回葬列車②
「わ、わたしは
貝洲理江子。身長156cm。推定体重48kg。推定年齢二十代後半。性別は女性。フルリムの赤縁眼鏡をかけ、目の下には隈ができている。髪型はやや縮れており長く伸ばして後ろで束ねている。服装はくたびれたスーツ。タイトスカート。脚は黒タイツに覆われている。いわゆる「OL」として連想される姿である。
「え、ていうか、さっき……なんて? アンドロイド?」
「困惑」の表情が読み取れる。アリサは極めて精巧な外装を持つゆえに、初見では人間と区別がつかないことがあるのは学習済みだ。そして、そのための対応についても
「こちらをご覧ください」
貝洲理江子に背を向ける。
バシュン、と排熱機構が開く。普段は閉じているが、排熱効率の向上が必要な緊急時にはこうして開くことができる。機械部が露出することになるため、一目でアンドロイドだと理解できる。
「うわ!? え、うそ、ホントに? ロボット?」
「はい。私はアンドロイドです」
「さ、最近のってこのレベルなの……?」
人型・二足歩行ロボットの産業としての注目度は低い。SF作品のなかで描かれ長年の「夢」とされてはきたが、具体的な経済効果が期待できないため大企業が開発予算を投じることは少ない。つまりは、採算を度外視した熱意、あるいは狂気だけがアリサを完成させえたのである。よって、世間の認知度も追いついていない。
「え、どういうこと? ロボットが……なんで?」
「私は怪異を調査するためのアンドロイドなのです」
「怪異……この電車?」
「はい」
そこまで聞くと、貝洲理江子は押し黙って目を泳がせた。なにか思考を働かせているらしい挙動が読み取れた。
「つまり、あなたも乗ってきたの? どこかの駅から?」
「はい。■■駅から」
「え?! うそ、わたしと同じ……って、乗ったってことは……止まったの? この電車?!」
「はい。二時三分に停車し、私はそれに乗車しました」
「嘘でしょ……止まるの、この電車……それをわたしは、眠って乗り過ごして……?」
貝洲理江子は髪を掻き毟り、激しい「動揺」の表情を見せた。アリサはいくつかの発言に確認が必要だと判断した。
「あなたはこの電車にいつ乗ったのですか」
「……二日前。多分。アリサさんは?」
「約二時間前です」
「……そう。やっぱり寝てたみたい。あああ……」
「確認します。貝洲理江子さんは二日間、この電車に乗り続けていたという理解でよろしいでしょうか」
「そうよ! 二日も! この電車は一度も止まらなかった! でも寝てたときには止まってたのかも! あああ……なんで■■駅なの? わたしもそこから乗って、この電車はずっと走り続けてるのに……環状線? そんなわけ……」
「GPSは機能しませんが、慣性基準装置で計測するかぎり、電車の現在位置はこのあたりです」
アリサは対人インターフェイス端末(一見してスマートフォン)を取り出し、地図を表示させて貝洲理江子に見せる。
「海の上……どういうこと?」
車窓の外に見える景色は完全な「闇」だった。四種の暗視能力を持つアリサにもそれ以上のものは見えない。考えうる妥当性のある解釈は内側をペンタブラックでコーティングした無照明のトンネルだが、電車は二時間以上も走行し続けている。そして出発してからすぐに暗闇に入っている。それほどの規模は現実的ではない。
すなわち、「異常」である。「異常」は調査しなければならない。
「窓を開けてよろしいですか」
「……! ダメ!」
貝洲理江子は強い拒否反応を示した。表情からは「恐怖」が読み取れる。
「なぜダメなのですか」
「ダメ。とにかく、ダメ。窓を開けるのは……」
「あなたは窓を開けたことがあるのですか」
「……開けた。開けちゃった。いっそ飛び降りれないかと思って。でも」
「なにが起こったのですか」
「…………」
貝洲理江子は答えない。よって、窓を開けることにした。
「だ、ダメって! ダメ!!」
貝洲理江子はアリサの背に飛びかかり、強引に止めようとする。だが、人間の力でアリサを止めることはできない。人工筋肉の発生力は生体筋の約五倍である。
「ダメって……言ってるじゃん! このポンコツ! ロボットって人間の命令聞くもんじゃないの?!」
「私は自律汎用AIを搭載していますので、命令は不要です。そしてポンコツではありません」
「うぎぎぎ……!」
貝洲理江子の制止を無視し、アリサは窓を開けた。
びゅおう、と風が吹き込んできた。黒い風だ。煙のような微粒子が含まれているわけではない。まるで、風そのものが黒く着色されているかのようだった。
風の音は、やがて泣き声のように響いた。「怨嗟」や「嗚咽」と表現すべき音が幾層にも重なって聞こえた。窓の向こうでもともと響いていた音が、窓を開けたことで聞こえるようになったのではない。窓を開けたことで、「彼ら」は泣き始めたのだ。
画像認識AIが闇の奥に「人の顔」を検出した。十、二十……百、二百……次々に検出数は増える。「彼ら」は泣いていた。慟哭していた。
黒い風はやがて形を得る。無数の手の形となり、車内へ伸びてくる。意思を持った生き物のように蠢き、入り込もうとしていた。
「だからダメって!!」
経緯の観察に認知リソースを割かれている間に、貝洲理江子が割り込んで強引に窓を閉めた。ガタンゴトン。聞こえるのは再び走行音だけになった。
「これでわかった? 窓を開けたら、あいつらが入ってくる。だから……!」
「私は、ある噂を根拠にこの電車を待ち、乗車に成功しました」
「……なんて?」
不可解な点があった。二日間電車に乗っていたという彼女ならば、なにか有意義な見解が期待できるのではないかと判断し、順序立てて説明をはじめる。
「ただし、それまでに十二日間の試行を要しました。『人がいない』という条件を満たすのが困難だったためです」
「まあ、そうね。終電でもぽつぽつと乗ってるかな……」
「貝洲理江子さんは、この電車には意図せず乗ってしまったということでしょうか」
「そうよ。こんな電車にわざと乗ろうなんて……頭おかしいんじゃない?」
「正常な挙動です。さて、不可解な点の話ですが、私は二日前にも同様の試行をしています」
「え?」
「あなたが電車に乗ったのは、いつですか」
貝洲理江子は「驚愕」の表情を浮かべたまま固まっていた。論理的思考力があれば、二日前に■■駅で出会っていないのは「おかしい」と理解できる。この矛盾の原因は、どちらかが嘘をついているか、あるいは誤解があるかだ。
「えっと、一月……十四日……」
「何年ですか」
「二〇××年……」
「ありがとうございます。私はその二年後の一月十六日に乗車しています」
貝洲理江子は、ぽかんと口を開いて硬直していた。
「嘘でしょ……いや、嘘よね?」
「私は嘘をついていません。そして、貝洲理江子さんも同様であるとするならば、ウラシマ効果のような現象が発生していると推察されます。物理的にはこの電車が亜光速で走行している場合にこの現象は再現できますが、そのような加速度は検知されておらず、また電車の能力やレールの長さ、大気圏内であることなどから現実的ではありません」
「だったら……なに? どういうこと? なにがどうなってるの?」
「先に窓を開けた際の風速からも、電車の速度は時速60kmほどです」
「わかんない……もう、頭が……電車に乗って、このまま竜宮城まで連れられるって……?」
「事象の解明には証拠が不十分です。もう一度窓を開けます」
「ダメだって! 馬鹿なの?!」
極めて不適当な評価を得た。知的能力において人間に劣る要素はない。誤解は正さねばならない。
「私は超高性能な自律汎用AIを搭載したアンドロイドです。決して馬鹿ではありません」
「だったら、もう窓は開けないで」
「私は怪異の調査を目的としています。窓を開けて起こる現象を観察しなければなりません」
「なんで? あれがやばいってわからないの?」
「やばいからこそです」
「なんで? なにがしたいの? あなた、いったいなんなの?」
貝洲理江子は泣き崩れた。時間のずれに関する情報もショックだったらしく、思考リソースが限界を迎えているのだろう。なんにせよ、どうやら邪魔するのは諦めたらしい。再び窓を開けようと手をかける。直後。
ガラガラガラ、と耳慣れない音が後部車両より聞こえた。80%以上の確度で「車輪」「台車」の音であり、「車内販売」が連想された。そして、その音は接近してきている。
「え、どうしたの。……あ、そうか。もうそんな時間か……」
不定形の黒い影が、車掌の制服を着ていた。深々と帽子を被り、手元は白い手袋、ズボンの裾はあまり地面をひきづっていた。彼は弁当や飲料水の積まれた台車を押して、一号車にやってきた。
アリサは四号車から乗車している。それ以上後ろはない。にもかかわらず、彼の姿も台車にも見覚えがなかった。怪異に対するとき、条理に合わない現象はいくらでも起こる。
「お弁当……いかがですか……」
重く響くような抑揚のない低い声で、彼はそんな言葉を口にした。ただし、「口にした」というのは慣用的な表現で正確ではない。音声の発生源が特定できなかったからだ。
「あ、はい。お弁当と、飲み物を……」
貝洲理江子は慣れた手つきで財布から千円札を取り出した。床に転がっていた弁当の空容器と彼の運ぶ弁当が一致する。二日間電車に乗りっぱなしとのことだった。すでに数回は利用の経験があるのだろう。
「この電車は、どこへ向かっているのですか?」
よい機会だと思い、質問を浴びせる。
「え、あ、ちょ、……アリサさん!」
小声で、「慌てた」表情で貝洲理江子が声をかけてきた。先の窓開けを制止してきたときと同じ表情だ。つまり、「やめろ」と言いたいのだろう。
「この電車は、どこへ向かっているのですか?」
返事がないので、もう一度声をかける。
黒い影のような車掌は、動かない。
「この、こ、この電車は――ァ、アア、アアアア」
重く響くような抑揚のない低い声で、彼はそんな言葉を口にした。痙攣し、震えながら、台車をガタガタと揺らす。
「ア、アア、アアアアアアア」
痙攣はますます激しくなる。ペットボトルが倒れ、弁当も台車からずり落ちようとしていた。
「終わりです」
バサリ。服だけを残して、彼は姿を消した。
「……なに。どういうこと。ねえ?」
貝洲理江子は「恐慌」している。頭を抱え、髪を掻き毟る。
「どういうことなの! ねえ!」
アリサの胸ぐらを掴み、泣きじゃくる。
「次はァ――
車内アナウンスが響く。貝洲理江子がいうには二日間止まることのなかった電車は止まり、扉が開いた。
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