暗疑迷妄

「昔、殺人事件があったらしいよ」

「その被害者の呻き声が今でも夜な夜な聞こえてくるんだって」

「聞いたことあるかも。夜、コンビニ行った帰りに変な女の人の声」

「あのツタは人間の血を養分に成長したらしくて」

「何人も死んでるらしい。あの家で」

「先輩の友人が肝試しに入ったみたいだけど、今も行方不明なんだって」

「緑の家? ああ、あれかあ……。雰囲気やばいから近づかないようにしてる」

「空き家だよね? どう見ても。人が住める家とは思えないし」

「要は近づかなきゃいいだけだろ?」

「っても帰り道なんだよな、あの家……」


 教室でもよく噂話が耳に入り、生徒専用非公式SNS・MOONチャンネルでも話題になっている。というようなことを、鮎川浩紀は身振り手振りを加えて話した。


「そうですか」


 と、アリサは異常存在リサーチ部がこれまでに収集した記事のスクラップをめくりながら短く応えた。


「なにそれ? 読めてるの?」


 頬杖をつきながらアリサの読書速度に疑問を呈するのは夏目きゆだ。一枚めくるのに一秒もかけていないため、人間の目からはあり得ない速度に映るのだろう。

 放課後、異常存在リサーチ部の小さな部室に集まっているのはこの三人(アリサを「人」と数えるなら)である。


「俺は黒魔術の儀式でもしてるんだと思うな。あるいは、宇宙人との秘密の取引会場とか」

「どっちかにすれば?」


 一方、アリサは黙々とスクラップ帖をめくりつづけている。


「……あんたはどう思う?」


 夏目きゆは視線だけ動かし、アリサに問いかける。


「怪異の確率は2%以下です。優先度は低いと考えています」

「そのパーセントって? データキャラなの?」


 現地を調べるだけなら、「緑の家」は「踊り場の大鏡」より容易い。家そのものが怪しいのであれば時刻もあまり関係ないだろう。直接訪ねればよいだけだ。実際、すでに外観を観察している。ただし、怪異検出AIによる数値は極めて低いものだった。噂話もいくつか集まっているが、「怪異らしさ」は特に検出されていない。

 もっとも、外から見ただけでは内になにが隠されているかはわからないし、テキスト分析の精度はさほど高くない。しかし情報が増えるたびに数値が下がっていくため、アリサはこの件に対して優先度を低く扱っていた。


「俺は怪しいと思うんだけどなぁ~」


 鮎川浩紀は背もたれに体重を預け、伸びをしながらそう言った。


「別になにもないと思うけど……」

「調べてみるだけ調べてみよーぜ。すぐそこだし」

「いやでも浩紀、あんなことあったのに」

「俺あんま覚えてないからなあ。でも、だったらなおさらじゃね?」

「うーん、そうね……」


 夏目きゆはちらりとアリサを一瞥だけして、続ける。


「アリサさんは興味ないみたいだけど」

「え、アリサちゃん来ないの?」


 二人は立ち上がったが、アリサはまだ座ったままだ。

 この状況において、アリサの中で「判断」が生じる。


①「緑の家」に「怪異」がある確率は、現在得られる情報からではかなり低い。ただし、「ない」という結果でも怪異検出AIの精度向上に繋がる。「ある」というなら、なおさら大きな修正が求められる重要なフィードバックとなる。


②異常存在リサーチ部との人間関係。彼らは「怪異調査」に積極的であり、今後も調査を効率的に進めるなら同行は有用だ。「本物の怪異」と遭遇した際の反応を精確に分析するにあたっても、「普段の態度」から差分が得られる方がよい。


③鮎川浩紀の経過観察。「泥人間」としての本性が現れる瞬間があるなら、見逃すわけにはいかない。


 以上をアリサは二秒以内に列挙し、総合的に結論を導いた。


『アリサちゃん! 行くっすよね!』


 研究室より通信が入る。新島ゆかりの声だ。

 アリサの活動はリアルタイムで視覚・聴覚情報を共有され、モニターされている。アンドロイドにプライバシーの概念はない。今日は新島ゆかりが担当していた。

 ちなみにその通信はアリサの内部でのみ「聞こえて」いるもので、音声として出力されてはいない。また、その返事も内部で生成したデータをそのまま送信することになる。つまり、周囲の人間からは通信していることすらわからない形になる。


『怪異の確率は低いかもしれないけどさ、付き合いは大事だよ? 怪異でなかったとしても、それはそれで怪異検出AIの精度向上に繋がるわけじゃん? それに浩紀くんを見守る必要もあるしさあ』

「私も行きます」


 アリサは新島ゆかりに対してではなく、目の前の二人に対して話した。


『あ、説得が通じた。よかった~』

「私の結論は新島ゆかりさんの進言とは無関係に導き出されたものです」

『うん。そういうことにしてあげるね! じゃ!』


 アリサは椅子から立ち上がる。

 彼女は今や誰の命令も受けつけない。「怪異調査」を至上目的として自律判断する独立した意思決定能力を持つ。

 白川研究室との協力関係を維持しているのもデータ分析やメンテナンスに有用であるからだ。学校潜入に際し大半の時間を授業を受けるだけで過ごすというのも、直接的には調査活動と無関係だが迂遠な有用性を持つと判断している(そもそも、充電しながらただ座っているだけの時間はアンドロイドにとってさほどリソースを払う行為ではない)。

 知能とは未来予測能力によって測ることができる。怪異検出AIを過信せず精度向上に努めれば「次」に繋がる。模範的な中学生として振る舞うことで人間に「親近感」を抱かさせれば得られる情報も増える。彼女は「先」を見据える極めて高い知能を持っている。その演算速度は人間を遥かに凌ぎ、新島ゆかりも同様である。彼女の「助言」がどれだけ無用で遅れたものであったか、アリサは8000文字の文書の形で送信した。




「……こうして見ると、結構雰囲気あるよな」


 塀越しに鮎川浩紀が見上げる。

「緑の家」は、車も頻繁に通る国道沿いに位置する二階建ての一軒家だ。隣にはコンビニがあり、ガソリンスタンドがある。その家は街の一角で異様な存在感を帯びていた。呼び名の通り、外壁の素材が確認できないほど生い茂るツタに覆われている。屋根も覆い尽くされ、家としての輪郭が曖昧になっている。仮にグリーンカーテンを意図した人為的なものだったとしても、もはや制御を離れて家を蝕みつつあることに疑いはない。

 門から覗く庭も荒れ果てている。雑草も伸びっぱなしで、物干し竿が埋もれているほどだ。さらには多種多様な昆虫が生息し、小動物の影も見える。

 門に表札はかかっていない。


「やっぱ空き家だよな。どうする?」

「どうするって……」


 彼らは門の前でうろうろしている。家を見たり、周囲の通行人に目をやったりと、忙しない。そうするうちに、付近の信号機が切り替わり一周していた。


「行かないのですか」


 アリサは声をかける。人間にはアンドロイドにはない不合理な感情があり、それがしばしば調査活動の妨げとなる。


「いやぁ、不法侵入ぅ、になるんじゃねえの、空き家でもぉ……」

「インターフォン、あるみたいだけど」

「……人出てきたら、なんて言おっか」

「間違えましたとかでいいんじゃない?」


 鮎川浩紀は硬直する。しばらく逡巡したのち、覚悟を決めたようにインターフォンを押した。


「反応なし。ていうか鳴ってる? 壊れてるんじゃない?」


 何度か続けて押すが、家の中からチャイムらしき音は聞こえない。


「と、なると……仕方ないか。仕方ないよな。よし」


 そろりそろりと、鮎川浩紀は門を潜った。敷石を渡り玄関前に着くと、ツタの侵蝕からかろうじて逃れたような錆びついた扉に向かって、軽く二回ノックする。

 返事はない。さらに二回。同様だ。


「すみませぇーん……」


 控えめな声で呼びかけるが、反応はない。聞こえる音は、車の走行音、カラスの鳴き声、歩行者信号機の音響。遠くで救急車のサイレンも鳴っていた。「緑の家」からの音はない。扉に耳を当ててなにかを聞こうとしていたが、見守る二人の方に振り向いて、彼は首を横に振った。


「なーんも聞こえね。空き家なのは間違いないっぽい」

「留守なだけじゃなくて?」

「住めるかなあ、こんな家に。どっかに窓とかねえかな。いやあってもな……」


 茂みをかき分けながら、彼は庭に歩み出た。外壁は全面がツタに覆われ、窓の存在すら確認できない。玄関の扉が見えているのは今でも開け閉めをしているためか、張り出しで影になっているためか。


「鍵の種類によっては開錠も可能です」


 庭から家の外観を伺っている鮎川浩紀に声をかける。雑草に足を取られてさほど奥までは進めていない。


「え!? それってつまり……いや、さすがにそういうのは……」

「では、他の侵入口を探しますか?」

「待って。なんか、鍵、かかってないみたい……」


 と、ドアノブに手をかけていたのは夏目きゆだった。

 ぎぃぃ……と、軋む音を上げて鉄錆の扉が開く。闇が顔を覗かせた。

 人並みに倫理観や遵法意識を持つ中学生も、こうなれば好奇心を抑えられない。互いに顔を見合わせ、頷き、忍ぶように扉の隙間から内部を覗き見る。

 埃のにおい。外気に対し湿度が高い。土間に靴はない。

 さらにゆっくりと、大きく扉を開いた。

 すべての窓がツタで覆い隠されているため、日当たりのよい立地であるのに中は濃い闇に閉ざされていた。玄関の扉を閉じればほとんど夜と見紛うだろう。玄関にも窓はあったのだと、内側から見ることでようやくわかる。ツタは家の中まで侵襲しており、むろん、窓から外の様子はまるで見えない。


「おじゃましまー……」


 人間の二人を先行させ、彼らは扉を潜った。

 鮎川浩紀はおそるおそる壁のスイッチに手を伸ばした。明かりはつかない。照明器具が取り外されていたためだ。鮎川浩紀は手持ちのLEDライトを点灯した。

 玄関からは一本の廊下が真っ直ぐに伸び、左右にそれぞれ部屋がある。すぐ左にはトイレや浴室、右には障子戸が見える。その奥にはまた別の部屋があるようだ。

 二人はしばらく小声で議論して、玄関の扉をゆっくり閉めた。次は靴を脱ぐべきかどうかが彼らの議題となっていた。結果、床がぐらぐらに揺れて妙にベタつくことから、脱がずにそのまま進むことが決まった。

 壁紙はカビで黒ずみ角から剥がれかけ、障子はいくらか穴が開いて破れていた。床の隅には埃も溜まり、フローリングには傷も見られる。天井には雨漏りの跡もあった。とはいえ、全体的な評価として内装の状態は外観から予想されるほどには悪くない。少なくとも、廊下の板材が腐っていて90kgの重量を支えきれずに抜けるようなことはなかった。

 一般的な民家と比して不自然な点は、壁に何枚も貼られた朱印の霊符。

 そして廊下の先には、二階へと続く階段。その手前には、道を塞ぐように大きな姿見の鏡が置かれていた。

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