汚濁残滓
「七不思議ってあといくつだっけ?」
月代中学校・異常存在リサーチ部。入院から復帰した浩紀はそう尋ねた。
「えっと、二つのはずです」
答えるのは、九月から入部した東雲である。
「『存在しないはずの生徒が学校に紛れ込んでいる』っていうのと、『異界に繋がるトンネル』っていうのですね」
「存在しないはずの生徒、か」
その話には浩紀も思うところがあった。
「やっぱおかしいのかな、俺。存在しないはずの友人がいるって思い込んで夜の学校の鏡を覗き込んだり、そのうえ飛び降りだろ?」
「ホントどういうことよ。心配したんだからね」
夏目の声には怒りと呆れが混ざっている。不安を掻き消すためだ。
浩紀はふらりと校舎の屋上から飛び降り頭を打って二日ほど昏睡していた。それから数週間の経過観察入院を経て、今では特に後遺症もなく元気な状態に戻っている。
とはいえ、なぜわざわざ夜の学校で飛び降り自殺をしようとしたのか、どうやって学校に侵入したのかなど謎は多い。「勉強疲れでノイローゼになっていた」だの「部活動を盛り上げるための狂言」だのさまざまな噂が好き勝手に流れているが、本人ですら真相はわかっていない。何度も何度も尋ねられるあまり、それ自体がノイローゼの原因になりそうだった。
月代中学校の屋上は金網に囲われ、さらにネズミ返しのように内側に折れている。飛び降りるなら、この金網を越える必要がある。男子中学生の身体能力でも、その気になれば不可能ではない。だが、「その気になる」ことが前提だ。駅のホームから線路に飛び降りてしまうような、「無意識にふらりと」というわけにはいかない。
にもかかわらず、本人にそのあたりの記憶が欠けている。
なんらかの薬物で意識を朦朧とさせたうえで自殺に見せかけた犯罪の可能性まで疑われている。その場合はなぜ命が助かったのか、という疑問も生じる。奇怪な事件というほかなかった。
「やっぱ、鏡のせい? あんたさ、鏡の前で急に消えて……」
「それも覚えてねえんだよなあ」
異常存在と呼ぶべきものは存在する、と彼らは確信している。
鏡の件もそうだし、飛び降りの件もそうとしか考えられない。
だが、そんなことを大真面目に語ったところで大人たちも他の生徒も信じてはくれないだろうし、信じないのも無理はないと思っている。調査をすればするほど、証拠が見つかるどころかより変人と見なされていくのだろうという予感があった。
(なにがあった? なにが起こった?)
考えれば考えるほど、理解から遠ざかっていく気がした。SFやファンタジーでありがちな突飛な可能性はいくらでも浮かんだ。
たとえば、存在しない友人は実は存在していた。
たとえば、UFOに拐われて脳を弄くり回された。
たとえば、実はすでに死んでいて今は長い夢を見ている。
たとえば、この世界は仮想現実で自分だけバグに巻き込まれた。
だが、それらを本気で信じるとなれば話は別だ。そんなものがあると認めてしまえば、この世にいられなくなる。それこそ、再び飛び降りてしまいたい衝動に駆られる。
そんなことは誰にも、ましてや家族のように心配してくれる夏目には、とても話せることではなかった。
「まあ、目下の問題は廃部の危機なわけだが……」
思考を現実に移し、話題を変える。
部員はわずか三人。活動もさほど目立っていない。このような部活に、小さいながらもわざわざ一室が宛がわれていることがそもそも不思議だった。そもそもが非公式で、顧問の教師すらついていなかった。
「そうそう。で、七不思議を調べてまとめて記事にでもすれば活動実績になるかなって思ったんだけど」
「どうだった? 残り二つ」
「いろいろ聞き込みはしたよ? まずは、存在しないはずの生徒っての。でも、その、なんていうか」
「引っ張るじゃん」
「『企業の陰謀でロボット生徒が紛れ込んでいる』――っていうものらしいです」
と、東雲が続けた。それを聞いた浩紀は「うーん」と唸った。
「都市伝説っぽくはあるけど、そういうのじゃないんだよなあ……」
彼らが求めるのは「異常存在」である。現実的・常識的な説明が通用しない、条理を外れた存在。そういったものを彼らは経験している。
ロボット生徒とはいかにも陰謀論めいてミステリアスではあるが、現実的に考えられなくはないラインの話である。人間と見分けがつかないレベルのロボットが現実に開発されているかどうかは微妙なところではあるが。
「つーか、どうなん? 今ロボットって。そのレベルのできてんの?」
「その、国内だとアミヤ・ロボティクスって会社が人型ロボットをいくつか発表してるみたいですけど。動画を観るかぎりは……さすがに、生徒として紛れ込めるほどとは思えないですね」
「アミヤ? あ、そういや昔ロボット経営ホテルに連れてってもらったことあるなあ。結構ふつうに会話できて面白かったけど、まああのレベルだよなあ。実は裏でつくってました、てこともあるかもだけど」
七不思議のうちでも、「緑の家」は単なるおばけ屋敷の練習だった。そのように、七不思議もすべてが「本物」というわけではない――と、する方が記事としては信憑性は増すかもしれない。そのようなことを考えた。
とはいえ、これを検証するには全校生徒に「あなたはロボットですか?」と尋ねて回り、ロボットか否かを証明する手段を持たねばならない。
「どうやったら確かめられるんだろうな。手に針刺して痛みを感じなかったらロボとか?」
「こわ。ふつうに呼吸してないとか脈がないとかでいいんじゃない?」
「あ、動画だと呼吸のふりくらいはできるみたいです。瞬きも……」
「へえー。でも、さすがに脈までは無理じゃない?」
「じゃあ試しに測ってみるか。俺らで」
「えー……」
もちろん全員当たり前に脈があり、特に面白くもなく場が白けるだけだった。同時に、あまり現実的でないという結論にも達した。
「俺は転校生が怪しいと思うな。漫画でもそういう導入ありそう」
「この話まだ続けるの?」
どのみち身体測定でバレるのではないか、といったあたりで話は終わり、話題は移った。
「じゃ、トンネルの方は? 九曲トンネルとかいったっけ? どこにあんの?」
「あー、それもあんたが寝てる間に調べといたから」
と、夏目はスマホで地図アプリを表示させる。
「このへんにあるんだって」
「うん? なんじゃこりゃ」
マーカーが置かれているのは道から外れた先であり、衛星写真モードに切り替えてもただの森にしか見えなかった。拡大しても目を凝らしても、トンネルらしきものは影も形も見えない。
「なんか未完成の廃トンネルみたいでさ。その手のマニアのブログで一件だけ見つかった感じ」
「場所は……なるほど。自転車でも行けなくはないか。行ってみた?」
「近くまではね。パッと見はわかんなかったし、ガードレール越えなきゃいけないみたいだったし、薮がすごかったし」
「あ、ブログってこれかあ。なんか奥は行き止まりだって書いてあるな。……異界に繋がってる?」
「それが、その、新月の夜にだけ壁がなくなって、その先に進めるって話らしいです。MOONチャンネルでそういう話が」
「あー。当たり前だけど、このブログの写真も昼だしなあ。いいじゃん。怪談っぽくて。次の新月っていつ?」
「七日。本気で行くの?」
「最後かも知んないだろ」
「でも……」
「そうだよな。本物かもしれない」
異常存在と呼ぶべきものは存在する、と彼らは確信している。
九曲トンネルもまた、「本物」であるかもしれない。「本物」であるなら、調べる価値がある。しかし、「本物」であるなら、相応の危険が伴うということだ。
だからこそ、これっきりにすべきなのだと彼らは考えるようになった。
七不思議をすべて調べたうえで記事にでもまとめれば、それなりに読み応えのある内容になり、活動実績として認められるかも知れない。興味を持った部員も集まるかも知れない。だが、それはそれとして、もうこんなことはやめるべきなのだ。
人間には、ましてや中学生の子供には、触れてはならない世界がある。彼らはそのことに薄々気づきつつあった。
だからきっと、これが最後の活動になる。
「東雲さんも行く? 七日の夜に、トンネル」
「あ、はい。私も一度近くまで夏目さんと行きましたし」
「え、そうなの?」
浩紀は改めて地図を眺めた。行けなくはない距離ではあるが、決して近くはない。(この子も思ったよりバイタリティあるな……)と感心した。
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