異界案内③

 刳橋駅において、貝洲理江子はビバ・ビバレッジの商品であるコーンポタージュを口にしている。自動販売機、ならびに会社が怪異であるなら、その商品を飲むことによって「なにか」が起こることが期待できる。

 少なくとも即時的な変化はなかった。しかし、彼女は再就職先としてビバ・ビバレッジ株式会社を選んでいる。


「え、あのときの自販機がビバだったの?」


 彼女は知らなかった。よって、刳橋駅で飲んだコーンポタージュに感化されて自由意志でビバ・ビバレッジを選んだという可能性は棄却される。偶然か、あるいは偶然を装った「なにか」か。


「なぜビバ・ビバレッジに就職を?」

「その……どこでもよかった、んだけど。中途採用もあるって、たまたまネット広告で見かけて……」

「いつごろから?」

「えっと、正確には忘れたけど一年くらい?」

「以前の勤務先はなぜ辞めたのですか?」

「精神状態があまりよくなかったし……思えば、結構ブラックだったし……」

「現在の勤務環境はどうですか?」

「そんなに、悪くないかな……。こうして休暇をとって、アリサさん探しに来れたくらいだし……」

「なにか不自然な点はありませんか?」

「不自然……? っていわれても、むしろ前の会社がおかしかったんだなって……」

「ありがとうございます。おおよそわかりました」

「え、それで? なんでうちの会社に電話してるの? わたしたちを助けてくれるの?」

「いいえ。単なる実験です。この異界が通話相手を再現しているならビバ・ビバレッジも含まれるのか。を巻き込んだとき、なにが起こるのか。もっとも、ビバ・ビバレッジの本物を知らない以上、真偽判定は不能ですが」

『お客様?』


 貝洲理江子と会話を進めているあいだ、ビバ・ビバレッジとの通話は放置の形となっていた。並行するだけの処理能力は問題ないが、これ以上話題がなかったためである。


「貴社の社員である貝洲理江子さんについてお伺いしてもよろしいでしょうか」

「え、わたし?!」


 貝洲理江子も関係者であることが判明したため、ここからは彼女にも通話を聞かせる。


『あのぅ、先ほども申しましたように、こちらはトラブル対応のお客様相談室でしてぇ』

「貴社の社員がトラブルに巻き込まれています」


 強引な論理展開と理解したうえで話を進める。高度なAIの為せる業だ。


『はぁ。貝洲理江子ですか。たしかに弊社の社員ですが、そちらにいらっしゃるのですか?』

「あ、はい。貝洲です。えっと、そのう、いま近城大学にいるんですけど、近城大学にはいなくて……」

『複雑な事情のようですね』

「我々は刳橋駅のような異界に閉じ込められており、脱出手段が不明です。もっとも、私のコンディションが不調であるため考えうるアプローチの十分な試行は済んでいません」

『はぁ。異界、ですか』

「久方タクシーに乗りました」

『なるほど。久方タクシーですか。なるほど……』


 通話相手から言葉が途切れる。なにか「考えて」いるのだろうか。「久方タクシー」というワードを検索にかけているのかもしれない。


『自動車会社のフォードは、従業員の給料を上げ同時に自社製品の顧客とすることで市場規模を拡大しました』


 口調は変わらない。ただし、話題は繋がっていない。その内容は「お客さま相談室」に似つかわしくないものに思えた。


『弊社はこれに着想を受け、逆にお客様を社員として迎えることで循環構造が生まれると考えました。そして、弊社の経営方針はさらに一歩進んでいます』


 その声には「誇らしげ」な感情が意図的に混入されていた。


『「すべてのお客様を商品に」――それが、弊社の理念モットーです』


 凡庸なAIなら助詞の用法に誤りを指摘するだろう。奇妙な言葉であるには違いない。その意味を問うより先に、ビバ・ビバレッジは用件を進めてきた。


『わかりました。こちらで久方タクシーを手配します。大事な社員とお客様ですからね。正門でお待ちください。近城大学でしたね?』

「その理工学部キャンパスです」

『なるほどなるほど。ご用件は以上でしょうか。ありがとうございました。それでは、ビバ! ビバレッジ~!』


 通話が切れた。言葉を信じるなら、貝洲理江子は無事「現実」へ帰還できるだろう。


「……どういうこと?」


 貝洲理江子は「怪訝」そうな表情をしている。途中からではあったが、随所に異質なやりとりがあった。怪異検出AIを持たない貝洲理江子でも「違和感」は感じ取れたのだろう。


「怪異なの? わたしの勤め先って……」


 そして、その結論に至る。


「はい。音声だけではありますが、怪異検出AIでも同様の判断を下しています」

「怪異検出?」

「文字通りの機能です。技術的な説明が必要ですか?」

「え、いや、それはいいけど。怪異? ビバが? うーん……」


 貝洲理江子は「悩んで」いる。語り口から察するに、これまで特に違和感を覚えることもなく、実害もなかったのだろう。


「よく考えたら上司のあの人……まあ、いいや。来るんだよね、タクシー。行こっか」

「私は行きません」


 なぜなら、白川教授より「朽ち果てろ」という命令を受けているからである。


「まだ言ってるの? その教授、偽物だって」

「偽物だと断じる根拠が不足しています」

「んー……。さっきビバを怪異だって言ったみたいに、通話の音声だけでなんか判断できるんじゃないの? 高性能ロボットなんだし」


 言われ、アリサは省力化のため怪異検出AIをことを思い出した。


「いや、まあ、そこまで万能じゃないのかもしれないけど……」

「録音データから76%の確率で怪異が検出されました」

「え?」

「通話した教授は偽物です」


 その答えを聞いて、貝洲理江子はポカンと口を開けていた。


「どゆこと? え? 忘れてた? 調べる方法はあったのに忘れてた? そういえば、前もロープあったのに忘れてたよね。ポンコツ……?」

「私はポンコツではありません。怪異検出AIはその演算量から消費電力が大きいため一時的に機能を切っていただけです」


 むしろ、これは極めて高度にフレーム問題を解決している証左でもある。リソースは無尽蔵ではないからだ。かぎられた電力量の節制によって活動時間を延ばすことで、結果として事態は好転している。


「あ、うん。じゃあ、正門行こうか。タクシー、来るみたいだし」

「通信・思考・会話に電力を消費しました。命令とは無関係に、正門まで歩くだけの電力量が不足しています」

「……おぶってけってこと?」

「私の重量は114kgです」

「あーもう! なんかこの発電めちゃくちゃ頑張ったら正門くらいまでは行けない?」


 と、貝洲理江子は両手を掴んでの前後運動の勢いを早めたが、すぐに息切れして落ち着く。


「……冷静に考えたら、これなんか変じゃない?」

「変、とは?」

「こう、この、……この動き、なんかさ」

「なんでしょう」

「い、いや。やっぱいい。なんでもない! で、どうなの充電」

「正門まで歩くのに必要な消費電力と発電ペースを比較して概算したところ、貝洲理江子さんの最高速度による前後運動を二時間以上持続する必要があります」

「……無理」


 この問題を、アリサは台車に乗って貝洲理江子に押してもらうことで解決した。


「おっも……。台車に、乗せてるのに……!」


 一階まではエレベーターで降りる。屋内の廊下は滑らかだが、広場のレンガタイルの上はガタガタと揺れた。微細な振動のため姿勢制御演算に負荷がかかる。


「この異界の調査は不十分でした。未知の規格差のため直接充電はできませんでしたが、たとえば運動エネルギーに変換し人工筋肉を外部動力で伸縮させる装置を開発できれば――」

「わたしに正門ここまで台車で運んでもらってまだ言ってるの?!」


 この段階から引き返すには貝洲理江子の協力が不可欠だ。「本当に久方タクシーは来るのか」という関心を優先順位プライオリティの上位に設定したため「充電手段の模索」は後回しとなっていた。

 であれば、解決可能な他の疑問から手をつける。


「貝洲理江子さんは、なぜ私に会いたかったのですか?」

「へ?」


 その質問に彼女は目を逸らした。頬を掻き、言葉を濁している。頭部にわずかな体温上昇が見られた。


「いや、別に、その……。忘れ、られなかったから……」

「どういうことでしょう」

「その、私、人と話すの苦手で……。でも、アリサさんとは話せた気がしたから……」

「私は人ではありません」

「うん。だからだと思う」

「ところで、連絡先を交換していただけないでしょうか」

「え?!」

「ビバ・ビバレッジに勤務する貝洲理江子さんの今後に興味があります」

「え、えっと……やっぱり、なにかやばいの?」

「不明です。ゆえに追跡調査が必要です」

「追跡調査かあ……」

「また、ネット上での検索結果でもヒット件数はゼロです」

「ネットって、ここの? なんか再現された偽物って話じゃなかった?」

「はい。現実に帰還できた場合は再度検索し比較してみましょう」

「あ。あれタクシーじゃない? ホントに来てる」


 ***


「おや? お客さん。もしかして、行きでもうちのタクシーに乗りました?」


 運転手は「気さく」に話しかけてくる。声も姿も類似が認められる。たしかに、行きのタクシーと同一人物であるようだった。ただし、車は別である。GPS追跡機がないからである。


「怖い話が好きなんでしたよね。そういえば途中でしたっけ? 荒唐無稽な異世界に迷い込んだり、死んだ人間に会えるって話」


 前者はまさに今回体験した怪異を示唆するようである。だが、後者はなにか。高度な連想能力によって隣に乗る貝洲理江子を怪異検出AIにかけたが、問題なく「人間」である。


「なんでも、体験者は一日数時間ほど気を失うことがあるらしいんですね。だんだん瞼を開けているのが辛くなってくるとか。そのあいだ、当人の感覚では変な世界にいたとか、全裸で街を走ってたとか、殺人鬼に追われてたとか、そんな感じで。最初は珍しい症状だったんですが、今ではほとんどの人がそうらしくてですね」


 ジョークかと思った。しかし、運転手はあくまで真顔でいう。


「睡眠、っていうらしいです」

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