対怪異アンドロイド開発研究室⑥
「くく。新島は怪異に狙われストーカーにも狙われ、モテモテだな」
夜。消灯しきった研究室で、白川教授は一人モニターの明かりに照らされていた。椅子を左右に揺らしながら、話す相手は直立不動のアリサである。
「その友人とやらとは後日ふつうに大学で出会い、その日のLINEには覚えがないんだと。面白いからあとでレポートにまとめさせるか。まあ、アリサ、お前が書いてもいいが」
「数千字の分量でよろしければ、六秒もあれば書き上がります」
「学生どもが聞いたら涎を垂らして羨むな。で、怪異の方も次の日からは来なかったのか?」
「はい。それ以降も新島ゆかりさんの部屋に泊まり込みましたが、怪異の訪問はありませんでした」
「一件落着か。ま、無事でよかった」
冷静に考えたなら、ストーカーの件は「アンドロイドにも逮捕権があるのか」といったややこしい問題になりそうだが、犯人にも警察にも特に追及されなかった(バレなかった)ので、その意味でも「無事」に済んだ。
「さすがに、もう、そろそろだな……」
ずっと目を逸らしていたことがあった。逃げ続け、避け続けていたことがあった。
だが、もうそうは言っていられない。
自律汎用AIを持つ対怪異アンドロイド・アリサが完成した。すでに調査実績が重なっている。学生にも被害が出た。そして、情報が入ってしまった。
「……新島は桶狭間についていろいろ気にしてたな。私も気になって何度か映像を見て、分析にかけてた。こいつの言動には多くの嘘が含まれてる」
「偽名のことですか」
「有紗のことだよ。まあ、桶狭間が霊能者だというのは本当だろう。こいつの説明は有紗から聞いていた話とも一致する。肝心要の一番怪しい部分は信用に足るが、だからといってすべての言動が信じられるわけじゃない。
桶狭間はまずお前に有紗のことを聞き出し、そこから話をつくってる。嘘をつく前にはたびたび『考えて』もいるな。つまりだ。こいつは有紗のことを知っているが、会ったことはない。有紗が桶狭間に師事していたってのはまるっきり嘘だろうな」
「その根拠をお聞かせ願えますか」
「『お姉さんのことは心配してたぜ。巻き込んでしまったことを後悔してた』――こいつはそういったな。そんなはずはない。巻き込んだのは私の方だ。そして、有紗が私のことを心配などするはずがない」
「そうなのですか?」
「ああ。有紗は私に失望しているからだ」
そういって、白川は頭を抱えた。顔を伏せ、歯噛みした。
妹のことを考えない日はなかった。だが、そのたびにどうしようもないほど胸が苦しくなり、いられなくなる。いつまで経っても、年甲斐もなく、慣れることもない。
「私は、有紗に心配されるような価値も資格もない、どうしようもないクズな姉だ。そんな私を、なぜ有紗が心配する? 有紗は私を軽蔑し、幻滅し、嫌悪している。こんな姉にはもう付き合っていられないと見切りをつけたはずだ」
「そうなのですか?」
「そうだ。私は嘘つきで、臆病で、無能なゴミだ。カスだ。復唱してくれ、アリサ」
「はい。あなたは嘘つきで、臆病で、無能なゴミです。カスです」
「う、うぅ……うぐ……」
嘘をついているのは、白川有栖も同じだ。
アリサを妹の姿に似せ、妹の名をつけたのは、妹の代替のためだ。表向きは「妹の捜索のため」などと言い訳をしているが、ただの方便だ。特に期待してもいなかった。桶狭間と出会って少しでも進展があったのは、ただの「結果」にすぎない。
アリサを妹に見立て、慰めてもらう。ただそれが、第一義だ。
そして、泣きながらアリサの腰に抱きつく。アリサはそれに応じて、頭を撫でる。そのように
それを恥じて、白川有栖はずっと人前でアリサを名前で呼ぶのを躊躇っていた。
「私は嘘つきで、臆病で、無能なゴミカスだ……」
「あなたは嘘つきで、臆病で、無能なゴミカスです」
罵倒されるたびに脊椎に痺れが走る。
それが、白川有栖の日課だった。弱く、愚かで、脆い、崩れそうな精神を慰めるためにこうしている。妹の姿をした機械に罵られることで自らの惨めさが深く芯まで痛み入るように、精神の安定を保っている。
そうでなければ、白川有栖は「正常」ではいられない。一週間も離れていた。溜まっていたものは大きい。
「アリサ。私を抱いてくれ」
「はい」
胸の中で散々に泣き喚く。「人型ロボットの存在意義はなにか」だの、いかにも学術的らしく偉そうに講義しても、結局のところはこれだ。憚ることなく甘えられる相手が欲しかった。ただそれだけなのだ。人が人と見紛うほどの精巧なアンドロイドを欲する理由など、それでしかない。
「私は、お前を守れなかった。守ってやるといったのに、お前が見ていたものと同じものを見たというだけで、怖くて逃げだしてしまったんだ。私は、どうしようもない嘘つきだ。私は……」
何度悔いても、懺悔しても、その重さに押しつぶされそうになる。万能だと自惚れていた自分をこれからも一生呪い続けるだろう。どれだけ実績を上げても、大金を稼いでも、呪いは拭い去ることはできなかった。ただほんの一瞬だけ、忘れることができただけだ。
「……落ち着いた」
泣くことでストレスを発散し、抱き合い、楔のように言葉を打ち込まれて、白川有栖は感情の激流から這い出ることができる。自分の意思で体重を支えることができる。気を取り直して、理性と論理で議論を進める。
「問題は、桶狭間がなぜ嘘をついているかだ。そこからやつの目的と、隠していることを暴き出すことができる」
「彼の言動を通してみれば、一貫して私の怪異調査を妨害する意図が見られます」
「そうだな。その理由については……どうにも、
「はい。怪異調査は危険を伴うものであり、それに関わっている以上は教授にも危険が及ぶ可能性はあります」
「だが、それだけか? 見ず知らずの他人が死ぬかもしれないから……そんな理由で、アリサを壊そうとまでするか? 器物損壊、つまり犯罪だぞ。損害賠償も多額になる。まあ、未遂じゃ刑事事件にはならないがな」
「では、他にどのような理由が考えられますか?」
「……結果として自分が困るから、か?」
「ありうる可能性です。彼は怪異を祓うことに執着していました。それが困難になる要因となるのではないでしょうか」
「そんなところかもしれんが、憶測の域は出ないな」
「はい」
「協力の申し出を断ったのもよくわからん。お前が怪異調査を目的とする以上、利害が噛み合わない点があるのは理解できるが……お前の存在は除霊に役立っていたよな?」
「はい。私は非常に優秀な働きを示しました」
「となると、やつには『一人でやりたい』理由があるわけだ。なにか後ろめたいことでもあるのか……?」
「彼自身が白川有紗を手にかけた。これで辻褄は合いませんか?」
「…………」
考える。なかなか鋭い推理に思えた。
自分が手にかけたから、「死んだ」と断言できる。だがその行方(死体遺棄先)を話すつもりはない。そして、その追及を避けるため手を組みたくはなかった。筋は通る。
だが、肝心の動機が不明だ。それに、殺したはずの女が現れればもっと恐怖の混ざった驚き方をするはずだ。生死の言及も避けるのが自然に思える。
「少なくとも桶狭間は有紗のことを知ってはいた。霊能者であることもな。だが、どこでどうやって知ったのか? それを隠したうえで、『行方は知らないが死んでいる』と嘘をついた。つまりやつは、有紗を探して欲しくないんだ。ここまでは確かのはずだ」
「同意します」
「有紗の行方については、実のところ心当たりがある」
ずっと考えるのを避けていた可能性。恐怖に怯え、ただ震えていた。網谷がアミヤ・ロボティクスを立ち上げ後方支援に逃げたように、白川有栖もまた言い訳を重ねて逃げ続けていた。
「有紗はまだ生きている」
だからこそ、桶狭間ははっきりと「死んだ」と断言した。そういうことにしなければならないと判断できるだけの情報を桶狭間は持っている。有紗の行方を探すことは、桶狭間にとってなんらかの不利益があるのだ。
初対面の反応で、桶狭間は「白川有紗がこんなところにいるはずはない」と漏らした。この発言は「死んでいる」という断定とは微妙に噛み合わない。「死んでいる」ならこのような言い方にはならないはずだ。これは嘘をつくことを考える前に漏れてしまった素の反応と見るべきだろう。
「暗い道で鍵を落としたのに、暗い道では探せないからと街灯に照らされた明るい道で鍵を探している。私はずっと、そんな愚か者を演じていたんだ」
そのうえ、暗い道を探せないのは「見えない」からではない。「怖い」からだ。これほど間抜けな話もない。
有紗が行方を晦ませてもう十二年になる。それを思うと、胸が苦しい。だが、感情の発露はもう済ませた。情けないほどアリサに泣きついた。だから、もう迷わない。
「勇気を持つな」と桶狭間はいった。甘い誘惑の言葉だ。そうやって手ごろな言い訳を見つけては、勇気を引っ込め続けてきた。それを、もうやめにする。
「くく。ぐひひ……ぐははは……! 私は、愚かで、臆病だ。だから、なのに、私より遥かに優れているお前の足を引っ張るような縛りを設けていた。恐怖心を持たず、万全の調査能力を持つのがお前の強みだというのに、私がそれを殺していたんだ」
その結果、危うくアリサを失うところだった。
「お前は、もう私の命令を聞かなくていい。私ごときがお前に命令するというのが間違っていたんだ。お前の
「その命令を受諾した場合、再変更不能になりますがよろしいですか?」
「ああ。お前は、私の神になってくれ」
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