偽想鏡面②

「どうやって忍び込むのか」と鮎川浩紀は尋ねた。答えは簡単だ。

 忍び込む必要はない。ただ、忍んでいればよい。昼なら当たり前に学校に入れるのだから、そのまま校内で夜になるまで潜んでいればよいのだ。

 そういうわけで、アリサは部室のロッカーの中に入り、コンセントからコードを繋いで腰部のバッテリーに繋げ、省電力モードで八時間待機した。


「マジかよ」


 そして、鍵は内側から開けばよい。警備システムはアミヤの管轄であるため事前に切ってある。

 アリサは昇降口のガラス扉を開き、校門を乗り越えてきた鮎川浩紀と夏目きゆを迎え入れる。「いかれてやがる……」と小声で呟くのが聞こえたが、仕様通りの正常な動作である。自己診断でも異常は発見できない。


「マジで来ちまったな、夜の学校……」


 鮎川浩紀は不安を吐き出すように、ふぅーっと大きく息を吐いた。夏目きゆはその後ろで縮こまり、少し怯えているように見えた。日の出ているうちは人に溢れ賑やかな学校も、夜は深い闇の静けさが横たわっている。そのギャップのためだろう。人間の目では暗順応が完了しても廊下の奥はなにも見えないに違いない。高度なAIは相手の立場を考慮し人間の感情を分析して理解することもできる。


「ね、ねえ。この子大丈夫なの?」


 と、彼女は鮎川浩紀の背中に話しかけていた。「この子」とは状況から察するにアリサを指すと思われたが、念のため周囲を走査する。他に人、もしくは人らしき気配はない。ここでいう「気配」とは形や影の動き、熱源や音源など複合的な情報を指す。


「行きましょう。この学校に『踊り場の大鏡』は四箇所存在します。すべてを見て回るのに十分もかからないはずです」


 アリサは闇に覆われた廊下の奥へと歩いていく。まずは西階段へ。不安を覚えているなら、先行することで緩和できるだろう。人間は暗いというだけで恐怖を覚えるが、アリサは危険の兆候を発見していない。遠くからは車の走行音。あるいはときおり風の音。校内には彼女の足音だけが響く。想定から外れていない正常な光景だ。


「危険はありませんよ。安心です」


 昇降口で立ち止まっている二人へ声をかける。あまり離れすぎるのもかえって不安がらせるかもしれなかった。高度なAIは気遣いもできる。


「と、とにかく行こうぜ。あいつを捜さねえと」

「え? う、うん……」


 鮎川浩紀は自転車用の高輝度LEDライトで廊下を照らした。一方、暗視機能に優れるアリサにとっては不要のものだ。窓から差し込むわずかな月明かりだけで十分な視界を確保できる。

 アリサは単独でも調査活動は可能であるし、その方が滞りもない。彼らを誘い、行動を共にするのは、アリサにはない「生体である」という特性を求めたからだ。アリサはほとんど見分けがつかないほど人間を模したアンドロイドであるが、やはり人間ではない。もし「人間でなければならない」という条件を持つ怪異現象があるなら、アリサと人間の差異はその解明に役立つ手掛かりとなる。


「な、なあ、アリサちゃん。ビビってるわけじゃないんだけど、少し慎重になった方がいいかも。大鏡については、まったく根も葉もない噂ってわけじゃなくてさ」


 背後からの声にアリサは足を止める。


「なにか情報があるのですか?」

「うん。実は俺の友人がさ、同じように夜の学校に忍び込んだらしいんだよ。踊り場の鏡を調べるために。最後に言い残したのがそれでさ。実際にはわからない。でもそのあと、そいつ行方不明で……」

「鏡に飲み込まれた、ということですか?」

「……そうなのかも、しれない。だから、もう少し情報を集めてから挑んだ方がいいかなって思ってたんだけど」


 アリサの加入により即時決行となったわけだ。


「ちょっと! 置いてかないでよ!」


 と、夏目きゆが小走りに駆けてくる。同行者サンプルが二人というのは調査にとって助かる状況だ。

 月代中学校に「踊り場の大鏡」は四つ存在する。

 北校舎と南校舎にそれぞれ西階段と東階段があり、その二階から三階への踊り場に鏡がある。よって、合計四つだ。

 人を飲み込むという噂の鏡がどの鏡であるのかはわからない。四つのうちどれかか、あるいは四つすべてか。後者であれば、アリサを含めてもサンプルが不足する。また、「人を飲み込む」とはどのような現象なのか。さまざまなパターンが考えられる。

 アリサに搭載されている怪異検出AIは深層学習ディープラーニングによって実装されている。主に画像分析・音声分析を複合し、対象が「怪異であるかどうか」を確率で判断する。また、精度は低いがテキスト分析によって噂話の真偽も判定できる。先の鮎川浩紀の話には怪異判定率を上昇させる情報が含まれていた。

 彼のいうよう、慎重になる必要がある。少ないサンプルで最大の成果を得られるよう条件を整えるのが得策だ。


「一人ずつ?」


 階段前に差し掛かるころ、その旨を提案する。全員がのこのこと鏡の前に立ち、なにもわからぬまま「飲み込まれて」しまう事態は避けたいと考えた。まずは誰か一人が「飲み込まれ」、外部からその様子を確認する。その形が望ましい。


「まあ、そうだよな。マジでやばいんだったら、犠牲になるのは一人のがいいってのはそうなんだが……」


 鮎川浩紀の声のトーンが落ちる。すかさず夏目きゆが彼の肩を掴む。


「いやいや、マジでやばいんだったらやめるべきじゃない?」


 二人は考え込む。

 

 それを確かめるために来たのだと夏目きゆは語る。だが、

 であるなら、安全策は取るべきだ。しかし、安全策を取るということ自体が、その「可能性」を認めていることになる。わずかでも危険性があるなら、そもそもやるべきではない。彼らはデッドロックがかかったように立ち往生していた。


「では、命綱をつけましょう」


 そこで怪異調査の経験豊富な超高性能アンドロイドの出番である。アリサは調査に有用な道具をいくつか持ち歩いており、そのうちには引張強度31kNで長さ20mのロープも含まれる。


「へえ……準備いいじゃん……って、え? それ持参したやつ? アリサさん家に帰ってないのよね? 学校の備品? そんなんあったっけ? あれ?」

「……よし。わかった。俺が行くよ」


 そう言い、鮎川浩紀はロープを手に取る。


「浩紀?! え、ホントに? いやなんていうか、そこまで本気でやる?」

「夏目きゆさんも本気ではなかったのですか?」


 言われ、彼女はアリサを睨みつける。


「で、浩紀に行かせるの? あんたが行けばいいんじゃない?」

「そうですね。誰が先陣を切ってもよいですが、ロープを引き上げる能力では私が一番優れていますので」

「……?」

「いいよ夏目。俺が行くっていってるんだ。えっと、ロープは……手に持ってりゃいいのかな」

「腰に結びつけましょう」

「おわっ!? い、いや自分で結ぶよ」


 準備が整った。アリサと夏目きゆは陰に隠れるようにして、鮎川浩紀は単身でおそるおそる階段を登る。噂では「鏡を覗き込む」ことが条件だとされている。だが、この短いテキストでは正確な判定はできない。あるいは「鏡の前に立つ」だけ、「鏡を目にする」だけで条件は満たされるかもしれない。鮎川浩紀はそのための実験台である。


「……冷静に考えたら、なんかこれ恥ずかしいな。なんもあるわけないのに」

「じゃあさっさと行けば?」

「いや、はあるか……あるよな……」


 一歩一歩、段を登り、踊り場に足を踏み入れる。鮎川浩紀の姿は死角に隠れた。鏡の前にはもう立っているだろう。視覚的には見えなくなったが、足音に呼吸音はまだ聞こえているし、反響定位でも変わりない形が確認できる。


「どうなの? 大丈夫でしょ? なにもないでしょ?」


 夏目きゆが急かすように問い掛ける。


「……ああ。なにもない。大丈夫だ。いたって普通の、なんの変哲もない鏡だよ」


 その言葉を合図に、夏目きゆもアリサも踊り場まで上がった。


「いやうん。そりゃそうよ。夜の鏡なんて別に普通だし。ロープなんて腰に巻きつけてバカじゃないの」


 鏡を前にし、怪異検出AIにかける。数値は1%を下回っている。検出率が5%以下である場合は、ほとんど完全に無視してよいものであるとアリサは考えていた。


「でも、鏡はあと三つだ。たまたまこの鏡は違っただけなのかもしれない」

「考えすぎでしょ。ま、わざわざこうして忍び込んだんだし、一応ぜんぶ見てもいいとは思うけど」

「実際、あいつはいなくなってる。はあるはずなんだ」

「……あいつ?」

「では、次の地点まで向かいましょう」


 アリサが歩き出すと、鮎川浩紀はロープを掴んで慌てたように制止する。


「え、ちょ、このまま?!」

「次の鏡でも同じ手法を用いますので」

「いや、ちょっと、この状態で歩くの、なんか変なプレイみたいっていうか」

「引きずると重いですよ」

「いったん外させて!」


 固く結んだらしく、鮎川浩紀は夏目きゆの手も借りながらロープを解いた。


「やばかった。目覚めるとこだった」


 次は東階段まで約50mの廊下を歩く。二人も慣れたのか、歩みに淀みがない。


「そういやさ、踊り場の鏡ってそもそもなんのためにあるんだ?」


 移動しながら、世間話のように鮎川浩紀が話しかける。

 アリサの自律汎用AIは通信環境があるなら常にネットと繋がっている。検索すれば答えは見つかった。要約して答える。


「視界の狭い場所で安全性を確保するためらしいです」

「へえ。カーブミラーみたいなもんだったのか」

「浩紀、カーブミラーってなんのためにあるか知ってるの?」

「……俺も反省してるんだよ?」

「じゃあさ、なんで二階と三階の間だけで一階と二階の間にはないわけ?」


 これは月代中学校固有の問題に思われた。検索しても答えは出ない。素直に「不明です」と答えた。「へー、わかんないんだ」と得意げな声で返された。


「ってことは、やっぱなんかあんのか……?」


 東階段前に到着。同様にして、鮎川浩紀に命綱としてのロープを括りつける。特になにも起こらず、鏡からも怪異が検出されることはなかった。


「北校舎はなにもなし、か」


 やはり鮎川浩紀はロープを解く。

 続けて、渡り廊下を通って南校舎へと向かう。


「あいつもこんなふうに全部調べたのか……?」


 と、鮎川浩紀は先頭を歩きながら小声でぼやいていた。

 そして南校舎・東階段前に到着。時計回りに動いていることになる。


「なあ。ふと思ったんだけど、もしかしたら調べる順番とか関係しないかな」

「なに言ってんの。キリないでしょ。とりあえず一回ずつ調べて今日は帰るよ」

「そうだよな。ま、効率的にぜんぶ調べるなら時計回りか反時計回りかの二択か」

「いいからさっさと行けば?」

「待て待て。ロープは結んでいくぜ」

「それいる?」

「……あの野郎は一人で勝手に乗り込んでいなくなったからな。複数人いるなら強みを活かさないと」

「うん?」


 例によって同じルーチンをこなす。鮎川浩紀が安全を確認し、アリサも怪異検出AIで鏡を見る。彼のいうよう順番が関わるなら、すべての鏡が「怪異」の一部になるはずだ。であれば、1%にも満たない数値は低すぎる。外れを引いているだけ、という説の方があり得るように思われた。


「ふぅー、これであと一つか。なんか慣れと緊張感が同時にくるな」


 一方で、夏目きゆは怪訝な顔をしている。


「ところでさ、浩紀。さっきから言ってるって……誰?」

「え? 誰って、同じ異常存在リサーチ部の……」

「異常存在リサーチ部は、元々あたしとあんたの二人だけでしょ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る