歪曲神事⑤

「紗羽さんと出会ったのは十年前だ。彼女は、なにか得体の知れないものに憑かれていた」


 レンタカーを運転しながら、桶狭間信長は話す。助手席にはアリサが座っている。


「俺はと思った。当時の俺は――というより今もだが、根無草だったからな。下心があった。金持ちのご令嬢が苦しんでて、たぶん俺でなきゃ救えない。上手くいけば恩を売れると考えた」


 ハンドルを握りながら桶狭間は続ける。


「……上手くいきすぎた。紗羽さんは、こんな俺を今でも慕ってくれてる。後ろめたかった。そうはいっても、生活は苦しかった。好意に甘えて金を借りた。利子はゼロ。仕事を受けるだけ受けて、部屋を引き払い、家財道具を処分して、今日になってようやく返せたわけだが――」

「桶狭間さん。のようです」


 話を遮り、アリサが告げる。目の前の車と向かい合っていることに、桶狭間は気づいた。


「うおっ!?」


 クラクションが鳴り響く。桶狭間は慌ててハンドルを切り、車線を変更した。


「くそ。ふざけてやがる。未だに慣れねえ。どうかしてるだろ」


 しばらく走ると、救急車のサイレンが鳴っているのが聞こえた。路肩にパトカーと破損した車が停まっている。そのような事故車はかなりの頻度で見受けられた。


「どうやら、社会の左右が逆転しているようですね」

「……らしいな。右と左の概念が逆転したって言えばいいのか? あー、わからん! あり得ねえだろ。道路が作り直されたわけじゃない。こっち側で走ってりゃ停止線もねえんだ。標識も裏側を向いてる。事故るに決まってんだろ!」


 桶狭間はハンドルに頭をぶつけながらも、運転を続ける。


「……紗羽さんの、アレ。どう思った。最後の……」

「料理を床に落とした行為ですか?」

「ああ」

「怒りの表現と解釈できますが、彼女からそのような表情は検出できませんでした。言動は桶狭間さんを快く送り出しているように見えました」

「そうだな。たぶん、そうなんだ。俺にはわからないが、そういうことだったに違いない。きっとあれは、最上級の別れの挨拶かなにかだ」

「私も似た事例を知っています」


「緑の家」に対し疑心暗鬼に陥った青木大輔は映像記録を精査し、最後に台所であるものを発見した。「いや、待てよ」そこに映っていたのは乾いた米のこべりついた茶碗の破片である。「……送り割りだ。そうか、なるほど。ならそういうことだ」彼はそう発言し、なにかに納得した。


「……なんじゃそりゃ」

「不明です。しかし、同じもの、あるいは近しいものではないかと連想します」

「どういう経路で伝わってるんだか……。ところで、お前がガキの姿をしてる理由も気になってる。中学校がどうとか言ってたな?」

「はい。月代中学校に潜入し、七不思議を調査していました」

「やっぱそれか。俺も紗羽さんを経由して相談を受けることがあった。どうにも、各地の学校で急に七不思議とやらが発生しているらしい。オカルト研究部だの、それに伴う部活動もな」

「なるほど。その件も同様の異変であると」

「そんなんばっかだよ。わけのわからねえ挨拶、わけのわからねえ儀式。俺だけがそれについていけねえ」

「なぜ桶狭間さんだけ例外なのでしょう?」

「知らん。知らんが……錯視ってあるよな。あれも見えるやつと、見えないやつがいる。お前もああいうの引っかからないんだろ?」

「はい。錯視は人間の脳機能ですので」

「つまり俺は、そういう意味で頭がおかしいんだよ。人間の脳には歪みに適応する能力がある。俺やあんたにはない。だからじゃねえか」


 桶狭間はイライラしたように指先でハンドルを叩いていた。


「怪異が人間の脳に作用するという話は白川研究室でもなされていました。脳構造の異なる人間や、そもそも異なる認知機能を持つアンドロイドが例外となるのはその説にも適っています」

「あー、そうかい。研究が進んでるねえ」

「それで、これらの異変は関連するものなのですか? いったいなにが原因なのでしょう?」

「お前たちがめちゃくちゃやったからだよ! 月見村で!」


 桶狭間はアクセルを踏み、スピードを上げた。


「あれのせいで、現実に歪みが生じた。歪み。そうだな、歪みという言い方でいいか。お前たちはやってはならないことをやってしまったんだ。そして今のありさまだ。歪みは拡大し続けている。もう手遅れだよ。ついに身捧げとはな。とはいえ――」


 信号に捕まり、一時停止する。車窓から覗く外では、中年男性が全裸ジョギングに励んでいた。


「これくらいのことは、別に大したことじゃないのかもしれん。国や時代が異なれば、常識や死生観は異なってくる。奴隷制なんか今じゃ考えられんし、切腹なんざ時代劇見るたびに信じられん。それでも、かつてはあったんだ。それどころか同じ国・同じ時代でも、少し別のとこに目を向ければ隔絶した異文化というものはある」

「ですが、それらも急に脈絡なく発生したわけではないはずです」

「そうだな。たぶん。そうなんだろう。わからんが……」

「興味深い話です。月見村が原因とする説について根拠をお教え願えますか」

「根拠。根拠ね」


 車は高速道路に入っていた。乗っていたレンタカーは型落ちではあったが、高速道路でのレベル3自動運転には対応していた。桶狭間はハンドルから手を離す。


「お前、調査中に、あるいは調査後でも、対象に経験はないか?」

「あります。そのままの意味でも、あるいは比喩的に再現性が消失したという意味でも、ほぼすべてが該当します」

「お前とビルでばったり会ったときも同じことが起こったよな。あれはなんだったのかと考えていた。なんのことはない、お前はしていたんだよ。俺がやつらを祓うときと、原理的には同じことをしていたんだ」

「同じこと、とは?」

「……経験則でしかないが、と否定する。それで祓える。俺はそうしてきた」

「私に怪異を否定する意図はありません。ですが、結果としてそうなっている。両者に共通する行為――おそらくですが、『よく見る』という行為が要になっているのではないでしょうか」

「は。ずいぶん賢いロボだな。ま、そんなとこじゃねえか。怪異ってやつは、思った以上に脆いんだろう。だが……必ずしも、そうじゃない。がいる。そういうのに下手に手を出したら、最悪なことが起きる。俺はそういう経験をしてる」

「『月見村の一件』もまたそうであったと?」

「ああ。結果を見れば、そういうことだ。祓いに失敗したんだ」


 アリサは自らの保有するデータとネット情報に基づき桶狭間の説を検証した。結果、妥当性の高いものであるという判断に至った。交通事故の件数は、ここ数か月間で月見村周辺を中心に、同心円状に広がるようにして増加している。


「なるほど。やはり桶狭間さんと接触したのは正解でした。我々にはなかった発想を得られ、検証がずいぶん進みました」

「……十七年もやってるからな。こんなことを」


 桶狭間ははにかんだような表情を見せて、すぐに顔を背けた。


「自動運転とはいえ、前は見た方がよいですよ」

「うるせえな……」

「ところで、どちらへ向かっているのでしょう?」

「あ? ここまでの話を聞いてりゃわかるよな。月見村だよ」

「月見村は消滅したはずですが」

「その跡地だよ。お前、本気でわかってないのか念のためにわざと言ってんのかわからんときあるよな」

「当然、わかったうえで確認しています」

「そうかい。姿は子供でも賢いな」

「道中、EV車用の充電スタンドがありますね。寄っていただけますか?」

「ん? ああ。そうか、ロボだったな。そういうとこで充電するのか」


 高速道路を四時間、降りてからもさらに一時間半。旧月見村の近くまで辿り着くと、桶狭間は車を停めた。これ以上先は土砂崩れで通行止めになっている。よって、道なき道の山越えとなる。桶狭間は後部座席から60Lの登山用大容量リュックを手に取って、背負った。


「再三いうが」持参した杖をついて息を切らしながら、桶狭間が口を開く。「俺のことや俺の話したことは、白川には絶対に伝えるな。わかってるな?」

「はい。白川研究室は現在、私と友好関係にあるとは言い難い状態です。先ほどから一方的な連絡は断続的に来ていますが、すべて無視しています」

「くそ。まったく信用ならねえが、仕方ねえ。やれるだけのことは、やらねえと。おそらく、もう、手遅れだろうが……」


 一時間ほどかけ、旧月見村に到着する。もう日も暮れようとしていた。一帯はほとんど更地になっており、村としての形は失われていた。目指す先は調見つきみ神社の跡だという。おおよその地形とGPSの位置情報から目的地を把握するほかなかった。


「ここにはもう何度か来てるが……くそ。来るたびに後悔する。どうしようもねえって、わかってるはずなのにな」

「なにをするつもりなのですか?」

「……神体だ。調見神社で祀っていた神体の石があったろ。あれを捜してる。あれがすべての元凶……のはずだからだ。ここに野宿してでも探すつもりでいる。こんなありさまじゃ、見つかるはずもないが――」

「発見しました」

「は?」


 当時の映像記録は残っている。神体の形状も正確に覚えていた。よって、その捜索と特定はアンドロイドにとって極めて容易なことであった。アリサは桶狭間からスコップを受け取ると、約18kgの石を掘り起こした。


「……これか?」

「はい。90%以上の確率で一致しています」

「そうか……」


 そこにあるのは、ただの石だ。怪異は、一切検出されていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る