非訪問者②

 弟だ。


「姉さん? いないの?」


 アリサの設置したカメラとインターフォンのモニターで顔を確認する。間違いない。高校三年生の弟だ。律儀に学ランを着ている。新島は混乱する。


「新島ゆかりさんを姉と呼んでいるようですが、お知り合いですか?」

「うん。弟……」


 弟は実家から地元の高校に通っている。一人暮らしの新島ゆかりのもとまで訪ねてきたことはこれまで一度もない。サプライズ訪問にしても深夜二時だ。常識的に考えてあり得ない。用があればまずはLINEなり電話で連絡を入れればいい。仮に家出のような事情があったとしても、それが筋だ。


「姉さん。いるよね? 開けて~」


 ドンドン、とドアを叩く。言葉遣いも記憶にある弟とさほど変わりはない。

 おかしな点は他にもある。このマンションのエントランスはオートロックだ。用のある部外者は端末から部屋番号を指定して内線にかけ、住民から開錠してもらう仕組みになっている。それからエレベーターに乗り、部屋の前までつけば個別のインターフォンを押す形になる。

 つまり、いきなり部屋の前に現れることはありえない。もっとも、住民が出入りするタイミングを見計らって潜り込む古典的な手口もある。だが、深夜二時だ。そんな住民がそういるとは思えないし、弟がそれを辛抱強く待っていたという光景も想像しがたい。急にそのような悪戯を仕掛ける脈絡もない。


「開けてみましょう」

「え、あ、いやダメだって! そういや怪異検出AIは? 判定どう出てる?」

「92%の確率で怪異です」


 そう聞き、逆にほっとする。弟であるはずがない。可能性が絞れた。

 しかし間をおいて、その意味を理解してしまったために怖気が背筋を走った。


(つまり怪異は、私の家族構成まで知ってるってこと……?)


 昨日はただチャイムを鳴らすだけだった。次の日には弟を装ってきた。して扉を開けさせようとしている。その事実が、ただ怖ろしかった。


「姉さん。姉さん。姉さん~」

「開けてみましょう」

「ダメ! ダメダメ! ほらアレじゃん、開けたら一度きりじゃん! 開けずにずっと放置してたらどうなるかって、そっちも観察しなきゃ!」


 悪魔や吸血鬼は家主の許可がなければ敷居を跨げない、とされる。日本民話にも「瓜子姫と天邪鬼」という話がある。似たような設定を持つ怪談も多い。彼らは声や姿を化けて言葉巧みに扉を開けさせようとする。よくある話だ。これもその類なのだろう、と新島は想像した。であれば、応じることなく放置していればやり過ごせる。そのはずだ。


(まあいいや。無視しよ)


 扉を開けられない怪異など怖くはない。それより気になることがあった。


「アリサちゃん、これなんすけど」


 PCのモニターに、桶狭間がビルの四階から飛び降りたときの映像を表示する。


「まさかと思ってずっと考えてたんすけど、桶狭間さんが消えたのって、窓から建物内に入っただけなんじゃ……」


 四階も三階も窓はすべて割れていた。また、映像を戻して確認すると、四階で桶狭間が窓を気にしているような素振りが何度か見られた。


「可能です。私ほどの運動能力があれば、ですが」

「だよね。パルクールが得意とかならいけそうだけど……」


 屋上から飛び降りて窓から建物に入る。すごい度胸だ。とても真似できそうもない。


「でも、突然消えたとかよりはありそうじゃない?」

「はい。まるで手品ですね。タネそのものは初歩的ながらも、かえってそれが盲点に――」

「ふふーん。アリサちゃん、もしかしてこの可能性考えてもなかった?」

「いえ。当然ながら可能性の一つとして考慮に入れていました。私は優れたAIですので」

「なんで嘘つくの? テキスト記録ログには全然言及なかったじゃん」

「テキスト記録は人間の読者を想定して書かれています。正確な数値は省くことがありますし、すべての可能性を網羅していては長大すぎる内容となり可読性が低下します」

「もっともらしく言ってるけどさあ。じゃあなんで急いで追いかけなかったの? なんで後からでも窓とか調べなかったの? 理由を述べよ」

「思いつきませんでした」


 嘘をつき意地を張り、ついには折れるAI。本当に「心」があるようだ。

 教授の講義によると、「自律性」の実現にはやはり「感情」のような判断基準が必要になるという。アリサの場合は「好奇心」をベースとして、「自尊心」や「競争心」というような「感情」がある。

 ただし、その内容は必ずしも人間と同一である必要はない。たとえばアリサには「恐怖」がない。アリサは怪異に立ち向かうためのAIだからだ。しかし、その弊害としてリスク計算が怪しい挙動を見せることもある。

 そんなAIをからかって遊んでいるうちに、弟の姿をした怪異は諦めてどこかへ消えていた。


「ふぅ。こわかったぁ……。ていうか、やっぱマジもんのおばけだったし。後輩を信じなかった冷酷な先輩にはあとできつく言っておかないと」


 ピンポーン。

 またしてもチャイムが鳴り、モニターに人影が映る。新島にとっては、知った顔だ。


「ゆかりー? いるー?」

「ミッキー……?」


 同学科の友人・ミッキー(あだ名)だ。この部屋を溜まり場にしがちな友人の一人でもある。弟に比べれば、近所にも住んでいるし泊まったこともあるし、こんな時間でも訪れる可能性は高い。だが、やはり同じ理由からあり得ない。用があるなら先に連絡すればいいのだ。


「やっぱり怪異?」

「はい。92%の確率で怪異です」


 弟の次は友人に化けて出た。正体はすぐ見破れる。対処法は簡単、また無視すればいい。それはわかるのに、吐き気にも似た寒気が身体を震わせる。

 ただ、怖い。

 なにものなのかわからない。なにがしたいのかわからない。なぜ訪ねてきたのかわからない。なぜ知られたのかわからない。弟に化け、友人に化け、そこまでして部屋を開けさせようとする意味がわからない。

 扉を開けなければいい。それはわかるのに、もし開けてしまったら――そんな空想で内臓が萎びれるように冷える。


「この時間なら本物のミッキーも起きてるかな……」


 LINEにメッセージを送ってみる。起きていたら、「今ミッキーのフリしたおばけが来てるんだけど」とでもリアルタイムで怪談を実況できる。そうして茶化すことで恐怖を紛らわせたかった。


〈今起きてる?〉


 そんな短文を送ってみる。


「え?」


 映像のミッキーが、ポケットからスマホを取り出す。そして、なにかを操作しはじめた。メッセージに既読がつき、そして。


〈あれ? 起きてるんじゃん〉

〈部屋にいるんだよね?〉

〈開けて?〉

〈ねえ〉

〈部屋に入れてよ〉


 返信が、来てしまった。


「どういう……」


 モニターの映像からも、そして内容からも、LINEの返信は部屋の前にいるミッキーから送られてきたものだ。それがなにを意味するのか、新島の頭は混乱する。


(え。偽物でしょ。怪異おばけなんでしょ。じゃあなんで? ミッキーのスマホが盗られた? そこまでする? 通信に割り込んだ? そこまでできる??)


 あるいは。


「ねえ。怪異検出AIの判定、もう一度やってみて」

「同じ結果です。92%の確率で怪異です」


 怪異検出AIの誤作動。事実、「裏世界」ではそうとしか思えない挙動を見せた。怪異検出AIも必ずしも信用できない。では、弟は? 弟も本物だった? 深夜二時に、同じ日に、弟と友人が示し合わせたように訪れた? 二人にどんな接点があった? ドッキリ企画で全員がグルだった? 怪異検出AIも研究室も一緒になって? 世界中が騙そうとしている?

 疑いは暗闇から際限なく湧いて這い出る。


「ゆかりぃ~、なんで無視するの~、開けてよ~」 

(それとも。もしかして。ミッキーは、はじめから怪異だった……?)


 知り合ってから三年あまり。これまでの思い出が蘇る。

 みんなで温泉旅行に行って一人残らずのぼせたり。泊まり込んで一晩中ボードゲームで遊んだり。難しすぎて意味不明なプログラミング課題を愚痴りながらも協力して倒したり。ボウリングで奇跡的に信じられないハイスコアを出したり。スイーツフェスティバルで死ぬほど食べ散らかしたり。眠くて起きられなかった講義を代返してもらったり。

 そのすべてが、色褪せていく。


(もしかして、ミッキーだけじゃなく……?)


 ふだん付き合う友人を怪異だと疑って検出AIにかけることなどない。知り合ったその日から、はじめからミッキーは怪異だった。でも、だとしたら、だからなんだというのだろう。


(無害な怪異だっているんじゃ……?)


 たとえばビバ・ビバレッジ。怪異らしいことは間違いないが、今のところ実害はない。ミッキーは怪異だったのかもしれないが、人間のように当たり前に生活している怪異だっているのかもしれない。だとすれば、ただの友人に対して居留守を使って放置していることになる。


(じゃあ、なんでこんな深夜に? さっきの弟はなに?)


 違う。やはり、あれはミッキーの偽物だ。本人であるはずがない。本人なら事前に連絡を入れればいい。そもそも、すでに何度か入れたことだってある。だとすれば、ミッキーはスマホを奪われたか、通信がハッキングされているか。


(たとえば、弟とか。あるいは青木先輩でも。他の人にも連絡をしてみれば、そのあたりは検証できるかも……)


 そう思いつつも、手が震えた。

 怖い。もし、誰に連絡しても怪異から返信されたら? あれほど声も姿形も似せられるなら、どうやって本人確認すればいい?

 世界が、頼りないものになっていく。なにを足掛かり信じればいいか、わからない。


「開けてみましょう」

「待って! お願いだから! 考えてるから!」


 アリサは味方ではない。こうなることは半ばわかっていたが、アリサに抱きついて必死に止めているうちは、少しだけ心が救われた。ホラーを台無しにするのは恐怖を感じない無敵の登場人物だ。だからこそ、新島はアリサを頼った。


「教授から命令受けてない? その、私を守れとか……」

「受けています。ですが、扉を開けることが新島ゆかりさんにどのような影響を及ぼすかは不明です」

「うっわ! そんな解釈で切り抜けるつもりなの??」


 ロボット三原則も形なしだ。こうなると物理的に止めるしかないが、114kgで人間の五倍の発生力を持つロボットを止められる道理はない。ずるずると引きづられて、今やキッチンの前である。


「開けたら取り返しがつかないからしばらく観察しようって言ったじゃん!」

「放置した場合、出直して別の姿で現れるという興味深い挙動が観察できました。次は扉を開けてみることでより興味深い現象が観察できると推論します」

「う~、守れ~。私を守って~」


 ピタリ、とアリサは急に動きを止める。

 訴えが通じたのか、と思いきや、違うらしい。


「新島? いるな」


 モニターに大柄な体格の男性が映る。

 新たな訪問者は、青木大輔であった。

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