回葬列車③
「……降りるんじゃなかった……」
刳橋駅のホームには出口がなかった。
左右を線路で挟まれ、通常であれば階段によって陸橋か地下に接続し、改札口へ至る。だが、刳橋駅は陸の孤島のようにポツンと、どこへも出られない。駅のホームらしく路線図と時刻表の看板、ベンチ、自動販売機、外灯などは設置されているが、それだけだ。線路の先はいかなる手段でも見通せない「闇」が広がっている。空もまた、星一つない「闇」である。
「うう、寒い……」
そう呟いて、貝洲理江子は恨めしそうに線路の先を眺めた。電車が去っていった方向である。その先は「闇」であり、彼女にもなにかが見えているわけではないはずだ。
一方、アリサは駅の調査をはじめた。路線図と時刻表は判読不能であるが、記録にはとっておく。言語的に法則性があるならば十分なサンプル数を確保することで解読できるだろう。次に自動販売機の動作確認。硬貨を投入し、右端にあったコーンポタージュを選択する。ガシャン。正常に購入することができた。
「どうぞ」
「え、あ、ありがと……」
この場で最も精度の高い毒物検知器は生体である貝洲理江子である。車内販売の飲食物では特に問題はなかったようだが、駅の自動販売機が同様であるとはかぎらない。
試行回数を増やす。続けてもう一本購入する。
「え、ロボットでも飲むの? わたしはもういいけど……」
欲しかったのは、十分な重さの投擲物だ。アリサは線路の奥に向かって勢いよく投げつけた。
「聞こえましたか?」
「え?」
「落下音です」
缶は闇の向こうへ溶けるように消えていった。落ちた音や、なにかにぶつかるような音は聞こえない。
「と、遠くに投げすぎたんじゃない?」
「初速と重力加速度から計算して飛距離は約100mです。その距離で私の聴覚機器が落下音を拾えないことはありえません」
とはいえ、「遠すぎた」という説にも検証の余地はある。同様にコーンポタージュを購入し、力を緩め飛距離を調整して試行を繰り返す。50m。20m。10m。結果は同じだ。ただし、「闇」の手前、見えている線路に落ちたときだけは金属音が鳴り響いていた。
「音が聞こえない理由は三つ考えられます。①落ちていない ②落ち続けている ③音が鳴らなかった」
「どれも、よくわからないけど……」
「①は、なんらかの作用によって運動エネルギーが吸収されてしまった、という仮定です。②は、闇の向こうが深い大穴であることを意味します。③は、闇の向こうが真空状態であれば成立するでしょう」
「わかんない……どれが、それっぽいのか……」
と、貝洲理江子は深いため息をついてベンチに座った。
「……もう、なにがなんだか……」
両手でコーンポタージュの缶を抱きかかえるように握りしめ、顔を伏せ力なく呟く。
「なんなの? ねえ。これって……ここって……やっぱり、夢?」
「私に夢を見る機能はありません」
「怪奇現象に、ロボットって……はは、もうわけわかんない」
貝洲理江子は肩を落とし、コーンポタージュを飲み干すと缶を隣に置いた。
「……わたし、死ぬつもりだった。いつも死にたいと思ってたし、あのときは、ふと死のう、って」
独り言のように語りはじめる。重要な証言が得られる可能性があると判断し、アリサは話の続きを待った。ついでに、ドローンを飛ばしておく。
「それなのに、気づいたらわけわかんない電車に乗ってて……もしかしたら、噂にも聞いたことのある霊界電車か、なにかそういうのじゃないかって、薄々気づきはじめて……」
震えている。現在気温は4℃。先も口にしていたが「寒い」のだろう。隣に座れば、機体の排熱が暖房代わりとしての機能を期待できる。介護現場での実証実験のフィードバックが活きている。
「席に、なんかいろんなものが並んでたよね? あれが、わたしには墓標みたいに見えて……もしかしたら、この電車に乗り続けてたら、静かに、溶けるように死ねるんじゃないかって、もうどうでもよくなってた。だけど」
缶を握る力が増した。息を吸い込み、搾り出すように声を上げた。
「あいつが、弁当を運んできた……! 死にたいって思っても、お腹は空くから……! もう死にたくて、どうでもよくなってたのに、弁当を買って、食べるしかなくて……! まるで、電車に飼い殺しにされてるみたいで……!」
そして、隣のアリサに訴えかけるように。
「わたしはどうすればよかったの?! このままどうなるの!? わたしは、なにもできないまま……なんでわたしはこんな無能で、無力で、死にたかったのに、死ぬこともできないで……」
彼女は、まだ震えていた。
「私を抱きますか?」
「……はえ?」
「寒いようでしたら、私の排熱を暖房として利用することをオススメします。そのためには抱き合う形が効率的です」
「あ、いや、そういう……いえ、大丈夫……」
アリサとしては、貴重な
「貝洲理江子さんは、電車内で二日間活動を続けました」
「え? なに?」
「私は多くの点で人間を上回る超高性能アンドロイドですが、いくつかの点で人間に劣ることを認めざるを得ません」
「なにそれ。心とか?」
「連続稼働時間と味覚、そして消化器官です」
「……なんの話?」
「私の場合、二日間に渡って単独で電車に乗り続けることは困難です。電車内に充電設備があった場合は別ですが」
「なにが言いたいの。生きてるだけで偉いとか、そういう慰め……?」
「味覚もオミットされました。現物を回収すれば事足りるという判断からです」
「そう……」
「人間は私と比べてなお、無能ではありません」
「えっと、なんていうか……逆に、すごい自信ね?」
「事実です」
本題は次だ。現状では帰還方法は不明だ。バッテリー残量にはまだ余裕がある。調査を続けながら、並行して帰還方法も検証する。一つは線路の逆走だが、時速60kmで二時間の距離――すなわち約120kmを徒歩で帰ることは現実的ではなく、そのような「常識」の通用する空間とも思えない。高い推論能力をもって、アリサはそのように判断する。
「わたし、ロボットとなに話してるんだろ……。でも、こうして話してると、人間と変わんないね。まあ、人間と話したことってあんまりないけど……」
「チューリング・テストであれば音声を用いた場合でもクリアできます」
「なんとかテスト?」
「自然言語の対話によって人間とAIの区別がつくかを判定するテストです」
「へえ、そういう……。わたしの言ってることも理解できてるわけよね?」
「先の話でしたら、要約すると〈貝洲理江子は希死念慮を持っていたが、餓死や衰弱死は避けたかった〉でよろしいでしょうか」
「え、まあ、そうかな……うーん、やっぱ機械……?」
と、貝洲理江子は口を閉ざした。表情は「平静」に戻りつつある。
「ドローンとの通信が途絶えました」
「え?」
上空から撮影した航空写真は、闇の中あたかもスポットライトに照らされているかのホームの姿だった。続けて線路の向こうへ飛ばしたところ、通信が途絶え帰還不能となった。ドローンにもスタンドアロンで自律動作の可能なAIが搭載されている。基本的には単純な行動ルーチン――「通信が途絶えた場合は元の道へ戻れ」という命令を実行する。にもかかわらず戻ってこない。なんらかの原因で一方通行になっているか、「闇」の向こうで破損した可能性がある。
「私はこれより線路の向こう、闇の奥を徒歩で調査に向かいます」
「え、うそ、ちょっと待って!」
アリサがベンチから立ち上がると、貝洲理江子も釣られるように慌てて立ち上がった。
「なにか問題ありますでしょうか」
「ひ、ひとりにしないで……」
と、彼女は手を握ってきた。ガタガタと震えている。やはり隣に座るだけでは暖房としての効率は低かったようだ。
「貝洲理江子さんも調査に同行されるのですか?」
「調査って……なんで? なにしに行くの? やばいって……絶対やばいってわかるじゃん! あんな、先がなにも見えない闇って……あんなのに、自分から突っ込むの?!」
「はい。未知ですから。残された調査手段は足を踏み入れてみる以外にありません」
「だから……なんで?」
「疑問の趣旨が理解できません」
「アリサさんは、なんで怪異を調査したいの?」
「私はそのための
そこまで聞いて、貝洲理江子は「不満足」そうな表情を浮かべて頭を掻いた。
「あーもう。めちゃくちゃ流暢に会話できるけど、やっぱりしょせんロボットだもんね」
「はい。ですが、所詮という副詞には不服です」
「恐怖とか、そういう感情もないわけ?」
「ありません。ただし、最低限の自己保存機能はあります」
「えっと、つまり……壊れちゃったり、帰れなかったりは困るわけでしょ?」
「はい。バッテリー残量の低下に伴い帰還優先度が上昇します」
「だったらさ、せめて、その、命綱とか……」
と、なにかを探すようにキョロキョロと視線を動かす。
「といっても、ロープとか都合よく落ちてたりしないか……」
「ロープなら持ち合わせがあります」
鞄には調査活動に有用性を期待できる
「50mあります。引張強度は約31kN」
「……ロープがあるのに、命綱の発想が出なかったの? やっぱり馬鹿なんじゃない?」
「私は馬鹿ではありません」
命綱の発想は有用である。外灯の柱に一端を括りつけ、もう一端をアリサの腰部に結ぶ。「闇」の向こうが崖だったとしても、ロープを伝って復帰することができる。
「柱の強度も十分のようです」
「えっと、これヤバそうだったらわたしが引っ張り上げればいい? そんな力に自信ないけど……」
「私の重量は114kgです。貝洲理江子さんの力では持ち上げられないでしょう。自力で復帰可能です」
線路に降りる。幅は一両分。その先は「闇」だ。不連続な境界の先に「闇」が広がっている。光吸収率の極めて高い塗料に覆われた壁のように見えるが、投擲した缶の通過を確認している。この「闇」には、先がある。
接近に従い、「闇」は蠢きはじめた。画像認識が「人の顔」を検知する。気流が乱れ、風が荒れる。「人語」らしき音声も聞こえはじめた。意味のない呻き、あるいは日本語の音素が検出できるが、文法として意味をなす言葉は聞き取れない。あたかも生き物のような挙動であったが、その「意図」や「目的」は不明。気象のような自然現象である可能性もある。いずれにせよ、判断を下すには調査が不足している。
まずは手を伸ばす。その直後。
プォン。汽笛の音だ。レールが振動している。
それはまるで、線路に降りたことを咎めるように。闇の中、二つの前部標識灯の明かりだけが見えた。
「やばい! 電車来てる! 戻って!」
時速60kmで走行する30t前後の重量物の衝突に耐えられるようには、この機体はできていない。これまでの調査記録が
「闇」より伸びた手に、捕捉されていたためである。
「あああ、そんな、そんな……!」
ホームで、両の手を頬に「絶望」の表情を浮かべる貝洲理江子の姿が見える。だが、その表情はすぐに切り替わった。
「ひとりに、しないでよ……!」
彼女もまた線路に飛び降り、アリサに抱きつきながら、共に「闇」へと落ちていった。
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