対怪異アンドロイド開発研究室⑪

「それだけか?」


 白川教授は憂いを帯びてそう漏らした。

 十二年前に失踪した妹・有紗の手掛かりが現れたと思ったら、消えた。その胸中は察するにあまりある。「トイレの神様」については報告書もまだ十分に整っていないが、この件だけ取り急ぎ教授に伝えている。


「鮎川浩紀ほか、アリサ以外の人間には見えていなかったようです。映像でも……怪異検出AIによって輪郭こそ浮かび上がりますが……」

「見えないのか?」

「微妙なところですね。アリサにはハッキリ見えていたようですが。人間にはかなり見えづらいもののようです」

「新島は?」

「え? 私もまあ、あんまり……」


 見える人間と、見えない人間がいる。「幽霊」とはそういうものだ。それは目の問題ではなく、脳の問題であるらしい。すなわち、認知の問題だ。

「見えないゴリラ」という有名な実験がある。バスケットボールのパス回し映像を見て、その回数を数えるよう指示された被験者は、その場を悠々と横切るゴリラの着ぐるみに気づかなかった。このように「意識の外」にあったために気づかなかった、という体験は日常でも発生する。

「幽霊」というものは、人間にとって「意識の外」にあるために見えない。それは認知の隙間に棲んでいる。怪異検出AIの特性とこれまでの調査結果から、白川研究室はそのような仮説を持っている。そしてそれは、「そこにある」と強く意識してなお見えない場合すらありうる。


「……有紗本人なのか? それとも、ただの幻か?」


 教授は独り言のようにいった。答えが出るものではないという自覚があったからだろう。青木は律儀にそれに答える。


「本人だとしたら……いえ、本人でなかったとしても、その目的はなんでしょう? やはり、アリサの破壊……?」

「追うな、ということなのかもしれん……」


 やはり教授は答えを求めぬ独り言のように話した。


「てかアリサちゃん! んすかこれ? バグです?」


 新島が指摘するのは、白川有紗の姿を目にしてから四分間の挙動だ。人間でいえば催眠状態のように、無意識的な挙動で彼女は屋上から足を踏み外すところだった。あたかも、キャッチボールを注視するあまりゴリラの存在を見過ごしていたかのように。


「そうだな。仕様通りの挙動といえばそうだし、ある意味ではバグとも言えるのかもしれん……」


 教授の答えは歯切れが悪い。


「まあ、せいぜい12m程度の高さだ。あのまま落ちていたとして修理代が嵩むだけだ。少なくとも頭脳CBUは無事だろう。大した問題じゃない」

「そういう問題っすかね……?」


 新島は首を傾げる。教授はアリサに対して妙に甘いのでこの手の議論では当てにならないことが多い。


「アリサちゃん! この件についてなにか弁明は!」

「私の使命は怪異調査ですが、そのうちでも白川有紗の捜索は最も重みを持っています。その影響と、姿が不確かで捉え難いものであったがため認知リソースを大きく割かれていた結果です」

「やっぱり、ちょうちょ追いかけて知らない町に迷い込んだみたいな感じなんすね」


 アリサはやはり人の心のない機械なのだ――と、思い知らされる場面もあるかと思えば、このように人間的な側面を見せることもある。ただし、これは掃除ロボットが障害物に引っかかって動けないでいる様子に可愛げを見出すようなものだ。機械に「心」を見出すなら、それは人間が自らを投影した結果に過ぎない。

 と、理解はしつつも「心がある」という前提で揶揄うのが楽しいので新島はそうしがちだった。今も表情変化こそないものの、膨れているように見える。


「それにしてもアリサちゃん。あれはよくなかったね。言ってないじゃん。お礼」

「なんのことでしょう」

「浩紀くんに助けてもらったんだから、まずはお礼! 言いそびれたよね?」


 こんな説教も、人間の酔狂にすぎない。


「東雲とやらの願いはともかく」話を戻して、教授はいう。「『白川有紗の姿が現れた』については、偶然と片付けるにはピンポイントだな」

「……もし本当にであるなら」青木は答える。「どのようにしてアリサの『願い』を読み取ったのか。そういう話になりませんか?」

「トイレの神様は機械にも詳しいんすかねえ」


 人間ではない機械アンドロイドで再現できた。

 その点に、「答え」を示す重大な手掛かりが潜んでいるように思えてならない。それこそ、怪異調査にアンドロイドを利用する意義でもある。


「おい」教授はアリサに声をかける。「月代中学校に潜入してから、一度でも誰かに『白川有紗』の話をしたか?」

「いいえ。一度も話す機会はありませんでした」


 人間であれば、なんとなく「心を読まれたのかもしれない」と考えてしまう。だが、アリサは機械だ。「機械の心」を読んだ、というのでは釈然としない。独立した高度なセキュリティを持つアリサに対しそれは技術的に極めて困難で、可能だとしても機材が要る。

 もっとも、たとえ人間であっても「心を読む」とはなにを意味するのか。詐欺師や占い師は話術による誘導や微細な表情変化などから「心を読む」ことがある。三週間という期間はそのための猶予なのではないか、という想像が頭をよぎった。


「なら、知っていた……見ていたのか……?」


 教授は小声で、呟くように言葉を零すと、すぐに顔を上げて話題を変えた。


「東雲はどうだ? もう三つ目の願いも叶ったんじゃないか?」

「ああ、それについては」青木は頭を掻きながら。「『友達ができた』ことがそうではないか、と話してます」

「なんだそりゃ」

「彼女も今後、異常存在リサーチ部に参加するらしいです。その出会いが、三つ目の願いとして叶ったものなのではないかと……」

「うーむ」


 教授は腕を組んで背もたれに体重を預けた。いかにも「解釈次第」という話で判断に迷っている様子だ。海賊が追い求めた宝箱に「これまでの冒険が真の宝です」と書かれた紙切れが入っていた気分である。


「じゃあなにか? 『願い事』についてはやはり偶然か解釈の問題で、『トイレの神様』とやらはやたらうるさいノックを返してくるだけの存在なのか?」

「今となっては、そのノックすら返してもらえなくなったようですけどね。あのあとで鮎川浩紀や夏目きゆも試したんですが、うんともすんとも」

「同日だったからじゃないか?」

「後日にも試しています。アリサも二度目を」

「……まるでハイゼンベルクのガンマ線顕微鏡だな」


 一個の電子の位置と運動量を測定したい。そこで波長が短く測定精度の高いガンマ線を用いる。しかし、ガンマ線は粒子として高い運動量を持つため、観測対象である電子を弾き飛ばし、その運動量はわからなくなってしまう。

 というのが、ハイゼンベルクによって提出された思考実験だ。これは不確定性関係の本質的な説明ではないが――似たように、非破壊検査の難しい事例は多い。

 脳について知りたければ開頭し電極を刺し弄り回す実験をするのがいいが、下手すれば後遺症や死亡のリスクもあり得る。観測という行為が、観測対象に影響を及ぼしてしまうのだ。

 教授は、怪異調査が対象である怪異に影響を及ぼしてしまい、真相が霧のように消えてしまうことからその話を連想していた。


「一度か二度であれば再現できるが、それ以上は再現性が途絶えてしまう。やはり同じ傾向を示しているように思えるな」

「まるで七不思議を潰し回ってるみたいですね」

「そうだな……」


 そしてまた教授は深く考え込むように、黙ってしまう。口にすることで言葉の重みが霧散して消えてなくなるのを恐れているかのようだった。


「『アリサの願い』についても、残り二つがどうなるか。これも経過観察でしょうか」

「一つ目にしても、これはなにが叶ったことになるんだ? どうせなら、有紗本人を返してくれれば、よかったというのに……」


 せっかく「白川有紗の手掛かり」を得たと思ったが、教授はなにか話すごとに意気消沈していくように見えた。青木はそのたびに気遣うように話題を振るが、泥沼だ。(やっぱめんどくさいなこの人……)と新島は傍から見ていて思った。ふと青木と目が合い、多分同じこと考えているなと心が通じ合った気がした。


「ああ、それから。噂のもととなった紙切れを紛れ込ませた人物も特定できました。遠藤あゆみ、月代中学校の卒業生で現在高校一年です。話を聞いたところ、ジョークのつもりの創作であったと明かしています」

「そこまで調べてたのか。ん? 東雲の発見した紙切れとは別に『トイレの神様』という噂そのものはすでにあったんじゃないのか?」

「いえ、それがですね。東雲芽衣子が紙切れを発見したのは六月――夏休みより前です。そのときから彼女はクラスメイトなどにいくらか相談を持ち掛けているようで、噂の発端はそこにあると思われます」

「ああ、そうか。実際に試すまで三か月ほど塩漬けにしてたのか」

「というわけで、噂の発信源は遠藤あゆみの創作である、とみなしてよいでしょう。彼女自身は特に試したことはないそうです。本人としてはジョークのつもりですからね。にもかかわらず、怪異現象は現実にあったわけですが」

「あー、そういうのってあるっすよね」


 と、新島がパスを受け取るように話す。


「四谷怪談とかそうっすよ。もとはフィクションなのに、霊障みたいなのは実際に起こるらしくて。怪談を語ること自体が怪異を呼び寄せるという意味では百物語もそうっすよね。あとは、アメリカの話でしたっけ、ある橋で女性が誘拐され殺された事件があってその幽霊の目撃談があったんですが、実際に事件が起きたのは橋からかなり遠く離れた場所だったとか」

「詳しいな」

「えへへ。最後のは、人間の認知っていい加減っすよね、って話にもなりそうですけど」


 ちらり、と教授の顔色を伺う。教授の表情は、やはり暗く重い。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。


「噂には出処がある。そうだな、それが当たり前に考えられる真実だ。常識を疑うこと。常識で疑うこと。きっと、その二つが大事だ」


 教授の言葉は、やはり独り言だ。

 七不思議は、あと三つ。

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