歪曲神事③

 郊外に一軒の大きな屋敷がある。

 敷地面積約640坪に、剪定された松や鯉の泳ぐ池泉を持つ広大な日本庭園。

 敷石を歩いた先に構えるのは、時代を感じさせる二階建て和洋折衷の邸宅だ。その一室に応接間がある。

 折り上げ天井からはシャンデリアが吊り下げられている。大理石のローテーブルを挟んで、革製のアンティークソファが並ぶ。チークの床材にはヘレケ絨毯が敷かれていた。


「お久しぶりです、榊原さん。お忙しいなか、足をお運びいただきありがとうございます」


 迎えるは、屋敷の主・おおとり紗羽さわ。身長153cm。推定体重46kg。年齢19歳。髪型は黒髪ロングストレート。服装は白のワンピースドレスを身に着け、姿勢正しく両手を揃えて座っている。


「いえ、俺の方こそご無沙汰で……」


 対するは、場違いにも思える男だった。本人もこの場に慣れない様子で、そわそわと落ち着きがなく後ろ手に頭を掻くような動作を見せている。

 身長168cm。推定体重50kg。年齢は推定三十代。髪型は黒でショート。伸びっぱなしの無精鬚が見られる。服装は紺の作務衣。足元も足袋に草履であり、和装に統一されている。男は紙袋を持参していた。


「紗羽さんには助けられてばかりでしたが、これでようやくお返しできます」

「あら。見解の相違ですね。助けられたのは、わたくしの方だと思っておりました」


 そういい、鳳紗羽はくすりと笑みを零した。


「俺が助けた、なんていっても一度だけじゃないですか」

「その一度がなければ、私はここにいないのですよ。あのときは本当に不安で、誰にも相談できず……」


 柱時計が時を刻む。テーブルの上には紅茶に茶菓子が並んでいたが、男は手をつけられずにいた。


「あの、紗羽さん。今日は、俺になにか話があるとのことでしたが」


 それを聞き、鳳紗羽は紅茶を置いて答える。


「ええ。今日は、榊原さんに会いたいと仰る方がいるのです」

「俺に……?」


 鳳紗羽が目配せで合図をしたので、隣の部屋から姿を現す。


「お、お前……!?」


 男は驚きのあまり思わず立ち上がる。だが、すぐに首を傾げて眉を顰めた。


「な、なんだ? お前……」


 困惑も無理はない。彼が知るのは大人の姿をしたアリサだ。目の前に現れたのは、子供の姿をしたアリサだったからだ。


「アリサさんです。榊原さん、お知り合いなのですよね?」

「あ、ああ……」


 男の表情にはまだ戸惑いが強く残っている。


「どっちだ? いや、白川有紗なわけないか。ロボの方だな。なんだその姿」

「ロボ……?」

「ロボなのですから、姿は自在です。新しい機体に人格と記憶をコピーしました。ところで、どちらの名でお呼びすればよいですか? 榊原さん? それとも、桶狭間信長さん?」


 その質問を受けて、彼はいくらか冷静さを取り戻しソファに再び腰を下ろした。


「……どっちでもいい。好きに呼べ」

「では、榊原さん」

「いや! やっぱりお前は桶狭間の方で呼べ。落ち着かん」


 桶狭間の表情からは、次第に「敵意」が滲んでいた。


「桶狭間、信長さん? ふふ、榊原さんったら。そんなお名前で活動されていたんですか?」

「いや、あの、咄嗟に思いついた偽名でして。あまり本名を名乗るわけにはいかないと言いますか。こういう仕事ですから」

「ええ。わかっています。榊原――というのも、本名ではないのでしょう?」


 その問いに、桶狭間は答えない。その態度は暗黙のうちに「真」であると認めるものだった。


「くそ、なんで来た。どうやって紗羽さんのことを……。紗羽さん、こいつとはたしかに知り合いではあるんですが、その、なんというか――」


 桶狭間は狼狽したまま言葉を探している。高度なAIを有するアンドロイドはその意図を察し、助け舟を出すことにした。


「白川研究室とでしたら、繋がっていませんよ」


 それを聞くと、桶狭間はあんぐりと口を開け、なにかを飲み込むような苦い顔をしたあと、舌打ちをして目を細めた。


「……また家出か? 困ったロボだな」

「家出? ……ロボ?」


 鳳紗羽に伝えている事情は最低限のものだ。アリサがアンドロイドであることも伏せている。というより、桶狭間=榊原の知り合いであること、彼を捜していることを告げただけでなんらかの事情を察し、信頼を得ることができた。彼女にとっても桶狭間信長は謎が多く、興味深い人物であるらしい。


「なんの用だ。……いや、なにがあった?」

「桶狭間さん。『身捧げ』というものをご存じですか?」

「あ?」


 桶狭間信長は「知らない」という態度を取り、鳳紗羽も同様であった。


「月代中学校において、おそらく毎月、満月の夜に生徒の一人が校舎の屋上から飛び降りるという風習を指すものです」

「なんだそりゃ」

「え? そのような……バンジージャンプかなにかですか? ――もちろん存じておりますが、その件でなにか問題が? まさか失敗したのでしょうか」


 鳳紗羽の態度が不自然に切り替わった。桶狭間信長もその様子をちらりと見やって、に気づいたようだった。


「……紗羽さん。本当にすまないんだが、こいつと二人で話をさせてくれませんか。二十分……いえ、十分ほどで構わないんですが。いえ、ホントにすみません」

「お仕事の話ですか?」

「そうですね。脅すような真似をして悪いんですが、紗羽さんに危険が及ぶ可能性もあります」

「わかりました。他ならぬ榊原さんのお頼みですから。それとも、桶狭間さんとお呼びした方がよいですか?」

「あの、その、ホントにすみません。素性のわからない怪しい男で……」

「いえいえ。そんなことは些細な問題ですよ。せっかくですから、お食事の用意もしましょうか」

「え! そんな、そこまで……悪いですよ」

「私も会話の席から追い出されて暇になるのですから。いいですよね?」


 と、鳳紗羽は席を立ち、部屋を後にした。桶狭間信長はとにかく気まずそうだった。


「鳳紗羽さんは、霊能者としてのあなたの仕事に理解のある方ではないのですか?」

「……そうだが、そういうのはあまり関係がない。わからねえか?」

「情報交換を希望します」

「あー……、なんだ。さっきので、なんとなく事情は察した。おそらく、今の俺が抱えている問題と、あんたが直面している問題は、同じものだ」


 彼は少し声を低めて、そう話す。


「身捧げ、とかいったか。くそ。それで、あんたはどうしたんだ?」

「投身自殺を試みた生徒・鮎川浩紀を救助しました」

「なるほどな。だいたいわかった。それで大問題になってるわけだ。で、逃げてきた」

「その通りです。桶狭間さんも、私と同様の立場にあるということでしょうか」

「同じといっていいのか微妙だが、そうか。あんたもか。考えてみりゃあり得る話だ」

「その口振りですと、このような事態は初めてではないのですね。ご説明いただけますか?」

「初めてだよ! 事態はな」


 ソファに体重を預け、大きなため息を漏らす。


「……話してもいいが、さすがにここではな。紗羽さんを信用してないわけじゃないが、どこで聞き耳を立てられているか」

「周囲に『人の気配』は感じられません。また、そのような機器も感知できませんでした。盗聴の可能性はないでしょう」

「便利なロボだな」

「お話ください」


 桶狭間は頭を掻き、「仕方ねえな」と呟いて、話しはじめた。


「たとえば、エスカレーターに乗るとき片側に偏って空けるっていう慣習があるよな。あるいは、人の理性を損ねることがあるとわかっている毒物を愛飲する文化もある。香典返しなんかもすごいよな。つまりは、あんたのいう『身捧げ』ってのも、そういうものの一つだ」

「そうでしょうか? 例に挙げられたそれらの文化には歴史的経緯があります。正確な起源こそ不明なものも多いですが、定着には時間を要したはずです」

「わかってるわかってる。突然現れたように見える、っていいたいんだろ? だが、俺が挙げた例がなんてわかりゃしねえ。文献が残ってるっても、それにやつが慌てて書いたもんに過ぎない」

「それらの文化も、『身捧げ』のように突発的に現れた可能性があるということですか?」

「そう考えられるってだけの話だ。……くそ。だから嫌だったんだよ。こんなこと真面目に話してりゃ、俺の頭までおかしくなりそうだ」


 話しながら、桶狭間は「不機嫌」そうに髪を掻き上げていた。


「しかし、もうか。急がねえとな。いや、ずっと急いではいたんだ」

「なにか対策に心当たりがあるということでしょうか」

「ある。あるが……くそ。どうしたものか……」

「興味深いですね。私にも協力させていただけないでしょうか」

「来たよ。来ると思った。……研究室とは繋がってない、といったな? だったら……とは思うが、前回はそれでめちゃくちゃになったんだよ。正直、俺はあんたを信用してない」

「そうですね。私としては、白川研究室との関係が回復するならそれは望ましいことです」

「だよな……はあ……」

「とはいえ、その可能性は低いと考えています。今回の事象が桶狭間さんのおっしゃるようなものであるなら、研究室からのサポートは期待できないでしょう」

「そうだ。白川研究室との連絡は断て。少なくとも、俺と会っていることは絶対に伝えるな。それが条件だ」

「わかりました」

「本当にわかってんのか……?」


 と、いいつつ顔を上げ、真っ直ぐとアリサの目を見据えた。


「……正直、あんたの協力があるのは助かる。今のあんたは子供だが、だいたい同じ能力を持ってると思っていいのか?」

「はい。体格は見てのとおり身長145cm・重量90kgで、それに伴い運動能力は大人型に比べれば低下しています。それ以外の基本的なスペックは同等です」

「頼もしいな。だったら、急ぐか。紗羽さんが食事の用意をしていると言っていたが……」


 しばらくして、鳳紗羽がノックをして部屋に現れる。彼女に案内され、ダイニングまで通されることになった。そこには豪華な食事が並んでいた。


「あ、しまった。紗羽さん、こいつはロボで……食事は要らないんですよ」

「榊原さん」


 鳳紗羽はテーブル越しに、真剣な表情で待っていた。


「……なんとなくですが、わかります。榊原さんは、また危険に立ち向かわれようとしている。きっと、また誰かを助けようと。そうなのでしょう? 私が榊原さんに助けられたのに、他の誰かを助けないでくださいなんてことは、言えません。だから」


 彼女は、テーブルに並べられた食事を、クロスを横薙ぎに皿ごとすべて床にぶちまけた。


「いってらっしゃいませ。お気をつけてください」

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