回葬列車
電車に轢かれると、やはり痛いのだろうか。
ホームのベンチに座り、うつらうつらと電車を待ちながら
この駅は終点だ。線路に飛び込んだとしても電車はブレーキをかけている。死に損なえば痛いでは済まない。手足の一本や二本失ったまま生きていくことになるだろう。死ぬなら一瞬がいい。そんなことばかり考える。終電近くまで残業させられて、ひどく疲れていた。
そしてふと、目を覚ます。
脳が状況の理解を拒絶していた。駅のホーム。ベンチに座っている。息が白い。時間は。慌てて腕時計を確認する。
そして、「終わった」ことを理解した。
(嘘でしょ……)
ホームで電車を待っていたはずなのに、乗り損ねてしまった。常日頃から集中力に欠け、ミスが多い自分を呪っていた。それでもなお、信じ難い失態だった。血の気が引き、なにかの間違いではないか、どこかで時間を巻き戻せないかと妄念がぐるぐると渦巻く。
(あ、死のう)
線路の上で眠っていれば、そのうち轢き殺されるはずだ。ついさっきうたた寝していたくらいだ。どこでも寝れる。異様に眠い。家に帰るのもめんどくさい。そして、ふらふらと歩き出す。
「……?」
次に目覚めたときは、電車のなかだった。
先の冷たいベンチとは違い、温められた座席にいた。ガタンゴトン。周期的な揺れが眠気を誘う。頭が重い。お腹がぐるぐるする。
ひどい、夢を見た。そう思った。
電車にはちゃんと乗れていたのだ。なぜこんな夢を見たのか。微妙な違和感を覚えつつも、顔を上げる。
「え?」
他に乗客はいない。そこまではいい。この時間、この電車の乗客は少ない。ガタンゴトン。ただ、乗客の代わりのように、「物」が座席で揺られていた。
鞄。スマホ。ノートPC。帽子。ハンカチ。本。イヤホン。眼鏡。
等間隔に、ずらりと。忘れ物と解釈するには異様な光景だった。
「なに、これ……」
まだ夢を見ているのか。腕時計を見る。時間は、三時二十分。
「は?」
終電の時刻はおおよそ〇時。
こんな時間に、電車が走っているはずがない。
(あれ? やっぱり、電車には乗り損ね……?)
心拍数が上がり、すっかり目が覚める。
ガタンゴトン。揺られながらも立ち上がり、電光案内板を探す。いまどのあたりを走っているのか知りたかったのだ。
だが、読めない。
路線図も、広告も、電光案内も、一見して日本語のような文字で書かれていながら、なに一つ判読できない。
窓の外を見る。真っ暗だ。鏡のように自分の疲れた顔が反射されるだけで、外にはなにも見えない。街の明かりも、星も、月も見えない。終電に乗って帰ることは一度や二度ではない。こんな光景はありえない。
そしてもう一つ、貝洲理江子は重大な違和感の正体に気づいた。
電車に乗るとき、彼女は席が空いているなら扉のすぐ近く、隅の席に座る。今回もそうであったはずだ。この電車に乗り込んだ記憶が、今になって朧げながら蘇ってきた。
であれば、逆だ。
いつもは下り電車で帰宅している。これは上りだ。
終点であるはずの駅から、上り電車に乗り込んでいる。
(回送電車に……間違えて乗り込んじゃった……?)
そもそも、回送電車の扉は開かないはずだ。少なくとも「回送」の表示はなかった。「○○行」とあった。だが、それがどこであったのかは思い出せない。
記憶が整合しない。どうあっても解釈が通らない。いずれにせよ、異常事態には違いない。
(運転手か、車掌の人を探さないと……)
なんと話せばいいだろう。酔ってもいないのにただ疲れて乗り間違えた。あるいは、酔っていたという方が恥は少ないか。動悸が苦しくなる。
(前? 後ろ?)
電車にはほとんど毎日乗っている。だというのに、改めて考えるとなにも知らないことに気づく。運転席はどちらにあるのか。端の車両には違いない。ひとまずは前の車両を目指し、手すりに掴まりながら移動した。
「……? え?!」
車両を移動し、ふと振り返ると、窓ガラス越しに人影が、もといた車両に見えた。それも、ほとんど満員といえるほどに、乗客が席を埋めていたのだ。
慌てて戻る。しかし、やはり無人。代わりにさまざまな物品が席に並んでいる。
(夢? 幻覚? 頭がおかしくなった……?)
夢を見ながら現実だと誤認することはある。だが、起きているときに間違えることはない。頭がくらくらしてきたが、これは現実だ。質の悪いいたずらかもしれない。だが身に覚えがない。その背後にある悪意を想像しても震えがくる。
前の車両にも、やはり人はいない。押し潰されそうな不安を抱えながら、貝洲理江子は先頭車両を目指した。
***
JR■■線上り路線終点■■駅の平日における最終電車は、二十三時五十四分。他に誰もいないホームでその終電を待ちながら見送り、駅員など誰にも気づかれないまま待っていると、二時三分に四両編成の電車が現れる。その電車は回送ではなく、終点の先へ向かう。その電車を目にしてしまった人間は誘われるように乗車してしまい、二度と帰ってくることはない。
以上が、この駅に伝わる都市伝説の要約である。
この内容は拙い怪談にありがちな矛盾を持っている。「伝聞が成立しない」という点である。当事者や目撃者が全員死亡、ないし未帰還というパターンだ。目にしたら最後、誰一人戻ってきたものがいないのに、誰がこの話を伝えたのか。
鉄道に関する怪異は、鉄道が普及しはじめた明治時代よりすでに伝えられている。狐狸妖怪の化けたとされる「偽汽車」「幽霊機関車」がそれだ。すなわち、この話もそんな「よくある」「伝統的な」怪談に思われた。
そのため、研究室では「信憑性の低い」という意見が主流だった。しかし、怪異検出AIの見解は異なる。このような都市伝説・噂・怪談に対しても説明不能な勘や第六感のようなものが働くのだ。
この話は「怪しい」と、81%の確率で判断された。
そして、それは正しかった。81%が「正」と出たため怪異検出AIは実例によるフィードバックでさらなる精度向上を得る。
二時三分。電車が来た。鉄道会社の登録にない車両である。いくつかの車種がパッチワークされたかの歪なデザインだ。もっとも、鉄道マニアでもないかぎり人間の目にはなんの変哲もない車両に見えるだろう。今回は「電車」が調査対象であるためアリサは電車に関する大量の知識をプリインストールして臨んでいる。
〈刳橋行き〉
全国路線図の知識もある。そのような駅名は存在しない。
扉が開いた。アリサは四番車両に乗り込んだ。
「発車します。閉まるドアにご注意ください」
その時点で通信は途絶。「異界」に迷い込んだのを感知した。
車内は暖房が効いており気温は24℃。走行音と空調音。他に乗客の姿はないが、席には物品が並べられている。ボールペン、腕時計、タブレットPC、学生鞄、座布団、手毬、マスク――さまざまだ。一人分の席に一品。すべてを列挙するには紙面を圧迫するため別紙に出力する。
そのうちの一つ、スマートフォンを手に取る。動作はしない。充電が切れていると判断。自身のバッテリーに繋いで起動する。
ロック画面が開いた。本来であれば時計が映るはずが、解読不能な未知の文字列に変質していた。とはいえ、UIは変わらない。四桁のキーコードを突破することは容易かった。ただし、中身も同様に解読不能だ。写真データもひどく歪んでいる。ビッグデータを駆使すれば複合可能に思えたが、現場に持ち合わせはない。持ち主の身元を特定できる情報は得られず。画像として記録をとり、スマホ自体も証拠品として鞄に回収した。
直後、男が姿を見せた。スマホのあった席に座る男である。顔を伏せ、小声でなにかブツブツと呟いている。アリサにはむろん聞き取ることができる。
「あゆ沁みたけどそれは濡るによなあみすけ捉えてさにやらんよ先々週にな」
日本語の単語を含むようでいて、文法的には意味をなしていない。これもまた、大量の知識を備えた高度なAIであってもスタンドアロンの状態での解読は極めて困難であり、記録だけ残して保留する。リソースは無限ではない。このような判断を瞬時に行えるのが真に強いAIなのである。
目の前にあるのは膨大な未知だ。判断のための情報は多い方がよい。アリサは男の顎を掴み、持ち上げた。顔を確認するためである。
その男には顔がなかった。髪型は短く天然パーマが入っている。年齢は三十代か。服装は灰色のシャツに紺のジーパン。そこまでは確認できる。
だが、顔を認識できない。ノイズが入ったように、溶けて歪んだように、目鼻立ちを識別することができなかった。また、顎を掴まれ顔を持ち上げられているのに対し反応がない。まるで弱いAIの積まれたロボットのように、変わらず解読不能な言葉を呟き続けている。
すなわち、明らかな「異常」である。
「返せ」
繰り返される解読不能な言葉のなかに、ときおりそのような言葉が混ざった。物品を回収するために人影は増え、同様に言葉を発し続けているが、近い意味を持つ言葉が共通して含まれていた。すなわち。
「返せ」「返してください」「戻して」「とらないで」「とるな」
ただの偶然であるかは、同様に混ざる頻度の高い言葉を抽出する必要がある。結果、「家族」に関する単語が次に多いが、それらをすべて合わせても「返せ」に類する命令形は二倍以上の差がある。
つまり、物品の回収には「意味」がある。すべての物品に対してこれを試みる。
ただし、すべてを回収するには鞄の容量が足りないため、比較的情報量の多いと思われる物品を中心に、あとはランダムで選択した。物品を席から回収すると「乗客」が現れる仕組みはすべてに共通した。「乗客」は老若男女さまざまで、外国籍と思われる人物もいた。おそらく、日本全国で平均的な乗客リストと照合するなら90%以上で一致するだろう。これは正確なデータを持っていないため概算である。
そして、アリサは一号車へと辿り着く。
その車両は二~四号車とは様子が違っていた。
席の上に物品は並んでいない。ただし、一つの席を除いて。
そこには女が寝ていた。ダウンジャケットを掛け布団代わりに、長椅子を占有して横になっていた。腹の上あたりで眼鏡を抱えている。床には脱ぎ散らかされた革靴、弁当の空容器が三つ、ペットボトルが三本、ビールの空き缶が八本転がっていた。
怪異検出AIは彼女を12%の確率で「
「んえ? ……え?」
女が目覚めた。もとより眠りは浅かったのだろう。アリサの接近が目覚めさせたようだった。
「うぇ? え? ……ええ?!」
目を擦り、涎を拭きながら、女は驚きの表情を見せた。
「人?! え、あ、だ、誰!?」
「いいえ。私はアンドロイドです。近城大学白川研究室の備品、アリサです」
女は、
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