね! 名前は? どこから来たの? 俺は倉彦。くらひーって呼んでいいよ。で、こいつはアキ、こっちはハンペン」

「先に自己紹介! くらひー礼儀正しぃー!」

「いいねいいねいいねぇ~! 俺らと遊ぼぉぜぇ~!」

「僕も混ぜてもらっていいかな」


 彼らの背後に、大柄な男性の姿。

 青木大輔である。

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