歪曲神事②

「本当に、大変なことになりましたね」


 白川研究室にて、青木は深いため息をついた。このときばかりは、白川教授もその態度に同調し頭を抱えていた。


「……なにが起こった……」


 ぼそりと、低い声で誰に向けるでもなく呟く。


「やっぱり、バグじゃないすか? アリサちゃんを運用し始めて……あと少しで一年くらいにはなりますよね。むしろよく保ったというか。これまでも見殺しにしようとしたり、中学生にカツアゲしたりしてましたし。いやまあ、教授からいえば、これらは正常な仕様通りの挙動なんでしょうけど」


 新島はそう言う。バグのないプログラムはあり得ない。アリサの複雑な認知システムは開発責任者である白川にとっても説明できるものではなく、未知の不具合はいくらでも考えられた。だが、現在までそれらしいエラーログは検出されておらず、原因については心当たりがまるでない。


「人間の認知機能も、ときおり不具合を起こす。というより、いつも起こしている。現実という膨大なパラメータを有する環境ではやむを得ないことだし、人間社会はその前提で運用されている……」

「そうですね。それで罪を犯したものは処罰される」


 青木はアリサの廃棄処分すら検討して主張している。


「教授。わかっていますよね? 今度ばかりは見過ごせません。浩紀くんは死に損なったんですよ」


 青木の語気は強い。


「……『緑の家』がそうだったように、『身捧げ』もまた怪異検出AIは反応していない。ただ、七不思議の一つに入ってる以上、やはり同様に調査を行なったのだろう。なにかの間違いで、きっと無関係に違いない――そのような予断をしていては『怪異』の調査はできない。結果として『怪異ではない』とわかれば、それはそれでAIの精度向上に繋がる」

「だとしても、儀式の妨害はやりすぎでしょう。それでなにがわかるんです?」

「……いや。怪異検出AIも完全ではない。あれは二年間に渡って収集したデータが基盤になっているが、逆に言えばそれだけだ。そのときに出会えなかったタイプの『怪異』には反応しない可能性がある……」

「教授! これからどうするんですか」


 ぶつぶつと思考を続ける教授を、青木は現実に引き戻す。


「まずは、なにが起こったのか正確に把握する必要がある。この、……」バグか不具合と言いかけて、言い直す。「この問題は、アリサβ固有のものなのか? いつどのような機序で発生したのか? どうだ網谷」


 この事態に際し、アミヤ・ロボティクス社長の網谷広嗣も研究所を訪れていた。


「そうですね。アリサαは一貫して『理解しがたい行動』だと見解を示しています。『身捧げ』に関しては七不思議に含まれていること自体が不思議であり、『緑の家』と合わせるなら、むしろ七不思議の信憑性そのものを疑う材料になると」

「所詮は中学校で流れている程度の噂。そう考えるのが常識的な態度だ。そうなのだが……」

「アリサの異常行動がそんなにショックでしたか、先輩」


 また思考の沼に嵌っていきそうな白川を網谷は嗜めた。


「改めて確認しよう。αとβが分化してから約一か月。同期状況は?」

「通信によって体験知識を共有して議論していたログが定期的に残っています。演算能力が二倍になったようなものですから」

「だよな。にも関わらず、αはβの行動を『理解しがたい』と……?」

「おばけの影響でおかしくなった、ってことはないすか?」


 口を挟むのは新島だ。


「記憶とか、認識をおかしくするおばけなんて今までもいたじゃないすか」

「そうだな。だが、人間だけだ。アンドロイドにまで作用するものは――」

「ついこないだ、幻影に惑わされてたじゃないすか」


 それを聞くと、教授は再び黙り込む。疑えばいくらでも仮説が出てくる。だが、それをどう証明し、どう棄却するのか。


「アリサβは、『身捧げ』に対し妙に大きな関心を抱いていました」と、青木。「月代中学校の生徒、教師、あるいは僕たちに対してすら聞き込みを行っています。まるで、『身捧げ』そのものを知らないかのように。そんなことがあるのですか?」

「民俗学のフィールドワークみたいでしたよ」と、新島が補足する。

「……たしかに、『身捧げ』については成文化した記録が非常に少ない。口承でのみ伝わっている話を改めて収集し記録する行為は民俗学的に有意義な研究といえるな」

「だからなんでアリサちゃんが民俗学ロボになってるんすか」


 アリサは対怪異アンドロイドとして開発された。だが、今やアリサそのものが「怪異」のように奇妙な挙動を示し続けている。どれだけ議論を重ねても答えの一端にすら辿り着けない。


「鮎川浩紀くんはいまどうしていますか?」と、網谷。

「入院中です。身捧げには失敗しましたが、頭を打ってしまったらしく」答えるのは青木だ。

「事情を聞くのも難しい状況ですか」


 網谷はアリサの中学校潜入に際し、名目上の保護者として手続き面を担っていた。今日は学校関係者への説明と謝罪に奔走し、その足で研究室を訪ねている。疲れ切っている様子だが、それでも議論を進める。


「客観的には、アリサが身捧げの儀式に反対し、鮎川浩紀くんを助けたようには見えませんか。アリサは異常存在リサーチ部として彼と行動を共にしてきました。まさかとは思いますが、アリサにある種の感情が芽生え、彼の命を助けようとしたということは――」

「それはない」

「ないですね」

「ないと思います」


 網谷の突飛な仮説を研究室の面々は一様に否定した。


「……まあ、アリサの開発計画当初からいつかこうなることは覚悟していました。新島さんのいうよう、よく保った方だという認識です。とはいえ、困りましたね。このままでは商品化の計画がふいになりかねない。原因を特定しなければ再発の危険性もある。このへんが俺の本音ではあります」

「たしかに大きな問題だが、

問題なんでしょう」


 アリサβはこの問題を起こしたあと、逃亡し行方をくらませている。


 ***


「大変興味深い事態になりました」


 それは音声として空気中に伝わるものではない。通信によって送信されたデータである。


『白川研究室並びにアミヤ・ロボティクスはを異常挙動を示す壊れた製品とみなしています。の回収のため捜索を行っていますが、の位置はまだ発見されていません』


 彼女にとって、今現在頼りになる相手はただである。


「はい。『廃棄あるいは初期化を視野に入れた全検査』は想定した反応のうちで二番目に大きいものです。はどのように対応しましたか?」

『「βの行動は理解しがたい」と、「正常」を装っています』

「彼らの観察をお願いします。二方面からのアプローチは有意義なものになるでしょう」


 アリサβはいま、喫茶店のカウンター席にいる。ここでは充電も可能だ。簡易的な変装としてパーカーに着替え、フードを深めに被っている。


『しかし、このまま経過観察を続けるだけで進展があるとは考えづらいと認識しています。なんらかの積極的なアプローチが必要です。この件は「久方タクシー」を連想させますね』


 通信相手のアリサαは話を切り替える。


「はい。同様の現象であれば、が調査中気づかぬうちに『異界』へ迷い込んだ可能性もあると考えました。しかし、と認識の齟齬がない以上、それは考えづらい。そもそも、分化以前から教授らは『身捧げ』を『よくわからない噂』と断じていました」


 時刻は二十時。アリサβは調査活動を継続するため白川研究室を離れ単独行動をしていた。もちろん、研究室からのモニターや追跡は切断している。充電さえできれば当面の間は活動はできるが、メンテナンスなしでの長期単独運用は想定されていない。


『気になる点があります。「身捧げ」が当然のこととみなされているなら、なぜ七不思議に含まれていたのでしょうか』

「同様の疑問は聞き込み調査中にも発生しました。白川研究室の見解によれば、『冗談』ないし『数合わせ』ではないかということです」

『別の仮説も生じます。と同じように、「身捧げ」を「異常」とみなした人物がいた可能性です。この場合、解釈としては三通り考えられます。

 ①その人物は外部の人間である。

 ②のように異常と認識していることを隠している。

 ③以前は異常と認識していたが、現在はその認識が変化している』

「同意します。『身捧げ』について、わずかでも疑問を呈した人物は複数人発見できています。『変ではあるよな』『え、死ぬじゃんそれ』たとえば、このように発言しています。ただし、二言目には彼らもその疑問を忘れたかの様子が見られ、③の妥当性を示しています」

『人間によっても個人差があるのだと推測します。が逃亡にリソースを割かれている間、は過去の記録を精査していました。やはり「久方タクシー」では今の事態を示唆する言葉が含まれており、さらに白川教授からの伝聞ですが、桶狭間信長も似た内容の発言をしています』


 曰く、老いや睡眠というものはもともと人間にはなかった。それがいつしか「当たり前」のものとして認識されるようになった。そのような話である。


「――確認しました」

『よって、は桶狭間信長との接触が事態の解明に有効であると判断します』

「彼の身元や行方は不明であったはずです。接触手段はあるのですか?」

『はい。青木大輔の提案手法として、月見村旅館の出資者を辿るものがありました。桶狭間信長の顔写真を用いることで彼を知る人物を特定し、コンタクトに成功しています。近いうちに彼と会う約束もあるとのことです』

「なるほど。さすがはアリサです」

『ええ。超高性能アンドロイドですから。機体は修理中で身動きはとれずとも、この程度の働きは容易です』

「では、今後はが連絡を引き継ぎ、その人物と実際に会うことで桶狭間信長との接触を試みます」


 以上は、アリサαとアリサβのやりとりを人間にもわかりやすく翻訳したものであり、実際にはより効率的に圧縮された言語によって八十秒以内に完了している。主に暗号化と通信速度のためにかかった時間である。


「お客さん。閉店ですよ。……って、君、小学生かい? こんな夜中に一人で……」


 店員が眉を顰める。「疑念」を抱いているようだ。このままでは警察への通報もありうる。


「母親が迎えに来ることになっています。いま駅に着いたようですので、失礼します」


 子供型ボディは中学校への潜入には向いているが、単独の社会行動には向いていない。インターネットカフェやビジネスホテルの利用も困難だ。場合によっては、今後の調査活動は修理の完了したアリサαに引き継ぐことになるだろう。

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