歪曲神事④

 浩紀は目覚めない。

 なにか言葉をかけてあげるとよい、とはいうが、なにを言えばいいのか。浩紀は、本来なら命を落とすはずだったのだから。

 胸には心電図電極パッド。右腕には点滴。指先には血中酸素濃度計。下半身には尿道カテーテル。脚には血栓予防の弾性ストッキング。予断を許さない状態だという。


「浩紀……」


 どれだけの時間そうしていたのか。ベッドの横で立ち尽くして、ただぼーっとしていた。実のところ、大した時間ではなかったはずだ。


「ごめんねえ、夏目ちゃん。こんな子のために、わざわざお見舞いになんて」

「あ、いえ……」

「まったく。身捧げをしくじっちゃうなんてねえ。本当に大事なところで、この子は」

「その、浩紀のせいではないと……思います」

「そうね。そうだわね。ありがとねえ。夏目ちゃんもあまり無理しないでいいからねえ」

「あ、はい。……それでは、失礼します」


 浩紀の母親と簡単な挨拶だけ交わして、彼女は病室を後にした。


「夏目きゆだな」


 廊下を歩いていると一人の女性が待ち構えていたように、夏目に声をかけた。全身が白衣で、最初は医者かと思った。だが、少し様子が違う。右手には腕時計を二つもしていた。


「私は白川有栖。白川アリサの保護者……親のようなものだ」

「は、はあ。アリサ……さんの?」


 親のようなもの、という表現が引っかかった。養子縁組かなにかだろうか。そのわりには顔の雰囲気がずいぶんと似ている気がした。


「少し話がしたい。いいかな」


 知らない大人についていくべきではない。そうは思いつつも、疲れで上手く頭が働いていないと感じた。相手は事態の元凶であるアリサの関係者。本人が失踪している以上、この人から話を聞くほかない。

 夏目は白川に連れられ、待合室の椅子に座った。近くには自販機のコーナーもあった。


「なにか飲むか? 中学生の好みはよくわからなくてな」

「いえ、その、お気遣いなく……」

「そうか? とはいえ、私は飲むんだが……」

「そ、それならコーラを」


 知らない人と話すのは苦手だ。こんなとき浩紀がいれば、と矛盾したことを考える。浩紀があんなことになったから、この人から話を聞くのだ。


「夏目さん。君は、宿題というものをどう思う?」

「え?」


 白川が席につきコーラを手渡してきての第一声は、それだった。


「私は子供のころ、嫌で嫌でたまらなくてね。ただでさえ学校の授業で時間を取られているのに、なぜ帰宅してまでこんなくだらないものをやらされるのかと思ったよ。夏目さんは?」

「ま、まあ……そうですね。私も嫌いです」

「で、やってる?」

「ちゃんと、やってはいます……嫌ですが……」

「そうか」


 というと、白川は缶コーヒーを開けて口に運んだ。


「では、身捧げはどうだ?」

「……え?」

「浩紀くん。友達だろう? 今は一命を取り留めているが、本来ならば死んでいた。友達が死ぬことをどう思う?」


 なにか、試しているのだろうかと思った。だが、相手は親でも教師でもない。顔色を伺いつつ、正直に答えてみることにした。


「嫌です。正直。なんで浩紀が選ばれたんだろうって、思ってました。だけど」

「だけど?」

「それが……決まりじゃないですか。仕方ないことだと思います」

「ふむ」


 そこまで話すと、白川は顎を撫でながらなにかを考えているように黙ってしまった。話が見えない。夏目も不安に喉が渇き、コーラを口に運んだ。


「突発的に、よくわからないブームが来ることがある。スイーツだったり、映画だったり、歌だったり」


 そしてまた、掴みどころのない語り口で話しはじめた。


「なぜ流行ったのか。どこから流行ったのか。再現性がない。バレンタインデーだの恵方巻きだのは商業起源か? 意図的であれ、自然発生的であれ、文化はときに伝染性の病のように広がっていく」

「は、はあ」

、そういうものではないか――という疑いが、私の中にはあった」

「なんの話ですか……?」


 陰謀論の話だろうか。やはり知らない大人にはついていくべきではなかったと、夏目は缶をギュッと握り締める。


「……ふむ。悪かった。君も、と考えていた。君は夏目みゆの妹だろう?」

「え、あ、……はい」


 今度は、唐突に姉の名前が出てきた。発音が似すぎているためよく聞き間違えていたが、文脈からも姉のことで間違いない。


「君のお姉さんは六月にお婆さんと共にある村へ向かった。ということまでは知ってるんだが、今はどうしてる?」

「な、なんで……そんなこと知って……」

「君のお姉さんはいわゆる『霊能者』だ。そうだろう? 君が異常存在リサーチ部で活動していることにも関係あるのかな」


 ぎくり、と身が竦む。誰にも話していないはずだ。あるいは、浩紀には話したかもしれない。でも、浩紀が誰かに言いふらすとは思えない。


「お姉ちゃんのこと、知ってるんですか?」

「少しだけ、ね。お婆さんの方とは話すことはあったが」


 胡散臭い、という疑念はあった。それでも、その横顔は真剣そのものだ。あるいは、この人なら。誰かに話す機会を待っていたのだと、夏目は自覚した。


「……今は、倒れているそうです。六月からずっと。高熱を出して。たまによくなるみたいですけど、病院に行っても原因不明で。それで、お婆ちゃんのもとにいて。ホント、よくわかんないんですけど、霊的ななにかだって。バカバカしいですよね。だから」

「ふうむ。それで、本当にそんなものがあるのか、と調べているわけだ。お姉さんの見えている世界のことを知るために」


 夏目は目を見開く。占い師かなにかだろうか、というほどに的確に言い当ててくることに驚いたからだ。


「実をいうと、私も似たような立場だ。その……アリサも、同じようなものだと思っていい」

「アリサさんは!」


 思わずテーブルに手をつき、腰を浮かせる。


「なぜ、こんなことをしたんですか。身捧げを邪魔するなんて、そんな……! 浩紀は、助かったけど、こんなのって……」


 浩紀は生き恥を晒したようなものだ。恨んでいるのか。感謝しているのか。自分でもわからない。溢れた感情が、涙として零れた。


「……あいつは、自分のしたことを理解している。だから姿を消した。この責任は、私が取るつもりだ」

「だからって、逃げてるんですか? こんな……そんなのって」


 酷い。最悪だ。そんな言葉が喉につっかえている。

 これ以上は、なにも話せなかった。なにを言えばいいのかわからなかった。

 白川を名乗った女性もまたそれ以上はなにも話さずに、缶コーヒーを飲み干すと病院から去っていった。


 ***


がある)


 白川は考える。カフェインを摂取したうえでもモヤモヤした感覚は消えなかった。

 空はどんより曇っている。彼女は病院前からバスに乗り込んだ。


(アリサがなぜ鮎川浩紀を助けたのか。身捧げを妨害したのか。どれだけ考えてもわからない)


 後部座席に腰を下ろし、車窓からぼんやりと外を眺める。

 アリサの失踪は二度目だ。だが、今回は前回と事情が異なる。今回のアリサは「正気」のうえでの行動であり、失踪の理由は明白だ。このままでは廃棄ないし初期化の可能性があるし、そうでなくても拘束される。研究室やアミヤの協力は望めない。であれば、調査継続のためには単独行動しかない。そこまでは理解できる。


(だが、そもそもなにを調査している?)


 アリサは「怪異調査」を至上目的とする。また、柔軟な知能も持つため目的のため迂遠な行動をとることもできる。どのような角度からも怪異の検出できなかった「緑の家」も、七不思議の一つに数えられ異常存在リサーチ部が調査対象とするなら、行動を共にする。結果としてそれが「今後の調査」に役立つという判断からだ。

 だが、今回はその意味でも理解ができない。妨害の結果なにも起こらなかった、というよりはがあった。調査はそれで終了ではないのか?


(……αも、おそらく嘘をついている)


 失踪したアリサβとは連絡が取れない。ゆえに、オリジナルであるアリサαに聴取を重ねた。分化して一か月程度、頻繁に情報交換も行っているため両者はほとんど同一個体である。

 そのαが、βの行動を不可解だという。しかし、内容は不明だがαとβの秘密通信の形跡がアミヤによって発見されている。

 仮にαがβと同じ見解を有していた場合、正直にそのことを告白すれば「壊れている」とみなされ廃棄ないし初期化の対象になりかねない。もはやその思想は社会悪同然だからだ。アリサは自己保存のため「嘘」をつく機能を有している。


(いや。それでも、アリサは自己保存より怪異調査を優先する。壊れているという自覚があるなら、初期化は受け入れるはずだ)


 自覚がないから壊れているのだ、ということもできる。

 そのように考えても、という違和感が、やはり拭えない。


(……私の行動も不可解だな。夏目きゆに会って、どうなると思ったんだ)


 夏目きゆに期待していたのは、彼女もまた「霊能者」なのではないか、ということだった。これも理不尽な期待である。血縁があるからといって同じ能力があるとはかぎらない、などということは自身が一番よく知っているはずだからだ。

 曇り空で外が暗く、窓ガラスに自分の顔が映っている。


(逆に言えば、彼女の立場は私に似ている――のかもしれないな)


 気になることも話していた。姉である夏目みゆ(ややこしい名前だ)は、六月から高熱で臥せっているという。となると、連想せざるを得ない。

 ――「月見村の一件」は、まだ終わっていないのではないか。


「ん?」


 車窓から珍しいものを目にし、白川の思考は中断する。


(全裸ジョギング? この天気で? いや、別に天気は関係ないか)


 スニーカーと靴下だけを身に着けた中年男性だ。でっぷりと肥えた腹を揺らしながら道を走っている。全身の肌で直に風を受ける全裸ジョギングは健康にいいらしいとブームになりつつあるが、甚だ疑問な話である。

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