対怪異アンドロイド開発研究室

 近城大学・白川研究室。

 奇妙な研究テーマに興味を惹かれ、三年生の新島にいじまゆかりは見学へと足を運んだ。


「げひゃひゃひゃ! ばっかでえ!」


 扉をノックしようとした瞬間、部屋から汚い笑い声が響いてきた。新島は思わず手を止め、やっぱり引き返そうかと逡巡する。


「ん。見学の子?」


 段ボールを抱えた大柄の男に声をかけられた。どうやら研究室の一員らしい。


「あ、はい。まあ、そうなんすけど」


 気づかれてしまっては退くに退けない。新島は覚悟を決めて研究室に足を踏み入れた。

 中にいた研究員はざっと十人ほど。各々が机に向かいPCモニターを睨んでいた。机の上は機材や書類で雑然としている。中央には首のない人形――人型ロボットが支持台に吊られていた。これも二~三人で整備している。ほか、棚の上にはどこかで見たような玩具ロボットが並び、あるいは店頭案内で見かけたようなロボット、今話題のお片付けロボットなど、真っ当なロボット研究室に見えた。


「教授ー。見学の子来てますよ」

「おう。ちょうどよかった」


 教授と呼ばれた声の主が、先の汚い笑い声の主と同一だと気づいて新島は身構えた。

 振り返ったのは、教授というには若く見える女性だ。ボサボサの黒髪。オーダーメイドの眼鏡。左手にはスマートウォッチ。首から下は眩いほどの白衣に包まれている。


「見学者。ちょっとこっち来い。いいもん見せてやる」


 手招きされ、新島は躊躇いながらも教授のもとに歩み寄る。教授の向かっていた机には無数のモニターと人間の首――ではなく、たぶんロボットが乗っていた。


「座れ。これをつけろ」

「な、なんすかこれ」

「HMDだ。VR映像とか見れる」

「それは知ってますけど」

「知ってるなら聞くな」


 あれよあれよという間に、新島は奇妙な映像を見せられることになる。


「この映像なんですか。なんか怖いんですけど」

「先日、こいつが撮ってきた映像だ」


 と、教授はロボットの頭を撫でるが、HMDを装着した新島には見えていない。

 映像は夜の山奥のようだった。首を回せば追従して周囲が見渡せるが、撮影された映像であるためそれとは無関係に進んでいく。

 状況を理解するため、新島は思考を働かせた。

 白川教授率いる研究室は「対怪異アンドロイド開発研究室」を名乗っている。

 研究テーマはその名の通り、「怪異おばけを調査するアンドロイドの開発」である。

 高校にオカルト研究部が設立されているのとはわけが違う。民俗学とか文化人類学とかそういうアプローチでもない。「怪異おばけが現実に存在する」ことを前提に調査する。しかもアンドロイドで、だ。

 興味を惹かれないはずがない。が、同時に悪い予感もあった。そんな研究テーマを掲げる研究室がまともであるはずがないからだ。

 そして今は、その悪い予感が当たっている。説明も挨拶もなしに、いきなりこんな映像を見せられているのだから。


「あの、もしかしてこれ、おばけとか映ってるやつですか?」

「もう映ってるぞ」

「え?」

「倉彦ってやつがそうだ。HUDを表示してやろう」


 画像認識AIが対象オブジェクトごとに付与しているタグが表示された。撮影者(おそらくアンドロイド)が出会った男性、倉彦浩は70%の確率で「怪異おばけ」とタグがついていた。


「またまたぁ。どう見ても人間じゃないですか。これってむしろ私に対する心理実験だったりしません?」

「そういうテーマの実験はうちではやって……いや、アリかもな」


 声のトーンがだいぶマジなので、新島は思わず生唾を飲み込んだ。


「ちょっとぉ?! なんでこの子当たり前のようにガンガン進んでるんすか止めて止めて!」


 明らかになにかありそうな廃屋に、というかそもそも不法侵入なのに当たり前のように撮影者アリサは侵入していく。そのうえ屋内には赤い郵便ポストという場違いなオブジェクト。怖すぎる。


「え、ていうかこれ撮影者ってアンドロイドなんですよね。HMD被せられる前にチラッと見えましたけど」

「そういう研究室だからな」

「すごくないですか。え、あれ、アンドロイドって今ここまでできるもんなんですか?」

「その程度の認識か。もう一年以上介護現場では実証実験してるぞ。まあ、あっちのは人間と見分けがつかないほど精巧ではないけどな」

「全然気づかれてないじゃないですか。えっと……この、アリサちゃん?」

「暗がりだったからかもな。あるいは……倉彦が怪異おばけだったからか」

「だからなにを根拠に倉彦さんがおばけなんです?」


 しばらく撮影者アリサが廃屋を調べる映像が続く。撮影モードによっては昼のように明るく見える。それでも怖いものは怖い。音響がリアルすぎるし、ロケーションの雰囲気がありすぎる。

 その中で救いとなっているのは同行する男だ。こういう口数の多い人物がいるとホラー度はグッと下がる。


「いや~、なんか倉彦さんといると安心しますね~」

「君、こういう男に騙されるタイプ?」

「騙されるってなんすか。いい人じゃないすか」


 思ったより怖いものは映ってないな、と油断していると最後の最後で白無垢の女性が現れ、新島は思わず悲鳴を上げた。


「え、あの、このにらめっこいつまで続くんですか?」

「五時間」

「もう外していいです?」


 心臓がバクバクしている。まさか本当におばけが映っているとは思わなかった。


「す、すごいリアルな映像ですね……はは……」

「リアルだからな」

「いや、その……」


 確かに怖かった。だが、これくらいの映像はつくろうと思えばつくれる。早くネタばらしでもしてもらわないとむしろ気まずい、という感情の方が増しつつあった。


「よくこんな怖いものいきなり見せられますね……」

「いや、私は見てない」

「え」

「怖いだろ。私はゾンビゲーもVRでのプレイは断念した。テキスト形式の記録ログもある」

「私もそっちでよかったじゃないですか!」

「もちろん、読みたいなら読ませる。大事な見学者だ」


 と、電子ペーパーを手渡される。テキストは短編小説くらいの文量だった。というより、文体も小説に近い。


「アンドロイドの書いたホラーなんて売り込みゃ話題になりそうだと思ってな。上手く行きゃ予算源にもなる」

「AIが小説を?」

「これまでどれだけの小説が書かれてきたと思ってる。そんだけの莫大なデータと、なにより事実って元ネタがある。楽勝だ」

「AI視点なんですよね。なんで三人称なんですか?」

「三人称の方が客観的っぽいだろ。怖いけど怖くないホラー、なんてキャッチコピーもつけられるしな。なんだったら一人称で書き直させることもできる」

「ところどころ人間よりすごいぞアピールがあるんですけど……」

「実際、多くの性能スペックで人間超えてるからな。『人間よりすごい』がこいつのアイデンティティだ」

「大丈夫です? その、ロボットの、反逆とか……」

「あー、そういうのはホーガンでも読んでくれ。『未来の二つの顔』な」

「はあ。というか、あれ? さっき映像見てても気になってたんすけど、倉彦さんは?」

「確かに見失ってるな」

「見失うものなんですか? こんな高性能なのに」

「アンドロイドといっても認知リソースは無限じゃない。映像データだってのままじゃ容量がいくらあっても足りないからリアルタイムで圧縮してる。食ったもんのせいでエラーログも出てたしな。そのへんの処理限界だったんだと思うが……おい、どうなんだ」


 と、白川教授は机に乗っている首に向かって話しかける。


「はい。白川教授のおっしゃる通りです。104号室の指定という明確な異常に気を取られていました。超高性能アンドロイドらしからぬ失態で面目ありません」

「わっ」


 首がしゃべったので、新島はつい驚いた。よく見ると、黒髪セミロングの綺麗な女性である。首だけだが。


「アリサちゃん?」

「はい。私が超高性能めちゃくちゃすごいアンドロイドのアリサです」

「ど、どうも……これ、遠隔操作とかです?」

「圏外の山奥でスタンドアロンで動いてたろ」

「そもそもその映像からですね」

「なにからなにまで疑り深いやつだな」

「あ、そういえば倉彦さんとは連絡先交換してましたよね。まだ通じるんですか?」

「はい。倉彦浩とは現在も連絡可能です。三分前にも連絡がありました」

「ほらー。ちゃんと人間じゃないですか。無事みたいですし」

「こいつを見ろ」


 モニターに示されたのは、あるユーザーのプロフィールページだった。


「くらひーさん?」

「倉彦浩のツイッターアカウントだ。身元を特定できる投稿ツイートも多かったから探偵に調べさせた。顔写真も手に入れてる」

「へえ。これがなにか?」

「今回の件はここが端緒だ。当然、倉彦浩については下調べを済ませてる。こいつは二ヶ月前に行方不明だ。つまり、この村に向かうという投稿ツイートを最後にな」

「……警察は?」

「電話には出るんだと。ただ、二ヶ月間誰も姿は見てない」

「な、なんですかそれ」

「そんなわけで捜索届は出てないわけだ。こいつは職にも就いてないしな。しかしまあ、これ以上姿が見えないとなりゃ事件性は疑われ出すだろう」

「友人を探してるっていってましたよね。村には友達と一緒に来てたんじゃないんですか?」

「わからん。普段そういう連みがあるらしいやつの話も聞いたが、村のことは初耳だと」

「……どういうことです?」

「最近の怪異おばけはツイッターくらい余裕ってことじゃないか?」


 あまりに突拍子のない話ばかりで、新島は頭がくらくらしてきた。


「で、それだけですか? 倉彦さんが怪異おばけっていうの」

「主な根拠はこいつの怪異検出AIだ。あとは状況証拠を鑑みてな。日付だって二か月も誤認していた」

「その怪異検出AIってのがまず信じられないんですけど」

「深層学習だから具体的な判断基準はブラックボックスなんだよ。特にこいつのはな」

「うーん」

倉彦こいつには熱も質量もある。一見してただの人間だが……怪異に取り込まれたか、怪異に姿形を模倣コピーされたか。具体的にはわからんが、倉彦が怪異に囚われていることは確かだろう」


 とても信じられるような話ではない。ここまでの話も映像もぜんぶ捏造つくりもので、「ドッキリでした」という方が理解しやすい。

 そもそもこのレベルのAI、アンドロイドというのも驚きだ。これも欺瞞トリックではないかと疑いたくなるが、白川教授の業績を考えれば「あり得そう」だとは納得できる。

 だが、怪異云々はさすがに納得がいかない。よくある怪談ホラーのように、話にオチがなくモヤモヤする。そこをスッキリさせるためのアンドロイドではないのか。


「結局、なんなんです。この村も、旅館も」

「さあな。誘い込まれてた、って感じはするがな。それにしては一貫性のなさも感じる」

「私も再調査が必要だと思います」


 口を挟むのは、首だけのアリサだ。


「先の調査ではバッテリー残量の問題から帰還を優先せざるを得ませんでした」

「いや、もう調査はできない」


 神妙な顔つきで、白川教授は続ける。


「改めて衛星写真を確認したが、そこにはもう村は写ってなかった」

「え……」


 神出鬼没、という語が脳裏に浮かんだ。


「消えた、ってことですか? 村があったという証拠すらもうない?」

「そうだな。だが、怪異の物証はある。こいつが胃袋に入れて回収してきた料理だ。胃袋を破って内部でぐちゃぐちゃで洗浄は大変だったがな」

「あ、そういえば」

「見たところふつうの食い物だった。異物は特に検出されてない。そんなわけで、最も確実な毒物検出装置を使って確かめてみた」

「なんですかそれ」

「ネズミだよ」

「あー……」

「で、だ。その結果だが――」

「ごくり」

「胃袋が破れて、内容物が飛び出た。まるで消化されるのを拒むようにな」

「え」

「映像もあるが、観るか?」

「え、いいです。つまりどういうことなんです?」

「わからん。まあ、危険物だ。厳重に保管してある」


 モヤモヤは残る。得体のしれない不安もある。だが、似たような怪異はこれからも調査していくのだろう。その結果わかっていくこともあるに違いない。その続報を得るための手段は一つしかなかった。


「ところで君、名前は?」


 今さらすぎる、と呆れながら新島は答える。ただ、オリエンテーションとしては十分すぎるほど刺激的だった。


「新島ゆかりです。多分、お世話になるかと」

「そうか。白川有栖ありすだ。教授と呼べ。呼び捨ては許さん」

「では白川教授、よろしくお願いします」


 新島ゆかりはもうすっかり気分は白川研究室の一員だった。


「もう少し見て回っていいですか? あれ、アリサちゃんのボディですよね」

「ああ。おい、青木! ちょっとこいつを案内してやってくれ」


 白川教授は多忙らしい。それもそうだ、つい先日アリサが持ち帰ったデータの分析作業がある。と、あくまで先の話を鵜呑みにするならだが。そんな去り際、アリサの通信機能をモニターしていたPCにメッセージが表示されていた。送り主は「くらひー」である。


〈いまひま?〉

〈だったらさ〉

〈俺のこと 返してよね〉

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