非訪問者③
「新島。入るよ」
信じられないような言葉を聞いた。そして、信じられないような行動に出た。青木はポケットから鍵を取り出し、当たり前のようにシリンダーに差し込み、回した。
ガチャリ。
もちろん、青木に合鍵など渡していない。ドアが開かれ、青木が新島の前に立つ。新島はアリサの足に抱きつきながら、腹這いで青木を見上げていた。
「……はあ。やっぱこうなってたか。まあ、被害に遭う前でよかった」
「え? なんで? なんで当たり前に入ってきて?」
「エントランスならアリサに開けてもらったよ」
「なるほど。じゃなくてですね! ……ってアリサちゃん?! ハッキング!?」
「部屋の中にいる以上は問題なく可能な行為です。極めて単純な暗号化通信でした」
「あー、うー、えーっと」
「新島。とりあえず座れよ。説教だ」
「説教……?」
なにもわからないまま、新島は座布団の上に正座をした。正座までは指定されていなかったが、なんとなくそんな空気を感じたのだ。
「なにかに追われてる気がするとか、誰もいないのにインターフォンを鳴らされたとか、そういう話を聞けばまず疑うのはストーカーとかそのへんの犯罪だ。おばけじゃなくてね」
「え、あ、はい」
「僕もまずそれを疑った。新島のことだから無自覚にどっかで男をたぶらかしててもおかしくないと思ってね」
「えへへ。先輩もたぶらかされちゃいました?」
「そういうとこだよ。ていうか自覚あったの」
「なんの話すか。たしかに私は可愛いかもしれませんけど」
「まあいい。それで新島のツイッターを調べてみた。ほら、これを見ろ」
と、青木はスマホの画面を見せる。映されていたのは新島の写真つき投稿だ。「冬のアイスおいし~」との文言、写真にはアイスと背景にコンビニが写っている。
「これ、向こうにあるコンビニだろ。これだけでおおよその住所が特定できる」
「そうなんすか?」
「直後に『帰宅~』ってツイートしてるだろ。他にもある。極めつけはこれだ」
次に映されたのは「春でも変わりなくおいし~」と自室で撮られた写真だ。
「な、なにが問題なんすか。アイスしか映ってないじゃないすか。カーテンだって閉まってますよ」
「これ。ここだよ」
青木が指し示すのは背景に映るベッド、の上に放られた鞄、からはみ出す鍵であった。
「鍵がバッチリ写ってる。ここまで綺麗に写ってるとね――」
青木は、先ほど使った鍵を取り出して見せる。
「こういうものが作れる」
見れば、鍵は樹脂製だった。
「画像を補正してAIでちょいちょいと3Dモデル化して、あとは勘で微調整すれば完成。ディンプルキーであろうとね」
「へ? それって犯罪じゃ……」
「これを使って不法侵入したらね」
「不法侵入されましたけど」
「家主の許可があれば不法侵入にはならない。そうだね?」
「はい……。というか、それを昨日の今日の数時間で?」
「研究室に3Dプリンタがあったからね」
「だからってそんな簡単にできるもんじゃ……なんか手慣れすぎてません? 前科持ちですか?」
「そんなわけないだろ」
青木は否定したが、絶対そんなわけあると新島は思った。ただ、とても追及できる空気ではなかった。
「とにかく、こういうことができると実演してお灸を据えないとまずいと思ってね。やばい写真は他にもいろいろだ。あまりにもSNSリテラシーがなさすぎる」
「反省します……」
「したなら、今すぐ該当の投稿消して。やばそうなのリスト化してるから」
「え、そこまでしなくても」
「話聞いてた??」
半ば脅される形で新島は渋々ツイートを削除していった。実際に鍵までつくられたなら危険性は身に染みて理解できた。大量の危なすぎる写真ツイートの指摘を逐一説教されることでじわじわ実感も湧いてきた。
「……もしかして、引っ越した方がいいすかね?」
「そこまでするかは新島次第だ。ま、鍵は変えてもらった方がいいね。少なくとも僕はもう鍵を作れる。いやだろ」
「でも、管理人さんにはなんて言えばいいんすか」
「アホで間抜けなのでついうっかり鍵の写真をネット上にアップしてしまいました、と正直に言えばいい」
「う、うぅ……!」
数時間で鍵を複製できるのは先輩が変態だからなのでは、と思ったが、逆に言えば先輩のような変態に狙われる可能性はあり、それはそれで怖ろしいのでいう通りにするしかない――とは思ったが、さすがに失礼すぎるので言葉には出さなかった。
「数時間で鍵を複製できるのは先輩が変態だからなのではと思いましたが逆に言えば先輩のような変態に狙われるのは怖いのでいう通りにします」
「さすがに失礼すぎる」
ただし、それはそれとして。
「おばけはいたんすよ! 先輩!」
モニターを確認する。今はいないが、たしかにさっきまでいた。弟に化け、友人に化けていた怪異が、玄関を開けさせようと誘っていた。青木はそこに割り込んだ形になる。
「アリサからその話は聞いてるけど……いたの?」
「いましたよ! まさに先輩が来たとき! てっきり二人目の怪異が来たものと……は!」
小声で、アリサに「あれ本物?」と尋ねる。
「はい。怪異の確率は2%です」
「合鍵までつくってSNSの使い方を説教する怪異とかいる?」
「いや、その、それがですね。わりといそうというか……アリサちゃんにはどこまで話聞いてたんです? ていうか、先輩とアリサちゃん通じてたんです?」
「新島よりはアリサに連絡を入れた方が正確な状況がわかると思ってね。さっきまでは怪しい人物がいないかを外で見張ってた。そしたら、まさに怪異に狙われているらしかったから部屋まで来たんだよ」
「つまり先輩には見えてなかった、ってことです?」
「……そのときの映像見せて」
青木は該当の映像を見ながら、今夜に起こった内容を新島に聞くと要領を得なくてよくわからなかったのでアリサに聞いた。
「……怪異は本当に来てたのか」
「だから言ったじゃないすか! そりゃ私のツイートはいろいろ迂闊だったかもしれないすけど、それはそれとしておばけはいたんすよ!」
「これは、撃退できたと考えていいのかな」
「えと、現におばけはもういなさそうですし?」
「どういうことだ? こいつは新島にドアを開けさせようとしていた。たぶん、そうでないと入れないんだろう。そこに、鍵を持ってふつうに入れる人物が外から現れた。人間だったらそれこそ『共連れ』と同じ手口で入って来れそうなものだけど、怪異の場合はそれができなかった?」
「それができてたら先輩のせいで大変なことになってましたよ」
「結果としては助かったみたいだけど」
「結果論の話をするなら私ストーカー被害じゃなくておばけ被害だったんですけど~?」
「……で、新島の友人に化けてきたそいつは、スマホを取り出してLINEに返信までしてきたって?」
「そうなんすよ……。それについてはどう解釈していいのか……」
「もしかして、その友人は初めから怪異だったのかも」
「初めから怪異ならわざわざこんな時間にノーアポで訪問しなくてもふつうに連絡入れてから入ってくればいいじゃないですかそうやって訪ねてきたことは何度かありますし」
否定しなければならないことだったので、つい早口になってしまう。
「そうだね。じゃあ、今からその友達に連絡入れてみる?」
「え」
LINEを開いてみる。少し期待していた。あれは夢で、あるいは夢のように、その会話履歴は消えていると。
だが、現実は。
ばっちりと、「その会話」は残されていた。
「これの続きを……?」
怪談は、まだ笑い話にはなっていない。
「いや、まあ、今は寝てるかもしれないですし。明日でいいですよ明日で」
「寝ててもあとで読めるだろ。ま、別に無理強いはしないよ。どっかの誰かみたいに『明日じゃ遅い』とは言わないよ」
「ぐぬぬ」
実際、助かる。青木が現れ、話題がSNSリテラシーに移ったことで、だいぶ気持ちは和らいだ。心臓の鼓動は落ち着きつつある。
「図らずも『ドアを開けた場合どうなるか』の試行には失敗してしまいました。新島ゆかりさん、明日もこの部屋に来ていいですか?」
「え」
血も涙もないアンドロイドは、今日を乗り越えたからといって明日はわからないと、冷酷な可能性を指摘する。
***
梅雨が近い。小雨の降る夜道を、彼女は一人歩いていた。
もしかしたら傘はいらないのでは、という程度の雨は弱まりつつあったが、今さら畳む理由もない。右手のコンビニを通り過ぎると、自宅はもうすぐそばだからだ。
(アイスは……そういえば昨日は食べ損ねたっけ)
だからまだ買う必要はない。そして立ち止まって悩む必要もなかった。
直後、背後で物音と男の野太い声が聞こえた。
「いでっ! いででで」
「新島ゆかりさん、不審人物を捕らえました」
隣を歩いていたアリサが、黒いレインコートを着た男に腕関節を極めて押さえつけていた。いきなりアリサが人間に暴行を加えているようで驚いたが、いかにも怪しい。男の持つ買い物袋からは、新島お気に入りのアイスが飛び出てきた。
見れば、知った顔だ。たしか高校時代のクラスメイト。話したことはほとんどないが、顔を覚えるのは得意だった。
(えー……うそ、マジで……)
スマホを没収して中身を確認すると盗撮写真が山のように見つかった。青木の指摘通り、ストーカーもいた。ツイッターの投稿をもとに現住所を特定したようだ。これまで何度も尾行していたらしい。つまり、帰路の足音と訪問者は無関係だったということだ。
(そういえば)
ゴミ袋も荒らされていた。彼の所持品から伝線したストッキングが見つかった。新島はぞっと寒気に襲われた。
彼の処遇は少し悩んで、話を聞くといろいろ拗らせててやばかったので、警察に御用となった。
(これはこれで怖ぁ~)
新島ゆかりは、とにかく深く深く反省した。
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