不明廃村③

 玄関の煌びやかさに対し、屋内は省電力中か、というほどに薄暗かった。要所に光量の小さい明かりが灯るだけで、「人の気配」もない。ただし、これまで見てきた廃屋に比すれば清潔であり、管理が行き届いているように見える。フローリングの床には埃一つない――と、人間であれば表現するだろう。建築物としての状態もよく、観葉植物、時計、ソファにテーブルなど、整然と並べられている。


「人、やっぱいないみたいだよアリサちゃん。建物はこんな綺麗なのに」

「そうですね。まだ全域を把握できたわけではありませんが、潜んでいるというのでもないかぎり統計的に人はいないと判断できます」


 まずは行動アクションを起こし、反応リアクションを見る。彼女の行動規範は怪異調査に向けられている。

 フロントにも人はいないが、薄明かりはついていた。そこには紙と箱がカウンターに載せられ、以下のようにあった。


〈料金はこちらへ ご自由にお入れください〉


 筆跡はボールペンによるもの。67%の確率で「女性」。データベースに類似筆跡なし。箱を持ち上げ、軽く揺する。中は空だ。時計は止まっている。観葉植物はプラスチック製の模造品だった。ほか、卓上ベルがあったのでこれを鳴らす。チン。


「料金自由? 俺も旅行でこの手の旅館はたまに泊まるんだけど初めてだなこういうの。う~ん、だいたい一泊一万から二万くらい? あ、でもWi-Fiないじゃん。今時の旅館でそんなんある?」

「料金表がありません」

「そだね。どしよっか。泊まっちゃう~? こういう旅館って二人からだったりするんだよね。俺おごるよ?」

「なので、卓上ベルを鳴らしました。三十秒が経過しましたが応答がありません」


 もう一度鳴らす。チン。


「寝てんのかな。ほらそこ、カウンターの向こうに扉あるじゃん。あの奥でさ」

「寝息など、人の気配は検出されません」

「へえ?」


 彼女は怪異と遭遇する確率の高い行動を選択する。「料金自由」と言われたなら、「無料タダ」を選ぶのが怒りを買いやすいだろうか。あるいは、「自由」とされながら料金を支払うことになにか「意味」が発生するのか。状況が特殊すぎるため判断の妥当性は計りかねるが、なんらかの判断は下さねばならない。彼女は調査費用として現金十万円を持たされているが、ここでは「使わない」選択をした。


「それより、気になることがあります」


 彼女のセンサーはより高い異常度を検出していた。「無人」であるなら、それは「異常」だ。揮発性物質が右手側の部屋より漂ってきていたのである。


「気になる? 俺のこと? もしかして、そろそろ俺のこと好きになってきーたーりー?」

「においです。行きましょう」

「あ、もしかして香水ばれちゃった? 結構さりげなく香るお気に入りのやつなんだけど」


 においのもと。障子戸を開けた先は、大広間である。やはり明かりは最低限で、薄暗い。不祝儀敷きの和室で五十畳。宴会など食事の場として使われる部屋だろう。事実、そこには二人分の食事が用意されていた。


「わお! アリサちゃん、もしかして腹ペコ?」

「胃袋なら空いています」


 厳密には「胃袋に該当する器官」が、彼女には存在する。容量は最大一リットル(人間の平均的なサイズより小さい)。その機能目的は人間を装って食事の真似をすること、あるいはサンプルの回収だ。今回はその両方である。


「いいにおい。うまそ。しかも出来立て? ってことは他に客いんの? 料理人の人は? 俺も腹減ってきたなあ。って、アリサちゃん?!」


 味覚は持っていない。詳細な分析は回収後に行う。現場で成分分析ができれば行動の判断材料に加えられるが、一機のアンドロイドに機能を詰め込むにも限界があった。よって、優先度の低さからオミットされている。それでも、箸を扱い目標を摘み口へ運ぶくらいはお手の物だ。膳の前に正座をし、手早くサンプル回収を済ませる。


「うっひょ~。もういっちゃう? さっそく食べちゃう? いいねえ。なんかよくわかんないけど貸し切りっぽいしね。人いないのはアレでしょ。なんかあんじゃん、こういうラーメン屋。それの旅館版? みたいな?」


 この状況に類似する連想としては黄泉戸喫よもつへぐいだ。

 だからこそアリサは食べた。正確には食べる真似をした。彼女は怪異と遭遇する確率の高い行動を選択する。積極的に禁忌タブーは破っていく。もっとも、食べる真似事が怪異にとってどのように判定されるかは不明だ。


「おいしいですよ。倉彦さんもどうですか」


 嘘である。アリサに味覚はない。AIでも嘘をつくことは可能だ。倉彦浩が人間であればなおよかったが、他に被験者がいないので仕方ない。


「よっしゃ、俺もいただいちゃおっと。いいねえ。めちゃくちゃ美味そうじゃん。それにしても、こんなとこに旅館かあ。地元なのに全然知らなかったよ。最近できたんかな。穴場見つけちゃった?」


 蕎麦、お吸い物、天ぷら、刺身、黒豆、焼き魚、すき焼き、茶碗蒸し。いわゆる「会席料理」だ。倉彦浩も膳の前に座り、食事をはじめた。


「あれ、アリサちゃんもういいの?」

「はい」

「腹ペコだと思ったけどもしかしてダイエット中? 少しくらいふくよかな方が俺は好きだけどなあ」

軽量化ダイエットは私にとっても大きな課題です」

「え~? あんま無理しない方がいいよ? 拒食症なっちゃった子が知り合いにいたけどさ、やっぱよくないよ、ああいうの」

「生まれつき胃袋が人より小さいもので」

「そうなん? じゃ、俺が食おっか?」


 以後は、倉彦浩の観察にリソースを傾ける。食事によってなにかが起こるなら、アリサより彼の身に及ぶ可能性の方が高い。彼は怪異おばけではあるが、だ。


「うまっ! うますぎ! うまうま! これが食いたかった! 俺はこれが食いたかった! 食いたかった! 俺はこれが! 俺はこれが食いたかった!」


 倉彦浩は祝い事のように「喜ぶ」が、異常値の検出される変化はない。

 黄泉戸喫よもつへぐいは日本神話に伝わる逸話だ。ギリシャ神話にも類似する話がある。いずれにせよ「帰れなくなる」という結果を伴うもので、即時的な異変の期待できるものではない。連想されるだけでまったく無関係である可能性も高い。いずれにせよ、観察を継続する。


 大広間を出てロビーに戻ったとき、アリサはフロントカウンターに異変を察知する。紙切れとルームキーだ。


〈104号室にお越し下さい〉


 彼女は怪異と遭遇する確率の高い行動を選択する。これは、従うべき指示だ。

 彼女も実際に怪異と出会った経験は。ゆえに、参考にするデータベースは主に「怪談」と呼ばれるものだ。多くは「創作」、よくて「勘違い」など人間の認知機能の不具合で説明可能なものだと考えられるが、現状はそのなかに一部「事実」が混ざっているという仮説で動いている。

 備え付けの見取り図を確認する。客室は中庭を貫く渡り廊下を通って北館だ。

 物音一つしない。冬の夜であるため虫の音もない。家鳴りもなければ風の音すらしない。高感度マイクでもノイズのほとんど検出できない静寂だった。聞こえるのは、自らの発する足音だけである。それはこの旅館が一種の「異界」であることを意味していた。


 彼女には「痛覚」に該当する感覚はない。ただ、機能損傷を検知する自己診断システムはある。そのシステムより警告が発せられている。腹部――すなわち「胃袋」を中心に原因不明の「異常」が発生していた。

 料理が怪異であることはわかっていた。だから回収した。結果、なんらかの異常が起こっているが、その原因を特定する能力が彼女にはない。ドン、ドン、と「胃袋」の内部を叩く音を聞いた。静寂の中に響く音の種類が増えた。ドンドンドン、音はますます激しくなる。


 北館にもあいかわらず「気配」はない。

 104号室。ルームキーを差し、扉を開ける。

 主室は十二畳の和室だ。すでに布団が二枚敷かれている。床の間には生花と掛け軸。縁側には机と椅子。窓からは夜景が見える。照明は行灯のみ。

 布団は用意されていたが、アリサは眠る必要もなければ横になる必要もない。安定な姿勢で関節をロックすればエネルギー消耗は抑えられる。この部屋で待っていれば怪異と遭遇できる確率が高いと判断し、腰を下ろした。布団の上に正座し、駆動系を固定する。姿勢制御に割くリソースを低減し、一個の監視装置となる。また、鞄から二つの監視装置を取り出し部屋の対にも設置している。これで死角はない。


 四十九分後。異常を検知する。

 アリサは一度たりとも注意を怠ることはなかった。無変化の続く光景を100ピコ秒の時間分解能で観察し続けていた。にもかかわらず、カメラはその出現の瞬間を捉えることはできなかった。

 白い着物の女である。白無垢の着物を身に纏う女である。

 アリサの目の前に、同じく正座の姿勢で鎮座していた。唇は鮮やかな紅で彩られ、目元は長い前髪のため確認できない。座っているが、身長は170cm――否、距離が正確に測定できない。超音波による反響定位での反応なし。熱赤外線の放出は検出されず。実体のない映像のようだったが、そのための装置も発見できない。対に設置した監視装置からは背面の映像が無線通信で確認できる。再現可能性として視覚機能に対する電子攻撃ハッキングのみが残された。ただし、アリサのセキュリティを突破するには国軍に匹敵する技術力が要求される。

 女は薄く笑っているように見えた。目元は確認できないが、アリサをじっと観察しているように見える。アリサもまた、微動だにせずその女を観察した。

 ドンドンドン。「胃袋」内を叩く音が響く。まるで鼓動のように。何度も、何度も。異常を示す警告ログが何千行も積み重なっていく。

 ドンドンドン。メリッ。容器に亀裂の入った音が聞こえる。それは「胃袋」から這い出ようとしている。白無垢の女を前にしたときから、その勢いは増していた。


 にらめっこは以後、夜明けまで五時間続いた。

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