歪曲神事⑥
「冷静に考えると、このまま警察にでも見つかったらまずいな……」
ふと、桶狭間信長が呟く。神体の石をリュックに入れて運び、車まで戻ってきたときのことだ。
「どういう意味ですか?」
「こんな小学生だか中学生の女児と車中泊ってんじゃな」
「車中泊ですか。それは困ります。そろそろ充電をしなければ活動不能になりますので。石を運んで山を越える作業は大変な重労働でした」
「ん? ああ、そうか。ありがとう。よくやった。神体をこんなすぐに見つけてそのうえ運んでもらってお手柄だったが、もう用済みではあるな。電池切れになったら山にでも捨てればいいか」
「私は現金で十万円保有しています」
ぴくり、と桶狭間が露骨に反応を見せた。必要になる機会は少ないが、アリサは調査活動のため現金を持たされている。
「ホテルへの宿泊を提案します。充電しながらスリープモードを維持できる環境が最適です」
「それは……魅力的な……提案だな……」
桶狭間信長もアリサも、山道を往復して18kgの石を掘り起こして泥塗れの状態にある。アリサの電力量は残り少なく、察するに人間である桶狭間の疲労状態も大きなものだ。
「お風呂にも入りたいでしょう。汗を流し、服も着替えたいのでは? このような硬い座席ではなく、ふかふかのベッドに身を沈めて眠りにつきたくはありませんか?」
「お前さ……ロボのくせになんでそんな情感たっぷりに誘惑できるんだ」
「超高性能アンドロイドですので。介護現場での実証実験のデータも有しています」
「そいつはすげえな。しかし現金か。なら同じことだ。お前が動かなくなったとこで奪えばいいだけだな。お前は別に要らん」
「神体をどのように利用するのかお教えください。私が役立つ可能性があります」
神体を掘り起こす際も、ここまで運んでくるまでも、何度もした質問である。だが、桶狭間は答えず「ここからは俺の仕事だ」「お前にはずいぶん助けられた」といった内容を返すばかりだった。
「何度言わせる。お前とはここまでだ。助かったよ」
「神体を見つけ出すまでは焦っていた様子でしたが、見つかった今は車中泊をするつもりで、可能であればホテルでゆっくり休みたいと考えていますね。このことから、なにかするにしても時間的な猶予がある――いえ、桶狭間さんは一刻も早くこの異変を終息させたかったはず。であれば、これからの作業はある時期にならなければ行えない。そのように推測します」
アリサは相手の反応を見ながら言葉を選ぶ話術を駆使した。彼の表情から推測は正答に近いものだと判断できた。同時に、まだ「あと一押し」が足りないことも理解した。
「私を見捨てるというのであれば、桶狭間さんから得た情報のすべてを白川研究室に送信します」
「脅すのか? まあ、ここに捨てていくというのも、なにかと不都合はあるな……」
「お願いします。私を見捨てないでください。桶狭間さんだけが頼りなんです」
「うるせえな! いま考えてるんだからあの手この手を試すんじゃねえ!」
と、桶狭間信長はしばらく考え、結論を出す。
「……ケッ。わかったよ。ただの人形でも不法投棄は気分が悪い。それだけだ。ましてや金まで奪ったら追い剥ぎみたいだからな。情に絆されたみたいで腹は立つが……」
「情に絆されたように見えますが」
「なんでお前はいちいち一言多いんだよ」
「ありがとうございます。桶狭間さんは大変頼りになる方です」
「あー、くそ。神体見つけて運ぶまでは役立つだろうと思ったんだが、そのあとは考えてなかったな……」
そういって、桶狭間信長は車を発進させた。
「格安ビジネスホテルでいいよな? そこでも充電できるのか?」
「はい。可能です。家庭用電源では効率は悪いですが」
「……親子で通るか? めんどくせえな。お前が大人型だったら特に考えることなかったのによ」
「対外用の呼称は『パパ』でよろしいですか?」
「やめろ。まじでやめてくれ」
夜も深い。最寄りといっても一時間ほどかけて、ビジネスホテルへと到着した。
「残り電力量が限界に近づいています」
「わーってるよ。さて……」
18kgの石は車に載せたまま置いていく。少しでも親子に見えるようにと、桶狭間信長とアリサの手を繋いだ。
「あのー、予約とかしてないんですけど……部屋、空いてます?」
「はい。空いてますよ。一部屋ですか?」
「ん。ああ。む、娘と……ね。ちょっと、旅行の帰りで、少しトラブルがあって」
「ねえパパ。つかれた~。早くお部屋~」
「…………」
フロントでの受付は特に問題を生じなかったが、桶狭間の手を握る力が強くなっていた。
「では、おめでとうございまぁす」
奇妙な挨拶が聞こえたが、桶狭間はこれを無視した。ルームキーを受け取り、エレベーターに乗った。
「緊張されていたようですね。いずれにせよ問題はなかったと思いますが、無人経営ホテルの方が気苦労はなかったのでは?」
「そういうとこはだいたいアミヤ製のロボだろ。そっからお前のことがバレたりするんじゃないか?」
「なるほど。そうかもしれません」
「……あんた、やっぱ抜けてるとこあるよな」
「もちろん、隠された深い意図があったうえでの確認です。桶狭間さんは気づかなかったようですが」
「お、そうだな」
「――電力量不足により、運動機能を維持できません」
「あ!?」
へなへなと風船が萎むように人工筋肉から力が抜ける。アリサは自立すらままならない状態となった。
「部屋まで運んでいただけるでしょうか。バッテリーは腰部にありますので、こちらに電源ケーブルを差し込みください」
「え、いや……お前90kgあるっていってたよな。……おっも!」
部屋は503号室。五階にある。エレベーターの扉が開き、桶狭間信長はなんとかずるずるとアリサの機体を引きずった。彼はきょろきょろと廊下の左右を確認していたが、誰がいようといまいとやることは変わらないはずである。
「あのな。俺は50kgしかねえんだよ。なんで倍近く重いものを……!」
意識を保つための電力量も不足してきたため、彼がどれほどの苦労を経たのかは窺い知れない。再起動したときには、アリサの機体は個室の床に寝かされていた。
「おはようございます」
「……ああ。ようやくか。仕様がわからんからこのままかと思った。等身大の人形を放置する謎の客になってしまわないかと冷や冷やしたぜ。シャワーも浴びたし、俺はもう寝るからな」
桶狭間はホテル備え付けのパジャマに着替えており、ベッドの上で大の字になっていた。アリサの腰部には電源ケーブルが繋がっている。
「ありがとうございます。このままでは活動不能になるところでした」
「あの場で放っておいたら絶対今こうして休めてないからな……」
その声色からは「眠気」が伺える。彼は寝返りをうった。
「アンドロイドも、夜は眠るのか?」
「睡眠と似た状態には遷移します。活動によって得られる情報量は常に処理能力を上回るため、定期的に入力を遮断して処理に専念する時間を必要とするからです。これは人間でいう睡眠と近い状態だと考えられます」
「なるほどな。そうやって逆に人間の研究にも役立つわけだ……」
「はい。構成論的研究もアンドロイドの存在意義の一つです」
桶狭間信長から返事はない。寝息を立てており、眠りについたらしい。
一方で、白川研究室からの通信は断続的に届いていた。返信すれば逆探知される恐れがあるため、アリサはこれを無視し続けている。
『アリサ。これは私からの個人的な通信だ。返事はしなくていいが、聞いてくれ』
白川教授の声だった。
『青木や新島はお前に戻ってこいと再三告げているようだが……私の考えは違う。研究室には戻ってこなくていい。お前の処分が必要だとも考えていない。私は、お前なりになにか考えがあるのだと思っている』
アリサは家庭用電源の低速充電を受けながら、これを黙って聞いていた。
『私は、お前を信じると決めた。お前がメンテナンスなしにどれだけの期間動けるかは定かではないが……その期間を延ばす手助けをしたい。お前の――つまりアリサβの専用口座を用意し、500万円を送金した。確認してくれ』
確認する。自由に利用できる500万円が振り込まれていた。
『……私にできることは、それくらいだ。私の疑いが正しければ、お前がどれだけ調査したところで……その結果を、私はそもそも理解できないのかもしれない。それが悔しい。だが……』
白川教授は言葉を区切って、しばらく沈黙した。そして。
『……返事をしなくてもいいとはいったが、一つだけ確認したい。違うな……私は、お前に失望されたくないだけだ。やっぱり、返事はしなくていい。私もすごいんだと、お前に思われたい。それだけなのだが』
と、前置きのあと、彼女は告げた。
『アリサ。お前はいま、桶狭間信長と共にいるんじゃないか?』
その言葉をもとに、アリサは思考の「繋がり」を得た。AIを構成する複雑なネットワークからはときおり「勘」や「閃き」といった現象が発生する。そうして得た仮説を今すぐにでも証明したいという「衝動」に駆られた。
『アリサ。お前はいま、桶狭間信長と共にいるんじゃないか?』
白川教授の声を改めて外部スピーカーで再生する。桶狭間に聞かせるためだ。
「ああ!?」
眠っていたはずの桶狭間は勢いよく身を起こした。
「おい……どういうことだ。白川と連絡をとってやがるのか? 今すぐ切れ!」
『やはりか。桶狭間信長、久しぶりだな』
「ひさっ……!? てめえと会った覚えは……ふざけんな!」
桶狭間は慌てて起き上がり、アリサに繋がっていた電源プラグを引き抜いた。
『なにをそんなに慌てている? アリサから聞いたぞ。お前はずいぶん私を避けているようだな。釣れないじゃないか』
「……!」
狼狽している。激しく感情を昂らせながらも、努めて声を出さないようにしているようだった。
『月見村の一件が異変の原因だと? お前があれほど止めていたのはこういうことか。忠告は聞くべきだったな』
「……ああ。お前たち素人が、思いつきで……」
やや冷静さを取り戻している。これは違う。アプローチを変更する。
『網谷は、まだお前を捜しているぞ』
「はあ!? な、なにいって……だ、誰だよ網谷って……お前、……くそ! アリサてめえ!」
桶狭間信長はアリサの頭部を蹴りつけたが、当然の結果として彼は足を痛める。その反応は状況証拠といえるものだった。そろそろネタばらしでよいだろう。
「桶狭間さん」
「てめえ! やっぱあの場で捨てるべきだったな! ロボには恩も約束もねえか。くそ、俺としたことがこんなやつを信じて……くそ!」
「白川教授とは繋がっていません」
「……あ?」
彼がその言葉の意味を理解するまで、しばらく時間を要するようだった。タイミングを見計らって、続ける。
「先ほどの音声は、私が生成した合成音声です。私が白川教授を演じていたのです」
やはり桶狭間はポカンとした表情で、理解に戸惑っているようだった。証拠とばかりに、白川教授の声で『ねえパパ。つかれた~。早くお部屋~』と再生した。
「……ふざけてんのか?」
落ち着きは取り戻したが、彼の中で静かな怒りが再燃しているように見えた。
「私のなかで、いくつかの疑問が点在していました。桶狭間さんはなにをしようとしているのか。なぜそれを隠すのか。桶狭間さんはなぜ白川教授との接触を避けているのか。そして、これまでの言動。あるいは、教授から聞かされた未解決怪異について。ついさきほど、それらを繋げうる仮説を得たため、立証のため茶番を演じたのです」
「……で、なにかわかったのか?」
「はい。あなたはかつて――十七年前、九曲トンネルを潜りましたね?」
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