対怪異アンドロイド開発研究室

饗庭淵

不明廃村

 彼女にはいくつかの優れた機能がある。

 話題が無限分岐する雑談でも自然言語による受け答えができる。

 ZMPを見極めながら階段や斜面の昇り降りができる。

 補給なしに六時間の連続稼働ができる。

 ドアノブを掴んで回すことができる。

 おばけが見える。


「お? お? おお? マジマジマジ? こんなとこに、こんな可愛い子が?」


 一人の男が闇夜の奥から姿を現す。ライトを片手に、小走りに。彼女は四種の暗視機能を持つため話しかけられる10分前、男が200m先にいた時点からその姿を認識していた。


「うっひょぉ~、うぇいうぇいうぇ~い? すっげえ偶然じゃん。奇跡? 奇跡っぽい。今年の運気使い果たしたかも。こんなとこで会うことある? 運命かな? あれ、いや待てよ。もしかして……幽霊だったり? こんな綺麗で可愛い子、ちょっと現実離れしてるし? でも、君みたいに可愛い子なら幽霊でもワンチャン?」


 10m以内まで接近し相手からも認識されたため、優先順位を更新し詳細なタグ付けを行う。

 男は倉彦くらひこひろしと名乗った。身長181cm。推定体重70kg。年齢は推定二十代前半。便宜上未確認の段階から「男」と呼称していたが、性別は男性でほぼ確定。髪型はツーブロックのベリーショートで白に近い金髪に染めている。服装は灰色のダウンジャケット、黒のスラックスに黒の革靴。背には大型のリュックを背負っている。腕時計、ネックレス、指輪、ピアスなどの装飾品も確認できた。


「実はさ、ここには友達と来てたんだけど、はぐれちゃってさ。不安だったのよ。こんなとこで一人きりだよ。やばない? でも、おかげで君みたいな可愛い子と会えた。あいつらには逆に感謝? みたいな? でさ、悪いけど一緒に探すの手伝ってくれない? あ、念のため連絡先も交換しよっか。君とまではぐれたくないし」

「ご友人と連絡は取れないのですか」

「それがねー、ここ圏外でさー。圏外て! いやあるもんだね、圏外て」

「であれば、この村にかぎっていえば連絡先の交換に意味はないように思えます」

「あちゃー、手厳しい! ごめんね、実のところ君とお近づきになりたいだけでさ。ダメ?」

「連絡先の交換自体は別に構いません」

「マジ?」


 倉彦浩に応じるように、彼女も鞄から「端末」を取り出す。一見してスマートフォンだが、通話など主機能は「本体」に内蔵されているため文字通り「端末」だ。このような状況に応じるための対人インターフェイスである。彼のいうよう通信不能の圏外であったが、倉彦浩のアカウントを連絡ツールに登録しておく。


「うぅ~、てか寒いね。寒くない? ちょっと山ナメてたかも。へえ、アリサちゃん? アリサちゃんも寒そうな格好してるけど大丈夫? 温めあおっか?」


 現在地は標高300mに位置する山奥の廃村。気温は7℃。植生は主にスギ、ヒノキ、アカマツなどの人工林。日中は登山客との遭遇もありうるが、現時は深夜。人と出会うことはまず考えられないというのが事前の想定だった。それは実際にほとんど正しいものであったが、対話エージェントにこれほどリソースを割かれる事態はやはり想定外だ。倉彦浩の口からはマシンガンのように言葉が止むことがない。


「ここに来たのってやっぱアレかな。肝試し? そういうの好き系?」

「はい。強い関心があります」

「へえ。気が合うね。だからわざわざこんなとこに、こんな時間に来てんだけどさ。雰囲気あるよね。おばけとか出そうじゃん? 怖くない?」

「おばけは怖くありません。機械アンドロイドですから」

「マジ? 俺iPhoneだからなあ」


 アリサは倉彦浩を隣に歩を進める。時速4km。平均的な速度だ。駆動系は人工筋肉SMAアクチュエータであるため動作音も静粛だ。道は土を均し砂利で舗装しただけで、木の葉や小枝、小石に覆われ路面状態は悪い。それでも彼女は問題なく姿勢を保って歩行できた。拮抗駆動によって路面の凹凸を関節が吸収するからである。

 頭部に搭載されたカメラは四つ。常時全周を視認できる。彼女の注意は主に倒壊した家屋に向かっていたが、「振り向く」動作は必要としない。「人間らしさ」を演じる場合はそのような動作を伴う機能もある。


 この村の存在は衛星写真によって確認された。だが、行政機関に問い合わせてもその記録は見つからなかった。いわゆる「廃村マニア」の間でも情報は一切出回っていない。ゆえに、名前もない。通常、廃村といっても完全に放置されることはない。保存のため管理物件とされたり、観光客向けに注意喚起の看板が立てられる。

 この村は生活の痕跡を残したまま人の気配だけがない。外には衣服が干されたままだ。「廃村」と断じるには早計であるかもしれない、という判断が生じた。少なくとも、行政機関からは「廃村」とは認知されていない。

 家屋数は衛星写真で確認されるかぎり七軒。どれも木造建築だ。まずは手前に見える一軒を詳細に調査するために接近する。


「え、マジ? そこ入っちゃう? 人住んでない?」

「外から確認できるかぎり、人の気配はないようです」


 アリサには高感度マイクも搭載されている。音声認識AIによって高精度の分析もできる。「人の気配」とは、正確には「人が発生させうる音声パターン」を意味する。声や呼吸、動作音・生活音のパターンである。彼女の優れた対話エージェントはときに正確性よりも伝わりやすさを優先して語彙を選択する。


「ただし、70%の確率で怪異おばけがいます」

「70%? 傘を持ってく数字ではあるね」


 やや奇妙な返答であったが、高度なAIを有するアリサは一秒以内にその意味を高い確度で推定できた。誤解のある可能性が高い。


怪異おばけは雨ではありません」

「雨かもしれないよ~?」


 また奇妙な返答だが、この台詞はなにも考えずに口から出まかせだ。倉彦浩の習性として「女性との会話を途切れさせない」というものがある。そのために単調な否定・肯定の返答を無意識レベルで避け、意味不明でも応答を繰り返す。

 アリサにとってはいささか難易度の高い性質であったし、多くの人間にとってもそうだ。


「おばけが雨であると考える根拠はなんですか」


 よって、このような疑問を返すことは誰にも責めることはできない。


「……って、マジ? おばけ? おばけいんの?」


 わずかな沈黙ののち、彼は咄嗟に話題を逸らした。なにか「気まずさ」を感じたのだと、身振り手振りの非言語情報からも統合してアリサにはそのように判断できた。わずかな混乱はあったが、すぐに立て直すことができる。高度なAIの為せる業だ。


「おばけと雨になにか関連があるのですか?」


 つまり、彼はなにかを隠している。秘密があるのだ。


「う~ん、いやぁっぱり、ないかもね~」


 ないらしい。


「調査を続行してもよろしいでしょうか」

「お? 入る? 入っちゃう? よっしゃ、だったら行くしかないっしょ。アリサちゃんを一人にはさせないよ?」


 廃屋といえど不法侵入である。所有権が放棄されているわけではないからだ。ただし、アリサには遵法意識がなく、倉彦浩にはその知識がない。

 目標は山の斜面を均して建てられた木造の平屋である。外観からでもわずかな生活感が残されているのが確認できる。庭にはプレハブ倉庫、薪、物干し竿が見える。ただし、人が居住している確率は極めて低い。窓は割れ、玄関の戸も半開きのまま一部が折れていた。90%の確率で「廃屋」とタグづけできた。


「暗ぁ~……。アリサちゃん、ライトいる?」

「大丈夫です」


 大丈夫です、とは曖昧な返答の代表格のようなものだが、否定形の多用はコミュニケーションにふさわしくないと彼女は学習している。彼女には文脈を理解する能力があるし、相手が文脈を理解すると期待する能力もある。

 そして、ライトが要らないのは事実だ。彼女は四種の暗視機能を持つ。近赤外線照射によるアクティブ方式。可視光増幅の微光暗視。熱赤外線映像装置。超音波による反響定位。これらは状況に応じて使い分けられる。

 月明かりは乏しく木々に遮られがちな環境ではあったが、完全な暗闇でもないため可視光増幅方式で十分な精度の映像が得られた。大抵はこの方式で事足りる。


「おじゃましま~……」


 玄関口には傘や靴、バケツ、錆びた鉈、空き缶、ボトルクレートなどが散乱していた。柱はシロアリに食い荒らされ朽ちかけている。天井が一部腐って抜けており、今にも落ちてきそうだ。向かいの障子戸は紙がすべて剥がれ落ち、骨組みだけが残されている。奥の部屋では棚が倒れ、冷蔵庫やブラウン管のテレビなどが視認できた。座布団や衣料、押し入れには布団が積まれている。


「やっぱ、誰もいないね。そりゃいないか。いるのは俺たち二人だけだね」


 アリサには異常を検知する能力がある。これまで目にしてきたものはどれも「廃屋」から連想可能な物品アイテムばかりだ。一般的な家屋ならどれもあってもおかしくない。すなわち「正常」である。

 だが、あれは「異常」だ。


「わお。な・に・かあるぅ~」


 赤い、郵便ポストである。和室の真ん中に、支柱を深々と突き刺し、投函用郵便ポストが立っている。畳は避けるように剥がれているため貫通はしていない。時系列を推定するなら、廃屋になったあとで郵便ポストが立てられたと見るのが自然だ。周囲の荒廃具合に比して輝くような真新しさで傷一つないこともその推定を補強した。

 みしり、と床が軋む。老朽化した木製の床材に対し、音を鳴らさずに足を乗せることは彼女には不可能だった。一見してスレンダーな体型をしているが、彼女の重量は100kgを超える。骨格がアルミやチタン製である時点で人間より重く、駆動系やバッテリー、各種機材でさらに重量が嵩んでいた。

 みしり、みしりと床材を軋ませながらも歩を進める。バキッ! とついに床が抜けた。さすがに姿勢を乱したが、倒れることはない。


「大丈夫? 手、貸そっか?」


 アリサの関心優先度はポストの方が高い。手を借りるよりも自力で姿勢制御する方が目標への接近は早い。彼女はポストまで歩み寄り、注意深く調べた。中になにかある。取り出し口の鍵はかかっていない。

 ポストから連想されるのは「手紙」だ。手紙が得られれば、有用な文字情報を期待できる。


〈あなたが準備できています。ぜひお越しください〉


 ポストには一枚の手紙が投函されていた。差出人は掠れて読めない。宛先は、倉彦浩である。


「アリサちゃんの天気予報、外れちゃったみたいね」


 廃屋の調査を終える。蓄積した観察記録に質疑応答を加えることにした。


「倉彦浩さん。いくつかお伺いしてもよろしいでしょうか」

「え、なになに? いいよいいよ。なんでも聞いて? あ、彼女なら募集中。アリサちゃんは? あ~、すでにいそうだよね」

「こちらまでの移動手段は?」

「ん。バイクだけど? もしかしてアリサちゃんも? 女の子が一人でバイクでこんなとこまでって、パワフルだなあ」

「ここへはいつ?」

「いつ? いつって……ちょっと待って。うっわ、もうこんな時間か。二時間くらい前だわ」

「いえ、日付です」

「日付って。そりゃ今日だよ。そんな何日も遭難してないって。アリサちゃん面白いね」

「今日は何日ですか?」

「あれ? あれあれ? 変なこと聞くね?」

「何日ですか」

「十月十八日。だからなに? なにかのクイズ?」


 彼女にはいくつか優れた機能がある。

 画像認識や音声認識、さらには揮発性物質分析機能を搭載し、それらを統合した怪異検出AIを有している。

 通常仕様のAIでは、倉彦浩に対し「人間」「男」「若い」「チャラい」などといったタグを付与する。だが、怪異検出AIの見解は異なる。

 出会った時点から彼を70%の確率で「怪異おばけ」とタグ付けし、一連の質疑応答でその確率は94%まで高まった。


 現時は十二月八日。彼のものと思しきバイクは山道に数ヶ月単位で放置されていた。

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