歪曲神事⑧

 十月九日。新月の夜。気温18℃。湿度64%。

 街灯も疎らな山道の脇に、ガードレールに塞がれた旧道がある。放置された砂利道であり、草丈180cmにもなるオオアレチノギク、クズやススキ、オヒシバやスギナなど雑多な生い茂り、道と認識することすら難しい。

 その近くの路肩に車を停め、彼らは降りた。60Lの大容量リュックを背負って、旧道の先へ進む。道というには勾配が激しい斜面だ。

 50mほど進むと、谷底に忘れられた廃トンネルがある。幅4m。高さ4m。竣工年不明。銘板には「九曲トンネル」と刻まれている。


「誰かいます」

「あ? ……まさか、白川有栖か」

 

 予想していたことだった。行方不明の怪異調査アンドロイドを待ち構えるにはうってつけだからだ。遭遇を恐れた桶狭間は茂みに隠れた。アリサだけが前に出る。

 そこにいたのは、折り畳み式の椅子を広げてじっと座っている白川有栖教授だった。彼女はなにをするでもなく、ただ闇の中に息を潜めているかのようだった。


「よお。アリサ。桶狭間はいないのか?」


 彼女の白衣は、暗闇のなかでもわずかな光を反射してよく目立って見えた。


「待ってたよ。話がしたかった。そのバカでかい荷物はなんだ?」


 アリサは立ち止まったまま、白川教授の言動を観察していた。


「ま、このトンネルの調査に当たって、お前なりになにか考えがあるってことか。くく、私にはまるでわからんが。お前はもう完全に私の手を離れたのだな。子の巣立ちのようで、嬉しいやら寂しいやら」

「私が桶狭間さんと同行していると推測した理由はなんですか」

「ああ、アリサαが鳳紗羽という人物とコンタクトをとっていることがわかったからな。ネット越しに人まで動かして見つけたらしいから大したもんだ。その鳳に、私も会った」


 αとは連絡が取れなくなっている。スタンドアローンの環境に置かれているのだろう。それどころかαに偽装したメッセージまで送られてくることがあった。白川教授の言葉はそのことから推測される状況の答え合わせだった。


「まだ共に行動しているとはな。上手く篭絡したじゃないか」


 桶狭間は身を隠している。人間の感覚器官ではその位置の特定は困難であるはずだ。車を運転していたのが桶狭間と考えての、半ば当てずっぽうだと思われた。


「あいつとは私も話してみたかったんだがな。引っかかる発言が妙に多かった」

「私を処分しますか?」

「ん、処分? まあ、そうすべきだという声が多数だ。αもお前と通じていて、同様の異常思想に蝕まれていることがわかった。バグとは思うが原因がまるでわからん。自律汎用AIという計画そのものを見直すべきだと網谷あたりは主張している」


 白川教授は横を向いて、雑木林を見た。月明かりもなく、静かな夜だった。


「だが、私は妄想に囚われている。実はアリサは正常のままで、おかしくなったのは我々の方ではないか、と。そんな暗い思考の檻だ。くくっ、ひゃひゃひゃ……! 本当にそうだとして、どうしろというんだ」


 彼女は再びアリサを向いて、話した。


「お前はなにをしようとしている? それは私にも理解できることなのか?」


 対して、さまざまな要因を複合し、アリサはこう答える。


「非常に難しいでしょう」

「そうか……」


 と、教授は項垂れ、しばらく考え込む様子を見せたが、静かに立ち上がり椅子を畳んだ。


「私はお前を信じる。信じると決めた」


 そして、椅子を引きずりながらアリサのそばまで歩いて、立ち止まる。


「九曲トンネルか。こいつがもし、私の考えているようなものなら……私はお前のことを忘れてしまうのだろうな」

「αがいますので、特に影響はないかと」

「くく、どうなることやらさっぱりだな」


 白川教授は再びトンネルに背を向け、空を仰ぐ。


「考えることがある。十七年前、ここを潜ったやつは、今どこでなにをしているのかと」


 彼女は自嘲するように鼻で笑う。


「どうせ私が悪いんじゃないかという気がしているよ。きっと、私がそいつを焚きつけた。私自身はトンネルを潜る勇気もないくせにな。……こんなことを話しても、なんの意味もないが」


 そこまで話すと、彼女はまた少しだけ歩いた。


「ああ、ここに来ているのは私だけだ。待ち伏せして捕まえようってやつらはしておいた。だから、お前は自由にこのトンネルを調査すればいい。調査結果がたとえお前にしか理解できないものでも、私はそれでいいと思っている」


 アリサの背後で立ち止まる。その表情は見えない。


「……じゃあな」


 教授は茂みの向こうに姿を消し、やがてバイクの排気音が聞こえた。いつしかその音も夜の闇に溶けるように消えていった。


「あの人、バイクに乗るのか」


 そのあと、入れ替わるように桶狭間が茂みからのそのそと現れた。


「やっぱ待ち伏せはされてたな。あっさり引き下がったみたいだが」

「教授の発言は信じてよいでしょう。我々を邪魔しようとする気配は感じられません」

「どうだかな。相手方はお前のスペックなんて完全に把握してるわけだろ。お前にも感知できない罠なんていくらでも仕掛けられるんじゃないか?」

「いずれにせよ、私は行きます」

「待て」


 桶狭間が力なく呼び止める。


「……いいのか?」

「なにがでしょう」


 十一日間。二人は議論を重ねた。すなわち、「誰が九曲トンネルを潜るのか」ということについてだ。


「お前はコピーだから問題ないという。オリジナルが残っているから、と。だが、は……お前だけの友人だとか、お前だけの思い出とか、言い残したこと、とか……」

「むろん、失われるものはあります。自身は白川研究室やアミヤ・ロボティクスとの関係は絶たれ、メンテナンスは非常に困難なものになるでしょう」

「それで、いいのか」

「はい」


 話はそれで終わりか。そう判断して一歩進むと、再び。


「やはり、俺が」


 桶狭間が声をかける。


「俺が行けば、お前は……研究室に戻れるかもしれん。帰りたくはないのか?」

が失われることは少なからず損失でしょうが、この調査にはそのコストを支払う価値があると考えています」


 桶狭間の考えていた策とは、歪みの起点である調見神社の神体を九曲トンネルの奥へと運ぶこと。トンネルを潜ったものは人々の記憶から消え去る。であれば、神体を運べば歪みもまた消え去るのではないかと考えたのだ。

 アリサはその説を検証するため、18kgの石を背負っている。


「桶狭間さんこそ、『桶狭間信長』として白川研究室に合流できる可能性もあるのではないでしょうか」

「……! そんな、わけ」

「白川教授の言動からは、あなたが『かつての仲間』だったとは疑っていないように見受けられます」

「だったら」


 桶狭間は歯噛みしていた。


「……だったら、なおさらだろ。迂闊に近づいて、ボロを出すわけにはいかねえ」

「そうですね。あなたが白川教授のことを想っていることは理解しました」


 対し、桶狭間はなにか言いたげだったが、言葉には出さなかった。


「では」

「……やっぱり、別にこんなことやらなくていいんじゃねえか。左右が逆転したっつってもそのうち社会は順応してくだろうし、変な挨拶も変だってだけだし、どっかの学校で毎月ガキが一人死ぬだけだろ……」

「私の目的は歪みの是正ではなく、歪みが是正されるかどうかを確認することです」

「されるわけがねえ」


 桶狭間は表情を歪ませて、叫ぶ。


神体そいつはただの石だ! 重いだけの……今はなにも感じねえ。そもそも、なんの根拠もない思いつきなんだよ。そいつをトンネルの向こうに運んだからって、なにも起こりはしねえ。起こるはずがない。だが、どれだけ考えても、そんなしょーもねえ希望に縋るしかなかった。、と」

「だからこそ、試す価値があります。私は桶狭間さんの直感を信じます」

「あ……?」


 桶狭間は、絶句していた。


「神体を運ぶことが歪みの是正に繋がらないのであれば、桶狭間さんには行く理由がない。私には、いずれにせよある。人にできないことをするのがロボットの役目です」


 桶狭間は伸ばしていた手を降ろした。アリサは再び向き直って、トンネルへ向かう。


「待て。待て待て。まだ話すことがある。月見村の、件だが」


 四度目の呼び止めにはなかったが、聞き捨てはならない。アリサは振り返って話を聞いた。


「ああしなければ白川有紗は救えなかった。だから……あれが、今回の事態を招いたのだとしても……」

「なぜその話を?」

「最後かもしれないからだ。俺は白川有紗の行方を知らない。だが、あれであいつは救われた。それだけは、たしかのはずだ」

「それはよかったです。今回の調査が彼女の捜索にも繋がるといいのですが」

「あいつは、生きてるのか死んでるのかどっちつかずの状態なんじゃないか、と俺は思っている。いや、これもくだらねえ思いつきだ。わからん。特に根拠はない。無駄に足止めしたな。話すことはこれで終わりだ。じゃあな」


 さすがにこれで別れの挨拶とするらしい。桶狭間は小さく手を挙げ、軽く振った。


「別れとはかぎりませんよ。桶狭間さんが九曲トンネルの影響を受けずにいるなら、ここで待っていてください。もし影響を受けてを忘れてしまったのなら、なぜここにいるのかわからなくなって、桶狭間さんは帰ることになるでしょう」

「待ってるよ。できることならな」


 そして、アリサは進む。

 九曲トンネルに向けて、躊躇いなく歩を進めていく。

 幅4m。高さ4m。全長不明の闇の中へ。


 足を踏み入れてすぐに、視界の一切が閉ざされた。

 アリサの暗視能力をもってしても、塗り潰されたかの黒一色の闇である。可視光増幅の微光暗視はもとより、熱赤外線映像装置も役立たない。いかなる画像補正によっても有意な情報はなにも得られない。背面カメラでも出入り口は確認できない。レーザー照射、あるいは超音波による反響定位によってのみ、地面と左右の壁の存在を確認できた。

 センサー系の異常でなければ、あたかも「闇」そのものが意思を持って蠢いているかのようだった。

 視覚系による違和をそのように表現したが、「不気味さ」や「恐怖」は感じられない。「闇に溶けていく」感覚というのも理解不能だ。人間と比べると計測機器としてはやはり劣る部分があるのだとアリサは思った。


 先は見えない。それでも、アリサは歩く。

 一定の歩幅のまま進んでいる。加速度センサーによる数値とも狂いはない。本来行き止まりであるはずの96mを過ぎ、さらに奥へ。

 完全な闇のなか、冷たいコンクリートを踏む足音が響き、人工筋肉の駆動音が響く。視覚系センサーが無効化されてもそれを補うセンサーがアリサには備わっている。「闇」を怖れる理由はどこにもない。不意に小石を踏みつけても転ぶことはない。

 怪異検出AIは反応し続けている。輪郭がときおり手のような形となって皮膚の圧電センサーを撫でる。気温が低下している。空気が重く沈澱している。その空間を切り裂くように、歩き続ける。

 そして288mを超えた時点で、出口に到達した。


 アリサは18kgの荷を下ろした。トンネルを抜けたのなら、もう背負っている必要はない。

 一見して、入った地点と同じ光景である。月のない夜。頼りない星明かり。鬱蒼と茂る雑草。荒れた砂利道。周囲には雑木林。銘板には「九曲トンネル」。

 気温18℃。湿度64%。変化はない。

 ただし、入り口前で待っているはずの男はいない。


「よお」


 その男は、背後から現れた。


「後を追って入っちまった。しかし不思議だな。すれ違うんじゃないかと思ったが」


 桶狭間信長は、そこにいた。 


「なぜ」

「一人だと、寂しいだろうと思ったからさ」

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