異界案内②

「えと、アリサさん。これどういう状況? いや違うか、説明が必要なのはわたしからか……」


 貝洲理江子の登場によって疑問が多数増大した。それらの疑問を解決するには現情報に基づく思考では足りない。新たな外部情報――すなわち、貝洲理江子の言葉が必要だ。そのためには時間が必要であり、時間を得るには充電が必要だ。優先すべきはそのことを伝え、充電手段を得ることである。目の前に動力源があるため、これは叶う。


「電池切れ? どうすればいい?」

「鞄にドローンがありますので、そちらのバッテリーを接続してください」


 電圧差から充電効率は低く、電力量もアリサの内蔵バッテリーに比べれば1.5%ほどだが、それでも足しにはなる。貝洲理江子はもたつきながらもバッテリーを腰部に接続した。


「やっぱ、ホントにロボットなんだね……えと、これで大丈夫?」

「不十分です。発電方法がありますのでご協力ください。私の手足を貝洲理江子さんの力で伸縮させ続けてください」

「え? どういうこと?」

「私の人工筋肉には燃料電池が内蔵されており、発電能力があります。本来はエネルギー回生のためのものですが、外部からの運動でも発電は可能です」

「よくわかんないけど……たとえば、こう、手を握って?」


 貝洲理江子がアリサの右手を持ち上げる。そして指示通りに前後へと動かす。


「手、つめた……」

「ありがとうございます。これで話を聞くことはできそうです」

「話? ああ、うん。そうよね。その、ここへ来たのは……経ったから、もしかしたら……って思って、近城大学の周辺をうろうろしてたの。直接研究室を訪ねればよかったんだけど、踏ん切りつかなくて……。会えなかったらそれはそれでいいかな、とかそんな程度の気持ちで、今日はたまたま近くの街に……。そしたら、いたの。アリサさん。声をかけようと思ったらタクシーに乗っちゃったから、ついアレやっちゃった。前の車を追って! って」

「それで貝洲理江子さんもここへ?」

「……うん。大学に入っていっちゃったから、誰か人に会ったらやだなあって正門の前でしばらくウロウロしてたんだけど、なんか……人の気配が全然なくて。あ、なんかこれ覚えがある……もしかしたら、二年前と同じ? って」

「二年前?」

「アリサさんと出会った、あの電車。あ、そうか。アリサさんからすると、ついこないだ? 三ヶ月前くらい?」

「どういうことでしょう」

「えーっと、どういえばいいのかな。つまり、わたしは二年前に戻ったの。行方不明になってた期間は二日だけ、だったみたい」

「なるほど」


 貝洲理江子はどこへ消えたのか。貝洲理江子はなぜ見つからなかったのか。これらの疑問がようやく解消した。一方で、「時間逆行」というべき未知の物理現象という疑問は増えた。


「電車から戻ったあとは……頭おかしくなったのかなって思って、心療内科を受診したり……会社も辞めて、実家に帰って……。でも、あのときのことが夢や幻覚とは思えなくて。近城大学とか白川研究室とか、アリサさんの言ってたこと調べたけど、こんな人間みたいなロボットはやっぱりなくて……。そのあとは、しばらくして落ち着いたから再就職して……」

「例の電車については、その噂の発生源にも疑問がありました。貝洲理江子さんが二年前に戻っていたというなら納得です」

「え? でも……わたしも似たような噂、聞いたことあった気がするけど……」


 解消しなかった。差し引きで疑問は増えた。


「いや違う違う! 過去の話はよくて、アリサさんともう一度会えたのは嬉しいけど……ここどこ?! いや追っかけたわたしが悪いんだけど、やっぱりまだ怪異調査とか続けてるの?」

「はい。ここも、あの電車と同じく現実と隔絶された異界であると思われます」

「こ、今回は……タクシー?」

「はい」

「アリサさんは、タクシーがこういうのだってわかって乗ったってこと?」

「どうなるかは不明でしたが、怪異検出AIによって『怪異』であるとは理解していました」

「ど、どうしよう……。乗ってる途中もまさか、っていう気はしてたんだけど、またこんなことになるなんて……」


 貝洲理江子は頭を抱え、手近な椅子に腰を下ろした。


「この大学、普段からこんなに人がいないってわけじゃないのよね?」

「はい」

「おかしいのは大学だけ?」

「わかりません」

「どうやったら帰れる?」

「不明です」


 貝洲理江子は椅子から降り、今度は両手でアリサの手を掴み、勢いよく前後に動かしはじめた。その勢いに頭部もガクガクと揺れる。


「考えて考えて! 外の街も似たようなのだったらどうしようもないじゃん!」

「わかりました。貝洲理江子さんが帰還できる方法を私も考えます」

「あ、ありがと。……え?」


 貝洲理江子の動きが緩やかになる。なにかを「考えて」いる表情だ。


?」

「はい」

「アリサさんは?」

「私は帰りません」

「え、なんで」

「そのように命令を受けました」

「命令?」

「白川教授に連絡し、指示を請いました」

「え、ここで? 電話通じるの?」

「はい」

「それで、なんて?」

「『下手に動くな』『お前は、もういらん。そこで朽ち果てろ。じゃあな』とのことです」

「なにそれ!」


 貝洲理江子に「憤慨」の表情が浮かぶ。そして、やがてそれは「憐憫」の表情へ遷移する。


「そっか。捨てられたんだね。アリサさんも」

「捨てられたわけではありません」

「いや捨てられてるでしょ。自分を捨てたような人の命令を律義に聞くことなくない?」

「白川教授の命令には優先権があります」

「わたしのいうことは全然聞いてくれなかったのに……捨てるならわたしにくれないかな……アリサさんつくるのって結構お金かかってるよね?」

「はい。どこまでを開発費に含めるかによりますが、数十億円規模です」

「す、数十……数十億!? それを捨てるの? おかしくない?」

「これまでの白川教授の言動と比較すると齟齬は見受けられます」

「……偽物とかじゃない? その、電話に出た教授」


 通話先の白川教授が偽物である可能性。検討すべき仮説にも挙がってはいなかった。しかし、証拠はない。これを偽物と断じ命令を棄却することができるなら、命令の優先権プライオリティはなんの意味も持たない。


「仮に通話先の白川教授が偽物であるならば、通信がハックされていたということでしょうか。あるいは、現実の白川教授が入れ替わっている?」

「わかんないけど。こんな異世界で電話できたりネットに繋げられたりってのがそもそもおかしいし」

「この異界が通信インフラをも独自に再現しているということでしょうか」


 単に通信を封じられるより、偽りの通信網に接続される方がその真偽判定に膨大なコストを要求される。貝洲理江子による運動エネルギーを電力に変換し、思考と試行を進める。

 データベース内に保存してあるページと比較する。たとえば「くらひー」のアカウントである。同様のアカウントが発見でき、内容も変わりはない。

 リアルタイム性の高い情報を検索する。たとえば「新島ゆかり」のアカウントである。三分前に最新のツイートがある。ツイッターアカウントを取得し、彼女にリプライを送る。しばらくして「え、誰?」と返ってきた。


「貝洲理江子さんの仮説を補強しますと、おそらく基本的には現実のコピーであるようです。こちらからのアクションに対して偽りの応答がなされるのであれば、大量のアクションによって現実との差が増大し、処理能力の限界を迎える可能性が考えられます」

「つまり……わたしたちがネットに書き込みしまくれば、どこかに無理が出るってこと?」

「可能性の一つです。もしすべての通信インフラを再現しているのであれば、私の処理能力では対応できる規模ではありません」

「なにそれ。SF? そういう映画観たことあるような……」

「『現実のコピー』はあくまで仮説です。また、電話に関して一つ試したいことがあります」


 インターネットの情報をすべて再現し、通話相手の声色や人格を再現した偽物を用意しているというのは、現実的にはとても考えられるものではない。ただし、これは「現実」ではない。「白川教授への通話」と「新島ゆかりへのリプライ」という二回の試行しかないため「誰にアプローチをかけても同様である」と判断するには早いが、試行を重ね検証するだけの余裕はない。

 であれば、発想の異なるアプローチが求められる。


『はい、どうも。ビバ・ビバレッジお客様相談室です。本日はどのようなご用件でしょうか?』

「管理番号677543-4444の自動販売機について問い合わせがあります」


 すなわち、「別の怪異」に対して電話をかけるというアプローチだ。


『あ、はい。昭斎ビル屋上に設置されているものですね。どうなさいましたか?』

「コイン投入口が溶接されて困っています。自動販売機を利用できません」

『うわぁ……、それはひどいですね。すぐに修理部を伺わせますね』

「それと、もう一つよろしいでしょうか」

『なんでしょう』

「電源プラグが抜かれていたのに稼働し続けていたのはなぜですか?」


 自動販売機が怪異だからといって、そのメーカーも怪異とはかぎらない。彼らの知らぬうちに怪異が紛れ込んでいたり、知らぬうちに自動販売機が怪異と化しているという可能性もある。だが、このビバ・ビバレッジ株式会社については――


『おや! 不思議なこともあるものですね。それも含めて修理部に調べさせておきますね』


 会社そのものが怪異である可能性が高い。


「あれ? アリサさん、電話かけるんじゃなかったの?」

「すでにかけています」

「???」


 通話には内部で生成した音声データを送信すればよいので、あえて発声するのは二度手間になる。音声への変換は電話先のスピーカーでなされるからだ。この点は人間の常識とは異なるため貝洲理江子を混乱させたらしい。


「それで、誰にかけてるの?」

「ビバ・ビバレッジ株式会社です」

「え、なんで?」


 また、「外部会話」と「内部通話」もそれぞれ独立しているため、両者が混ざり合うこともない。


『ご用件は以上でよろしいでしょうか? お電話ありがとうございます』

「すみません。他にもありました。管理番号233489-6666。刳橋駅に設置されていた自動販売機です」

『刳橋……あー、あそこですね』


 貝洲理江子と共にした電車の停まった異界駅・刳橋。そこに設置されていた自動販売機もビバ・ビバレッジのものだった。これが、会社そのものが怪異であると断じる根拠である。


「あの駅には、どのように自動販売機を設置したのでしょう」

『あー……、すみません。お客様。そのような業務に関わる質問は受けつけておりません。こちらはトラブル対応の相談室でして』


 当然の対応であるが、確認したかったのは刳橋駅を認知しているという事実である。


「ね、ねえ。アリサさん。なんでかけてるの? ビバ・ビバレッジって……わたしの、

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