餐街雑居④

「まさかと思ったが、マジでか」


 桶狭間はアリサを囮に使うことで三階の怪異を手早く祓ってしまった。

 どうやら保険会社らしい。罵声、怒号、嗚咽、呪詛に満たされたネガティブ指数の高い言語の飛び交う空間だった。電話が鳴り響き、タバコの煙が視界を覆う。肩の抉れたもの、眼球に頭部を支配されたもの、腰の折れ曲がったものなど多くの異形が見られた。

 彼らは業務に集中しているためか、デュラハン状態のアリサを特に気にする様子はなかった。ふと首のないアリサを目にした桶狭間が声を上げて驚くことはあった。そしてタイミングを見計らってアリサが首を装着し直すと、怪異に隙が生じる。結果、怪異が祓われる。

 怪異が祓われるとフロアはたちまち荒れ果てる。窓ガラスはすべて割れ、壁紙が剥がれコンクリートが剥きだしになる。この「廃ビル」が本来の姿なのだろう。


「再現性、か」


 桶狭間が呟く。


「以前会った学者先生もそういってたな。再現性があるなら怪異おばけも科学の対象だとね。まあ、二度なら偶然かもしれん。問題は三度目だ」


 しかし、四階。

 そこは、なんの変哲もない「廃ビル」だった。コンクリートが剥き出しで、廃材一つ残されていない、埃の薄く積もった開けた空間だった。


「……これだよ」


 桶狭間は、はぁぁ、と深いため息をつく。


「ああ、こういうパターンだな。と思ったらこれだ。外から見たときは四階にも怪異の気配があったよな? なあ?」

「はい。ですが、今は一切の怪異を検出できません」

「逃げたのか? 恐れをなして逃げたのか?」

「不明です」

「なんで残骸すらねえ?! かけらも気配が残ってねえのはどういうことだ!」


 桶狭間は「憤慨」している。怒鳴り散らし、地団駄を踏んだ。


「再現性、ってやつを確認しようとしたらこうなる。だから誰にも信じてもらえない」

「でしたら、それが再現性なのではないですか?」

「あん?」

「怪異には再現性を避ける傾向があるのではないか、ということです」

「は! 怪異同士がLINEグループで繋がってて『再現性とられそうだから逃げろ』ってか?」

「可能性はあります」

「うーん」


 桶狭間は側頭部をカリカリと掻いた。


「まあ、少なくともそういうのじゃねえってのはわかる。怪異を理解しようとするな。さっきのクソみたいな仮説は忘れろ」

「どういう意味ですか」

「恐怖を持たないあんたにはわからん話さ。帰って開発者ママに聞きな」

「私を破壊するつもりはもうないということですか?」

「けっ。屋上行こうか。隙を見て蹴落としてやる」


 そして、彼らは屋上まで辿り着く。


「終わりか。……なんというか、拍子抜けだな。一日でぜんぶ祓えた」


 と、桶狭間は屋上のベンチに腰を下ろした。他、変電設備や空調室外機が設置されているが、いずれも錆びており動作している様子はない。床を覆う防水シートもひび割れや接合部が剥がれるなど著しく劣化しており、やはり「廃ビル」と呼ぶべき様相だった。

 ただ一つ、自動販売機を除いて。


「今回は、まあ、たまたまだ。発生して間もなかったんだろ。多分な。だから簡単に祓えた。だが、こうも手応えがないと逆に不安になるな。なにか、重大な見落としがあるんじゃないか……」


 ふぅ、と桶狭間は息を漏らした。


「今回の除霊を見て勘違いしてもらったら困るんだが、霊能者ってのは別に無敵の存在じゃない。今回はたまたまだ。なぜか上手くいった。不気味なくらいにな」

「怪異が弱かった、ということでしょうか」

「結果だけ見ればそういうことになるが……これまでに俺が祓った怪異は八件。今回を含めるなら九件だ。対し、敗走は二十七件だ。この敗走というのも、積極的に怪異に挑むようになってからの数字だ。命懸けなんだよ、除霊ってのは」

「なぜ、除霊を?」

「あん?」

「あなたは『仕事』と仰いました。どなたから依頼があったのですか?」

「いや。そういう場合もなくはないが、今回はたまたま目についたからだ。今日は偵察で済ませるつもりだった。それがいつの間にかぜんぶ祓えちまった」

「たまたま目についたというだけで、命懸けの除霊に挑むのですか?」

「ああ、そうだ。俺はそうせざるを得ないんだ。生まれたときから怪異が見えていた俺は、ずっと他人とは違う世界にいた。誰かが原因不明の事故に遭うとき、俺にだけ原因それが見えていた。周りが狂ってるのか、俺だけが狂ってるのかわからない。だから、すべての怪異を祓うまでこの世界に俺の居場所はないんだよ」

「それは困ります。私の調査対象がなくなってしまいます」

「けっ。心配すんな。そんなのは夢物語だ。月を掴もうとするようなもんだ。それでも、そうせざるを得ないんだよ。まあつまりは、狂ってしまってるんだ。壊れてるんだよ。俺は、もう……」

「それは、大変な思いをされているようですね」

「……んお? おいおい。おいおいおい。すげえな。俺を憐れんでくれんのか。アンドロイドってのはすげえな。だがまあ、間違っても、俺をなんてのは思わないでくれ」

「どういうことでしょう」

怪異あいつらに対して、勇気を持つな」


 桶狭間は鋭い眼差しで、そういった。先にも聞いた言葉である。静かな夕暮れ、ぶぅぅん……と自動販売機の稼働音だけが鳴り響く。


「怪異というのは、あんたらにとって物語フィクションでしかなかったはずだ。だからその印象の大部分が物語フィクションの影響下にある。そして、こう信じる。『勇気』をもって挑めば、事態は好転する。『勇気』さえあれば、勝てるはずだ。

 ――それだけはやめてくれ。怪異に恐怖を感じているなら、それが正しい。くれぐれも勇気を持つことだけはやめてくれ」

「なぜですか?」

「これもあんたにはわからん。開発者ママに伝えろ。この世に生きているかぎり、安全圏なんてないってな」


 現地協力者ないし部外者の命令は最下位に近いプライオリティにある。「怪異に近づくな」「怪異調査をやめろ」といった命令は当然ながら却下される。ただし、桶狭間は貴重なサンプルだ。白川教授の命令である「白川有紗の捜索」という目的とも関連性が高い(彼の話によれば「死亡している」とのことだが、確定ではない)。彼との接触関係は維持する必要がある。


「このビルの怪異について、桶狭間さんはどのように解釈しますか?」

「あん? まあ、意味ありげではあったな。腐った料理を死ぬほど食わせる店。なにか不祥事があったらしい事務所。残業し続ける会社……。ここが元々どういうビルだったか調べればなにかわかるだろうが、どうでもいいな。もうここは祓えたんだ」

「では、その背後の自動販売機についてはどうお考えですか」

「なに?」


 桶狭間は今になって気づいたように、自動販売機を目にして頭を抱えた。


「……あーくそ。俺としたことが」

「なにか飲みますか」

「おい待て! こいつが怪異だってのはあんたもわかんだろ! おい! 小銭を取り出すな!」


 制止を振り切り、百円玉を投入する。はずが、入らない。コイン投入口が溶接されていたからである。


「使用不能にされてやがる。なんだこいつは……」


 にもかかわらず、稼働し続けている。背後に回って確認すると、電源がどこにも繋がっていないことがわかった。

 商品の並びに不自然な点はない。ジュースやコーヒー、お茶やミネラルウォーターが並んでいる。メーカー名にも覚えがある。ただし、非電源で稼働を続け、投入口が塞がれている点に「異常」がある。


「……訂正だ。ついさっき今回を含めて九件目の成功例に数えたが、これは二十八件目の敗走だ」

「祓えないのですか?」

「ああ。俺はそいつのことがなにもわからない」

「では、下階の怪異は理解の範疇だったと?」

「対処はできた。さっきの質問にはあえて答えなかったが、ぼんやりと世界観は掴めてはいた。だから祓えた。だが……自販機こいつは、なにもわからん。まあ、投入口が塞がれてるなら無力化はされてるはずだ。下手に手を出すべきじゃない」

「そうですか」


 ガン! と思い切り自動販売機に蹴りを入れる。


「なにしてんの?!」

「頑丈ですね。私の蹴りは約2tの衝撃力を持ちます。通常の自動販売機では少なくとも故障は免れないはずです」

「手を出すなっつったよな」

「足です(本当は慣用句を理解しているが融通の効かないアンドロイドを演じるという高度なジョーク)」

「クソ屁理屈ロボめ」


 破壊不能。投入口を開く道具も持ち合わせにない。問い合わせ先と管理番号は記録しておく。現状では打つ手がない。よって、次のタスクに着手する。


「提案なのですが、今後は桶狭間さんの活動に私も協力させていただけないでしょうか」

「は? なに? 協力?」

「怪異退治・除霊に関するデータ収集にも有用性があると判断しました。今後、同様に怪異退治の案件があるのであれば同行したいという提案です。今回の件でも私の存在は有用であったはずです」

「厭に決まってんだろ。あんたみたいなめちゃくちゃなやつ」


 これまでの言動が彼の心証を損ねていたらしい。プライオリティを順番通りに処理した結果だ。白川教授の命令は最上位にあるが、関連度や緊急性などの係数を掛け合わせ「桶狭間信長に忖度する」ことは「怪異調査」の下位となった。決して「彼との関係維持」との因果関係を想定シミュレーションできなかったためではない(高度なAIにそのようなミスはありえないため)。


「では、白川有紗と協力関係を築かなかった理由はなんですか」


 ゆえに、このような高度な類推に基づく質問も可能である。


「……それを聞くか」


 桶狭間は顎を撫で、「考える」そぶりを見せた。


「まあ、単にそりが合わなかっただけだ。それだけだ」

「亡くなった、と仰っていましたが行方に心当たりはあるのですか?」

「ねえよ。あいつとはさほど話しちゃいない。まあ、お姉さんのことは心配してたぜ。巻き込んでしまったことを後悔してた。それだけだ。これでいいか?」

「はい。それでは、今後のために連絡先を交換しましょう」

「なんで今後があると思ってんだよ」

「協力関係を築くことには互いに利益があります」

「俺にはねえよ。お別れだ。まあ、最後にあんたに纏わりついてる呪いは祓ってやるよ」


 桶狭間は懐よりぬさを取り出し、しゃんしゃんとアリサを払った。


「これはなんですか?」

「んー……。ふつうだったら『肩が軽くなった』とかあるんだけどな」

「自己診断システムで有意な変化は発見されません」

「なら、もっかい見てみな」


 アリサは鞄からドローンを取り出す。桶狭間の提案通りそのカメラを通して自身を観察することにした。


「……そんな便利なもんあったのかよ」


 と、桶狭間は呆れ顔を見せる。


「いやいや。それあるならなんで首外した? やっぱ馬鹿なのか??」

「私は馬鹿ではありません。屋内だったためドローンの使用を控えただけです」

「へえ。そうか。まあいいや。じゃあな!」


 と、その準備中に桶狭間は駆け出し、屋上から飛び降りた。アリサはタスクを中断して彼を追ったが、その姿はどこにも見えなかった。

 四階建てビルの屋上からの飛び降り。そして姿の消失。人間離れした挙動である。彼は怪異だったのか。その確率は22%。「ほとんど人間」である、というのがアリサの判断だ。怪異検出AIの精度を見直すべきか。あるいは特異な人間だったのか。霊能者の持つ能力についてすべてを把握できたわけではない。彼を取り逃がしたのはアリサにとって大きな失態だった。

 念のためドローンによる全身検査も行なったが、特に変化は発見できない。怪異検出AIを見直すべきか、彼の虚言だったのか。本当に自身が呪われていたのなら、これもまた貴重なサンプルの喪失といえた。この結果は桶狭間のいうところの「敗走」といえるだろう。


 桶狭間とは異なり、アリサは階段を使って一歩ずつ下階へと降りた。ここまでの稼働時間は四時間。バッテリー残量は少ない。


 アリサは、タクシーで帰ることにした。

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