餐街雑居③

「ギブ! ギブギブ!」


 桶狭間は鉄パイプを手に襲いかかってきたが、予備動作が七秒前から検知可能であったため臨戦モードを起動する時間は十分にあった。手首を掴みそのまま背後へ、腕の可動域を奪う形で制圧。現在に至る。


「ロボのくせに人間痛めつけていいのかよ!?」

「研究室の責任になるので人間にはみだりに危害を加えぬよう厳命されています。ただし、正当防衛はそのかぎりではありません。修復にも費用が嵩みますので」

「いいのか!? 法律的にはどうなんだ?!」

「示談で済ませましょう」


 と、解放する。


「なぜ私を破壊しようとしたのですか?」


 桶狭間は右手首を振りながら腰を低くし、睨みつけるような視線をアリサに向けていた。


「……仕事の邪魔だからだよ」


 彼は壁に背を預け、呼吸を整えて続ける。


「いや、あんたらのためを思って――と、言ってもいい。これ以上怪異に関わるな。怪異あいつらに対して、勇気を持つな」

「私はアンドロイドです。よって、勇気もありません」

「ああ、そうかよ」

「人間には無理だ、とも桶狭間さんはおっしゃりました。しかし、私はアンドロイドです」

「そうかもしれんが、あんたをつくったやつはいるだろ」

「はい。私は白川研究室によって開発されました」

「そいつらが無事じゃすまねえ、つってんだよ!」


 桶狭間は姿勢を低くし、腰部へ向けて勢いよく突進タックルしてきた。だが、問題はない。


「なっ……!」

「私の重量は114kgです」


 桶狭間の発揮する運動エネルギーでは姿勢制御を損なうことはないと計算できたからだ。


「私の機体が呪われている、という話と関連することでしょうか」


 桶狭間は十秒ほど力を込め続けアリサを倒そうとしたが、微動だにしないことから観念して、ついに離れた。


「……そうだ。あんたは、それを感じられないようだがな」

「私の怪異検出AIは視覚に大きく依存します。私自身をカメラで捉えることで検出できるかもしれません」


 ガチャリ、と首のロックを外す。そのまま両手で持ち上げることで頭部は簡単に取り外すことができる。


「うおっ! 取れるのかよ。なんか昔のアニメで見た気がする光景だな……」

「私の頭部をお持ちいただけますか」


 と、両手で持った頭部を桶狭間に差し出す。


「おっも! 待て待て、重すぎる」

「約10kgあります」

「くそ。ボウリングの球より重いじゃねえか。これを持てって?」

「はい。カメラを私の胴体に向けてください」

「……馬鹿だろ、あんた」

「私は馬鹿ではありません。これは合理的な方法です」

「さっきまで俺がなにしようとしてたのか、もう忘れたのかよ!」


 そういい、桶狭間はアリサ(頭部)を抱え、アリサ(胴体)に背を向けて走り出した。目指す先は階段である。


「なんのつもりですか」

「ひぃ、ひぃ。重すぎんだろ。くそ」


 ちらり、と桶狭間は背後を確認する。アリサ(胴体)が気になるらしい。

 CPUをはじめとした中枢制御ユニットは主に頭部に搭載されている。頭部と切り離した状態でも近距離無線通信の届く範囲(約6km)であれば胴体は遠隔操作が可能だ。ただし、頭部を外した状態での運用は想定されていない。重心の変化に伴う再計算を行う必要がある。また、胴体にはカメラがない。よって、頭部のセンサーで観測したデータをもとにあらかじめマップを作成し、その上を三人称的に操作する必要がある。

 時間的余裕は十分にあった。桶狭間は10kgの頭部を抱えて階段を登るのに苦労していたからだ。


「なぜ階段を登っているのですか?」

「はぁ、はぁ……わかんねえのか? 本当にポンコツなんだな。こんな重いもん、上から落とせば壊せるだろ」

「私はポンコツではありません。正確な意図を確認しただけです」

「そうかよ。だが、胴体は追って来られるのか?」


 再計算が完了した。胴体に視覚・聴覚センサーはないが、逆に言えばそれだけだ。胴体の各部位には傾斜計、加速度センサー、角速度センサー、圧電ピエゾセンサーなど各種センサーが搭載されており、頭部重量が減ったぶん動力学的に姿勢制御は易しい。桶狭間の速度と距離からあえてリスクを冒して「走る」必要はないと判断。時速4kmで「歩いて」頭部を抱える桶狭間を追う。


「げ。首なしで歩けんのかよ。まるっきりデュラハンじゃねえか!」

「アンドロイドです」

「わかってるよ!」


 息を切らしながら、桶狭間は二階へと到達した。「疲れた」のか、壁に体重を預けて休んでいる。


「私を落とすのではないのですか?」

「……なあ、あんた。二階から落としたくらいで壊れるか?」

「損傷はします」

「くそ! ダメっぽいな。もっと上か? ……それどころじゃねえか」


 一階が「廃ビル」と化したのに対し、二階は生活感のある事務所が広がっていた。アルミ製のデスクが並び、上にはノートPCや各種書類。棚には年代別に並べられているらしいファイル。壁にはカレンダーや時計がかけられ、隅には観葉植物が置かれている。


「ごめんなさいすみません申し訳ありません許してくださいすみません申し訳ございません」


 そして、部屋の片隅にあるロッカーに向かって頭を下げ、平謝りを続ける男がいた。グレーのスーツを着ているのはわかるが、背を向けているため顔は見えない。桶狭間は男を無視し、窓の方向へ目をやった。


「内装から見て、法律事務所か」


 抱えられている状態であるため視野が自由に利かない問題がある。背面カメラも桶狭間の胴体でほとんど塞がれている。とはいえ、もともと視野角の広いレンズを使用している。画像処理によって視界の端でも識別は可能だ。

 結果、〈相嶋法律事務所〉と鏡文字で窓に書かれているのが見えた。棚に並ぶハードカバーの書物も法律書や判例集である。

 そうしているうちに、胴体が無事二階まで辿り着いた。


「うおっ!?」


 人工筋肉SMAアクチュエータの静粛性の高さゆえか、すぐ隣に立っていたことに桶狭間は気づいていなかったらしい。


「私の胴体を観察していますが、怪異は検出されません。最大で7%です」

「そうか。あんたの目も存外節穴なのか?」


 もとより、研究室でのメンテナンス時など胴体を観察する機会はあった。しかし、これまで怪異が検出されたことはない。怪異検出AIの精度も完全ではない。あるいは、桶狭間が嘘をついている可能性もある。高度なAIなので人間の言葉を疑うこともできる。


「本当に私の機体は呪いに侵されているのですか?」

「あー、悪いがそれどころじゃない」


 桶狭間はちらりと平謝りを続ける男を見た。未だロッカーに向かい、訪問者に対する反応は見られない。


「申し訳ございませんお詫びしますすみません許してくださいすみません申し訳ありません」


 ロッカーになにかがある、と考えるのが自然な推論だ。しかし桶狭間はそれを無視してデスクへ向かった。アリサ(頭部)をデスクに置き、散らばる書類、雑誌、新聞記事、手毬を眺める。


「……あいつは、なにを謝ってる?」

「謝罪の理由が重要なのですか?」


 独り言のようだったが、会話に割り込む。


「今さらだが、その状態で話されると不気味だな……」

「謝罪の理由を知りたいのであれば、謝罪の対象を探るのが最も合理的かと思います」

「っせーな。わかってるよ」


 桶狭間はロッカーに視線を向ける。


「さて」


 桶狭間は深呼吸をして、動き始めた。その間、アリサはデスク上に散らばる書類を精査することにした。いずれも重要な資料である。

 平謝りする男を背に、桶狭間はロッカーに手をかける。だが、動かない。筋肉の伸縮から見て、力を込めていない。「躊躇」しているかの素振りである。一筋の冷や汗が流れるのが見えた。

 意を決したように、開く。鍵はかかっていなかった。ロッカーはなんの抵抗もなく、錆びた金属音を響かせながらその口を開いた。


「……?」


 なにもない、空のロッカーのようだった。衣服があるわけでも掃除用具があるわけでもない。

 しかし、それは桶狭間の視線の高さゆえだ。彼はゆっくりと視線を下ろす。

 白い骨――動物の骨のように見えた。桶狭間は屈み込んでくわしく観察する。

 それは、赤子の白骨死体だった。


「すみません申し訳ありませんお詫び申し上げますごめんなさい許してください」


 直後、男はその背後で土下座をしていた。


「くっ……!」


 桶狭間は歯を食いしばりながら、膝をついた。なにか見えない力に抵抗しているようだった。


「桶狭間さん、どうかしましたか?」

「いや……すまない……すまん……うぅ……」


 桶狭間の表情に「悲痛」が読み取れる。平謝りの男を無視することをやめたらしい。ともあれ、カメラと駆動系が切り離された状態は不便だ。胴体で頭部を回収し、再び接合する。

 直後。


「ごめんなさいすみません申し訳ありません許して許して許して」

「謝りゃいいってもんじゃねえだろ!!」


 桶狭間は男の頭を掴み、地面に叩きつけた。

 そして、事務所のテクスチャが剥がれる。デスクは倒れ、紙は朽ち、観葉植物は枯れる。窓ガラスは残らず割れて、冷たい風が吹き込んできた。


「……なあ、あんた。俺がなにをされていたのかわかったか?」


 桶狭間は片膝をつき、顔を伏せながら問いかける。


「一階の料理店でも平気そうだったよな。わかっててただ見てたのかもしれんが。いずれにせよ、あんたには攻撃が効いてない」

「攻撃、とは?」

「そう聞き返すってことはマジか。アンドロイドだもんな。あんたには、怪異の精神攻撃は通用しないってわけだ。なるほど。そりゃ便利だな」


 そして、ゆっくりと起き上がる。


「料理を食べ続けていたのは桶狭間さんの意思ではなかったということですか?」

「そうに決まってんだろ。あんなクソまずいもん食ってられるかよ」

「先ほどはなにが起きたのですか?」

「あんたが首を装着した瞬間、隙ができた。それで祓うことができた。だいぶ力業だがな」

「まだ調査の途中だったのですが」

「知るか! しかしあれだ。正確なとこはわからんが……怪異は、首のないあんたを最初は風景のように認識の外に置いていた。が、首を装着した途端にあんたは『人』になった。おそらく、それで混乱したんだ」

「怪異にもそのような認知能力があるのですか?」

「さあな。挙動だけ見ればそういうふうに考えられるってことだ」

「では、再現性を確認しましょう」


 アリサは頭上を指差す。


「三階と四階にも同様に怪異がいるのではないですか」

「まあ、そうだな」


 どこか「気の重い」様子で、桶狭間は応える。


「人間には無理だ。だが、アンドロイドなら?」


 桶狭間は口の中で、そんな言葉を転がしていた。


「……無理だな」

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