アミヤ・ロボティクス②
「ありゃ修理というより、もう作り直しじゃないか」
「俺もそう言ったはずですけど」
アミヤ・ロボティクス本社ビル・屋上。
屋上にはベンチがあり自販機があり、いくらかの植樹があるが、逆に言えばそれだけの開けたなにもない空間だ。白川が網谷を訪ねるとき、よくこの場所が指定される。その理由はわからないが、網谷は「社長として」「先輩」を迎えたくないという心理でもあるのかと、白川はベンチに背を預けながらぼんやりと考えていた。
「先輩は年中アイスでしたよね」
屋上に設置された自販機で網谷が缶コーヒーを二本買う。そして、それを渡すついでに網谷も白川の隣に腰を下ろした。
「で、今日はアリサの様子を見に来たんですか? 進行状況はまあ予定通りです。十月末にはおおよそ完了、それから一週間は最終調整で、十一月には調査に復帰できるかと」
「ご苦労」
白川はタブを開き、無糖のアイスコーヒーを口に運んだ。
アリサα――アリサのオリジナルとなる大人型ボディの修理状況も気になっていたことではある。当初の予定通り、あと二ヶ月弱はかかるだろう。それは視察するまでもなくわかっていたことだ。本来の訪問目的は別にあった。
「お前も報告書は読んでるよな? 中学生が異常存在リサーチ部なんて名前で活動してる。私らの学生時代を思い出さないか」
「中学生のお遊びと一緒にされるのは……いえ、あのころの俺は、まだ遊び感覚だったかもしれませんね」
さーっと、風が吹く。木々が揺れてざわめく。九月の風は、まだ生温い。
「それで、なにかありました?」
「……九曲トンネルの名が出た」
重々しく口を開き、そう告げる。
「ああ、そうですか」
網谷は気のないように返して、カフェオレを二口ほど飲んだ。
月代中学校には七不思議というべき「奇妙な噂」が流れている。そのうちには、二人にとって無視できない「気になる噂」があった。「工事未完了のまま放置され、異界に繋がるトンネルがある」というものがそれだ。
アリサβは月代中学校に潜入し、噂に関する情報をさまざまな方法で収集している。白川はそのうちで「トンネル」の噂に特に注目していた。具体的なトンネルの名前も場所についての情報も出てこなかったため、ひとまずは安心だろうと胸を撫で下ろしていた。
だが、つい先日。「九曲トンネル」という名がついに中学校内で流布されるようになっていた。白川は最悪の可能性を考えるようになる。
「名前まで明らかになれば、あとは時間の問題だ。月代中学校からもそう遠くはない」
白川と網谷の二人にとって、その名は忘れようのないものだ。
しかし、彼らはそこでなにがあったのかを覚えていない。
九曲トンネルはどこにも繋がっていない。未完成のまま放置されたトンネルだ。最奥は行き止まりの壁になっている。その経緯は不明で、いつからそこにあるのかもわからない。名鑑にも載っておらず、行政に問い合わせてもその存在は認識されていない。ただ、「九曲トンネル」の名だけが刻まれている。
白川と網谷は大学生時代に「怪異調査研究会」というサークルで共に活動していた。そのとき調査対象として目をつけたのが九曲トンネルだった。もう十七年も前の話になる。
どこにも繋がっていない奇妙なトンネルは心霊スポットとして風格十分に思えたが、特にこれといった噂もなく、ひっそりと忘れられていた。
「時期についての噂はまだのようだ。九月はもう過ぎた。だが」
「新月の夜に九曲トンネルを潜ってはいけない。そんな噂が出回りはじめたら、いよいよ危ないですね?」
新月の夜、九曲トンネルは怪異検出AIは最高値を示し、行き止まりの壁がなくなっていることに彼らは気づいた。その先に進めばなにがあるのか、彼らは知らない。
「しかし、先輩。そんなことでわざわざお越しになったのですか? 先輩もご多忙でしょう。アリサのことを隠すために表の業績を飾り立てているようですし。なぜそこまでしてアリサを隠したいのかも、俺にはよくわかりませんが」
「…………」
「あ、先輩を邪険にしているわけではありませんよ? なにかと用件をつけて訪ねていただくのはむしろ嬉しいです」
「……聞きたいことがある」
わざわざ網谷を直接訪ねたのは、この話をするためだ。
「鮎川浩紀とは誰だ?」
沈黙。網谷はゆっくりとカフェオレを飲み干し、缶を振って空になったことを確認すると、深いため息をついた。
「ま、さすがに気づきますか」
「お前の姉を訪ねた。長男はまだ小学生だし、苗字は鮎川ですらない」
「姉がもう一人いた、とは考えられません?」
「ない。それも確認した」
そこまで聞くと、網谷はくつくつと笑いはじめた。
「お前と鮎川浩紀はまったくの赤の他人だ。なんの関係もない。では――」
「ではなんのために? その答えも、先輩ならすでに辿り着いてますよね?」
「お前は月代中学校に流れる噂をMOONチャンネルから得ていた。つまりお前は、そのアカウントを持っていたということだ。ログを見るかぎり『トンネル』の噂はここが発端だが、該当の発言は削除されているらしく確認できない。つまり」
「俺が流しましたよ。九曲トンネルの噂は。ご指摘のとおりです」
網谷は、これまで見たこともないような歪んだ笑みを浮かべていた。
「なぜだ。なぜ、見ず知らずの中学生を危険に晒すような真似を」
「あれ? そこまではわかりませんでしたか? ――まあ、わからんだろうな。あんたは」
網谷の声が低く陰る。そして、空になったスチール缶をギリギリと握り、潰す。
「何回、進言したと思う? トンネルの再調査を。俺が、あんたに」
顔が見えない。いや、見ることができない。屋上の空気が、急に肌寒く感じられた。
「七回だ。そのたびにあんたは適当な言い訳で退けてきたよな。アリサが完成したなら心変わりすると思っていたが……」
潰れた缶を、ゴミ箱まで投げ入れる。缶はゴミ箱の縁に当たって、地面に転がり落ちた。
「いや、違う。あんただけじゃない。俺だって怖れていた。だから必要だったんだ。焚きつけるための理由が。あんたがそれで動くかどうかは微妙な賭けだったけどな」
聞いたこともないような網谷の声に、白川は返事をすることができない。そして、堰が切れたように。
「あの日のことを考えると妙に頭が痛む。それでも、考えずにはいられない。あのトンネルで! 俺たちはなにかを失ったんだ! いたはずなんだよ! ……俺はずっと、そのことが抜けない棘のように気に掛かり続けている。会社の業績がどれだけ上がっても、女が色っぽく寄ってきても、俺の心はずっとあのときに囚われたままだ」
九曲トンネルでなにがあったのか。二人は知らない。
知っているのは、もう一人だ。
だが、彼らはその顔も名前も思い出せない。本当にいたのかどうかさえも、定かではない。それは残された痕跡からの推測であり、のちの怪異調査によって似た事例が得られたことで、確信に近いものになりつつあった。
「だからですよ、先輩。俺には、取り返しのつかない理由が必要だったんです」
彼の顔は、いつもの穏やかなものに戻っていた。それでも、白川は後輩の顔を直視できない。
「……まだ、取り返しはつくはずだ」
「ええ、そうです。まだ取り返しがついてしまう。俺の不手際です。俺はまだ、ビビっていた。手を打つのを躊躇っていた」
「私が月代中学校の潜入調査に同意したのは、トンネルを調査させないためだ。噂がどの程度正確に広がっているのか、知っておかねばならないと思った」
「でしょうね。ですが、アリサはすでに九曲トンネルのことを知ったでしょう? アリサは今やあなたの命令も受けつけない。そのうち調査してくれると思いますよ」
「……ダメだ。あのトンネルだけは……なにが、起こるか……」
「本当に臆病な人ですね。それが優しさなら、まだよかったんですけど。あなたはただ、怖いだけだ。そもそも、あなたが俺を巻き込んだんですよ。『怪異調査研究会』に俺を誘ったのは、あなただ」
「そうだな、私には責任がある。しかし……」
「あのトンネルをきっかけにアリサの開発を思い立った。なのに、なぜアリサをトンネルの調査に向かわせないんです?」
「…………」
「俺としては別に、アリサでなくとも見ず知らずの中学生に突っ込ませてもよかったんですけどね」
「――だ、ダメだ! それは、それだけは……」
白川は思わず立ち上がった。しかしその姿は、へし折れそうなほど弱々しい。
怖かった。本当は中学生のことなどどうでもいい。逃げてきた。目を逸らしてきた。それでも。
「きっと大変なことになるでしょうね。ただ、その結果として得るものはあるはずです。……得るものがなくては、困る」
九曲トンネルは異界に繋がっている。彼らはそう考えている。であれば、有紗の行方を知る手掛かりとなる可能性も高い。そこまでわかっていても、白川はトンネルの再調査を決意できない。
あのときのことは、今でも思い出せないからだ。
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